実践センター紀要(1997.5) TOSM三重の広場へ。 TOSMグループ文献へ戻る。


教師における数学的基礎概念の
自己認識の在り方について


蟹江幸博、丸林哲也(三重大学教育実践センター紀要17(1997))

初等教育で必須な教科内容に対応する数学的基礎概念を、現場の教師と学生がどう理解し、どう必要に感じているかの調査研究である。数学者の算数・数学教育への関与の在り方を見定めていく過程としても重要である。

1.はじめに

長く教育学部で教鞭をとり、多くの卒業生が小・中・高の教師になっていき、いろいろな機会に彼らの数学上の力のなさを感じ、責任を感じるようになってきた。 福井大学・岐阜大学の数学者とTOSM(トスムと読む)を結成し([2])、他府県での数学教育の在り方を参考にしながら、現場教師への支援の在り方を模索してきた。
 もちろん、一方で、年々学力の低下を感じる入学生に対して、どのように興味を持たせ、不可欠の知識・見識を養うかという問題を考え、「つづり方教室」などの試みもしてきた([6])。
 小学校教師養成用の半期の数学の講義を担当してきて、年々講義しにくくなり、それが学生の知識のなさに由来するのではないかと思い、始めて、アンケートの形で学生個々の欠損していると自覚している数学的知識の調査をしたのが、1993年の初夏であった([1])。 内容は翌年の[5]とともに参照していただく。 学生の自己申告に任せて項目を挙げていくとき、彼らが無知・不理解を自覚していることのあまりに多いことに驚くばかりである。 短い講義の間にその幾つかでもしっかりとした基盤に立った知識にするように努力しているのだが、卒業生の中には十分な知識・見識をもたずに教師になって行ったものが少なくないと思われる。
 しかし、現場でその知識の不足を補うことが出来るだけの時間的・精神的ゆとりがあるだろうか。 TOSMは、現場に出てもなお数学の勉強を続けたい、乃至数学に触れていたいと願うすべての教師に対し、できることは何でも行う用意がある。 TOSMの力は強くはないが、少なくとも精神的な支えになればと思っている。
 TOSM三重では、TOSM福井に倣って月例会を1996年7月から始めている。ホームページも始めた。アドレスは、
 http://www.com.mie-u.ac.jp/〜kanie/tosm/
である。掲示板も多数置いている。TOSMへの提案、算数・数学(教育)の質問箱、訪問者の挨拶、教師による数学図書の推薦コーナー、生徒による数学図書の感想文コンクール、月例会の活動報告などである。 三重大学数学科卒業生のメーリングリストも作って、少なくとも卒業生に関するアフターケアの体勢を強める準備もしている。月例会会員の協力を期待している。その輪が少しづつでも広がっていくことを願っている。
 さて、TOSMが基本的に現場教師の支援プログラムであるならば、TOSMの研究活動もそのような線に沿ったものであるべきである。前回のアンケート調査([3],[4])の目的は、教師の置かれている現状の把握とTOSMの役割の模索であった。
 今回の、教師に対するアンケート調査をテーマを考えるとき、この継続性と、蟹江の調査[1],[5]の問題意識を引きつぐことを主眼として、以下の調査を行った。結果の検討については、すでに一部、[7],[8]で報告してある。この報告で述べられなかった発見もあるのだが、それを明確化するにはさらに深い検討の時間を必要としている。
 TOSMセミナーで検討する時間が出来るまでの間、三重県のデータだけで、TOSMで検討することになっているのとは少し別の視点でも考えておこうと思い、三重大学生への再調査を行った。 この考察にはデータの種々のグラフ化が有効な手段であり、 県立津西高校教諭の丸林哲也氏に、Microsoft Excel によるデータの処理をお願いした。議論していく中で丸林氏の担任する自然科学コース2年の生徒への調査も行ってみた。
表1: 実施対象
対象グループ 実施時期 実施方法 人数
小学校教員 1996年9月 県総合教育センターへ講習
に来た教員に対して
42
中学校教員 1996年9月 県総合教育センターへ講習
に来た教員に対して
17
高等学校教員 1996年7-8月 三重県高数研の協力で
学校に送付し回収
77
三重大学学生 1996年12月 蟹江の講義中に76
津西高校2年生 1996年12月 丸林の授業中に39

2.調査の内容と方法

実施対象と時期・方法など実施の細目については表1の通りである。 中学・高校教員はもちろん数学の教師であり、小学校教員も総合教育センターの算数教育に関する講座に出席した人であり、多くは数学科卒と思われる。 三重大学生は、一部は教育学部の小学校専門数学の講義の受講生でこれは完全に文科系の課程を高校時代に履修していて数学的知識はかなり乏しい。しかし、半分ほどは工学部情報工学科の学生で十分理科系である。本来は分けて統計をとるべきだが、基礎データの打ち込みの際混ざってしまった。 高校生は進学校の理数科系特別コースであり、数学的理解は一般の高校生よりかなり高いものと思われる。
 グラフの数値は、各項目について、1-4の回答をそのグループの回答者数で割った100分率で表わしてある。
 今回のアンケートでは、小中学校における数学的テーマを項目にしたが、 網羅しているわけではなく、主要なものに限っている。 教員養成大学で教えることへの指針の意味合いもあり、項目の選び方は数学的内容に則したものになっている。 項目の選択が、指導要領や指導法での分類に依っていないためか、現場の教師の反応には幾分の戸惑いが感じられる結果になった。
 具体的なアンケート用紙については、紙数の都合により省略するが、上のホームページの中でもアンケート用紙を掲載しているので(ank.htm)、そちらを見てほしい。
 表2に、アンケートで尋ねた数学的項目を挙げてある。 その各項目について3種類の回答を要求した(表3)。 その項目を理解していることの小学校教師としての必要度、中学校教師としての必要度、 最後にその項目の数学的内容をどう理解していると回答者自身が思っているかということを4段階の数字で表わして貰った。
 数学的内容を、実際にどの程度理解しているかを判定することは難しい作業でもあり、アンケートに馴染みにくい。結局、試験をするようになるが、適切な問題を作りにくいし、またどこまで真剣に問題を解答してくれるかも問題である。 そこで、理解の度合いに対する自己認識を訊ねたのである。先行する調査[1],[5]での経験から、この方法では、回答者のかなり真面目な反応が期待できるのである。
表2:数学的項目(内容)
代数的項目 (1)位取りの原理と記数法、 (2)2進数、 (3)素因数分解、 (4)ユークリッドの互除法、 (5)集合数と順序数、 (6)分数と小数の違い、 (7)有理数と無理数の違い、 (8)無理数と無限小数の違い、 (9)数と数直線、 (10)演算の四則、 (11)分数の加法、 (12)分数の約分、 (13)分数の乗除、 (14)負の数どうしのかけ算、 (15)無理数のかけ算、
幾何的項目 (16)線分の長さ、 (17)長方形の面積(縦×横)、 (18)円周率の意味、 (19)円周率の求め方、 (20)円の面積、 (21)角と角度、 (22)平行線の公理、 (23)三角形の内角の和、 (24)作図不可能性、 (25)コンパスと定木で作られる数、 (26)ピタゴラスの定理、 (27)三角形の合同、 (28)図形の相似、 (29)正多面体とその種類
数学全般・構造・論理項目 (30)1対1対応、 (31)対応と関数、 (32)背理法、 (33)数学的帰納法、 (34)ペアノの公理

表3:回答項目(判断基準)
小学校・必要度中学校・必要度 自己認識の度合(数学的な内容)
1必要必要 聞いたことがない
2少しは必要少しは必要 聞いたことはあるが理解不十分な気がする
3ほとんど必要でないほとんど必要でない 理解しているがその内容または関連する内容を子供たちには理解させにくい
4必要でない必要でない 理解しているしその内容または関連する内容を子供たちにも理解させることは難しくない

3.項目ごとの検討

各項目は関係する数学的テーマを象徴的に表わすものとして選んだ。問いたかった数学的内容を述べる。 項目ごとの問題点も、回答の傾向に触れつつ述べておく。詳細な検討は紙数がなくてできないが、グラフを12枚載せたのでじっと見て欲しい。さまざまな発見が自然に得られるようにグラフを選んである。このグラフこそが本論文のbodyである。
 「代数的項目」は、数に関する問題。数に関するもの以外に代数的項目として挙げるべきものもあるが、明示的に取り扱うのが中学校に入ってからであることや、基礎的なことに限るという立場から今回は行わなかった。
 (1)-(5)は自然数に関するもの。(1)は要するに位取りの認識と計算が出来るかということで、教えるためには原理的理解が欲しいし、数字で表す記数法、読むための命数法なども自覚的に分かっていて欲しかった。 小学校教師(以下、「小教」と記す)にとって必須中の必須事項で、必要度100%の回答だが、理解度(3+4)は80%、理解度(4)に至っては50%である。
 この理解度は、あくまでも本人の自己申告による自己認識であることに注意して欲しい。一体に物事は分かっているつもりであっても分かっていないことが多いものである。
 この数字は、まあ分かっている積もりだがと思っている「小教」が8割で、どんな子供にも理解させられると思っている「小教」が5割しかいないということを意味している。 教員養成大学に在職する立場から、この数字に満足しているとはとても言えるものではない。
 しかし、これが実情である。しかも、小学校教員の中でも少なくとも算数教育に関しては、かなり意識の高い部分から成っていると考えられるのである。それでこの程度である。しかし、だからこそこの程度なのかもしれない。 これがあくまでも自己認識の調査であることを注意して欲しい。 意識の高い人々だからこそ、理解していないことが表明できたのかもしれないのである。 実際にアンケートをとってみないと分からないことではあるが、自分が分かっていないことを意識することは易しいことではないから、小学校教員全体の平均的回答は、もしもそういう調査が出来たとして、もっと高い理解を示すというものであるかもしれない。
 さて、他のグループも見てみよう。 中学校教師(以下「中教」とも書く)では必要度の認識88%、理解度(3+4)60%、理解度(4)40%である。 高校教師(以下「高教」とも書く)は必要度の認識90%、理解度(3+4)は67%、理解度(4)は45%である。理解度が「小教」より小さいことが面白い。本当により分かっていないのか?「小教」の方が、分かった積もりになっている人が多いのか? 多分実際はそのどちらでもない。 「小教」はこの項目を見て、繰り上がり繰り下がりの四則が出来、教えられることだと理解し、具体的に教えることのない「中・高教」はもっと原理的な理解が尋ねられていると感じたということだろう。
 三重大学学生(以下「学生」とも書く)の場合、理解度(3+4)50%、理解度(4)22%である。結果を述べるだけでも恥ずかしい。。
 津西高生徒(以下「生徒」とも書く)の場合、理解度(3+4)は82%、理解度(4)は33%である。高校生の理解度(3+4)と理解度(4)は一緒に記載されたグラフ11を見て欲しい。理科系受験生らしく、特別な項目(大学で習うもの)以外に対しては高い理解度(3+4)を示している。が、理解度(4)のグラフとのギャップが激しい。「分数の乗除」の理解度(3+4)94%、理解度(4)5%や、「長方形の面積」の理解度(3+4)100%、理解度(4)33%などは、極端な例である。 分かってはいるが説明できないと、意味は分かっていないが使うことはできると、生徒自身が思っているのである。これが数学に関しては上澄みに属する現在の高校生の実情である。
 大学受験がいけない、と言う。そうかも知れない。しかしそれより、高校教育の現場で、短期間の成果を評価したがるのがいけないではないだろうか。月に2度はテストをしているのだと言う。そんなに短期間に何をテストするのだろう。 細切れの知識をテストするしかなくなる。さらには、テストの間の授業で細切れの知識しか教える余裕がなくなる。しかも、それに適した細切れの内容を強要する指導要領である。
 もともと、教育の成果を数字にするのが間違っている。 教育の成果とは、それを受けた人間にとって、いかに成長したかであるはずなのに、頻繁にテストがあれば点数をとることに合わせた心のゆがみが出てくる。将来のことを考えずただ目先の点数だけを欲しがるようになる。その結果、知識のよって立つ原理について考えようとしない、というより、考えると損をするという風潮さえ生まれる。これがこのグラフの意味なのだろうか。
 これは偏に高校生・受験生に限ることではない。 どの校種でも起こっている。 人格までが点数化されると錯覚している現象は社会化して、好ましくない種々の社会現象を起こしている。
 紙数が尽きる。他の項目にも触れよう。
 10進数の構造的理解のためには(2)の2進数を理解しておく方が深くなるだろうし、計算機の論理的構造理解のためにも不可欠である。 (3)は約数・倍数の問題で、自然数の積構造の認識を問い、 最大公約数を求めるアルゴリズムであるとしての互除法(4)は小学生に教える機会がないとしても基礎知識として必須である。(5)は集合の元の個数としての集合数と、数えていく操作との違いと関わりの理解を尋ねたもので、これも小学1年の授業から教師にとっては必須な内容である。 それでも、数は1,2,3,\ldots と数えるものという観念で小学校の初年級は済むだろうが、次第にそうはいかなくなる。
 量としての数、線形関係の係数(比の値)としての数が問題になってくる。 分数と小数の問題(6)は量の近似値としての小数と、比と比の値の双方を表わすことのある分数の違いが分っているかということ。(7)は単純に無理数の存在の意義を訊き、(8)も無理数でない無限小数の知識を訊いたもの。 (9)は直線に数を対応させ、直線の点と対応するものとして、実数を捉えているかというほどのこと。
 算数の最大のハイライトは分数の演算にあると言ってもいい。十分な理解を自覚している回答者がいかに少ないかを見てほしい。 しかし、真に理解しようとすれば分数における演算だけを考えていてはいけない。 それが、訊くまでかと思われるような項目(10)演算の四則を挙げている理由である。 これがちゃんと分っていると、分数の意味・演算(11-13)も分ってくるはずなのだが。 (14)負の数・(15)無理数の掛け算という項目は、思想的には分数の掛け算に対する、足し算、直線に対する穴埋め(連続化)といったバージョンにすぎないので、いわばついでに挙げたという意味合いが強かったが、回答を見れば、これも当然独立した論点になるのだろう。
 「幾何的項目」は図形というだけでなく、幾何全般の数学的内容が挙げてある。初等教育では直接取り扱わないものもあるが、素養としては必須なものばかりである。 (17)は一般に図形の面積を訊いているのだが、あまりに「縦$\times$横」という長方形の面積の公式が有名で、それを象徴にしただけである。 しかし、縦や横の長さが整数でないどんな数であっても成り立つことを明示的に知っているのが少ないことを、学生を教えていて痛感する。分かっている積もりになりがちなこの項目だが、高校生の理解度(4)が40%と少ないのはむしろ誉めるべきことなのかもしれない。
 (16)は内容的には数直線の理解と同じなのだが、長さを測るという点に意識の重心がある。3次元量としての体積は意識として重なるので省略した。長さなど定規で測れば良いと思っていては困るということである。
 (18)-(20)は円に関するもので、円周率が周と直径との比であることと面積を求める公式に出てくることとに、何の不思議も感じないでいて欲しくないというのがあげた理由だ。(18)の意味ではさらに、この比の値がどんな半径の円でもどんな場所に置かれた円でも同じであるということを認識していて欲しい。(19)を挙げたのは、とかく円周率といえば3.14のことと思いがちだが、値を自分で求める手段をどの程度知っているか、またアクセスできるのかということである。
 (21)の角の問題も、角度は分度器で測ればよいと思っていては困るのだと、言いたかったのだ。 (22)平行線の公理、(23)三角形の内角の和もある意味では円周率の意味と同じで、平面が平坦で一様であることの認識を訊いたものである。もちろん歴史的にも重要である。 (24)(25)は歴史的にも重要であり、それが数学を解析へと導く原因の1つであり、数学の一体感を理解していて欲しいということもあった。 (26)は計量の基本であり、1,2,3次元の量(長さ、面積、体積)を同じ数というもので表現できるための根拠でもある。
 (27)は合同、(28)は相似についての理解を訊き、(30)は空間図形についての知識があるかどうかを訊くもの。合同・相似を平面の変換と見ることまでは要求していないが。
 直接には算数での教材ではないが、数学全般の構造的・論理的背景を知っていて欲しいということで5つほど項目を選んだ。 (30)1対1対応は、1年の算数の教科書の一番初めに出てくる。1−10までの個数のいろいろなものの絵が描いてあって、その個別なものを越えたものとしての数を認識させようということなのだろうか?この教科書を見る度、こんな難しいことから始めて、子供は良いとして、教師が分かっているのだろうかと心配になる。「小教」の理解度(3+4)80%、理解度(4)40%を、どう読んだら良いのだろうか?
 (31)はどう答えていいか分からなかったかも知れない。対応と関数について何をどう理解していれば、分かっていることにしたら良いのかということが。ここではむしろ、対応・関数について何も考えていなくても良いのかという問題提起を抱いてくれれば良いというくらいの積もりだったろう。「小教」の理解度(3+4)70%、理解度(4)14%は、その戸惑いだったかも知れない。
 (32)背理法や(33)数学的帰納法は素養としては必須だが、小学校では口にする機会もないだろう。しかし、グラフにはないが「聞いたこともない」という回答が少なからずあるのは、問題だと思う。沢山の項目を短時間で回答してきて、度忘れするということもあっただろう。が、それにしても、である。
 (34)のペアノの公理は言わずと知れた自然数論の最も一般的な公理である。これ自体を知っていなくても構わないが、自然数もまた、人の営みとしてあるのだということ位は知っていて欲しいということである。 実は、この項目だけは福井大学の黒木氏の強い、というか、当然あるべきだという感じの提案だった。教育学部数学のカリキュラムとして、福井大学は程度が少し高いようである。確かに福井のアンケートでは理解度が高く出ている。\smallskip 紙数が尽きたのでグラフの読み方だけを記す。詳細な検討はホームページで行う。
 グラフ1-3は小学校教師自身から見たものである。グラフ1は必要度と理解度(3+4)で、大体は必要と思っている程度には分かっている積もりであるという結果で、ほっとするのだが、理解度(4)をも描き込んだグラフ2を見ると愕然とする。必要度と理解度(4)の差を表わすグラフ3を見る。ほとんどの項目で、必要だとは思っていても教えられるほどには分かっていないと、感じているということである。これを、勉強しなければいけないと教員が感じているのだと、積極的に読むことも出来る。TOSMはここにこそ貢献できるのではないだろうか。
 グラフ4-6は中学学校教師自身から見たもので、程度の差はあるが、同じ傾向にある。この程度の差が重要だという見方ももちろんあるが。
 グラフ7は高校教師から見たもの。グラフ8は小学校教師としての必要度を「小教」、「高教」、学生がどうみているか。グラフ9は中学校教師としての必要度を「中教」、「高教」、生徒がどうみているか。グラフ10はすべてのグループに対する理解度(4)を比べたもの。 グラフ11は学生と生徒の、理解度(4)と理解度(3+4)を比べたもの。生徒のこのギャップの大きさが特徴である。「分かっていると思ってもいないのだが使うことはできる。」
 グラフ12は高校生に対し、教師の生徒への期待と実態のずれを表わしているということか。
 他にも興味あるグラフはあるのだが、別の機会に紹介することにする。

参考文献

[1] 蟹江幸博 『数学的知識の欠如に関する自己認識の調査』三重大学教育学部紀要、第45巻、教育科学(1994),1-13.
[2] 蟹江幸博 『数学教育における数学者の役割−試み−』三重大学教育学部研究紀要、第45巻、教育科学、(1994),15-30.
[3] 蟹江幸博、黒木哲徳、中馬悟朗 『教師教育への提言 −数学教育に関する教師へのアンケート調査の分析・検討−』教育工学関連学協会連合・第4回全国大会、岐阜大学(1994/Oct.8-10), 313-314.
[4] 蟹江幸博、黒木哲徳、中馬悟朗 『数学教育における教師の授業観と意識に関する調査研究』岐阜大学教育学部研究報告(自然科学)、第18-2巻(1994),75-97.
[5] 蟹江幸博 『数学的知識の欠如に関する自己認識の調査II』三重大学教育実践研究指導センター紀要15(1995,Mar),49-57.
[6] 蟹江幸博 『算数綴り方教室の試み』三重大学教育学部紀要、第46巻、教育科学(1995),41-49.
[7] 蟹江幸博、黒木哲徳、中馬悟朗 『数学的概念に対する教師と学生の自己認識について』日本教育工学会・第12回全国大会、金沢大学、1996/Nov.3-4, p.165-166.
[8] 蟹江幸博、黒木哲徳、中馬悟朗 『数学的基礎概念の自己認識に関する調査研究』岐阜大学教育学部研究報告(自然科学)、第20-2巻(1996).
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