Preface to Science with grandchildren: Numbers MyBookのホーム『数って不思議!!...∞』.

『数って不思議!!...∞』 はじめに



 1+1=2がなぜ成り立つか,分からないと思う人はいないだろう.むしろ1+1=2が謎だと言われることのほうが謎であるかもしれない.しかし,なぜ成り立つのかを問われたとする.そのとき,謎ではないことを納得させ,言い聞かせることはそれほど簡単なことではない.簡単だと思うのなら,一度やってみてほしい.やろうとしてみればすぐに,その難しさに気づくことだろう.
 本書は,なぜ1+1=2となるのかと孫に問われ,説明しようと思ったが納得させる方法を思いつかない熟年に向けて,なぜそれが難しかったのか,そしてそれをどう克服したらよいのかを,ゆったりと話し合いながら進めていくという構成になっている.
 だから,1+1=2の説明ができる人はこれ以降の「はじめに」(著者の挨拶)については読む必要はない. そして1+1=2がどうこうということを忘れて,老若が入り交じった知的会話を楽しんでいただきたい. 著者の挨拶などは飛ばして,会話文からなる随筆のような本文(のプロローグ)にお進みください. プロローグは会話を成立させている舞台設定であり,第1章からの登場人物に対する予備知識にもなっている.
 また,手っ取り早く$1+1=2$の理由が知りたいと思われる方や,講釈はいいから早く楽しませろと思われる方も,どうぞプロローグへお進みください.
 それでも,もう少し予備知識がないと本書を読む気にはなりにくい方もおられるだろう.そういう方のために, 本書を書くに至った経緯いきさつを書いておくことにしよう.
 本書は「孫と一緒にサイエンス」というシリーズの一冊として企画された.そのため読者が自分で納得するだけでなく,それを他人(孫)に納得させることができるようにする,ということも目標としている.また,孫を直接説得するにしても,熟年と若年では納得のあり方もその深さも違ってくる. だから,素直に1+1=2の説明を一通り書いただけでは十分ではないということになる.
 なぜ1+1=2となるのかという疑問が呈せられることは確かにある.であれば,そういう疑問が起こる理由も,それを解決するために膨大な時間と努力が必要であることを,さらにそれが当り前になったために1+1=2であることの必然性すら忘れられた歴史や状況を納得してもらわなければならない.
 人は正しいことだからといって納得してくれはしない.論理学を作ったと言ってよい古代ギリシャのアリストテレスも,論理的に正しいからといって人間社会では正しいとは限らないと言っている. 1+1=2を間違いだと思う人は今の教育を受けた人にはいないだろうが,それでも人間社会ではそうならないこともある,と感じることもないではないだろう.もちろん,数学での正しさと,社会での正しさが違うと言ってしまうことはできる.できはするが,そう言ってしまえば,かえって不信感を招くかもしれない.
 一言で言えば,議論の前提が違うのだから,違う結論になっても仕方がない,というか,違うのはむしろ当然のことだ,と言うこともできる. しかしそこで問題であるのは,異なる前提で考えていることを意識しないまま,議論に突入してしまうことである.このようなことは,社会においては,実にいたるところで起こっており,前提の違いからくることなのに,というか前提の違いからくるからこそ,議論の正しさではなく,その前提を大声で言ったほうの側がその後の議論を制することになったりする.
 本書に与えられた課題はとても難しい.が,やりがいのある挑戦でもあった. 本書がそれに成功しているか否かは,読者に判定していただくしかない.
 
内容の紹介
 数学関連の本としては珍しい書き方であるため,何が語られているのか不審に思う人もいるかもしれない.そういう人のために,少し内容の紹介と説明をしておこう.
 本書の体裁はドラマの台本のようになっている. 本文の欄外に書かれていることには,内容の注釈も,登場人物の独白もあるが,その時点の登場人物には知りえないもので,聞いているのは読者だけであるという設定になっている.
 プロローグはDr.Kの高校の同窓会である.小森という友人が,孫に1+1=2の理由を教える羽目になり,教えられないことに気づいて愕然がくぜんとしたことの告白があり,Dr.Kに来宅して,自分と孫に説明することを依頼する.プロローグの終わりには,登場する小森家の家系図がイラストともに描かれている.そこにはDr.Kのイラストもあるが,著者とは似ても似つかぬ姿であることはご承知おき願いたい.
 第1話は第1日目の描写である. 何かがいくつあるということを言うためにはどういうことを了解しておかねばならないかから始まる.数えられるモノはどういうものであるか,数えるとは何をすることか,モノの変化,モノの集まりの変化をどう表したらよいのか,などを考える.また,それらのことを自分で納得するだけではなく,他人を納得させるためには何が必要なのかを考える.
 数学の言葉としては,集合,空集合,集合の幽霊,一対一対応があり,その大まかな使われ方が述べられる.
 第2話は第2日目,第3話は第3日目の描写だが,この2日は連続している.第2話には 簡単な集合の演算の話もあるが,一番大切なテーマはモノとモノの名前との関係である. 犬とバラを例にして詳しく議論される.
 そして,リンゴが何個,バラの花がいくつということを普遍化して,数という概念がモノの集まり方の様子を表すものであるにもかかわらず,モノとは直接関わりのない普遍的なものとしてとらえられること,そしてその名前がどのように関わっているのかということが議論される.
 数の読み方,数の表し方,文字によるものと言葉によるもの,文字によるとしての違い,メソポタミアの楔形くさびがた文字,エジプトの象形文字,ローマ数字,漢数字,マヤ文字,さらにはインカのキープなどの表記についても述べられる.日本語での数の表記,読み方についても,算木での数の表し方や計算法も述べられる.ローマの溝そろばんやアラビア数字での計算法の発展やフィボナッチの話もある.0をゼロと呼ぶようになったこと,ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』についても一言ある.
 実際には1足す1が2になることも2にならないこともある.むしろならないことのほうが多く,なるのは何かしらの保存量を議論しているときだけであることが,多くの例を挙げて述べられる. そして,それに多少の教育論が混ざる.
  第3話はその翌日のことで,昼までの半日と決まった.大学での数学的な取扱いを含め,2日目に話題となったペアノの公理とその集合論的表現から始め,自然数を構築し,一気に$1+1=2$を示す.10進表記により,すべての自然数に名前を付ける.さらに,$+n$を定義し,結合法則と交換法則を示す.その上で,10進表記された数の足し算を定義する.この部分の証明は見たことがなかったので,無手勝流で行った.あまり奇麗ではないが,どうしようもないのかもしれない.
 自然数の存在と一意性の議論もしたが,大学初年級の集合論の講義のダイジェストのようになってしまった.この部分は,集合論の教科書を見ながらでないと難しいかもしれない.第3話がちゃんと理解できれば(ゆっくりじっくり読み進めれば分かるだけの内容にはなっているが),集合論の講義の合格点はもらえるだろうくらいのレベルになってしまった.ページ数の制約上やむを得なかったが.最後に付録という気分で有限集合の元の個数の定義をした.
 本当のおまけに,帰納法にまつわるパラドクスをいくつか紹介した.パラドクスが面白いからといって,本書を読んでない人を煙に巻くような悪趣味なことはなさらないようにお願いしておく.
 最後に人名索引と事項索引をつけた.人名には原綴りをつけてある.日本人には読み方の代わりにローマ字表記をつけた.ギリシャ人にはギリシャ語表記も追加した.事項索引にも英語表記をつけたが,日本語の同字(音)異義を確定する役にも立つと思う.
 読者には色んな角度から,色んな気分で楽しんでもらえるようにしたつもりだが,かえって煩わしいと思う方もいるかもしれない.その場合は,読み飛ばしてもらえばよい.すべての細部を理解していなくても落語は楽しめるものであるし,本書もそういうジャンルのものだと思ってほしい.何度目かに読み返したとき,ニヤッと笑ってもらえるなら,望外の幸せである.
 
 

2018年8月                        桑名にて
蟹江 幸博



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