Story on differentiation (Contents) MyBookへ. 
『微分のはなし』のホーム.

『微分のはなし』 連載を始めるにあたって






 長い間微積分を教えてきたが,最近まで講義のための教科書は,クラスや年度が違えば違うものを使ってきた. 大学院生の頃,ある大学で1年生の微積分の講義を,教科書を使わずにしたことがある. 数ある実数の定義のうちで,重要なものすべての同値性を証明した. ペダンティックになろうとしたわけではなく,自分が大学に入って習った微積分の導入が中途半端だったと感じており,自分だったらこうして欲しいと思ったからである. 3ヶ月掛かった.そして夏前に,先輩だったその大学の教師から,教科書を使ってくれと頼まれた.
 僕が鈍感だったのか,教室では学生の不満は僕には伝わって来ていなかった. 多分,僕がとても楽しそうに話をしていたから,僕に直接は言いにくかったのではないかと,今は思う. 実際,僕はとても楽しかった. とても厳密な話をしているのだけれど,そのための準備はせず,自分の頭の中に作られていた数学的世界を 歩きながら,実況中継をするように話をした. だから,道に迷ったり,石につまずいたりもした. 僕にはそれが楽しかったが,先輩に言われて,受講している学生はそうは思わないのだということを知って, 少し驚いたものだ. 教える方が楽しくなければ,教えられる方も楽しくはあるまいが,と当時の僕は思ったが,お仕事としては,雇用者側の指示は無視できない.
 それ以来,講義では教科書を使うことにしている. が,どんなによい教科書でも,使っていると不満を感じる場所に行き当たる. 学生には予習が大切だと言いながら,教科書は講義をしながら読むことにしている. 数行ほどをちらっと見て,教科書を伏せて講義をしては,またちらっと見る. 淡々と進むことも多いが,気持ちが悪いこともあって,すると教科書の悪口を言いながら熱弁を振るうことがある. その直後に,同じことが教科書にも書いてあることもあって,ばつのわるい思いをすることも少なくない.
 で,今は戸惑いの中にいる. どんなに工夫したとしても,自分で使うことになっても不満を抱かずに済むものが書けるとは思えない. 自分にはとうてい書けそうもないくらいすばらしい教科書もたくさんある. 連載となれば,微積分を知っている人も少なくない. 1回ごとに,知っている人も知らない人も共に楽しめて,全体としては知らない人にも役に立つ.それが求められていることだと思うのだが, 過去に使った教科書を考えてみても,できる人がいるとも思えないほどの難題である.
 さらに紙数の制限もある.進退はここに窮まった.そこで,開き直ることにした. 講義の中でやっている,脇道トークをメインに据えてしまう. 微積分の教科書としての骨格は全部演習に埋めこんでしまう.  そこで,想定読者に対する本書のお薦めの読み方を書いておこう. こちらとしては,そうして貰えるという前提で書いていると了解して欲しい. 何通りかの読み方が出来るようにと考えてみた.  知識として微積分を知りたい方には本書はあまり向いていないが,辞書のような教科書例えば,高木貞治『解析概論』岩波書店,一松信『解析学序説 上下』裳華房,杉浦光夫『解析入門I, II』東京大学出版会がある.特に後の2つを通読することは易しくないが,辞書として使えるようにして座右におけば便利である.もう一つハイラー・ヴァンナー『解析教程 上下』シュプリンガー・ジャパンは,歴史的経緯について詳しく,拾い読みすれば楽しい読み物である. を横にしながら読んでもらえば,そちらで理解しにくかった部分が理解しやすくなるかもしれない.
 本書で微積分を初めて勉強する人は,最初に読むときは演習を解いてみようとしないようにした方がよいかもしれない. かなり訓練が必要な問題が多く含まれているので,最初のうちトライして失敗したりすると先に進む意欲が削がれるかもしれない. 演習を解いた方が理解は深まるので,何度目かに読んだときにはトライして欲しい. そして,解けなくても,がっかりしないで,また時間を措いてトライすればいい.
 一番多いだろう読者は,何らかの形で一度は微積分を学んだことがあるが,納得できない部分が残っているというあたりだと思う. 演習問題の多くはそのときにやったか,見たことがあると思う. だから,やはり演習は斜めに読み飛ばせばよい.そして,本文を何度か読んでみて,まだ納得できないときは,出来そうな演習をやってみることを薦める.
 もう一つ,本書の構成が類書とはかなり異なっていることを覚えておいて欲しい. 厳密な論理構成を目指していない. その時点で必要な事実はすべて既に書いてあるというようなことは保証しないし,意図もしていない. 本書は,微積分の堅牢な建物を目指してはいない. しかし,各時点で,十分納得できるだけの前提は述べてあるつもりである.
 例えばルーブル美術館に行き,一人ですべての作品を鑑賞出来る人は少ないだろう. ガイドを付けても,始めてではガイドの言うことを理解することも難しい. ガイドは2度目以降に付けるか,ガイドブックを読んでからの方が効率がよい.
 本書は,読者に微積分の世界のガイドをすることを目標にしている. 一読して詰まらなかったと言わないで,何度か読み直してみて欲しい. 演習はやってもやらなくてもいいのだから.



トップ