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 人名索引 けこ


人名索引総目次 かき 
ケイリーゲイルケステンケストナー
ゲッセルゲーテゲーデル
ケーニヒケーニヒスベルガーケニョンケプラーケーベ
ケーラーケリーゲリファントゲリフォントゲルウィーン
ケルナーケルヴィン卿ゲルハルト・クレモナゲルリンク
ケレキャルトゲレンツァー
ケンピスケンプケンプナーケンマー
 
コー小泉信吉S.コヴァレフスカヤP.コーエンL.W.コーエン
コクスマコクセターコーシーゴシニコスグレイヴ
コストチカコストリキンゴーズミットゴセット
コチャンスキーコーツコックスコッツカコツィヒ
コットン=クレイコッホコナリーコーネル
コーハシゴフマンコプリー卿コブリッツ
コペルニクスコーブル
コラッツコリンズコリオリコルクゴルダン
ゴールドシュタインゴールドシュテインコルトヴェーグゴールトンゴールドバッハ
ゴールドマンコルモゴロフゴーレンシュタイン
コーンコンウェイゴンシエコンツェヴィッチゴンチャロフ
コンドルセコンヌコンハウザーコーン-フォッセンゴンボウ
コンロン


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ケイリー(Arthur Cayley, 1821.8.16-1895.1.26.)
 イギリス,サリー,リッチモンドに生まれ,ケンブリッジシャー,ケンブリッジに死す.
 ヨークシャーで数代続いた家系.幼年時代の8年をロシアのサンクト・ペテルブルグで過ごした後,ロンドン近くに移住.少年時計算能力を発揮,1835年キングズ・カレッジ校に進学後は数学への興味が増す.
 ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ(1838-1842)卒業.しばらく大学に留まるが,当時強制されていた宗教行事に反発し,1846年に法律を学び始める.1849年弁護士資格を取得,法廷弁護士として働く.その間も数学の300ほどの論文を書く.弁護士修行のために行ったダブリンで,ハミルトンの講演を聞く.友人に,シルヴェスターサーモン
 1863年ケンブリッジ大学に新設されたサドラー教授職に就き,その死まで勤める.900以上の数学論文を書く.1882年に,シルヴェスターのいたアメリカのジョンズ・ホプキンス大学を訪問.
 代数幾何の基礎,不変式論(シルヴェスターとの共同研究),射影幾何,非ユークリッド幾何,群論(抽象群,乗積表(ケイリーの表と呼ばれる),同型の概念.位数8以下の群を分類),行列と行列式.ケイリー変換,ケイリー曲面,ケイリー曲線,ケイリー数,ケイリー代数,ケイリー・クラインモデル,ケイリー・メンガー行列式. [名11, 19, 23], [代12, 14-16, 19, コ], [天24], [文1], [ワ2, 4, 6, 8, 10], [フ17,29], [作付B], [幾7,10,11], [クI.1.4,II序], [天VI.33] トップ

ゲイル(David Gale, 1921.12.13-2008.3.7). ニューヨーク市マンハッタンに生まれ,カリフォルニア州バークレーに死す.
 ミシガン大学から修士(1947).プリンストン大学から,タッカーの指導で,「有限2人ゲームの解(Solutions of Finite Two-Person Games)」により,Ph.D.取得(1949).
 プリンストン大学専任講師(1949-50),ブラウン大学(1950-65),デンマークで研究中(1953-54)結婚.カリフォルニア州サンタモニカのRAND Corporationへサバティカルとして赴任(1957-58).カリフォルニア大学バークレイ校,数学とOR教授(1966-引退)並びに経済学部教授もなる.
 1980年には ジョン・フォン・ノイマン理論賞を受賞(ハロルド・クーンアルバート・タッカーと同時受賞)。
 組合せ論.最適化理論,数理経済学、ゲーム理論、凸解析,線形計画法. 競争均衡の存在証明,安定結婚問題,ゲイルのゲーム(Bridg-It),ゲイル=シャプレー・アルゴリズム. [天26], [天VI.38,43]  トップ

ケステン,ハリー(Harry Kesten, 1931.11.19--)
 ドイツの生まれ.両親とともにナチから逃れ,オランダに行きそこで生長.アメリカに移り,コーネル大学から,マーク・カッツの指導で「群上の対称乱歩(Symmetric Random Walks on Groups)」によりPh.D.取得(1958).
 プリンストン大学とヘブライ大学で講師をした後,コーネル大学に戻り,現在は名誉教授.
 確率過程,群上の乱歩,グラフ上の乱歩,self-avoiding walk,分岐過程,ディオファントス近似(エルデシュとSzűszの予想の解決(1966)),拡散律速凝集,パーコレーション(無限正方格子の臨界確率が1/2であることの証明),First passage percolationなど  [50.36] トップ

ケストナー(Abraham Gotthelf Kästner, 1719.9.27-1800.6.20) ザクセン選帝侯領,ライプツィヒに生まれ,ゲッティンゲンに死す.
 ライプツィヒ大学で法律,哲学,物理学,数形而上学を学ぶ(1731-). 公証人になる(1733).  ライプツィヒ大学からChristian August Hausenの指導で,Theoria radicum in aequationibusによりPh.D.取得(1739).
 ライプツィヒ大学で私講師として数学,哲学,論理学,法律を教え,1746年に特別教授.1751年スウェーデン王立科学アカデミー会員.1756年にゲッティンゲン大学自然哲学と数学の正教授に,1763年にはゲッティンゲン大学天文台長にも.
 著書に『数学の基礎(Anfangsgründe der Mathematik)』(1758-69;4巻),『数学の歴史(Geschichte der Mathematik)』 (1796-1800, 4巻)など.
 彼のユークリッドの平行線公理への関心がJ.ボヤイロバチェフスキー(J M C Bartelsを通して孫弟子)に影響.
 弟子に,ファルカシュ・ボヤイ,Georg Christoph Lichtenberg,Johann Tobias Mayer,Johann Friedrich Pfaff,Bernhard Friedrich Thibaut,Karl Christian von Langsdorfなど. [クI.1.4,I.3.3] トップ

ゲッセル(Ira Martin Gessel, 1951.4.9-.)
 アメリカ,ペンシルベニア州フィラデルフィアの生まれ.
ハーバード大学マグナ・クム・ラウデで卒業(1973). MITからR.スタンリーの指導で「母関数と数列の数え上げ(Generating Functions and Enumeration of Sequences)」によりPh.D.(1977).
 その後IBMのワトソン研究センターとMITでポスドク.  ブランダイス大学(1984),数学・計算機科学科教授(1990-2015).
 グラフ理論,組合せ論,整数論,離散数学など.
 リンドストレム・ゲッセル・ヴィアンノの補題. [天23], [天VI.32] トップ

ゲーテ,ヨハン・ヴォルフガング・フォン(Johann Wolfgang von Goethe, 1749.8.28--1832.3.22)
 フランクフルト・アン・マインに生まれ,ヴァイマール公国に死す. 詩人,劇作家,小説家,科学者,哲学者,政治家.当時のドイツばかりでなく,歴史的にも最も影響力があった.
 裕福な商家に生まれ,母方の祖父はフランクフルト市長. 幼時から多(6+1)言語を習得,現存する最古の詩は8歳時のもの. ライプツィヒ大学入学(1765),病気のため帰郷(1768). 療養後,シュトラスブルク大学に入学(1770),卒業(1771)後.フランクフルトに戻り,弁護士事務所を開くが,文学活動を止めないため父親にヴェツラール最高裁判所へ送られる(1772.4). ヴェツラールでのシャルロッテ・ブッフ(ロッテ)との恋と失恋後,フランクフルトに戻り,『若きヴェルツェルの悩み』を書き(1774),ヨーロッパで爆発的な名声が揚がり,文人たちとの交流が盛んになる. ワイマールの公子カール・アウグスト公がフランクフルトを訪問し,ゲーテは公をもてなし(1774.12),後公の招きによりヴァイマールへ向かう(1775.11.7).以降,ヴァイマール宮廷で過ごし,後事実上の宰相に(1783).
 主要作品は日本語にも翻訳されている.%戯曲『鋼鉄の腕 ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン』『トルクヮート・タッソー』『タウリス島のイフィゲーニエ』, 小説『若きウェルテルの悩み』『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』『親和力』,詩劇『ファウスト』,詩集『西東詩集』,随筆『イタリア紀行』『エッカーマンとの対話』など. [モ歴] トップ

ゲーデル(Kurt Godel, 1906.4.28-1978.1.14.)
 オーストリア・ハンガリー帝国,ブリュン(現在はチェコ共和国,ブルノ)に生まれ,アメリカ,ニュージャージー,プリンストンに死す.
 ウィーン大学で学んだ(1923-30)後,1938年までは同大学非常勤講師.師は,フルトヴェングラーハーンヴィルティンガーメンガーなど.学生時代にセミナーでラッセルの『数理哲学入門』を読み,論理学に傾いていく.このセミナーを主催したシリックが後にナチの学生に殺されることもあって,1940年アメリカに移住.
 1953年からプリンストン高級研究所教授.集合論,数理論理学,相対性理論.形式的公理系に関する不完全定理(1931)は不朽の業績.アメリカ,ニュージャージー,プリンストンに死す.選択公理と一般連続体仮説の無矛盾性(1940)(ツェルメロフレンケルの集合論が無矛盾なら,選択公理と一般連続体仮説を加えても無矛盾であること).フォン・ノイマン環.フォン・ノイマンベルナイス=ゲーデル集合論
 晩年彼は毒を盛られていると信じこみ,それを避けるために食べることを拒み,飢えて死んだという. [パ11, 年表], [ブ50], [天15], [作付B], [基16], [50.11.12,20], [天VI.19]  トップ

ケーニヒ(Gyula König, 1849.12.16-1913.4.8).
 ハンガリー王国ジェールに生まれ,ブダペシュトに死す.
 ハンガリー人としてはケーニヒ・ジュラ,ヨーロッパ風にジュラ・ケーニヒが本名だが,出版物などではJulius König(ユリウス・ケーニヒ)と名乗っている.息子のデニスはグラフ理論研究者に.
 ウィーン大学で医学を学び,1868年からハイデルベルク大学に行き,ヘルムホルツの指導で神経の電気刺激の研究をして数学に転向.1870年にハイデルベルク大学からケーニヒスベルガーの指導で『楕円関数のモデュラー方程式の理論について(Zur Theorie der Modulargleichungen der elliptischen Functionen)』によりPh.D.取得.ポスドクとしてベルリン大学に行きクロネッカーワイエルシュトラスの講義を聴く.1871年にブダペシュト大学の講師となる.ブダペシュト教育大学教授(1873),ブダペシュト工科大学教授(1874).3度工学部長になり,3度学長になる.
 多項式イデアル,判別式,消去法などを関連付け,今日に形にすることに貢献.また集合論に対する貢献と批判で有名.特に正方形と線分との1対1対応では,カントールの方法のギャップを連分数を使うことで埋める.
 1904年のICMでカントールの連続体仮説を反証する講演をし,世界的に反響.彼はベルンシュタインの学位論文で証明された定理を使ったのだが,それは一般的に成り立たないことをツェルメロが翌年に示し,ケーニヒは主張を取り下げた.その後も集合論の欠陥について研究をつづけ,1905年にはすべての集合が整列可能であるわけではないことを証明した論文を書いた.
 [フI3.4], [天VI.19]  トップ

ケーニヒスベルガー(Leo Königsberger, 1837.10.15-1921.12.15).
 ドイツ,ポ-ゼン(現在ポーランド,ポズナム)に生まれ,ドイツ,ハイデルベルクに死す.
 父は裕福な商人.ポーゼンで友人となったI.L.フックスに倣いベルリン大学に入学(1857).第1学年の第1学期に,ワイエルシュトラスの楕円関数の講義を聴く.彼がこのテーマに関して講義した最初の年で,後にケーニヒスベルガーが出版した講義録には歴史的な意味も多い(1917).
 ベルリン大学から,ワイエルシュトラスとクンマーの指導で,『2つの固定中心に引かれる点の運動(De motu puncti versus duo fixa centra attracti)』により哲学博士号取得(1860).ベルリン士官学校で数学と物理を教える(1861-64). グライフスヴァルト大学員外教授(1864),ハイデルベルク大学数学教授(1869),ドレスデン工芸学校(1875),ウィーン大学(1877),ハイデルベルク大学数学教授(1884-1914).
 楕円関数論,関数論,力学.微分方程式では,フックス,ブンゼン,キルヒホッフヘルムホルツに影響を受ける.教師としての評価が高く弟子は多い.コヴァレフスカヤケーニヒはハイデルベルク時代の弟子. [伝6]  トップ

ケニョン(Richard W. Kenyon).
プリンストン大学からサーストンの指導で「自己相似タイル貼り(Self-Similar Tilings)」によりPh.D.取得(1990).
凸幾何,離散幾何,統計力学,組合せ論,大域解析学,確率論と確率過程,測度論,力学系など.
 パリ南大学オルセイ校数学ラボ,エコル・ノルマル・スペリオール,リヨン.ブリティッシュコロンビア大学(UBC),ブラウン大学.  [フ文]  トップ

ケプラー、ヨハネス(Johannes Kepler, 1571.12.27-1630.11.15).
 神聖ローマ帝国ヴァイル・デル・シュタット近くのレオンベルグ(現在ドイツ領)に生まれ、バイエルン,レーゲンスベルグに死す。
 神学・数学・天文学者。1577年の大彗星を見て感銘を受け、天文学に志す。チュービンゲン大学に学び(1589-1596)学位を取得するもルター教徒のゆえに神学活動できず。
 グラーツのギムナジウムで数学天文学講師(1594-1596)を追われ、放浪の後、プラハのティコ・ブラーエの助手となり(1600)、その死(1601)後観測データを整理して「ルドルフ天文表」を完成(1627),ケプラーの3法則を発見。
文献
  1. 『宇宙の神秘』(Mysterium Cosmographicum,1596),日本語訳あり(大槻真一郎他訳、工作舎,1982)(惑星を太陽を中心とする次々と外接する正多面体に配置した.太陽中心説が公認され始める切っ掛け)
  2. 『新天文学』(Astronomia Nova,1609)(第1,第2法則が記載されている)
  3. 『屈折光学』(Dioptrice,1611)
  4. 『世界の調和』(De Harmonices Mundi,1619):第3法則が記載される.
  5. 『綱要』(Epitome,1612年以降)コペルニクス天文学の紹介,全7巻.4年掛けて出版.
  6. 『新・ワインのたるの容積測定とすべてのものの最も適切なる形状、オーストリア初』(Nova stereometria doliorum vinariorum, in primis Austriaci, figurae omnium aptissimae, Authore Ioanne Kepplero, imp. Caes. Matthiae I. ejusq; fidd. Ordd. Austriae supra Anasum Mathematico, Lincii, Anno M.DC.XV, 1615年)
  7. 『ケプラーの夢』(Solemnium, 1631年)月を旅する人の話(SF).出版は死後だが20年前に書かれていた.
  [解序, I.4, II.4, 文], [パ序, 3,4,6,15,19,20, 24,25], [名10,17, 文], [直7,8], [幾序,2,3,5,6,9], [50.24,27,29,42], [クI3.3]  トップ

ケーベ(Paul Koebe, 1882.2.15-1945.8.6.)
 ドイツ,ルッケンヴァルトに生まれ,ライプツィッヒに死す.
 ゲッティンゲン大学に学び,ライプツィヒ大学(1910),イェーナ大学(1914),ライプツィヒ大学(1926)教授.
 主に複素関数論,とくに等角写像や保形関数の理論.リーマン面の一意化定理(1900年のすぐ後に,F.クラインポアンカレによって認識されていた一意化定理を証明した).  [代14], [ワ8], [伝8,9], [フ21], [ワ著1]  トップ

ケーラー,エーリヒ(Erich K\"ahler, 1906.1.16-2000.5.31).
 ドイツ,ライプツィヒに生まれ,ハンブルク近くのヴェデルに死す.
 1928年にライプツィヒ大学から,レオン・リヒテンシュタインの指導で\"Uber die Existenz von Gleichgewichtsfiguren, die sich aus gewissen L\"osungen des n-K\"orperproblems ableitenによりPh.D.取得.
 ケーニヒスベルク大学,ライプツィヒ大学,ベルリン大学,ハンブルク大学で教鞭.  ケーラー多様体,ケーラー・アインシュタイン計量,カルタン・ケーラーの定理. [ワ8]  トップ

ケリー,ルロイ(Leroy Milton Kelly, 1914.5.8-2002.2.21)  組み合わせ幾何学.
 ミズーリ大学からブルーメンタール(Leonard Mascot Blumenthal)の指導で「楕円空間の新しい性質(New Properties of Elliptic Space)」によりPh.D取得(1948).
 ミシガン州立大学数学科. 
 シルヴェスターガライの定理の良い証明で有名.
 セール予想(複素3空間のn点で,すべてが1平面上にはないものは,n点のうち2点だけを含む直線を定める)を解決(1986). [天8], [天VI.11]  トップ

I.M.ゲリファント(Israel Moiseevich Gel'fand, 1913.9.2-2009.10.5)
ロシア帝国,ウクライナ,オデッサに生まれ,アメリカ,ニュージャージー州ニューブルンズウィックに死す.
 20世紀最大の数学者と言ってよい.夫人と娘の管理する公式ページが詳しい.[直序], [ブ50], [フ8]  トップ

ゲリフォント(Aleksandr Osipovich Gel'fond, 1906.10.24-1968.11.7)
 ロシア,サンクト・ペテルブルグの生まれ.
 モスクワ大学卒業(1927),同教授(1931).ソ連アカデミー数学研究所(1933-).第2次大戦中は海軍総司令部に.
 整数論,複素関数論,積分方程式論.超越数論.ヒルベルトの第7問題(種々の数の超越性の証明),とくにヒルベルトのあげた 2√2を含む超越性の証明(1934). [パ附2], [名4]   トップ

ケルヴィン卿(Lord Kelvin(=William Thomson), 1824.6.26--1907.12.17
 北アイルランド,ベルファストに生まれ,スコットランド,エアーシャー,ラーグスで死す.墓所はウェストミンスター寺院にある.本名ウィリアム・トムソン.
 グラスゴー大学の数学教授だった父に学び(1834), ケンブリッジ大学(1841--1845)卒業後,パリでルニョーのもとで研究し,帰国してグラスゴー大学の自然哲学教授(1846--1899)になり,イギリスで初の物理学実験室を作る.総長(1904).王立協会会長(1890--1894).ラーグスのケルヴィン男爵に叙せられ、以降ケルヴィン卿と呼ばれる.
 電場と磁場の分布が弾性固体内のエネルギー分布に類似するという彼の観察(1847)はマクスウェルの電磁場理論へ発展.磁気系や電気回路のエネルギーの表式を得,電気の振動回路理論に発展(1853).
 絶対温度目盛の導入(1848).熱力学の第2法則の定式化(1851).ジュール・トムソン効果の発見(1852). 地球の年齢の概算(2000万年から4億年の間;1862). 大西洋横断海底電信ケーブルの敷設(1866)の功績でナイトに叙せられ、サー・ウィリアムとなる. 絶対電位計の発明(1870).
 古典的熱力学の開拓者の一人で,このほか電磁気学や流体力学などをはじめ古典物理学のほとんどの分野に600を超える論文.電磁誘導や磁気力を表すためにベクトルを使い始めた.  [天VI.15] トップ

ゲルウィーン(Paul Gerwien, 19世紀)
 ドイツの人.ファルカシュ・ボヤイと独立に等積な多角形は分割合同であること(ゲルウィーン・ボヤイの定理)を示した(1833). [天7], [フ22], [天VI.10]   トップ

ケルナー(Thomas William Körner, 1946.2.17-) 父親はカント哲学者で数理哲学者のStephan Körner(1913.9.26-2000.8.17)
 ケンブリッジ大学トリニティ・ホールで学び,ニコラウ・ヴァロウロス(Nicholas Varopoulos)の指導で,「クロネッカー集合,ディリクレ集合,ヘルソン集合に関するいくつかの結果(Some Results on Kronecker, Dirichlet and Helson Sets)により,Ph.D.取得(1972).
 ケンブリッジ大学のフーリエ解析の教授,トリニティ・ホールのフェロー.サレム賞受賞(1972).
 解析関連の教科書が数冊あるが,中でもフーリエ解析に関する教科書は有名で日本語にも訳され『フーリエ解析大全』として朝倉書店から出版されている(1996).[50.25]   トップ

ゲルハルト・クレモナ ====> ヘラルド、クレモナの

ゲルリンク(Christian Ludwig Gerling, 1788.7.10-1864.1.15). ドイツ,ハンブルクに生まれ,マールブルクに死す.
物理学,天文学.測地学に大きな貢献.
 ゲッティンゲン大学からガウスの指導でMethodi proiectionis orthographicae usum ad calculos parallacticos facilitandos explicavit simulque eclipsin solarem dieにより哲学博士号(1812).
 ガウスとの間に60通ほどの往復書簡が残っている(1927年に出版).1818年にシュヴァイカルトの発見した非ユークリッド幾何をガウスに伝えている.多面体の補充合同に関する定理がある.
 マールブルク大学数学教授(1817). マールブルク大学でプリュッカーの論文を指導. [天7], [天VI.10]   トップ

ケレキャルト(Bela von Ker\’ekj\’arto, 1898.10.1-1946.6.26. =B\'ela Ker\’ekj\’arto)
 ハンガリー,ブダペシュトに生まれ,ジェンジェジュに死す.
 ブダペスト大学博士号(1920).セゲド大学私講師(1922).1922年夏にゲッティンゲン大学に招かれ,翌学期に「宇宙論における数学的考察(Mathematische Betrachtungen zur Kosmologie)」と題する講義をし,それを拡大した『トポロジー講義(Vorlesungen \"uber Topologie)』(1923)はトポロジーの初めてのまとまった本で,2次元のトポロジーの基本的事実がほとんど盛り込まれているとレフシェッツが書評で言っている(1925).
 アメリカおよびヨーロッパ各地を回る.セゲド大学幾何学教授(1925,ブダペシュト大学教授(1938).
 一般トポロジー,連続群論,ユークリッド幾何のトポロジー的論拠,正則写像論.  [ト附, 文], [伝9] トップ

ゲレンツァー,バラーシュ(Balázs Gerencsér).  エトヴェシュ・ロラーンド大学からGábor Tusnádyの指導で「マルコフ系の収束性解析(Convergence analysis of Markovian systems)」によりPh.D.取得(2013).  アルフレッド・レニイ数学研究所確率統計部門.
 ハランギとともに鋭角集合の研究.[天VI.17] トップ

ケンピス,トーマス・ア(Thomas à Kempis, 1379--1471). ドイツ,ケンペン(ケルンの北西)に生まれ,オランダ,アムステルダムに死す. 神秘思想家で,アウグスチノ修道士.その著『キリストに倣いて(De imitatione christi)』は聖書に次いで最も多く読まれた本とも言われる.
 最初CONTEMPTUS MUNDIというタイトルで,1596年には日本語訳が出版されている.  [伝2] トップ

ケンプ(Alfred Bray Kempe, 1849.7.6-1922.4.21.)
 イギリス,ケンジントンの生まれ.
 ケンブリッジ大学卒業.ロンドンで弁護士をしながら,数学および力学を研究.機構論,数理論理学.J.シルヴェスターと共に反転機を製作.1879年,4色問題で最初に証明を公表(ケイリーを納得させたが,1890年にヒーウッドにより誤りを指摘される).  [名19] トップ

ケンプナー(Aubrey John Kempner, 1880.9.22-1973.11).
 イングランド,グレーター・ロンドンに生まれ,アメリカ,コロラド州ブールダー郡ブールダーに死す.
 ゲッティンゲン大学からランダウの指導で「ウェアリングの問題と少しの一般化(\"Uber das Waringsche Problem und einige Verallgemeinerungen)」により学位(1911).
ウェアリングの問題に貢献,16 ≦G(4) を示す(1912).
 イリノイ大学アーバナ校教授,コロラド大学ブールダー校教授(1911-49).MAA会長(1937-38).
 ケンプナー級数. [珠3.1] トップ

ケンマー,ニコラス(Nicholas Kemmer, 1911.7.12--1998.10.21). ロシア帝国サンクトペテルブルクに生まれ,イギリス,ロンドンに死す.
 原子核物理.パイオンとアイソスピンなどの理論. 1922年に両親がドイツに亡命し,ドイツで教育を受ける. ゲッティンゲン大学卒業後, 1932年から1936年までチューリッヒ大学でヴォルフガング・パウリのもとで学び,原子核物理で博士号取得,パウリの強い推薦でスイス市民権を得る.その後ロンドンのインペリアル・カレッジでBeit Fellowshipに.1940年にケンブリッジのトリニティ・カレッジに移り,チューブ・アロイズで働く.93番目の新元素にネプツニウム ,94番目にプルトニウムという名前を提案.1944-46年はカナダなどで研究し、1946年からケンブリッジ大学の教授になった。1953年から1979年までエディンバラ大学の数理物理の教授.
  Duffin–Kemmer–Petiau(DKP)方程式,
 Abdus Salamの恩師として知られているが,ケンブリッジ時代にダイソンに場の量子論に関する教科書(G.ヴェンツェル著)を与え,そのため,ダイソンがアメリカで場の量子論に関する専門家を考えられるようになったという.  [50.24] トップ
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コー(Chao Ko, 1910.4.12-.)  中国浙江省の生まれ.厦門大学数学科卒業後(1930),1年中学の教師をしたあと,清華大学で学位取得し(1933).南開大学助教授に.
 1935年マンチェスター大学に留学,モーデルの指導を受け,発表した論文で,G.H.ハーディエルデシュなどから認められる.重慶大学教授(1946),四川省成都の四川大学教授(1938-45,1953-),学長(1980-1984).整数論,組合せ論,代数学(2次形式,不定方程式)など.2000年7月に成都で,彼の90才の誕生日を記念した国際的な数論の集会があった.
 エルデシュ=コー=ラドー型定理. [天22], [天VI.30,43] トップ

小泉信吉(Kojima Nobukichi, 嘉永2年2月3日(1853.3.12)- 明治27年(1894)12.8). 紀伊国名草郡宮村(現在の和歌山市)に生まれ,東京に死す.父は紀州藩士紀州徳川家の侍医で250石を食む小泉文庫.息子に小泉信三.
 江戸に出て慶応2年(1866)に当時、鉄砲洲にあった福澤諭吉が開いて間もない蘭学塾(のちの慶應義塾)に入り、洋学を学ぶ.
 大阪舎密学校、大学南校、開成学校教授.
 浅草本願寺裏の英語塾で,藤沢は彼から、「グードリッチの英国史、ウヱーランドの経済学といふような可なり六づかしい本の訳読を」学んだという.  明治9年(1876)紀州徳川家の援助を受けて、英国ロンドンに留学.明治11年(1878)に帰朝し井上馨に抜擢されて、大蔵省奏任御用掛.英国における生命保険事業を研究.
 明治12年(1879)横浜正金銀行が設立されると、副頭取.明治13年(1880)に大蔵省に戻り、奏任御用掛、主税官を歴任.明治23年(1890)日本銀行取締役,明治25年(1892)に横浜正金銀行本店支配人.
 この間、交詢社の設立発起人となり、明治20年(1887)に慶應義塾評議員の第一会選挙で当選し、慶應義塾塾長(明治20年(1887)-明治23年(1890).明治23年(1890)に慶應義塾に大学部を創設.  [文3] トップ

コーエン,ポール(Paul Joseph Cohen, 1934.4.2--2007.3.23).  アメリカ,ニュー・ジャージー,ロング・ブランチに生まれ,カリフォルニア,スタンフォードに死す.
 ニューヨーク,スタイヴァサント高校卒(1949),E.M.シュタインと同級生だった. ブルックリン・カレッジ入学するも卒業前に辞めて(1953),シカゴ大学に移る. シカゴ大学で,ジグムント(Antoni Zygmund)の指導で「三角級数の一意性理論における話題(Topics in the Theory of Uniqueness of Trigonometrical Series)」によりPh.D.取得(1958). 1964年以降,スタンフォード大学教授.
 連続体仮設問題の解決(連続体仮設がZFS系(ツェルメロフレンケル集合論)と独立であること)により,フィールズ賞受賞(1966).ZFS系と選択公理の独立性の証明.
 コーエン代数,コーエン強制法.
 集合論、調和解析、偏微分方程式。弟子にピーター・サルナクなど.   [天15], [作付B], [天VI.19] トップ

L.W.コーエン(Leon Warren Cohen, 1904--1992.2.21).
 アメリカ,ニューヨークに生まれ,ニュージャージー州ニューブルンズウィックに死す.
ミシガン大学で,R.L.ワイルダーの指導で「線形な連続体の部分集合と同相な可分距離空間の部分集合の特徴付け(A Characterization of Those Subsets of Metric Separable Space Which Are Homeomorphic with Subsets of the Linear Continuum)」によりPh.D.(1928).
 ケンタッキー大学教授.一般トポロジー.   [伝9] トップ

コクスマ(Jurjen Ferdinand Koksma, 1904.4.21-1964.12.17). オランダ,ヘーレンフェーンに生まれ,アムステルダムに死す..
 代数学,整数論,無理数論,超越数論,超越数の分類では,マーラーのものと並んでコクスマのものは重要.
 グローニンゲン大学(Rijksuniversiteit Groningen)からファン・デル・コルプトの指導で, 「ディオファントス不等式系について(Over stelsels Diophantische ongelijkheden)」によりPh.D.取得(1930).
 アムステルダム自由大学教授(1930-).  ダンジョア・コクスマ不等式.
 著書に『ディオファントス近似』(Diophantische Approximationen, 1936).   [天6], [天VI.8] トップ

コクセター(Harold Scott Macdonald Coxeter, 1907.2.9-2003.3.31.)  イギリス,ロンドンに生まれ,カナダ,トロントに死す.
 ケンブリッジ大学で,H.F.ベイカーの下で学位(1931).1936年以降カナダ,トロント大学教授.2年間プリンストン大学で,O.ヴェブレンの下で仕事をする. 射影幾何,非ユークリッド幾何.多面体の理論.著書多数.1934年にすべての球面およびユークリッド・コクセター群の分類をする.
 ロバート・ムーディは彼にヨーク大学の名誉学位を与える際の講演で,
「現代の科学は気まぐれやファッションに追い立てられることが多く,数学もその例外ではない.コクセターのスタイルは独特の非ファッション的なものだと言いたい.何が美しいかという深い感覚に,彼はほとんど完璧に導かれているのだと,わたしは思う.」
と語っている.

文献
  1. 『幾何学入門』(銀林浩訳, 明治図書, 1982). Introduction to Geometry, Wiley, 1969.
  2. S.グレイツァーとの共著『幾何学再入門』SMSG新数学双書 8,河出書房新社
  3. 『正多面体』Regular Polytopes, Pitman, 1947. 1974年に Cambridge Univ.Press から再版
 日本語による伝記もある. [パ序], [名序, 17, 23, 文], [天8], [幾序,4,7,8,10,11], [天VI.11] トップ

コーシー,オーギュスタン・ルイ(Augustin Louis Cauchy, 1789.8.21-1857.5.23).
 パリに生まれ、(パリ近郊)ソーに死す。
 エコール・ポリテクニーク(1807)と土木学校(1810)卒業.エコール・ポリテクニーク教授。少年時、革命直後のパリを避けてアーキュイユに疎開していたコーシー家を訪れたラグランジュに、指導を受ける。本格的に数学を勉強する前に古典語をみっちりと学ぶようにと忠告を受け、13才から2年間語学に没頭。
 『解析学教程』(1821)など,これ以降の典型となる多くの教科書を出版.業績は幅広く,解析学,特に収束級数論,複素関数論,微分方程式論などの基礎付けなど.
 1810年までにコーシーは下級技師の資格を得,18歳の時にシェルブールに,ナポレオン港という海軍基地を建設するためにパリ離れた.その時持参した本は4冊で,
 ラプラスの『天体力学』,ラグランジュの『解析関数論』,トーマス・ア・ケンピスの『キリストに倣いて』とヴェルギリウスの詩集であったという.
 コーシー・シュヴァルツの不等式,コーシー・リーマンの微分方程式,コーシーの積分定理.積の行列式に関するコーシー・ビネの公式,コーシーの収束テスト,コーシー行列,コーシー分布,コーシーの関数方程式,オイラー・コーシー方程式,コーシー問題,コーシー地平線,コーシー・フロベニウスの補題(=バーンサイドの補題),コーシー・アダマールの定理,コーシー・コヴァレフスカヤの定理,コーシーのモーメント方程式,コーシー・ペアノの定理,コーシーの主値,コーシー積,コーシーの冪根判定法,コーシー・ラッシアス安定性,コーシー列,コーシー面,マクローリン・コーシー判定法,コーシーの最小値原理.
  [解序, II.1-4, 6, 8-10, III.0-9, IV.2, 4], [パ25, 年表], [名3, 5, 15, 年表], [珠説3.9.1], [代7-8], [天7, 11, 16, ,18, 21, 23, 24, 29, 30], [伝1,2,3,4,5,6,7], [文3], [フ序,10,24,25], [辞], [作付B], [幾11,解], [基8,9-12,15], [ラ6,16,18], [クI.1.5,I.3.1,I.3.2,I.3.3], [天VI.10,14,20,21,25,28,32,33,41,42],  トップ

ゴシニ(René Goscinny, 1926.8.14--1977.11.5). パリ生まれのポーランド系フランス人作家・編集者。漫画原作者として有名.
 漫画のシリーズに『アステリックス』(作画:アルベール・ユデルゾ)と『ラッキー・ルーク』(作画:Morris)、『プチ・ニコラ』(作画:ジャン・ジャック・サンペ)など.アステリックスは古代ローマ時代のガリア,とくにルテティア・パリシオルム(パリの古名)が舞台である.カエサルに抵抗した人たちがテーマ.
 この両シリーズは日本語にも訳されている. [幾5] トップ

コスグレイヴ (John B. Cosgrave).
 アイルランドの自称古典的整数論家.Royal Holloway Collegeで学び,ダブリン,ブラックロックのCarysfort CollegeとドラムコンドラのSt Patrick's College of Educationで教鞭.
 ディルヒャーと3編の共著論文.
 [天VI.序,8] トップ

コストチカ (Alexandr V. Kostochka).
 ロシア,ノヴォシビルスク州立大学から「グラフの彩色数の上界(Upper bounds of chromatic functions of graphs)」でPhD(1978).L.S.メルニコフの弟子.現在はイリノイ大学アーバナシャンペイン校教授.
 グラフ理論,特に彩色に関するものが多い. [天31], [天VI.44] トップ

コストリキン(Aleksei Ivanovich Kostrikin, 1929.2.12-).
 ソ連,ボルゴグラード州,ボリショイ・モルツァの生まれ.モスクワ大学卒(1952).物理・数学博士(1959),教授(1976).
 代数幾何,リー代数,有限群.単純指標に対する制限バーンサイド問題の解決(1959).p単純リー代数. [代序, コ] トップ

ゴーズミット(Samuel Abraham Goudsmit, 1902.7.11--1978.12.4). オランダ,ハーグに生まれ,アメリカ,ネバダ州リノに死す.
 ライデン大学、アムステルダム大学で物理学を学び,ポール・エーレンフェストの指導でPh.D.取得(1927).1927年にアメリカに帰化し,ミシガン大学(1927-1946).第2次大戦中はMITの技術研究所でレーダーの研究.戦後はノースウェスタン大学、ネバダ大学リノ校の教授.
 ウーレンベック(George Eugene Uhlenbeck)とともに電子のスピンの概念の導入(1925).スペクトルの微細構造.マックス・プランク賞
 [率0] トップ

ゴセット(John Herbert de Paz Thorold Gosset, 1869.10.16-– 1962.12).
 イギリス,サレー州エルムブリッジ行政区テームズ・ディットン村の生まれ.1888年10月1日にケンブリッジ大学ペンブローク・カレッジに給付生として入学.1891年学士,1895年インナー・テンプルに属し,1896年にLLL(法学修士)となる.アマチュア数学者で法律家.
 3以上の次元のユークリッド空間での正多面体の分類に挑戦し,それらを再発見したのち,半正多面体(regular facetsを持つ多面体)の分類を試み,退化した多面体とみなす.1899年にMessenger of Mathematics誌の編集者だったグレイシャーに結果を送り,グレイシャーはバーンサイドホワイトヘッドに送った.1899年にバーサイドが,ゴセットの方法が厳密でなく直観的だったので,あまり評価をしなかったので,グレイシャーは短くアブストラクトを掲載.ために,ゴセットの結果は長く知られないままだった.
 半正多面体は1912年にEmanuel Lodewijk Elteにより,また後にコクセターにより再発見され,コクセターはゴセットとエルテのものと認めた.コクセターはゴセットによって発見された6,7,8次元の3つの半正多面体をゴセット多面体と呼んだ.これらの多面体の頂点は後に例外型リー環E6, E7, E8のルートと見られるようになった.
 ゴセットグラフ,ソディ・ゴセットの定理. [幾8] トップ

コチャンスキー,アダム・アダマンディ(Adam Adamandy Kochański, 1631.8.5-1700.5.17). ポーランド,Dobrzyń nad Wisłąに生まれ,ボヘミア,テプリツェ(現在チェコ領)に死す.
 ポーランド,Toruń(トルン)で初等教育を受け,1652年にヴィリニュス(現在リトアニア共和国の首都)イエズス会に入る.ヴィリニュス大学(当時はヴィリニュス・アカデミーと呼んだ)で,数学,物理学,神学を学ぶ.ヨーロッパ各地の大学で講義をし,1680年にポーランド王ヤン3世ソビェスキの招きでポーランドに戻り,王のチャプレン,数学者,時計製作者,図書館長,王の息子の教師となる.
 数学,力学,物理学,天文学,哲学の論文多数.一番有名なものはObservationes Cyclometricae ad facilitandam Praxin accommodatae(適切な簡便実用的な円弧計測の観察)で,円の生保系かに関するもので,1685年に学術論叢に掲載.ヨハネス・ヘヴェリウスやライプニッツなど多くの科学者と協力したり連絡しあったりした. 時計製作者としては,時計の振り子をばねに変えることを提案,脱進機(回転トルクを往復運動に変換するもの)の標準化をする.
 [幾8] トップ

コーツ(Roger Cotes, 1682.7.10-1716.6.5).
 イギリス、レスターシャー、バービッジに生まれ、ケンブリッジシャー、ケンブリッジに死す。
 ニュートンの弟子。ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジのフェロー。プリンキピア第2版の編集を、ニュートンと激論を戦わせながら行った。早く死んだ彼を悼んで、ニュートンは
``if he had lived we might have known something''
と言っている。  [解II.6] トップ

コックス(David Archibald Cox). プリンストン大学からE.M.フリーランダーの指導で,「エタール・トポロジーにおける管状近傍(Tubular Neighborhoods in the Etale Topology)」によりPh.D.取得(1974). アマースト大学(University of Massachusetts Amhers)教授.代数幾何.トーリック多様体, 著書に『ガロア理論』,『トーリック多様体』,『x^2+ny^2の形の素数』,『イデアル,多様体,アルゴリズム』,『代数幾何を使って』,『ミラー対称性と代数幾何』(1999,S.カッツと共著)  [フ文] トップ

コッツカ(Carl Kotska, 1846.12.3-1921.12.28). インステルブルク(現在はロシア,カリーニングラード州チェルニャホフスク)に住み,働いた.
近年,コッツカ多項式,コッツカ係数,コッツカ数(1882),またその一般化,例えば,マクドナルド・コッツカ多項式,変形コッツカ多項式,一般コッツカ多項式,が論じられるようになった. [ワ7] トップ

コツィヒ(Anton Kotzig, 1919.10.20-1991.4.20).
 チェコスロヴァキア,コソヴィチェに生まれ,カナダ,モントリオールに死す.プラハ・カレル大学で学び始めるも,大学が閉鎖され(1939),ブラチスラヴァのコメニウス大学に移り,数理統計学に関して博士号(1943).
 統計学,組合せ論,グラフ理論.
カナダ,モントリオール大学数学統計学科教授(1970).エルデシュ数2. リンゲル・コツィヒ予想,コツィヒ変換.[天31], [天VI.44] トップ

コットン=クレイ(Andrew Walker Cotton-Clay).
 ハーヴァード大学からP.クロンハイマーの指導で「グロモフの非圧搾定理(Gromov's Nonsqueezing Theorem)」により修士(1999-2003),カリフォルニア大学バークレイ校から,M.L.ハッチングスの指導で,「面積を保つ曲面微分同相のシンプレクティック・フレーアホモロジーとシャープな固定点限界(Symplectic Floer Homology of Area-preserving Surface Diffeomorphisms and Sharp Fixed Point Bounds)」により,Ph.D.(2009).MIT数学科.
接触幾何,シンプレクティック幾何・トポロジー,フレーア・ホモロジー,低次元トポロジー.等周問題.  [フ文] トップ

コッホ(Niels Fabian Helge von Koch, 1870.1.25-1924.3.11).
 スウェーデン、ストックホルムに生まれ、ストックホルムに死す。
 ストックホルム貴族の家系.
 1887年に新設のストックホルム大学に入学,1888年にウプサラ大学にも入学,学士号 (filsofie kandidat)取得. ストックホルム大学からミッタク・レフラーの指導で「微分方程式論への無限行列式の応用について」(Sur une application des d'eterminants infinis `a la th'eorie des 'equations diff'erentielles)」によりPh.D.取得(1892). I.O.ベンディクソンの後を継いで,スウェーデン王立工科大学(Kungliga Tekniska h\"ogskolan)の数学教授(1905),のちストックホルム大学教授(1911)。
 コッホ曲線=コッホの雪片(Koch snowflake,1904)。リーマン予想の言い換え(強い形の素数定理:π(x)=Li(x)+O(x1/2 log x))、無限変数の無限個の線形方程式系に関する業績がある。 [解III.9, IV.5] トップ

コナリー(Robert Connelly)
 ミシガン大学でPh.D.(1970),指導はJ.M.キスターで,論文は「余次元が3より大きい閉埋め込みをほどく(Unknotting Close Embeddings of Polyhedra in Codimension Greater Than Three)」.
 ニューヨーク州,イタカ,コーネル大学数学科教授.離散幾何,剛性理論,計算機幾何,パッキング,被覆など.鍛冶屋のふいごの仮説の証明( I.サビトフ,A. ウォルツとともに)  著書にConjectures and open questions in rigidity; A flexible sphere; A counterexample to the rigidity conjecture for polyhedraなど. [天11], [フ25], [天VI.14]   トップ

コーネル(Gary Cornell).
 ブラウン大学からMichael Ira Rosenの指導で「種数体と数体の類群(Genus Fields and Class Groups of Number Fields)」によりPh.D.取得(1978).
 コネチカット大学. 代数的整数論,計算機数学. 
 『モデュラー形式とフェルマの最終定理(Modular Forms and Fermat's Last Theorem)』(1997, J.H.シルヴァーマンスティーヴンスと共同編集).  [名3] トップ

コーハシ(Konstantin Petrovich Kokhas).
 サンクト・ペテルブルグ大学数学力学部,数理解析講座上級講師.表現論や力学系理論に組合せ的手法を使用.「三角形をどう足すか?」という共著論文がある.『モスクワの数学ひろば』シリーズに著書『代数---対称性と数え上げ』がある. トップ

ゴフマン(Casper Goffman, 1913.6.1-2006.7.25). アメリカ,オハイオ州クリーヴランドに生まれ,
オハイオ州立大学から Henry Blumbergの指導で「集合と関数の対称構造に関するいくつかの定理の逆定理について(On The Converses Of Certain Theorems On The Symmetric Structure Of Sets And Functions)」によりPh.D.取得(1942).
 オクラホマ大学,パーデュー大学教授(1957-1978).
 著書に『多変数解析学(Calculus of Several Variables)』(1965),など.   [ト文]   トップ

コプリー卿,ゴドフリー(Sir Godfrey Copley, 1653頃-1709.4.9)
 イギリス,南ヨークシャー,ドンカスター近くのスプロットブロー・ハウスに住む.1661年にチャールズ2世から叙爵されたゴドフリー・コプリー准男爵の息子.王立協会会員(1691).1709年,遺産を王立協会に寄付.
 彼が信託した基金により, 1736年以来哲学研究に対して王立協会から毎年コプリー・メダルが与えられる. 当時としては, ロンドン王立協会の最高の名誉で あった.
 受賞者にはウィリアム・ハーシェル(1781),ウェアリング(1784),アイヴォリー(1814),ジョン・ハーシェル(1821,1847),J.C.アダムズ(1848),ダーウィン(1864),シルヴェスター(1880),ケイリー(1882),ケルヴィン卿(1883,1899),ハクスリー(1888),サーモン(1889),ストークス(1893),フランシス・ゴールトン(1910),ラザフォード(1922), G.H.ハーディ(1947),ディラック(1952),ロナルド・フィッシャー(1955),リトルウッド(1958), W.V.D.ホッジ(1974),アティヤ(1988),レイリー卿(1899),ライトヒル(1998),ホーキング(2006),ペンローズ(2008)がいる.
 外国人の受賞者にはクリスチァン・エールステッド(1820),アラゴー(1825),ポアソン(1832),ガウス(1838),スツルム(1840),オーム(1841),ルヴェリエ(1846),アレクサンダー・フォン・フンボルト(1852),フーコー(1855),W.E.ヴェーバー(1859),M.シャール(1865),プリュッカー(1866),ワイエルシュトラス(1895),ギブス(1901),F.クライン(1912),ローレンツ(1918),アインシュタイン(1925)がいる. [伝2,4,6,8]   トップ

コブリッツ(Neal I. Koblitz, 1948.12.24-.)
 ハーヴァード大学卒(1969).プリンストン大学からニック・カッツの指導で「有限体上の多様体のゼータ関数のp進変動(P-adic Variation of Zeta Functions of Varieties over Finite Fields)」によりPh.D.取得(1974).
 ハーヴァード大学講師(1975-79),ワシントン大学数学科教授(1979).
 超楕円曲線暗号の創始者で,楕円曲線暗号の独立な創始者の一人.
 1981年の論文「プロパガンダとしての数学(Mathematics as Propaganda)」は社会科学における数学の誤った利用を批判.
 『p進数,p進解析,ゼータ関数(p-adic numbers, p-adic analysis, and zeta-functions)』(1977), 『p進解析:最近の仕事に関する簡単コース(p-adic analysis: a short course on recent work)』(1980), 『楕円曲線とモデュラー形式入門(Introduction to Elliptic Curves and Modular Forms)』(1984), 『暗号理論の代数的様相(Algebraic aspects of cryptography)』(1998,日本語訳あり), 『数論と暗号理論教程(A course in number theory and cryptography)』(1987,1994,日本語訳あり),
 グロス(Benedict Hyman Gross)=コブリッツ公式. [名3, 附E, 文]   トップ

コペルニクス,ニコラウス(Nicolaus Copernicus, 1473.2.19-1543.5.24.)
 ポーランド王領プロシア,トルンに生まれ,ポーランド王領プロシア,フロムボルクに死す.
 天文学者,数学者,医者,政治家.クラクフ(当時ポーランドの首都)大学,ボローニャ大学で天文学とギリシャ語を学び,パドゥア大学,フェラーラ大学で法律を学ぶ.またこれらの大学で,当時は医学と密接な関連があると思われていた数学を学んでいる. フロムボルクの大聖堂を取り巻く城壁塔に30年以上住み,天文台代わりとする.1497年3月から天体観測を始め,1513年には匿名で自身の考え方を述べた『概要』(Commentariolus)を書いている.弟子のレティクスは師の説の概要(Narratio prima)を1540年に公刊し,師にも出版を強く勧めた.
 コペルニクス的転回という言葉まで生んだ,宇宙体系の変更を述べた『天球の回転について』(De revolutionibus orbium coelestium, Nuremberg, 1543)の初版は,伝説によれば,彼の死の床に間に合ったとか間に合わなかったとか.おかげで,彼自身は宗教的迫害にあわずに済んだが,本の方は1616年から1822年まで,宗教裁判により禁書になった.
 天動説から地動説へという表面的なことがらよりも,「天」と「地」が同じ法則に従うという考え方にこそ彼の偉大な点がある.また彼の理論を裏づけるため,三角法の発展に寄与しまたそれを促した.
 コペルニクスの定理:ある円に半径が半分の円が内接しながら転がるとき,小円上の点は直線運動をする.    [パ1,表], [直0,7,8], [微基3], [幾序,5], [クI.1.5,I.3.2] トップ

コーブル(Arthur Byron Coble, 1878.11.3-1966.12.8). アメリカ,ペンシルベニア,ウィリアムズタウンに生まれ,ペンシルベニア,ハリスバーグに死す.
 有限幾何学,群論,クレモナ変換,Weddle曲面,クンマー曲面など.
 ゲティスバーグ・カレッジで学び(1893-1897),ジョンズ・ホプキンズ大学大学院入学し(1898),1902年に同大学から,モーレーの指導で,4次曲線と円錐曲線との関係(The Relation of the Quartic Curve to Conics)によりPh.D.取得.
 ミズーリ大学専任講師(1902),ジョンズ・ホプキンズ大学でモーレーの助手(1903-),ボルチモア大学で教職(1903),カーネギー奨学金を得てドイツに留学,ボン大学でシュトゥーディに学ぶ.帰国後,ジョンズ・ホプキンズ大学専任講師(1904-05),助教授(1909),イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校正教授(1918),数学科主任(1934-1947).アメリカ数学会長(1933-34).
 コーブル曲線,コーブル曲面,コーブル多様体,コーブル超曲面.  [クI.2.2] トップ

コラッツ(Lothar Otto Collatz, 1910.6.7-1990.9.26).
 ドイツ、ヴェストファーレン、アーンズベルグに生まれ、ブルガリア,ヴァルナに死す。
 グライヴァルト大学に入学(1928),ミュンヘン,ゲッティンゲン,ベルリンに学ぶ.ベルリン大学からA.クローゼとE.シュミットの指導で,「線形微分方程式に対する高次近似をもつ有限差分法(Das Differenzenverfahren mit h\"oherer Approximation f\"ur lineare Differentialgleichungen)」により哲学博士(1935). ヒルベルト,R.クーラント,R.フォン・ミーゼス,シューアらの講義に感銘を受けたと語っている.
ハノーヴァー大学教授(1943-1952)、ハンブルク大学教授(1952-1990)。国際会議出席中に客死。数値解析に関する著書多数。
 コラッツの問題 [解II.9, 文] トップ

コリオリ(Gaspard-Gustave Coriolis, 1792.5.21-1843.9.19).
 フランス,に生まれ,パリに死す.ナンシーで育ち,1808年のエコール・ポリテクニク入試に2番で合格.卒業後国立土木学校に進み,その後技師として働いたが,体を壊し,父も死んで家族を養う必要から, エコール・ポリテクニク講師(1816)の職を受ける(コーシーの推薦による).エコール・サントラル・パリ力学教授(1829).1830年6月の革命でコーシーが職を逐われ,その後を引き継ぐよう要請されたが,教育義務の多さのため辞退したが,1832年に国立土木学校(\'Ecole Nationale des Ponts and Chauss\'ees)の職を受け,ナヴィエと協力して,応用数学講座を運営する. ナヴィエの死後(1836),ナヴィエの応用数学講座と科学アカデミーの席を継承.1838年まではエコール・ポリテクニクで教えていたが,校長職の就任とともに教えることはやめた.が,健康が次第に悪化し,1843年の春に倒れ,数カ月後に亡くなった.
 運動エネルギーの正しい式,仕事の概念(ポンスレ,ナヴィエなどとの先取権問題があるが,ポンスレ自身,仕事の名はコリオリに属すと書いている).
 回転座標系における回転体の運動方程式を導き,科学アカデミーに論文「機械の効果の計算について(Du Calcul de l'effet des machines)」提出(1831).
 コリオリの力(「物体系の相対運動の方程式についてSur les \'equations du mouvement relatif des syst\`emes de corps」(1835)),コリオリ数. ビリヤードについても「ビリヤードゲームの数学理論(Th\'eorie math\'ematique des effets du jeu de billiard)」(1935). [フ20] トップ

コリンズ(John Collins, 1625.5.5-1683.11.10).
 イギリス、ウッド・イートン(オックスフォードの北4km)に生まれ、ロンドンに死す。
 13歳の時に父が死に,働き始める.本屋の見習い(1638),裁判所の書記(1641),船員(1642)をしながら数学を独学し,1649年-1660年の間ロンドンで数学教師をする.1660年からまた職を遍歴し,1667年から王立協会の図書館員も兼ねる.  王立協会書記。バローも言うように、イギリスのメルセンヌとしての働きが重要。文通相手には,バロー,デイヴィッド・グレゴリー,ジェームズ・グレゴリーニュートンウォリスボレリホイヘンスライプニッツチルンハウゼンド・スリューズがある.
 テームズ上流のイシス川とエイヴォン川との間をつなぐ運河の計画が持ち上がり,1683年にオックスフォードに調査に行き,病気になる.ロンドンに帰るもそのまま回復しなかった.  [解I.3-4] トップ

コルク(Johan A.C. Kolk, 1947-.)
 ユトレヒト大学で,J.J.Duistermaatとヴァラダラジャン(UCLA)の指導で,「セルバーグ跡公式とスペクトルの漸近挙動(The Selberg Trace Formula and Asymptotic Behaviour of Spectra)」によりPh.D.取得(1977). ユトレヒト大学数学研究所教授.著書多数,『リー群』『多次元実解析I:微分,II:積分』,『超関数:理論と応用』など. [天6], [天VI.9] トップ

ゴルダン(Paul Albert Gordan, 1837.4.27-1912.12.21)
 ドイツ,ブレスラウ(現在ポーランド,ブロツワフ)に生まれ,ドイツ,エアランゲンに死す.
 ギーセン大学卒(1862).エアランゲン大学教授(1867).クンマーの講義に出席し,ヤコビのもとで学ぶ.彼が博士論文を指唯一導したのはエミー・ネーターだけ.
 代数学,不変式論,代数幾何.双1次形式の不変式の有限性定理.eの超越性の証明の簡易化.クレプシュ・ゴルダン係数.ゴルダン・カペリ級数,
 クレプシュと共著の『アーベル関数論』(1868)もよく知られている. [代17-18], [ワ2], [伝6,8], [クI.2.2] トップ

ゴールドシュタイン(Herman Heine Goldstine, 1913.9.13-2004.6.16). アメリカ,シカゴに生まれ,ペンシルヴァニア州ブリンモーに死す.
 シカゴ大学卒(1933), 修士(1934) , グレイヴズとWilliam Thomas Reidの指導で「汎関数の最小値に対する条件(Conditions for Minimum of a Functional)」によりPh.D.取得(1936).
 3年間,外部弾道学の権威だったブリスの下で研究助手. 1939年にミシガン大学で教え始め,1942年に教授になるが,第2次大戦が始まると大学を去り,陸軍に入り,メリーランド州アバディーン性能試験場のBRL(弾道研究ラボ)で計算する数学者として働く.
 ENIACの最初の開発者の一人,コンピュータの2進法採用に関係。
 第2次大戦後プリンストン高等研究所のフォン・ノイマンに加わり,IASマシーンと呼ばれるコンピュータをプロジェクトの副主任に,1954年に主任になる.この機械はIBMの初期のコンピュータのデザインに影響を与えた.(フォン・ノイマンはIBMの顧問だった.) フォン・ノイマンが1958年に亡くなるとIASのプロジェクトは中止され,ゴールドシュタインはニューヨークのIBMワトソン研究センターの数理科学部門を設立責任者となる. 1969年にIBMフェローになり,その後計算や数理科学の歴史への関心を高める.
 『計算機の歴史-パスカルからノイマンまで(The Computer from Pascal to von Neumann)』(1980,日本語訳あり), 『16世紀から19世紀の数値解析の歴史(History of Numerical Analysis from the 16th Through the 19th Century)』(1977)など.  [解I.1, II.6, 文] トップ

ゴールドシュテイン,シドニー (Sydney Goldstein, 1903.12.3--1989.1.22),イングランド,キングストン・アポン・ハルに生まれ,アメリカ,マサチューセッツ州ケンブリッジに死す.
 流体力学,空気力学.定常流層流境界層方程式,流体中のディスクの回転に対する乱流抵抗.
 1921年にリーズ大学に行き数学を学ぶ.ケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジに移り,1925年に数学トライポスを卒業,1927年にスミス賞を得る.
 ケンブリッジ大学から,Sir Harold Jeffreysの指導で「マシュー関数の理論と応用(The Theory And Application Of Mathieu Functions)」によって,Ph.D.取得(1928).
 ロックフェラー奨学金を得て,ゲッティンゲン大学に留学.1929年セント・ジョンズ・カレッジのフェローとなり,同年マンチェスター大学講師.そこにはOsborne ReynoldsとHorace Lambの影響が残っており,流体力学の研究に.1931年にケンブリッジ大学に戻り,Lambの死により流体力学の現代的発展の編集.
 第2次大戦中は国立物理学研究所で境界層理論を研究,戦後マンチェスター大学応用数学ベイヤー教授職(1945-50)(4代前がLambで,後任はライトヒル).
 テクニオン - イスラエル工科大学の数学講座主任(1950).ハーバード大学応用数学Gordon McKay教授職(1954),1968年退職後名誉教授.
 地球流体力学におけるテイラー・ゴールドシュテイン方程式. [50.43] トップ

コルトヴェーグ,ディエドリク・ヨハネス (Diedrik Johannes Korteweg, 1848.3.31--1941.5.10)
  オランダ,スヘルトゲンボッシュに生まれ,アムステルダムに死す.
 軍務が嫌で,技師になる目的でデルフト工科大学に入学したが,力学と関連する数学に興味を持つ.結局数学を選び,高校教師の資格が取れるコースに変更.卒業後中学の教師をしながら,大学入学の準備.その間にも論文を書く.1877年にアムステルダム大学に入学.1877年にアムステルダム大学の物理学教授になったファン・デル・ワールス(Johannes Diederik van der Waals)の指導で, 1878年7月12日に論文「 弾性管での波の伝播について(On the propagation of waves in elastic tubes)」で学位取得.大学に残り,数学・物理学・天文学教授(1881.9-1918).
 応用数学.曲面の折り目に関し一連の仕事がある(1891-1903).コルトヴェーグ応力,コルトヴェーグ・ド・フリース(Kdv)方程式.
 ホイヘンス全集の編集をする(1911-1927).  [伝8]  トップ

ゴールトン(Sir Francis Galton, 1822.2.16--1911.1.17.)
 イギリス,バーミントン州,スパークブルックに生まれ,サレイ州,Haslemereに死す. イギリスの人類学者・優生学者で,チャールズ・ダーウィンの従弟. 同じ祖父エラスムス・ダーウィンを持つ. 1883年に優生学(eugenics)という言葉を始めて使う. 『遺伝的天才(Hereditary Genius)』(1869).メンデルによって否定される遺伝の(ゴールトンの)法則を提唱.
  統計学でも,平均回帰や相関係数の概念を提唱.指紋についても著書がある.
[伝6],[辞]  トップ

ゴールドバッハ (Christian Goldbach, 1690.3.18-1764.11.20. )
 プロシャ,ケーニヒスベルク(現在ロシア,カリーニングラード)に生まれ,ロシア,モスクワに死す.
 1725年サンクト・ペテルブルグの数学と歴史の教授となり,1728年モスクワに行き,ピョートルII世の家庭教師となる.ヨーロッパを遍歴し,多くの数学者と会う.整数論での仕事が重要で,主にオイラーとの文通の中で公表される.1724年のオイラーへの手紙の中で,有名な予想(偶数に対するもの)が述べられている.  [名19, 21], [珠訳序, 2.1, 説1.0, 3.11, 文], [天1,10], [伝1], [ふ6], [作2], [基8], [天VI.1,13]  トップ

ゴールドマン(Jay Robert Goldman)
 プリンストン大学からフェラーの指導で「確率点過程:極限定理と無限可除性(Stochastic Point Processes: Limit Theorems and Infinite Divisibility)」によりPh.D.取得(1965).
 『数学の女王:歴史的な動機での数論ガイド(The Queen of Mathematics: A Historically Motivated Guide to Number Theory)』(1998).
 [珠文]  トップ

コルモゴロフ,アンドレイ・ニコラーエヴィッチ (Andrei Nikolaevich Kolmogorov (Андрей Николаеич Колмогров), 1903.4.25-1987.10.20.)
 ロシア,タンボフに生れ,ソ連,モスクワに死す.
 父ニコライ・カタエフは農学者で,聖職者の息子であり,コルモゴロフ誕生時,流刑の身であった.革命後農業省の局長になったが,1919年の戦闘で死亡.
 母がクリミアから故郷のトゥノーシャ(ヤロスラブリの近く)に帰る途中,タンボフで出産したが,その際に死亡する.祖父ヤーコフ・スチェパノヴィッチ・コルモゴロフの名を受け継ぎ,母の妹ヴェラ・ヤコヴレナに育てられた.
 学校を卒業後,鉄道の車掌をしていたが,余暇に力学のニュートンの法則に関する論文を書く.1920年にモスクワ大学に入学するも,この時点では数学をすることからは遠く離れた状態で,数学だけでなく冶金学やロシア歴史なども広く研究した.例えば,15-16世紀のノヴゴロドにおける所有権に関する卒業論文を書いている.その論文について
 「君は論文で証明を1つ与えていて,君が研究している数学ではそれで十分なんだろうが,私たち歴史家は少なくとも10の証明がある方がいいんだがね」
というジョークがある.
 モスクワ大学卒(1925),後教授(1931-).物理・数学博士(1935).N.N.ルージンの弟子.
 実変数関数論から始め,弟子のV.I.アーノルドと共にヒルベルトの第13問題に関係して,多変数の関数をより少ない変数に帰着する問題を解く. 優調和の理論を始め,関数の近似理論,関数解析を研究.確率論の公理的基礎付けと連続時間のマルコフ過程論. 天体力学におけるKAM(コルモゴロフ・アーノルド・モーザー)理論.トポロジーや数理統計学にも貢献.
 これら以外の,コルモゴロフの数学的業績やエピソードについては「モスクワ数学の黄金の日々」に詳しいので,参照して欲しい. [ワ8],[伝プ,4,9,10], [先],[辞], [作付B], [50.36]  トップ

ゴーレンシュタイン(Daniel Gorenstein, 1923.1.1-1992.8.26).
 アメリカ,マサチューセッツ,ボストンに生まれ,アメリカに死す.
 ハーバード大学卒(1943).S.マクレーンのもとで学び,有限群さらに代数幾何に興味を持つ.ザリスキとの代数幾何の研究で,ゴーレンシュタイン環の導入を含む学位論文(1950).クラーク大学(1951-64),コーネル大学客員教授(1958-59).ノース・イースタン大学(1964-69),ラトガース大学(1969-死).途中,プリンストン高等研究所員(1968-69).
 1957年に有限群の研究に戻り,有限単純群の分類に貢献(1960-61年のシカゴ大学での「群論年」に参加:この時期にファイト・トンプソンの奇数群の可解性が解かれている).さらにJ.H.ウォルターとの共同研究と,この分野の多くの指導者(R.ブラウワー,鈴木通夫,グラハム・ヒグマン,伊藤昇,P.ホール,ウィーラントら)との交流が始まり,分類プロジェクトの全体を見渡していた役割は大きく,スティール賞を受賞(1989).
  1. 『有限群』Finite groups(1968)
  2. 『有限単純群:分類入門』Finite simple groups : an introduction to their classification(1982)
  3. 『標数2型の有限群の局所構造』The local structure of finite groups of characteristic 2 type(1983),Richard Lyonsと共著.
  4. 『有限単純群の分類』The classification of the finite simple groups(1994),Richard Lyons,Ronald Solomonと共著.
[代コ] トップ

コーン(Paul Moritz Cohn, 1924.1.8-.)
 ドイツ,ハンブルクの生まれ.ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ卒(1948).博士(1951).マンチェスター大学講師(Lecturer, 1952),イェール大学客員教授(1961-62),62年の1時期はカリフォルニア大学バークレイ校に.ロンドン大学クイーン・メアリ・カレッジ講師(Readership, 1962-67).シカゴ大学(1964),ニューヨーク州立大学SB校(1965)と旅.ロンドン大学ベドフォード・カレッジ数学教授(1967).ラトガース大学(1967-68),パリ大学(1969),チュレーン大学(1971),インドのデリー工科大学(1971),アルバータ大学(1972),オタワのカールトン大学(1973),イスラエルのハイファ大学(1975),アイオワ州立大学(1978),ドイツのビーレフェルト大学(1979)と旅. ロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジ数学教授(1984-89),名誉教授(1989).アルバータ大学(1986),イスラエルのラマガンのバー・イラン大学(1987)と旅.
 代数学全般,特に非可換環論.マグヌスの定理の一般化(1952),擬付値,リー代数,群論,ジョルダン代数,自由イデアル環,など.著書も多い.主イデアル整域上の行列は対角化することができるが,ユークリッド環でない場合は,ガウスの方法によっては実現できないことがあることを,Q(√-19)の極大整環を例として示す.
  1. リー群』 Lie groups (1957)
  2. 『線形方程式』 Linear equations (1958)
  3. 『立体幾何学』Solid geometry(1961)
  4. 『普遍代数学』Universal algebra (1965, 第2版1981)
  5. 『自由環と関係式』Free rings and their relations (1971, 第2版1985)
  6. 『代数学』 Algebra(I:1974, II:1977, IとIIの第2版:1980, III:1990)
  7. 『斜体の構成』 Skew field constructions(1977)
  8. 『代数的数と代数関数』 Algebraic numbers and algebraic functions(1991)
  9. 『基礎線形代数学』 Elements of linear algebra (1994)
  10. 『斜体』 Skew field(1995)
 [代6, コ] トップ

コンウェイ(John Horton Conway, 1937.12.26-.)
 イギリス,リヴァプールの生まれ.ケンブリッジ大学カイウス・カレッジ卒(1959).ダヴェンポートの指導で整数論に関する学位論文を書く(1964).
 ケンブリッジ大学教授を経て,プリンストン大学,数学,フォン・ノイマン教授職. 有限数学,整数論,トポロジー,群論,数理論理学など.
 『有限群のアトラス(ATLAS of Finite Groups)』(2003,多くの共著者,まさに有限群の地図帳),『数とゲームについて(On Numbers and Games)』(1976) , 『数の本(The Book of Numbers)』(1996, R.K.ガイと共著.日本語訳あり), 『素数が香り,形が聞こえる 目で見る2次形式からはじまる数学(The Sensual Quadratic Form)』(1997,日本語訳あり), 『四元数と8元数:その幾何,算術,対称性(On Quaternions and Octonions: Their Geometry, Arithmetic, and Symmetry)』(2003, Derek A.Smithと共著) , 『三角形の本(The Triangle Book)』 (2005, Steve Sigurと共著) など.
 2人ゲーム,ライフゲーム,超現実数などの新しい概念のほか,3つの散在型単純群の発見など.Simon Bernhard Kochenとfree will theoremを証明(2004).
 コンウェイ群,コンウェイの多面体記法,コンウェイパズル,魔法陣に対するコンウェイのLUX法,コンウェイのチェーン表記(Conway chained arrow notation),コンウェイのライフゲーム,コンウェイの兵隊(Conway's Soldiers=checker-jumping problem),コンウェイのスラックル予想,コンウェイの13進関数(Conway base 13 function),orbifoldの記号(サーストンが発明してコンウェイが流通させた),Phutball (哲学者のフットボールPhilosopher's Football)の発明(『[数学]じかけのパズル&ゲーム(Winning Ways for your Mathematical Plays)』(1992,E.R.バーレキャンプ,R.K.ガイと共著,日本語訳あり)の中で述べたもの),コンウェイ充填(Conway tessellation) ,コンウェイの宇宙定理(Conway's cosmological theorem)
 ノートンとともにモンスター群と数論におけるj-不変量(=j-関数)との関係(モンストラス・ムーンシャイン)を発見し,いくつかの予想をしたが,それはコンウェイの弟子であるRichard Borcherdsによって解決.  [名17], [天8], [フ序,23], [50.35] トップ

ゴンシエ,ジョージ(Georges Gonthier).
 カナダの計算機科学者.形式数学.4色問題の定式化.奇数位数定理(ファイト・トンプソンの定理)の証明(2012).   [天VI.39] トップ

コンツェヴィッチ(Maxim Kontsevich, 1964.8.25-).
ソ連ロシア共和国モスクワ州ヒムキの生まれ.全ソ数学オリンピックで2位になる.モスクワ大学に入学後,卒業前の1985年にモスクワの情報通信問題研究所(Institute for Problems of Information Transmission)の研究者になる.ボン大学でザギエのもとで,ウィッテン予想の証明をする論文でPh.D.取得(1992).ベルリンICMでフィールズ賞を受賞(1998).ポアンカレ賞(1997). フランスのIHES教授(1995)兼ラトガス大学教授。
 数理物理の幾何的様相,特に結び目理論,量子化,ミラー対称性に関する業績.ホモロジー・ミラー対称性(1994).位相的場の理論,ポアソン多様体の変形量子化(2003)、 安定写像のモデュライ空間.行列型エアリー関数の構成、量子コホモロジー環の定式化、モチーフ積分、モチーフ測度(1995)、ヤコビヤン予想とディクスミエ予想の同値性(2007)など.
 コンツェヴィッチ不変量=コンツェヴィッチ積分,コンツェヴィッチ量子化公式.  [フ15] トップ

ゴンチャロフ(Vasilii Leontovich Gontscharov, 1896.9.24-1955.10.30).
 ロシア,キエフ(現在ウクライナ領)の生まれ.ハリコフ大学卒(1919).N.N.ベルンシュテインの弟子.ハリコフ大学教授(1925),物理・数学博士(1935).ロシア共和国教育科学アカデミー数学部門(1943-).
 複素関数論,近似関数論,組み合わせ論,教授法.調和関数論のゴンチャロフの問題.
 著書に『補間法および近似関数』(1934, 1954).また,『初等代数学』は教師のために書かれたもの. [解III.9] トップ

コンドルセ(Marie Jean Antoine Nicolas de Caritat Condorcet, 1743.9.17--1794.3.29).
 フランス,リヴモンに生まれ,(パリ近くの)ブー・ラ・レーヌに死す.
 ランスのイエズス学院とパリのコレージュ・ド・ナヴァールで教育を受け,パリのコレージュ・ド・マザランで学ぶ.アカデミー会員(1769),書記(1777).ヴォルテールダランベールと親交,百科全書派の数学者としても活躍.
 数学的には積分法(Essai sur le calcul integral(1765)や1772年にラグランジュが褒めている仕事がある.区分求積法の萌芽)や確率論(『多数決』の確率への解析の応用』(1785),コンドルセの逆説)など.
 1772年の本の出版の後トゥルゴ(Turgot)に出会い,彼がルイ16世の財務長官になる(1774)のに伴い,造幣局長官になる.トゥルゴの失脚(1776)後も,その職に留まる(-1791).
 1791年の立法議会議員となり,その後はジロンド派として活躍.理想的な公教育体制を立案,政治の混乱の中で,当初の案が実現しなかったことは人類にとって残念なことであるが,その後の公教育の在り方に決定的な役割を果たし,公教育の生みの親と言ってよい.ジャコバン派との対立により,欠席裁判で死刑判決.逃亡中に『人間精神の進歩の歴史的展望の素描』(Esquisse d'un tableau historique des progres de l'esprit humain, 1795)を執筆.
 1794年3月逮捕され,ギロチンを避けるために獄中で服毒自殺.  [伝1] トップ

コンヌ(Alain Connes, 1947.4.1-). フランス,ドラギニャンの生まれ.
 高等師範学校卒,CNRS,パリ第6大学を経て,IHES教授.コレージュ・ド・フランス教授(1984-),オハイオ州立大学教授.
 パリ高等師範学校からディクスミエ(Jacques Dixmier)の指導で,「III型因子の分類(A Classification of Factors of Type III)」によりPh.D.取得(1973). 作用素環,非可換幾何.
 1970年代は,フォン・ノイマン環の構造と分類問題.冨田・竹崎理論や超積(ultraproduct)の手法を駆使して,単射的,従順,概有限,超有限(hyperfinite)なフォン・ノイマン環の構造を調べる.
 1980年代は,葉層構造に付随する作用素環,群作用などを持つ作用素環,アティヤシンガーの指数理論の様々な拡張.非可換幾何のパラダイムを提唱.非可換K理論,
 1990年代には量子ホール効果,超弦理論,ループ量子重力理論,格子ゲージ理論など様々な量子力学的概念に対し非可換幾何の手法が有効であることを示す.数論的な構成物に対しても非可換空間の構成が可能であることを示し、有理数体 Qのアデール類の空間 A/Qxに対する自然な力学系からリーマン・ゼータ関数(また任意の量指標に関するL関数)の零点のスペクトル実現を得た.
 フィールズ賞受賞(1982),この時のICMでコンヌの業績紹介をしたのは荒木不二洋.巡回コホモロジー.バウム・コンヌ予想.
  [幾序] トップ

コンハウザー(Joseph D. E. Konhauser, 1924-1992.2)
直交多項式,コンハウザー多項式,毎年コンハウザー問題祭り(Konhauser Problemfest)が開かれる.
『自転車はどっちへ行った? その他おもしろ数学ミステリー』(Which way did the bicycle go? And other intriguing mathematical mysteries)』(1996,D.ヴェルマンワゴンと共著),  [フ文]   トップ

コーン-フォッセン(Stephan Emmanuilovich Cohn-Vossen, 1902.5.28-1936.6.25)
 ドイツ,ブレスラウ(現在ポーランド領)に生まれ,ロシア,モスクワに死す.
 ブレスラウ大学からクネーザーの指導で「微分方程式によって与えられる単純曲線の実特異点(Singul\"are Punkte reeller, schlichter Kurvenscharen, deren Differentialgleichung gegeben ist)」により哲学博士号(1924).
 ゲッティンゲン大学,ケルン大学(1930-)で働いた後,1934年ソ連に移住し,レニングラード大学教授となり,スチェクロフ研究所で働く.翌年研究所のモスクワ移転に伴い,モスクワに移り,モスクワ大学教授となる.
 微分幾何学.
 日本語の本に,D.ヒルベルトとの共著『直観幾何学』(芹沢正三訳)みすず書房がある.
 コーン-フォッセン不等式,コーン-フォッセン変換. [名序, 15, 18, 23, 文], [代コ], [幾2], [クI附B]   トップ

ゴンボウ,アントワーヌ(Antoine Gombaud, Chevalier de Méré 1607-1684.12.29).シュヴァリエ・ド・メレという称号の方で呼ばれることが多い.
 フランス,ポアトゥーの生まれ.貴族ではないが,著述の中で自称し,知人がその名で呼ぶことが重なって,シュヴァリエ(騎士)と呼ばれることが定着.メレは彼が教育を受けた場所.
 作家.賭博師としての方が有名.アマチュア数学者でもあり,メルセンヌ・アカデミーにリストされる.
 賭博の確率に関する問題をパスカルに訊き,それがフェルマとの文通に発展し,その中で確率論が生まれる.また,ガリレオ・ガリレイにも別のサイコロの目の問題を訊く. [ふ2], [率0]   トップ

コンロン(David Conlon, 1982-).アイルランドの生まれ.
 トリニティカレッジ,ダブリン卒(2003)  ケンブリッジ大学から,William Timothy Gowersの指導で「ラムゼイ数の上界(Upper Bounds for Ramsey Numbers)」によりPh.D.取得(2009).
 オックスフォード大学ワダムカレッジのフェローで,オックスフォード大学数学研究所の離散数学の教授,2019年にカリフォルニア工科大学に移籍.
 ハンガリー型の組み合わせ論,ラムゼイ理論,極値グラフ理論,組み合わせ数論,組み合わせ論での確率的方法.
 シドレンコ(Alexander Sidorenko)の予想(1986)に対する貢献で2011年のEuropean Prize in Combinatorics受賞. [天VI.45] トップ


  
  
  
  
  

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