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『確率で読み解く日常の不思議』『数学の作法』『幾何教程』



 人名索引 ひ


人名索引総目次    
K.ピアソンピアソンビアンキヒーウッド ビオ
E.ピカールヒグマン ヒーシュビショップ
ヒースヒース=ブラウンビスマルク 
ピーターズピックビッグスピットマン
ヒッパソスヒッパルコスピートビネ
ピープスビーベルバッハヒポクラテス,キオスのヒーマーズ
ヒューピュイサンピュイズーヒューエル
ビューズマンヒューズメラーピュタゴラス
ビュフォンヒュプシクレスビュルギ ビュレンピョートル1世
ビリーヒルツェブルフヒルトンヒルベルト
広中ヒンチンビングヒンリクス


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ピアソン,カール(Karl Pearson, 1857.3.27--1936.4.27.).
 イギリス,ロンドンに生まれ,ロンドンに死す. 1879年にケンブリッジ大学を卒業し,経歴のほとんどをロンドンのユニヴァーシティ・カレッジでおくり,初代ゴールトン優生学教授(1911ーー1933)になる.統計学を遺伝学に応用.. [伝4],[辞] トップ

ピアソン(Kenneth Robert Pearson, 1943.8.21-). 西オーストラリア,ネッドランズの生まれ.
 アデレイド大学(1060-63),同大学からJ.H.Michaelの指導で「位相半環(Topological Semirings)」によりPh.D.取得(1966).
 アデレイド大学チュ-ター(1964‐1965),アデレイド大学講師(1966-67),ペンシルヴァニア州立大学助教授(1967-1969),ラ・トローブ大学上級講師(1970-1989),准教授(1990-1998),モナシュ大学教授(1999),モナシュ大学GEMPACK(General Equilibrium Modelling PACKage)主任研究員.
 『抽象代数と有名な不可能性問題(Abstract Algebra and Famous Impossibilities)』(1991, A.ジョーンズS.A.モリスと共著).  [名4] トップ

ビアンキ(Luigi Bianchi, 1856.1.18-1928.6.6).
 イタリア,パルマに生まれ,ローマに死す.
 ピサ大学卒業後,ピサ大学で教職(1897年より教授).
 微分幾何学に重要な貢献.  ピサ大学(Scuola Normale Superiore di Pisa)からベッティディニの指導で,曲面論に関する論文によりPh.D.取得(1877). 1879年までピサに残り,それからミュンヘン,次にゲッティンゲンに行きF.クラインのもとで学ぶ.
  E.ベルトラミとD.ゴダッツィの考えを継承し,微分不変式による微分幾何を発展.連続群を許すすべてのリーマンの幾何を求める.アインシュタインは,一般相対性理論に,非ユークリッド幾何に関する彼の業績を用いた.
 ビアンキの恒等式,ビアンキ群.  [解人], [ト人], [代17], [フ文]  トップ

ヒーウッド(Persy John Heawood, 1861.9.8-1955.1.24).
 イギリス,シュロップシャー,ニューポートに生まれ,ダーラムに死す.
 ダーラム大学教授.トポロジー,グラフ理論.ケンプの4色定理の間違いを指摘(1890).特に平面と球面上の5色定理の証明と一般の種数のコンパクト曲面の彩色数の上界を与える.  [モト],[名19], [天27],[辞] トップ

ビオ,ジャン・バプティスト(Jean-Baptiste Biot, 1774.4.21-1862.2.3.).
  フランス,パリに生まれ,パリに死す. 物理学者,測地学者,天文学者,数学者. エコール・ポリテクニク卒.コレージュ・ド・フランス教授(1800),パリ大学教授(1809).
 すべての円錐曲線の正準方程式の接線の方程式を求める.正弦や余弦の値を単位円上の点の座標と解釈.電流と磁場の関係,隕石の研究,熱気球による飛行,偏光の研究(光学異性体)など.
 ビオ・サヴァールの法則,ビオ数(固体内部の熱伝導と表面からの熱伝達量の比率). [伝2],[辞],[幾7,10] トップ

ピカール、エミール(Charles Emile Picard, 1856.7.24-1941.12.11).
 パリに生まれ、パリに死す。
 トゥールーズ大学教授(79)、ソルボンヌの教授(98)。C.エルミートの娘と結婚。エルミート全集の編集。
 逐次近似を使って常微分方程式の解の存在を証明.代数方程式のガロア理論に対応する,微分方程式のピカール・ヴェシオの理論。解析学,関数論,微分方程式論,解析幾何学.代数曲面上の積分やトポロジー的問題.. 弾性体,熱,電気の研究に解析学を応用.  
文献
  1. 『解析概論』(Tr'aites d'Analyse, tome I, Gauthier-Villars Paris, 1891-96), 第2版.
  2. 『2変数代数関数論』Theorie des fonctions algebriques de deux variables independantes 2 vol. (1897, 1906);ジョルジュ・シマールと共著.
 [解III.9], [代18], [伝5,6,7,8,9], [辞] トップ

ヒグマン(Graham Higman, 1917.1.19-2008.4.8.).
 イギリス,リンカーンシャー,ラウスに生まれ,オックスフォードに死す.
 イギリス,プリマスのサットン中学,オックスフォード大学バリオル・カレッジに学び,同大学でJ.H.C.ホワイトヘッドの指導で,「群環の単元(The units of group-rings)」により学位(1941).
 卒業後は第2次大戦中で,気象庁に勤務(1940-46).その後マンチェスター大学(1946-55),オックスフォード大学(Reader:1955-58, バリオル・カレッジのSenior Research fellow:1958-),マグダレン・カレッジ教授(1960.10-84).引退後イリノイ大学客員教授(1984-86).
 群論.真の因子と同型な有限表示を持つ群や,有限生成の無限単純群の例などで有名.バーンサイドの問題,可解群,p群,ベキ零群など関心も広い.有限生成群に対する語の問題.
 ヒグマンの埋め込み定理,ファイト=ヒグマンの定理,ヒグマン群(1951,1974),ホール=ヒグマンの定理(1956),HNN拡大(1949). [代14] トップ

ヒーシュ(H. Heesch).
 結晶群論での黒白群の導入.4色問題での放電法(不可避集合を求める技法)や可約性判定条件を考案.  [名19] トップ

ビショップ,エレット・アルバート(Errett Albert Bishop, 1928.7.24-1983.4.14). アメリカ,カンサス州ニュートンに生まれ,カリフォルニア州サンディエゴに死す.父のアルバート・T・ビショップも数学者(カンサス州ウィチタ州立大学教授)だが,エレットが4歳の時に亡くなっている.
 1944年にシカゴ大学に入学し,1947年に理学学士と理学修士号取得.2年間の兵役の後,国立標準局 (National Bureau of Standards, NBS)(1989年からはアメリカ国立標準技術研究所と改称)で博士号のための研究し,シカゴ大学から,ハルモスの指導で,Spectral Theory for Operations on Banach Spaces(バナッハ空間上の作用素に対するスペクトル論)によりPh.D.取得(1955).
 カリフォルニア大学で教えた(1954-65),後カリフォルニア大学サンディエゴ校教授(1965-死).
 多項式近似と有理関数近似.バナッハ関数環論.ショケー・ビショップ・de Leeuwの定理.バナッハ空間,作用素論,複素多変数関数論,構成数学.ビショップ集合.  Foundations of Constructive Analysis(構成解析の基礎,1967) .構成主義を標榜,超準解析を批判.  [基15] トップ

ヒース(Sir Thomas Little Heath, 1861.10.5-1940.3.16).
 イギリス、リンカーンシャー、バーネットビー・ル・ウォルドに生まれ、サリーシャー、アシュテッドに死す。
 大蔵省・国債省などに勤めながら(1884-1926)ギリシャ数学史を研究。数学協会会長(22-26)。ユークリッドの英訳 『ハイベアのテキストから翻訳した,ユークリッド原論の13巻.序文とコメント付き』(1926)は以降の定本になっている。『ギリシャ数学史』(1921)。日本語では、『ギリシャ数学史I,II』(平田寛訳)共立全書518,521(1959)(A Manual of Greek Mathematics 1931)など。アポロニウス(1896),アルキメデス(1897)のテキスト. [解文], [名3], [幾1,2,3,6,9,11] トップ

ヒース=ブラウン(David Rodney Heath-Brown).
 オックスフォード大学.数論,特に双子素数やふるい法.10変数以上の3次形式が整数解を持つことの証明(1983).[天4] トップ

ビスマルク(Otto Eduard Leopold Furst von Bismarck-Schoenhausen, 1815.4.1-1898.7.30). プロイセン王国,ブランデンブルク県,シェーンハウゼン(現在ドイツ領)に生まれ, ドイツ帝国,プロイセン王国,シュレースヴィヒ=ホルシュタイン県,フリードリヒスルーに死す.
 プロイセン及びドイツの政治家、貴族。プロイセン王国首相(在職1862年-1890年)、北ドイツ連邦首相(在職1867年-1871年)、ドイツ帝国首相(在職1871年-1890年)を歴任した。ドイツ統一の中心人物であり、「鉄血宰相(Eiserner Kanzler)」の異名を取る。
 明治初期の日本の政治家に大きな影響.
賢者は歴史から学び愚者は経験からしか学ばない
  藤沢利喜太郎が体験した留学中の社会党議員が選出されたベルリンの夜のエピソード(『生命保険論』遺文集、上巻、p.116)
回想すれば、今を距る三年以前、独逸政府が独逸連邦陸軍費の増額を否決したる故を以て国会を解散し、 新に国会議員を徴集せしに、独逸の首府たる伯林府が八名の議員中、三名の社会党を撰出したる当夜のことにてありける。 余は当夜の景況を目撃せんと伯林市中を奔走し、痛く疲労を覚えければ、暫し足を休めんと一麦酒店に入り見れば、 室内当日の選挙社会党勝利の話ならざるはなし。 余は椅子に腰打掛けて一盃の麦酒に咽喉を濕ふし居たりけるに、嘗て一面識なき独逸人某氏は余が側に進み来り、 余に一礼して問ふて曰く、 「方今宇内の形勢を察するに、独逸全土を覆ふ社会党憂悒の雲は欝然として月暗く、 露国の天を望めば虚無党粛殺の気は愴然として風寒く、至るところ破壊主義のあらざるなし。 然れども同じく是破壊主義の党派にして各国其の党名を異にする、亦奇なりと云ふべし。 而して貴国破壊主義党派の名の何たるを審にせず、幸に教示を吝むなかれ」と。 余は此問の意外なるに驚きしが、考一考して答へて曰く、幸にして弊邦には破壊主義なし、 故に勿論党名なしと。 某氏も又余が答の意外に出たる驚きたるやありけん、 「さてさて貴国は結構なるお国柄なり」なる言葉を残して辞し去れり。 余は最初は心中竊かに此人の東洋の事情に暗きを冷笑せしが、熟考すれば此人が欧州諸国の何れの 国にても破壊主義なきはなきを見て、東洋の隅にも又破壊主義が暴威を逞ふするものならんと 思ひたるは必しも無理ならず、況んや又誰か知らん、他日此推想にして実事となるなきを。
  モルトケ将軍は近代の軍師なり,前に墺軍を敗り後に仏軍に勝てり. ビスマルク公は蓋世の政治家なり,巴里城下の盟に国怨を報じ,四分五裂の独逸聯邦を統一せり. 此二人の者一たび怒れは欧州為めに震動す. 然れども独逸政府は遂に国内の破壊主義を撲滅する能わず. 今より八九年前竟に一策を按し,国家保険の政略を布きたれど時既に晩く,破壊主義は最早其根據を占め, 爾来益延蔓するの勢あり. 吾人は豈夫此独逸が内部の破壊主義の為めに苦めらるるを見て之を対岸の火災視するを得んや.
  文明の進歩と與に社会貧富の差愈々隔絶し,軽車肥馬に鞭ち,路頭に塵を驚かす富者の背後には, 顔色憔将に飢餓せんとするものあり. その極は財産均一論となり,激しては破壊主義となること人事の数の免かれ難き所ならんか. 夫然り,或は然らん. 然れども吾人は破壊主義の発生する,人力の如何ともする能はざるところとなし,之を自然に放棄して可ならんや. 否吾人は宜しく破壊主義の発生を予防し,よし之を避くる能はざるも其害毒を減殺することに尽力せざるべからず. 而して貧民の保険は吾人が此目的を達する最良一手段なり.
  開国以来西洋の思想,主義にして我国に輸入し来たりたるもの枚挙に遑あらず. 遂に古今未曾有の変革を生ぜり. 而して余は竊に恐る,今後我国に入るものは破壊主義ならんことを. 吾人宜しく社会主義の未我国に発芽せざるに先ち,早く既に貧民の保険の実施を急ぐべし. 況んや方今我国にて諸種の製造所が四方に興起するに際し,貧民保険の一種なる職工保険の如き, 一日も其実施を猶予ずべからざるに於てをや.
  本邦に於て貧民保険を実施するに付き余が考按を述ぶれば,会社は之を公立にし,保険掛金の割合は純保険掛金表に據り, 手数料,則通常生命保険の場合に於て会社の営業費に当る失費は,国庫よりこれを支給すべし. 勿論此は我国にて貧民保険実施法の精神骨子を述べたるに過ぎず. 貧民保険の実際には,例へば貧民は今年掛金を払ふことを得るも,明年は之を為す能はざる等種々情実の斟酌すべきものあり, 中等社会の為めにする生命保険とは自ら其趣を異にするを以て,充分の実地調査を経たる後にあらざれば, 貧民保険の細則を定むること能はざるべし.
  余は今や,余に本論を通読するの栄を恵まれし読者諸氏に別るるに際し,謹んで諸氏の好誼を謝し,併せて此書が 本邦貧民保険の実施を促すことに於て幾分の効能あらんことを希望すと云爾.
 [文3] トップ

ピーターズ(Arno Peters, 1916.5.22-2002.12.2). ドイツ,ベルリンに生まれ,ブレーメンに死す.映画監督.1945年にベルリン大学から,政治的プロパガンダに関する論文で博士号取得.
 ガル=ピーターズ図法(正積円筒図法の1)に基づいた世界地図(1974).  [フ19] トップ

ピック(Georg Alexander Pick, 1859.8.10-1942.7.26).
 オーストリア,ウィーンの生まれ.80歳のときにユダヤ人であることからテレジエンシュタット・ゲットーに送られ,同地で死す.
 ウィーン大学に学び,ケーニヒスベルガーとエミール・ヴァイア(Emil Weyr)の指導で,アーベル積分に関する論文でPh.D.取得(1880).
 プラハのカール・フェルディナンド大学(現在のプラハ大学)で,エルンスト・マッハの助手になる(1880).講師(1881).1884年には1年間ライプツィヒ大学でF.クラインと共同研究.
 プラハ大学教授(1888-1927).退職後はウィーンに戻るが,1938年3月12日のナチのオーストリア侵攻後,プラハに戻る.1939年3月ナチがチェコに侵攻.1942年7月13日にテレージエンシュタット強制収容所に送られ,2週間後に亡くなる.
 格子点に頂点を持つ多角形の面積に関するピックの定理(1899).複素解析空間の正則写像に関するシュヴァルツ・ピックの定理(ピックの定式化はポアンカレ計量が縮小的というもの). ネヴァンリナ・ピック補間,ピック行列.   [天7, 10], [幾9] トップ

ビッグス(Norman L. Biggs, 1941-.).
 ケンブリッジ大学卒.代数的組合せ論.イギリス,ロンドン経済大学,離散及び応用数学センター所長. [天24] トップ

ピットマン(James W. Pitman).
 アメリカ,カリフォルニア大学バークレイ校統計学科教授.確率論,確率論的グラフ理論.[天24] トップ

ヒッパソス、メタポンツムの(Hippasus of Metapontum, 紀元前5世紀)。
 ピュタゴラス学派。正12面体に外接する球を作図し、調和平均について詳論する。無理数の存在を黄金比 ρ に対して証明したのが,最初の証明であると推測されている.学派の規律を破り、持論を付加して公表したため、海で溺死したという話が4世紀の本に載っている。また、無理数の存在を漏らしたためとも言われる。  [解I.4, 黄3], [代入1], [幾1] トップ

ヒッパルコス,ニカイアの(Hipparchus of Nicaea, ロードスのヒッパルコス Hipparchus of Rhodes とも言われる.紀元前190-120頃).
 小アジア、ビテュニア(現在のトルコ)、ニカイア(現在イズニク)に生まれ,恐らくロードス島に死す。
 天文学・地理学者。天文学の父と呼ばれる。弦の表、恒星表(一等星から六等星までの分類)。太陽年の長さ、太陽の軌道の形(春分点の歳差の発見)、月との距離、球面三角法.三角法による測量.現在にも伝わる46星座の決定。彼の業績はプトレマイオスのアルマゲストに引用されたものでしか伝わっていない.   [解I.4],[黄3], [幾I,4-5] トップ

ピート,トーマス・エリック(Thomas Eric Peet, 1882.8.12-1934.2.22). イギリス,リヴァプールに生まれ,オックスフォードに死す.
 エジプト学者.オックスフォード大学クイーンズ・カレッジに学ぶ.マンチェスター大学エジプト学講師(1913-1928),リヴァプール大学のエジプト学ブランナー教授(1920-1933),オックスフォード大学エジプト学上級講師(1933-).クイーンズ・カレッジにはエジプト学の図書館があり,ピート図書館と呼ばれている.
 数学関係の著書に,The Rhind Mathematical Papyrus: British Museum 10057 and 10058, London: Hodder & Stoughton for Liverpool University Press, 1923 [幾1] トップ

ビネ(Jacques Philippe Marie Binet, 1786.2.2-1856.5.12).
 フランス,ブルターニュ,レンヌに生まれ、パリに死す。
 エコル・ポリテクニク卒業後,政府の道路や橋の建設部門で働く.母校の教師と視学官をしていたが,1823年コレージュ・ド・フランスの天文学教授に.
 数学,力学,天文学で多くの論文を出す.行列論の基礎付けの研究,特に行列の掛け算規則の発見.1840年のM\'emoire sur les int\'egrales d\'efinies eul\'eniennes は重要で,ベータ関数の定義.変数係数の線形差分方程式や終結式の研究.フィボナッチ数列の一般項に対するビネの公式. [黄5], [天23, 24] トップ

ピープス,サミュエル(Samuel Pepys, 1633.2.23--1703.5.26). イギリス,ロンドンに生まれ,サリー州クラパムに死す.
  ケンブリッジ大学卒.エドワード・モンタギューに使え,王政復古に貢献,初代サンドウィッチ伯爵モンタギュ-の推薦でNavy Board(海軍委員会)長官になるも,モンタギュー家の執事を続ける. 王立協会フェロー(1665),海軍本部書記官(1673--1679),王立協会会長(1684--1686).1688年の名誉革命でジェームズ2世が亡命すると,公職を辞任.1660年から1669年まで書いた日記が資料として残っている.
 ニュートンが王立協会からプリンキピアを出版(1687)の準備の際の会長だったので,プリンキピアの表紙に彼の名前がある.そのためか,確率に関する相談をニュートンにしている.  [率0] トップ

ビーベルバッハ(Ludwig Georg Elias Moses Bieberbach, 1886.12.4-1982.9.1).
 ドイツ,ヘッセ・ダルムシュタット,ゴッデラウの生まれ.
 ゲッティンゲン大学からF.クラインの指導で,「保型関数論(Zur Theorie der automorphen Funktionen)」により博士号(1910). フランクフルト大学(1914-20),ベルリン大学(1920-)教授.
 関数論で大きな貢献.ビーベルバッハ予想(1916)は1984年にルイ・ド・ブランジュによって解かれる. ビーベルバッハ多項式(1914).直角定規とコンパスがあれば,角の3等分や倍積問題が作図できることを示す.結晶群のビーベルバッハの定理.    [代14], [伝7,8] トップ

ヒポクラテス,キオスの(Hippocrates of Chios, Ἱπποκράτης ο Χίος,紀元前470年頃-410年頃.)
 ギリシャ,キオスの生まれ.没地は不明.商人だったが、何らかの不運の後,訴訟のためにアテネに行き,そこで何らかの理由で数学者となったということらしい.ただ,キオスにいた時に幾何学者であり天文学者でもあったキオスのオイポピデス(紀元前450年前後に生き,ほとんどをアテネで仕事をした)に学んだらしく,またキオスがサモス島に近いこともあってピュタゴラス学派の考え方に影響も受けている.
 アテネに住み,数学を教えた.その幾何学の書は失われたが,ユークリッド『原論』の1,2章の中に再現されていると言われる.円積問題や倍積問題を研究.ヒポクラテスの月形を発見. 
 医聖として知られるコスのヒポクラテス(紀元前460頃-370頃)とは別人.  [名3, 11], [幾1,3] トップ

ヒーマーズ(Willem H. Haemers). オランダ,ティルブルグ大学数学教授.グラフ理論.  [天30] トップ

ヒュー(B.B.Hughes). 数学史.アラビア数学.  [解文] トップ

ピュイサン,ルイ(Louis Puissant, 1769.9.22-1843.1.10.) フランス,セーヌ=エ=マルヌ県ル・シャトレ・アン・ブリに生まれ,パリに死す.
 地形学的工学,測地学,数学.1790年にフランスの戦争省に雇われ,1792年にピレネー軍の地形学的エンジニア部隊の将校,1796年にパリに戻り,アジャンの中央学校教授.1802年10月から1803年8月までエルバ島の,1803年から1804年まではロンバルディの三角測量に従事.1810年にパリの数学愛好協会会員に,1828年にはフランス学士院会員に選出.
 地理学と数学に関する本を書く.
  [幾6] トップ

ピュイズー(Victor Alexandre Puiseux, 1820.4.16-1883.9.9.)
 フランス,ヴァル・ドアーズ,アルジャントゥイユに生まれ,フランス,ジュラ,フロントネに死す.
 エコール・ノルマル・シュペリオール(E.N.S.)卒業(1841)後,レンヌのコレージュ・ロワイヤルの数学教授(1841-44),ブザンソン大学教授(1844-49).パリに帰りE.N.S.(1849-55, 1862-68),パリ天文台(1855-59),パリ大学数理天文学教授(1857-),経度局員(1868-72).
 1850年に代数関数論,分数指数の級数(ピュイズー級数)の理論を構築.若い頃にコーシーの講義を受けていたことが刺激に.月の運動理論.楕円関数論,伸開線や縮閉線などの幾何. [パ8, 年表], [代7]   トップ

ヒューエル(William Whewell, 1794.5.24-1866.3.6).
 イギリスの哲学・科学史家。ケンブリッジ大学教授、トリニティ・カレッジ長(41-66)、大学学長(43-56)。王立協会の改革。F.ベーコンの帰納法の科学的発展。J.S.ミルとの論争。  [解文] トップ

ビューズマン(Herbert Busemann, 1905.5.12-1994.2.3). ドイツ,ベルリンの生まれ.
 ゲッティンゲン大学からR.クーラントの指導で「無限半径の円周が最短直線であるような幾何学について(\"Uber die Geometrien, in denen die "Kreise mit unendlichem Radius" die k\"urzesten Linien sind)」によりPh.D.(1931). 1933年まで同大学で助手.ナチを逃れてコペンハーゲンに行き,コペンハーゲン大学で1936年まで働き,アメリカに逃れる.1943年に市民権を得る.
 高等研究所,ジョンズ・ホプキンス大学,イリノイ工科大学,スミス・カレッジなどに臨時に勤めた後,南カリフォルニア大学教授(1947-1970).
 ビューズマン関数,ビューズマン=ペティの問題.
 『代数多様体入門(Introduction to algebraic manifolds)』(1939), 『フィンスラー空間と幾何学の基礎における計量法(Metric methods in Finsler spaces and in the foundations of geometry)』(1942), 『測地線の幾何(The Geometry of Geodesics )』(1955),『凸曲面(Convex surfaces)』(1958),『射影幾何と射影計量(Projective Geometry and Projective Metrics)』(1953, Paul J. Kellyと共著), 『最近の総合微分幾何(Recent synthetic differential geometry)』(1970).   [フ19] トップ

ヒューズメラー(Dale Harper Husem\"oller, 1933-).
 ハーヴァード大学からLars Valerian Ahlforsの指導で「リーマン面の写像,自己同型,被覆(Mappings, Automorphisms and Coverings of Riemann Surfaces)」によりPh.D.取得(1959).
 ハーヴァーフォードカレッジ教授.
『ファイバー・バンドル(Fiber Bundles)』(1966), 『対称双線形形式(Symmetric Bilinear Forms)』(1973,J.ミルナーと共著), 『楕円曲線(Elliptic Curves)』(1987)など.  [ト文] トップ

ピュタゴラス、サモスの(Pythagoras of Samos, 紀元前570-501, 572?-492?, 580?-500?, 582-493など諸説あり).
 イオニア、サモスに生まれ、リュカニア、メタポンタムに死す。
 数学・哲学者。前532年頃南イタリア、クロトンに移住。哲学・宗教集団を創始。この学派の数学への貢献は大きく,彼自身人類史上初の純粋数学者と,ヨーロッパでは考えられている.以前から個々の事実としては知られていたピュタゴラスの定理を論理的に確立した.そのことにより,整数を用いて世界・宇宙を理解しようという哲学が崩壊し,教団解体の危機に瀕し,犠牲者を出したらしい.
 後世にアラビア式の筆算とギリシャ式の算盤による計算との闘いの図にピュタゴラスが代表者として描かれているのを見れば,ギリシャ数学での計算法の確立にも貢献したのだろう.少なくとも1000年以上もの間そう思われていたということだろう.
 明けの明星と宵の明星が同じ星であることを見つけた。
「万物は数である。」
  [解II.4-5, IV.1], [名2-3, 6, 13, 17, 附E], [ト附D.5], [珠訳序, 説序, 3.9], [代1], [代入1,2], [ブ50], [直2,B], [ワ2,5,6], [辞], [作付B], [幾序,I] トップ

ビュフォン伯爵,ジョルジュ・ルイ・レクレール(Georges-Louis Leclerc Comte de Buffon, 1707.9.7-1788.4.16).
 フランス、コートドール、モンバールに生まれ、パリに死す。
 博物学者。コレージュ・デジョンに学び、数学と物理学に熱中。パリ第5区にある植物園の前身である王宮庭園の監督官(1739-)。『一般と個別の博物誌』36巻(1749-88),後に40巻.完成したのは1804年。
 クラメールと文通し、数学を研究。ニュートンの本のフランス語訳.確率論に微積分学を導入。ビュフォンの針に代表されるように確率論に実験の概念を導入。 [解文], [フ19] トップ

ヒュプシクレス、アレクサンドリアの(Hypsicles of Alexandria, ’Yψικλὴς,紀元前190頃-120頃.).
 ユークリッド 『原論』第14巻(偽書)の著者であることで知られる幾何学者.アポロニウスの論文を下敷きらしいが,球に内接する正多面体を扱い,同じ球面に内接する正12面体と正20面体の体積の比が求められている.
 他には天文書の『アナフォリコス』(食に関する記述がある)がある.多角数,ディオファントス算術,球面三角法,黄道を360等分するなど,後世の著者により論文名や彼の発見が知られている。  [名17], [幾3] トップ

ビュルギ、ユースト(ヨスト)(Joost(=Jobst) Burgi, 1552.2.28-1632.1.31).
 スイス、リヒテンシュタインに生まれ、ヘッセ=カッセル、カッセル(現在はドイツ)に死す。
 時計師・計算家。プラハでケプラーの計算家をする。M.シュティーフェルの影響下に(ネイピアとは異なる思想で)、対数を発見(1588年に対数を用いた天文観測)。正7角形の作図.  [解I.3, 文], [幾6] トップ

ビュレン(Peter S. Bullen).
 カナダ,ヴァンクーヴァー,ブリティッシュ・コロンビア大学数学科名誉教授. ケンブリッジ大学でPhD取得(1955).集合論,解析学,不等式,積分論  [天16] トップ

ピョートル1世(Peter I, Alekseevich, 1672.6.9-1725.3.8)
 ロシア,モスクワに生まれ, サンクト・ペテルブルグに死す.ロシア皇帝.ピョートル大帝ともいう.海を持たない大国ロシアの変革のため,バルト海の奥の海岸の湿地帯を開発して作った(1703) サンクト・ペテルブルグに首都を移す(1712).急速な欧化政策をとる.
 ロシア科学アカデミーを作り,ライプニッツに設立を依頼.ためにヨハン・ベルヌーイは息子のダニエル,ついでオイラーを送る.これからロシアの科学の伝統が始まる.   [パ11, 21], [珠人], [伝1] トップ

ビリー、ジャック・ド(Jacques de Billy, 1602.3.18-1679.1.14).
 フランス、コンピエーニュに生まれ、ディジォンに死す。
 イエズス会に入り、イエズス会学院で神学を学ぶ。 生涯、フランス各地のイエズス会学院で数学と神学を教える。 ディジォンでの弟子にオザナムがいる。 フェルマと文通し整数論を研究、彼の名を持つ結果もある。天文表や幾何の本(1643)出版する。 トップ

ヒルツェブルフ(Friedrich Ernst Hirzebruch, 1927.10.17-2012.5.27.)
 ドイツ,ウェストファーレン,ハムに生まれ,ボンに死す.
 ミュンスター大学卒(1950),博士号取得(1955).プリンストン大学助教授(1955-56).ボン大学教授(1956),名誉教授(1993).ボンのマックス・プランク研究所長(1981-95).
 代数トポロジー,代数幾何,複素多様体.アティヤ・ヒルツェブルフのスペクトル系列.ヒルツェブルフ曲面,リーマンロッホの定理を多次元代数多様体へ拡張.ヒルツェブルフの符号定理.
 日本語に訳されているものに『代数幾何における位相的方法』(竹内勝訳,数学叢書12,吉岡書店,1970) Topological Methods in Algebraic Geometryがある.  [代コ] トップ

ヒルトン(Peter John Hilton, 1923.4.7-2010.11.6.)
 イギリス,ロンドンの生まれ.
 ホモトピー論,第2次大戦中の暗号解読,数学教育.
 オックスフォード大学クイーンズカレッジ入学(1940).1942年夏に予定された徴兵の代わりに,ドイツ語の知識を持つ数学者を探していた外務省勤務となり,ドイツの暗号を解読するチームに配属される.終戦後大学に戻り,オックスフォード大学からJ.H.C.ホワイトヘッドの指導で「A_n^2多面体のホモトピー群の計算(Calculation of the Homotopy Groups of A_n^2-polyhedra)」によりPh.D.取得(1949).  ケンブリッジ大学講師(1952-55),マンチェスター大学上級講師(1956-58),バーミンガム大学教授(1958-62),コーネル大学教授(1962-71),ワシントン大学教授(1971-73),ケース・ウェスタン・リザーブ大学(1973),ニューヨーク州立大学ビンガムトン校教授(1982),名誉教授(2003), ETM客員教授(1966-67, 1981-82, 1988-89),R.クーラント研究所客員教授(1967-68),.
 代数的トポロジー(エックマン・ヒルトン双対性,ファイバー束に関するヒルトン・ロイトベルグ・ジーマンの比較定理),ホモトピー論(ホモトピー作用素),調和理論,カテゴリー論.
 『ホモロジー論(Homology theory: An introduction to algebraic topology)』(1960,S.ワイリーと共著),『ホモロジー代数(A course in homological algebra)』(1971,1997,U.スタンバックと共著)など多数.  [ト文], [代コ] トップ

ヒルベルト,ダーフィト(David Hilbert, 1862.1.23-1943.2.14).
 プロシャ、ケーニヒスベルク(現在ロシア領、カリーニングラード)に生まれ、ドイツ、ゲッティンゲンに死す。
 ケーニヒスベルク大学教授('90)、ゲッティンゲン大学教授('95)。A.フルヴィッツ、H.ミンコフスキーと親交。
 1900年パリの国際数学者会議での23の問題は、20世紀が終わった今,ほとんど解決され、更なる発展を遂げている。ちょうど1世紀ほどで解けてしまうというのは程がよい。彼が解くことを選ばなかったフェルマ予想も解けてしまい、数学者以外に説明できる問題が少なくなった。また、基底定理は当時の不変式論の大家ゴルダンに「これは数学ではない。神学だ。」と言わせている。現代数学への一つの里程標である。
 不変式論,整数論,代数的整数論,解析学と幾何学の基礎づけ,変分法,偏微分方程式論,積分方程式論,関数解析,数理物理学,数学基礎論など,日本語に翻訳された著書も多く、 S.コーン-フォッセンと共著『直観幾何学』(芹沢正三訳)みすず書房、 『数学の問題-ヒルベルトの問題』(一松信訳・解説)現代数学の系譜4共立出版、 『幾何学の基礎』(寺阪英孝+大西正男訳・解説)現代数学の系譜7共立出版(1970)、 P.ベルナイスと共著『数学の基礎』(吉田夏彦+渕野昌訳)シュプリンガーフェアラーク東京、アッケルマンと共著『記号論理学の基礎』(伊藤誠訳)大阪教育図書(1954)、 R.クーラントと共著『数理物理学の方法 全4巻』(齋藤利弥監訳、丸山滋弥訳)東京図書(1959-62)などがある。  [解III.1, 3, 9, IV.1-2, 5, 文], [パ11, 30, 附2, ノート, 年表], [名序, 4, 15, 18-19, 23, 文], [珠訳序, 3.1-2, 3.7, 説3.10, 文], [代1, 6, 10, 18, コ], [ワ1,2], [ブ50], [天6,7,11,15,18], [伝4,5,6,7,8,9,10], [文3], [フ19,22,23,30,序], [辞], [ふ6], [幾2,11,解], [ワ著1-3], [50.序,31] トップ

広中平祐(Heisuke Hironaka, 1931.4.9--.)
 山口県由宇町の生まれ.京都大学卒業後,ザリスキの招きでハーヴァード大学へ.ハーヴァード大学からザリスキの指導で「双有理ブロー・アップについて(On the Theory of Birational Blowing-up)」によりPh.D.取得(1960).
 高次元の代数多様体や複素解析多様体の特異点の解消.ブランダイス大学,コロンビア大学,ハーヴァード大学教授(1970-).山口大学学長(1996-).日本人で二人目のフィールズ賞受賞者(1970).
 日本に来られたとき,京都大学で2度,三重大学にお招きして一度,講演を聞いたことがある.甲高い声とエネルギッシュな話し方が印象に残っている.彼から聞いた岡潔とのエピソードを紹介しておく.
 まだ,複素解析多様体の場合の証明が出来上がってなかった頃,日本数学会の講演をして,困っているので条件を増やして例で調べてると話したところ,変な爺さんがコメントをした.「そういうときにはできるだけ一般化した方がいいんだ」.年長者への礼儀として承っておいたが,馬鹿なことを言っていると思っていた. ところが後になって,解けたときに振り返ってみたら,爺さんの言ったとおりだった.その爺さんが岡さんだったよ.
もう20年以上も前に聞いた話なので,細かいところは正確ではないが,ニュアンスはこうだった.岡さんの忠告に従う気持ちはなかったらしいが,潜在的に影響しなかったとは言えないかも知れない.そのとき,ハーヴァードでのグロタンディエクの様子も聞いたのだが,話せるほどのことを覚えていないのは残念である.  [伝10],[辞]  トップ

ビング(RH Bing, 1914,10,20--1986.4.28.)
 アメリカ,テキサス州オークウッドに生まれ,オースティンに死す.
 高校の数学教師のとき,修士号取得のためテキサス大学で,R.L.ムーアの指導を受ける.ウィスコンシン大学,テキサス大学の教授. 平面網,クライン(John Robert Kline (1891-1955)の球面特徴付け問題の解決,擬弧,デーン手術,J.W.アレクサンダーの角付き球面(horned sphere),ねじれ立方体,ドッグボーン空間,2つの部屋のある家などに結果,性質P予想などトポロジーに大きな貢献.  [伝8],[辞]  トップ

ヒンチン(Aleksandr Yakovlevich Khinchin, 1894.7.19-1959.11.18.)
 ロシア,カルージュスカヤ・グベルニア,コンドゥロヴォに生まれ,ソビエト連邦,モスクワに死す.
 モスクワ大学卒業(1966).モスクワ大学教授(1922-),ソ連科学アカデミー数学研究所(1939-).
 関数論,確率論,統計力学,整数論.ディオファントス近似理論.数学史.数学教育.定常確率過程の定義と理論の基礎づけ(1832-34).N.N.ルージンらと共同研究.整数論に関するG.H.ハーディリトルウッドの結果を強め,ボレルの大数の法則を強める.
 日本語に訳されているものに『情報理論の数学的基礎』,『数論の3つの真珠』などがある. [珠序, 訳序, 1.1, 2.3, 説1, 文], [名序, 4, 15, 18-19, 23, 文], [代8, コ], [ブ50]  トップ

ヒンリクス(Aicke Hinrichs)
 ドイツ,イェーナ大学に勤務.関数解析,組合せ論. [天14]  トップ


  
  
  
  
  

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