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公開討論会2(飛び級・飛び入学について)



内 容
名  前古川昭夫
学籍番号fakio@seg.co.jp
題  名一芸飛び入学より抜本的教育改革を
コメント「一芸飛び入学」より
 抜本的な教育改革を


                        
           SEG数学科講師 古川昭夫

 4月6日付の毎日新聞によれば、「数学や物理で突出した才能を持つ高校2年生に、大学への飛び入学資格を認め、各大学が、推薦などに基づく丁寧な選考方法で行う」ことが中教審で、ほぼ決定したようです。
 また、3月12日付の読売新聞で、千葉大の丸山学長は、「(i)現在の入学試験で入ってくる学生は大学進学の目的をもっておらず、学問への意欲も少ない。(もっと意欲的な生徒をとりたいので)(ii)高校の校長または学会の推薦書をとった高校2・3年生を対象に、特定の1科目のみの3時間の試験と1時間の面接で合否を決める入学制度を作る。」と書かれていらっしゃいます。
 現在、考えられている「一芸飛び入学」の問題点とそれに代わるべき改革案について簡潔に述べさせて頂きます。
仝什澆瞭学試験制度に問題点を感じているのなら、この制度での受験のための勉強が、意欲的で自主的な勉強につながる努力こそがなされるべきです。大学の授業で学生の意欲がないと、生徒の側を一方的に批判するのではなく、大学の教員の側が、授業の内容を自己批判するべきです。学生の興味とレベルにあった授業をすれば、大半の学生は熱心に聞くでしょう。 これらの努力を十分にせずに、「意欲ある学生」をとりたいというのは本末転倒なのではないでしょうか?
 数学あるいは物理の1科目のみの試験によるこの「一芸飛び入学」制度には、多くの疑問があります。
M燭┐蕕譴震簑蠅魏鬚能力と、研究者として、新しい枠組みを作りだす能力は、全く別の能力であり、新しい枠組みを作りだすには、高校程度の数学・物理の能力より、幅広い見識の方が必要なのではないでしょうか?
す眤柑餝覆自動的には授与されないようなので、もし、将来の志望を変更したとき、その時点で、大検を受験し、大学への受験資格をとる必要がある。
ジ什澆痢峭盥酸犬凌学文化」(「大学への数学」や「白浜合宿」等での数学愛好者の交流)は、相当多数の医学部や工学部への進学希望者によって支えられています。そして、その中には途中で数理科学へ志望を変える人もいます。このような現実を無視して、将来数学や物理をやりたい高校生のみを早期選抜すると、結果的に数学好きの高校生が分断されてしまい、かろうじて残っている「高校生の数学文化」を衰退させないででしょうか?。そして、それは、「数学は試験のための暗記科目」との風潮をさらに広げることにならないでしょうか?
私は20年間に、数千人の高校生を教えてきました。また、塾の経営者として、千人以上の講師や事務職員の面接をしてきました。その経験から、1時間程度の面接では、その人の将来性はもちろん、現在の能力ですら、決して判定できないと断言できます。一方、良く出来ても、反体制的な子は学校長の推薦をとれず、飛び入学ができません。また、3時間程度の筆記試験では、容易に予備校は対策をたてることが可能で、結局、促成訓練を受けた生徒のための制度にならないでしょうか?。
 「飛び入学」を行うにしても、 銑Δ里茲Δ併訶世鮟淑に考慮して行うべきです。現在、日本の教育は「いじめ問題」に象徴される深刻な問題を抱えています。これらから目をそらし、「中高一貫教育」と「一芸飛び入学」なる制度改革で教育改革を終了させてはいけません。
 「理系離れ」を止めるには「一芸飛び入学」より、(a)現在の大学の公開講座をさらに発展させ、より幅広く、高校と大学の交流をはかる。 という地道な改革の方が、有効です。そして、(b)大学入試に計算機を持込可とし、計算力以外の構想力をより重視する。だけでも数学教育は、大きく変わるでしょう。究極的には、(c)中学や高校でも、期末試験あるいは資格試験で必要な点数をとれば、出席によらず単位を認める。といった抜本的改革によって、中高生に真の自由を与えるべきです。(多くの中高生は、現在、自由時間が少ないと感じています。)それに、授業への出席が強制的でなくなれば、現場の教師の創意工夫を社会が正当に評価するようにもなり、一石二鳥の改革といえましょう。
●4月5日付の朝日新聞東京版では、私は「飛び入学推進派」と誤解を招く表現となっています(4月8日に訂正が出ました)が、私の考えは上記の様なものです。
(Web http://www.seg.co.jp/fakio/math_ed/970404.htm)
●反論等歓迎いたします。
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日  付Thu Apr 10 02:16:56 1997

内 容
名  前有木 進
学籍番号東京商船大学
題  名古河さんへ
コメントええと、古河さんの掲示板への反応です。ただ反対というわけじゃ
なくてむしろ賛成なのですが。数学会の公式見解に賛成しながらも
大学教育のいいかげんさを批判されたのは同感です。ただまあ、
大学教師もなかなか大変ですよ。古河さんのところはいろいろ
アイデアもあり過去に教育器材の販売実績もあると思いますので、
大学1年の教養教育の、たとえば線形代数などの教科書を
Mathematica notebookを組み込んだinteractive Lecture
Notesなどで半期分つくってpresentationの機器と一緒に販売
したらどうですか?WEBで向こうのをとってきて日本語に書き換える
などという安易な方法でもいいんでしょうが(?)それでも
なかなか時間がない。来年の卒論をそういうテーマでやろうかなあ、
などと思っているくらいなので思うのですが結構うれるかも??
と思いました。いや売れないかな、やっぱり。

それと後半のはなし、出席を強制するな、学校にいかなくとも
試験だけで単位をあたえろ、はちょっと過激かなあと思いました。
ある程度すわっているだけで知識が入ってくるしくみは
必要でしょう。いやなのを無理して座って聞く必要もありませんが
また、すぐわかったといって実はわかってないのも困るし。
個人的なことで申し訳ありませんがお宅で学生時代1年やらせて
いただきましたが下のクラスは考える力をつけるというより
暗記させる方針で教育力の低さにいささか失望した覚えがあります。
まあうえのクラスはちがったのでしょうが。まあそれに
わたしはパターンをはずせ、といって学生をいじめました
からまあいいですが。
しかし下といっても世間的にはうえのほうなわけで、、、
そういうわけでどうも古河さん自体そういう型にはめこんだ
教育からのがれられないのでは? そして入試の採点や
予備校時代の採点のバイトを思い出すと学生に完全な
オリジナルなことを目指させるのはちょっと。だから
これはある程度しょうがないのだと思います。できる子には
個人的に対応してしかもえこひいきにならないようにする
というのが従来の考え方で?これからもそれでいいのでは?

もし試験だけで単位を、というはなしの趣旨が塾が高校の
かわりをするからという意味ならSEGにおいて今度は
古河さんがいっているような登校拒否がおこるのでは?
やはり高校が校則を少し常識的なものにしてもらって
そのうえでここが教育の中心で毎日学校に通う、
というのがいいのじゃないかなあ。学校がすきな子も
多いですよ。予備校が主役もこまるように思います。
いま塾や予備校がうまく教育できているのは基本的に
全員を1日ひきうける義務がないからであるように思います。
まあ要するに昼高校でみんなとちんたら遊んでいるから
夜すこしは勉強しようかという気にもなるわけで。
そうおもいません?もちろんそれだけじゃない雰囲気の
違いも知っていますから完全に高校の先生ばかり弁護して
いるわけでもないですが。ただ数学迷宮がかけるぐらいの
ひとが作るテキストならともかく、そうでなければ皆実力
は似たようなものという気分があります。だからおたがい
助け合って足りないところを補うというのでいいのでは
ないでしょうかねえ。きっとそれは同じ考えなんでしょうけど。

学生のもつ閉塞感があるとするならばむしろ問題は高校や
塾の先生のなかのたのしい研究の世界のはなしを生徒に
できる人材の少なさでこの育成が大事じゃないでしょうか?
(これは大学にも見事にあてはまります。)
さきがわくわくするものなら無理してさきを教えなくても
いいようにも思います。

個人的な経験でいえば高校のとき半わかりでも相対性理論の本は
読みたかったですよ。それが前半の趣旨。
でもほんとにわかるのはやっぱり大学かなあ、と思いました。
それが後半の趣旨です。

ただ強調したいのは応用数理を強調することも大事かと思います。
純粋数学と応用数理の両方の知識をある程度みなもっているべき
でしょう。その幅広さを確保すれば情報科学や医学にいくような
高校生もふくめた数学がすきな学生集団が確保できて分断の恐れ
はないように思います。そしてそのような指導層の薄さもまた、、、

結局基本的には賛成しつつも細かいところでいろいろ反応している
雑文になりました。
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日  付Mon May 5 03:04:01 1997

内 容
名  前古川昭夫
学籍番号SEG
題  名有木進氏の感想についての感想
コメントご感想ありがとうございます。
この掲示版には、他に誰も書き込みがなかったので、
大変不安に思っていました。読んで頂ける方がいて
幸いです。

1 出席を強制するな

とういうのはなぜいけませんか? もちろん、出席
したらそれだけで単位を出す ことには 反対しま
せん。 個人にとって、新たな知識を得られない授業
であるなら、試験だけうけて合格したら単位を出す
べきだという意味です。

2 SEGも下のクラスは暗記させるのが基本方針か?


うちの塾が、理想通りに運営されているかといえば、
必ずしも、そうでないことはいうまでもありません。
しかし、下のクラスは暗記させるのが基本方針というのは
曲解だと思われます。 例えば、高2の微分のテキストで
は、導関数の公式は、1回目の授業ではでてこず、1回目
の授業では、微分の意味だけを教えるようなテキスト
になっています。 いずれにしても、テキストをどう
教えるかについては、他の大手予備校とは違って、各先生
個人に任しています。(従って教授マニュアルも、
教師用のあんちょこも存在しません。) たまたま、一緒に
会話をされた先生の教授力が低かっただけではありませんか?

3 はめ込んだ教育から逃れられないのか?

たしかに、100%生徒からの発想を待っていたら、初等教育
の効率は著しく低下するでしょう。 ですから、”教え込む”
のと”育つのを待つ”バランスをどうとるかが、教育技術だと
思います。これを称して”型どおり”と言われればその通りで
しょうが。

4 学校の評価について

塾の教育がうまくいっているのは、
全員を1日ひきうける義務がないから
というのなら、なおさら、
学校の教育も、全員を1日引き受けなくすれば
うまくいく
ことになるのではありませんか?
どこが「教育の中心」かは生徒が決めることで、
国家が決めることじゃないんじゃありませんか?


5 現在の教育の問題点

塾であれ、学校であれ、教育が成功するには、
「良い人材」が必要だということは全く同感です。
現在の日本の問題点は、
1) 君が代に反対な人は、公立の教師に採用されない。
2) オリジナルな授業をする自由がなくなりつつある。
3) 教育に関する研究成果を正当に評価するシステムがない。
ということだと思います。
大学の教師が、”高校の教師になりたい”というような
システムを作らない限り、教育は決して良くならないでしょう。
その意味で、日本の公教育には未来がないと感じています。

有木さんとは、実は共通点の方が多いのではないかと
思いますが、今回は、あえて相違点をこちらも強調させて
頂きました。 さらに多くの人が論争に加わって頂けるよう
願っています。

#蟹江先生 飛び級と関係なくてすみません。

#有木さん 私の名前は古河ではなく、古川です。
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日  付Thu May 8 23:30:26 1997

内 容
名  前坪川 武弘
学籍番号福井工業高等専門学校
題  名飛び級・飛び入学? 他にすべきことがあるでしょうに
コメント 福井高専で数学を教えています。でも数学科の出身ではありません。
 飛び級・飛び入学が現実になる気配ですが、教育をよくする上でのキーワードになるなんてことはまず考えられないですね。この考え方は大衆教育はどうでもいいから「全国で10名程度の」優秀な子供を育てましょうという意味でしょうね。それを本気で導入しようとしている大学も本音の一つはそれにかこつけての予算獲得にあるのではないですか。中高一貫(一環?)教育もはたして現在の状況にどれだけいい影響を与えるのでしょうか。私は否定的な見方をしています。
 むしろ教育には「手間とお金」がかかることをはっきりさせて思い切った少人数教育への道を探ることが大切ではないでしょうか。子供の数が減ったら教師を減らそうなんていうのは困ったものです。一クラスの人数を数名から十数名にし教員自身の勉強の機会を増やし教えることの評価をしっかりすることが基本です。
 一クラスの人数を減らせば教員が足りなくなるという面も確かにありますから計画性が必要です。ただ学校と名のつく所だけが教育機関ではありません。私は教育関係を2回かわり今3つめです。前回は予備校で教えていました。もちろんそこで担任ももちました。教育にかかわっているのは家庭以外でも実は塾も予備校もたくさんあるのです。結婚のため教師をやめた人もたくさんいますし教える能力と意欲のある人は日本の場合極めて層があついのです。こういう教育に関連した組織や人をうまく教育のシステムの中に組み込めば比較的短期間で落ち着いた教育環境ができるのではないでしょうか。
 少人数の教育の効果なども考えれば、授業は小学校ではほとんど半日にし、中学校も4時ごろまでには宿題も学校ですませてしまう。高校も同じ。ただし勉強したい子供のために図書館・図書室・その他の施設は8時ごろまで使わせる。中学や高校でも授業は一日3から5時間が限度ではないですか。残りは実際にもう少し計算したり実験したり調べ物をするのに各自が使うというのが人間的な勉強の仕方でしょう。
 私は国立の高専にいますから、内部で話をするときには一クラスの定員を減らすというのはすぐに予算の減額と人員削減に結び付けられるので困難な議論だというのはわかります。しかし、小手先の改革ではどうしようもないという思いも広範囲に認識されていることだと思います。能力と財力があれば小学校から大学までのモデル校を造って実践してみたいですね。
 昨年の今ごろ、ブラジルから来た留学生に担任しているクラスで自分の高校生活について語ってもらいました。彼は日本の学生が授業中いねむりをしたり漫画を読んだりするのを自分の属しているクラスで見て「信じられない。学校は勉強をする所でしょう。」「ブラジルでは午後はほとんど授業がなくて夕方までには宿題も終わって夜は遊びます。」といっていました。彼の住んでいた地方がよく整っていたのかもしれませんが、教育の面でも日本は後進国になりつつあるなあと実感しました。先程のべた夕方までには宿題もというのはブラジル教育からの援用です。

 全く違う話ですが、福井にも研究グループがあるのですね。メールアドレスはどこかにありましたか。
端末IPIP-ADDR:130.54.43.91
BROWSER:Mozilla/3.01 [ja] (Macintosh; I; 68K)
日  付Wed May 14 18:18:37 1997

内 容
名  前上村 貴広
学籍番号東京薬科大学生命科学部3年
題  名飛び級ってそんなに特別な事なの
コメント飛び級、確かに今話題になっているのは、数学・物理等に特別な才能がある生徒についてです。ですが、そこまでいかなくとも、例えば大検に15歳で合格したとか、海外の高校(過程)を16で修了したなどはざらにあることです。これらの生徒についても大学入学資格を与えようというのが半年位前に
自民党内で検討されたという報道がありました。
 
 考えて見れば現在の高校の範囲というのはやろうと思えば1年で習得可能なものです。特に、大検生や、帰国生の中にはなぜ高卒資格があるのに、大学受験ができないのという当り前な問いがでてきます

 ここで、いくつか問題にされるのは、必然的に学校に登校する時間が少なくなるのではという問いです。確かに、大幅な飛び級(3学年skipとか)とな
れば、ある期間は通信教育等になるでしょう。しかし、通信教育といってもスクーリング等登校日がある上に、例えばアメリカの場合だったら自分でテーマを決めてレポート等にまとめる、ボランティア活動報告というようなアクティブなカリキュラムが多
多あるわけです。

 第一に机の上だけの勉強(独学)では、ディスカッション等ができないのだから、そのへんは大学等のセミナーに参加するなど各自工夫しています。
(インターネットも議論にはよい場です。)

 以上の様に、飛び級は登校拒否を助長するという議論がありますがそれは、知識詰め込み型のカリキュラムだから可能性があるのであって、例えば、
ディスカッション・ディベートやフィールドワーク等を評価するシステムならば、ただの本の理解・暗記のみの勉強法は生徒としてはとらないわけです。
(すなわち、家で全て学習して高卒資格をとる等)

しかしながら、アメリカでさかんなホームスクリーングを否定するものではなく、大学に入るまで家庭で教育を受けた人間が協調性がないということはまったくありません。(むしろ、周りが大人ばかりである分、しっかりした人間に育っているようです)

 いずれにせよ教育・受験制度(大学改革を含めて)そのものを改革しなければ、あまり飛び級は
意味がありません。(認めないよりはましですが)


以上の様な事で、15・16歳で大学に入るというのは、さほど大騒ぎするほどではないと思います。

___/ 上村 貴広 (Kamimura, Takahiro) ___/

  s957036@educ.ls.toyaku.ac.jp
URL:http://www.toyaku.ac.jp/~s957036/
 CALLSIGN:JH1MMS


端末IPIP-ADDR:202.249.49.12
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日  付Tue May 20 23:57:05 1997

内 容
名  前多賀 由美恵
学籍番号宮城教育大学
題  名心理学的見解から見た飛び級・飛び入学
コメント 心理学的見解から見た飛び級・飛び入学の意見を求めています。
 アメリカでは、飛び入学者向けの精神的ケアが各大学に設置されています。その主な悩みの内容は年齢やプレッシャーによるものです。アメリカよりも年齢主義の日本ではさらなるケアを必要とするでしょう。このことについて皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
端末IPIP-ADDR:160.28.150.17
BROWSER:Mozilla/2.01 (Win95; I)
日  付Thu Jul 24 15:42:51 1997

内 容
名  前汀 圭寿
学籍番号会社役員
題  名飛び級大いに結構
コメント 学年で教えることを全部終わった子供にまだ教えるというのは時間と金の無駄遣い。その子が進級したいというのならさせればいい。早く卒業したいという希望があればさせればいいではないか。これで進学後自分の希望に合わなかった場合はほかに進める。根無し草の心配は消える。学校は勉強を教えるところ。社会的なことは本人が挫折を繰り返しながら覚えればいい。早い子なら15歳か16歳で大学1年生になるほうがいい。なぜ選択の自由を認めることがだめなのか。人の学習能力は人それぞれ。早い子が進んで行けば遅い子はそれだけみっちり先生に習える。やたら先生を増やしても役に立たない。私の近くの小学校では生徒が8時30分に登校してから教室に閉じ込めて、先生は職員会議を開いてる。これで社会性を教えるとはチャンチャラおかしい。
端末IPIP-ADDR:202.247.50.153
BROWSER:Mozilla/2.0 (compatible; MSIE 3.02; Update a; Windows 95)
日  付Sun Dec 7 23:40:35 1997

内 容
名  前久保 恵介
学籍番号予備校講師
題  名感想文です
コメント「確かに、小数の成功例は出るでしょうが、多くは失敗するのです。その失敗する人たちの多くは通常の制度で教育してい
れば、かなりの成功を収める才能を持っているのです。これこそ才能の無駄使いではないでしょうか?
 失敗するとは限らないじゃないかという人のために、推薦入学の話をしましょう。入試制度の多様化のうたい文句で、推
薦入学が実施されるようになり、かなりな年月がたっています。分野によって推薦入試の判定の基準はさまざまですが、数
学に関係する所では、本質的には数学の能力だけしか測っていません。ある大学の調査では4年間で普通に卒業できたのが
3分1程度で、残りは留年しているというのです。理由はやはり、偏った知識にあるようです。通常と違う能力を見て入学
させたのですから、大学内でも違う体制で教育する必要があるのだが、人と予算の面でそれが実現されていないから起こる
矛盾だといえます。」
この部分に大変興味を覚えました。
昨今の推薦重視の傾向の裏には、推薦で合格する学生の多くはより「学校化」され、学校文化により高い適応性を備えているのだという発想もあるのではと思います。
伝聞ですが、とある私立大学では、入学者の成績の追跡調査の結果推薦入学者の方が遙かに学業成績が優秀で、一般試験を行う理由すら見いだせないといった担当者もいたとか。
先生のお書きになった事例は専門性の高い推薦制度の危うさを示す例なのかもしれません。
確かに学びたいものが学べばよいという議論は正論にも見えますが、ことはあまりに複雑で、ある一面だけで判断するのは危険な行為に過ぎません。
飛び旧制度も公立中高一貫校設置も結局はそれらを生き延びたものにしかメリットのない制度といえます。救済措置を完備したものでなければ危険すぎます。
そこを生き延びた学生の業績を横領せんとする横領権力側の意図が見え見えです。
千葉大学の志賀先生をはじめとする反対意見を大変心強く思います。
逆に今年工学部で若干名の飛び級合格者がでましたが、事後のフォローが万全であることを望まずに入られません。
端末IPIP-ADDR:210.132.206.174
BROWSER:Mozilla/4.03 (Macintosh; I; PPC)
日  付Sun Feb 22 07:36:26 1998

内 容
名  前Makoto Ikutam(生田)
学籍番号 ikutam@ops.dti.ne.jp
題  名心理学的見解から見た飛び級・飛び入学
コメント ひょんなことから,TOSM三重の広場に到達しました.

絶版になった専門書を探して, webの科学書系古本屋にたどりついて, そういえば,15年ほど前,数理科学でみかけた, 小野勝次という人の本を,その昔,探していたことを, 急に思い出し,webを検索をしていたら, 検索結果で,目に止まった,という次第です.

公開討論会の,議題に興味が湧いたのですが, 書き込みが古いようなので,メールにしました.

以下は,個人的経験に基づいています.結論から言えば,

1)米国などでは,高等教育を受ける機会もあって, エポックメーキングな仕事をするかもしれない人材なのに, 日本では,その殆どが,高等教育の機会にも恵まれず, 闇に葬り去られているのではないか?
2)日本という社会が,たぶん,欧米社会よりも, 異端者(正規分布の両裾)を受け入れにくい, ということも問題なのですが(それを変えるのは困難), 飛び級(飛び入学)を認め,入試制度を改善することが, ある種の人材を,闇に葬らないためには,必須なのではないか?

ということです.

時系列順で,未整理な書き方ですが,どうかお許しください.

僕は,かなり大きくなってから,親より, 小学校低学年のときにやらされた, 知能テストの結果を,知らされました. 「IQが,かなり高いという結果が出たのですが, 心配しないように.」と,担任の先生に言われたそうです. 実際に,テストのことは,各設問について,終わりの方まで, 問題をこなしたことを,今でも覚えています.

小学校程度の内容では,さして勉強する必要が, なかったのだと思いますが,はたから見れば, さして勉強も努力もしない,ものぐさな,子供と見做されます. 小学校5年生のときに,東京都の作曲コンクールで入賞していますが, 注)実は,親が,何を考えたのか,4月10日の出生を偽って,   3月30日で届けているので(通常とは逆),出生時より,   非公式ですが,1年分,飛び級しています.正確には,4年生. 芸術面でも,能力をもてあましていたような気がします.

小学校に飛び級があって,科学や藝術について, もっと高度な教育を受けられる機会があれば, ものぐさな小学生には,ならなかったかも知れません.但し, (出生時からの)たった1年分の飛び級でも,精神年齢については, クラスメートとのギャップを,いつも感じていましたから, (クラスで流行る遊びについて,1年経ってから,面白いと感じる) 小学生のうちは,飛び級といっても,学級(クラス)はそのままで, 授業だけ別にするといった,工夫が必要ではないかと思います.

中学生になると,数学や物理に興味を持って,特に数学については, 高校の参考書を買ってきて,中学1年生のうちに,高校3年分を, 終わらせてしまいました.その後は,さして勉強もせず,友人に, 「二次関数で区切られる,この面積は?」なんて問題を出して, 「それは,兄貴に聞いたら,積分というやつじゃないと..」 「ばーか,積分なんか使わなくても,こうやれば,中学の数学で..」 といった,「イヤな」中学生をやっていました.

中学2年生にもなると,真空を平面としてとらえて, 素粒子(物質)を,その平面上の窪みとして考え, 相互作用というものを,窪みの重なりとして捉えたり, もう覚えていないこともありますが,色色な視覚的イメージで, 思索に耽っていました.しかし,そういったイメージを, 数学的に取り扱うための教育を,まだ受けていないために, 残念ながら,イメージを,理論に発展させることができません.

その頃(1977年),素粒子的大きさのブラックホール, というものを(独自に)考えていて,数学の先生に, そういったものがあるんじゃないかと言ったら, 一笑に付されたことを,今でも覚えています. この質問が,大学の研究室で発せられたならば, 状況は違っていたのかも知れません.だとすれば,この時点で, 相談する相手については,約10年分程度の, ギャップを生じていることになります.

たぶん,自我の確立ということと関係があるのだと思いますが, この頃になれば,「Universe」というものについて,純粋に, あれこれ思索する能力があるわけです.その中には, 稚拙なイメージもあるかもしれません.しかし,その時までに, 数学的取り扱いのための知識と,適切な質問の相手を準備しておけば, 大なり小なり「既成概念(常識)」という枠にはめられた, 大人たちとは違う,新しい発想を, ある種の子供たちは,発展させられるかもしれません.

様様な視覚的イメージを,数学的に取り扱うための知識とは,何か? それは,IQが,ある程度高いとはいえ,
注)IQが,単純に「知能の尺度」だとは,決して考えていません.
  しかし,常識に囚われず,より,本質的な何かを探し出すための,
  知的能力を反映した数値に(も)なっているということは,
  個人的経験からして,確かではないかと考えています.
  恐らく,処理が速くて的確(IQテストの数値が反映するもの),
  ということは,(えてして,一見,脈絡のない)大量の情報を,
  一度に全体的視野で処理する能力が高い,ということで,
  そのことが,通常の処理では見落とされていた本質的部分を,
  明らかにすることができる能力を,反映するのだと思います.
12歳程度までの子供に,教えることができる内容なのか? この点については,僕の専門は,数学ではないので, 門外漢としての,漠然としたイメージしかありません.
後で,道を誤らせた?要因としても出てきますが, 高校数学までの一般的な教育で,数学的道具立ての, 稚拙な使用方法については,一通り教わるのですが, より本質的な面白い部分については,教えてもらえない, (教師にもよると思いますが)ように感じます. でも,それは,逆(そちらを先に教えるべき)ではないかと思います. 特に,ある種の子供にとっては.

自然数から始めて,数というものを拡張していくと, 交換則その他が成立するのは,複素数までで, それ以上の拡張は,いわゆる数というものに対する, 先験的な感覚(と言っていいのかどうか,少し疑問ですが)を, 失わせていくということや,数の拡張と行列との関係性.

超準解析における,無限小といった概念や,それによる,数の拡張. (中学生のとき,実際に,「無限小」は, 立派な「数」ではないかと,考えていました)

微分ができない関数(は,連続体というものについて, より本質的で深い思索を,促すと思います).

(無限)集合論(可算までだとしても).

そういったことを教わるということは,ある種の子供にとって, イメージをより膨らませ,且つ,興味と共に数学へと結びつけていく, 重要な契機ではないかという気がします. 親は,化学の専門で,子供の教育には, それなりに気を使っていたのだと思いますが,それでも, こういったことを,親に期待するのは,酷で, 教育機関が,何らかの機会を設けるべきではないでしょうか?

高校は,いわゆる公立の進学校というものに, ようやくのことで,入りました. 一歩間違えば,受験に失敗していたと思います.この件は, 後で述べるように,大学受験で,もっと顕著に,表出します.

その頃,今となっては,間違いだったと思うのですが, 「数学や物理学(の発展)は,人間がやらなくても, (後の)計算機がやるようになるから,人間は, 計算機にはできそうもないこと,生物学とか藝術とか, 数式的取り扱いの困難な.別のことをやるべきだ」と考えて, 数学や物理への興味を失います. 結局,先の例のような,面白いことを,まだ教わっていないから, こういう間違った結論になったと思います. 大学に入って,偶然手にした竹内外史の本を読んだとき, 間違えていたと思いました.

そういう訳で,高校では課外活動で,化学部に入り, 生化学の実験をしていました.作曲したり,絵を描いたり, 散文を書いたりも,していました.

共通一次(確か3年目)は,自己採点で650点という, 惨憺たる結果でした.理由ははっきりとしていて,
1)問題文が,言葉が足りなかったり,
  あいまいな表現があったりして,厳密に考えると,
  何を言いたいのかよく解らない(ことがままある).
2)選択肢について,厳密に考えると,どれも正しくない.
  あるいは,複数が正しい(ことがままある).

例えば,良い例ではありませんが,
問)血清アルブミンの機能について正しいのはどれか?
1)浸透圧と酸塩基平衡の調節
2)酸素と二酸化炭素の運搬
3)免疫機能の増強
  等等
といった設問があったとして, 無アルブミン症ラットが,何ら正常と変わりがないことを考えれば, アルブミンに生理学的な機能は無いと言えるかもしれません. 酸塩基平衡が保たれるから,二酸化酸素を運搬できるのであって, だから,酸素の運搬もできると言えるかもしれません.そして, 生物にとってより本質的なことは,酸塩基平衡の調節よりも, 酸素の運搬ということなのかもしれません.そこで,悩んだ挙げ句, 2)を選んだりすれば,恐らく,不正解にされてしまいます.

結局,ある種の子供は,教科書的水準で,物事を考えていないので, 教科書的な解答が期待される設問をされても,戸惑うだけです. 解答を文章で書くことができれば,通常の子供よりも, より深く設問を捉えている事が,採点者に伝わるのですが, 選択肢では,単なる不正解となります.

といっても二次試験の受験資格(だけ)はあるので, 当初の志望では,想定していなかった,物理を,二週間で仕上げ, 「数学・物理・化学」の科目で,東北大を受験しました. 二次試験は,どれも満点に近かったとは思うのですが,当時, 共通一次重視とされていた東北大に,あの点数で, よく受かったものだと思います.この年の物理は, 難問だったそうなので,そういったこと(点差が開いた?)も, あるのかも知れません.

こうして,僕は,たぶん,運よく, 大学以上の高等教育を受ける機会を得たわけですが, 僕と同程度以上の(IQ?の)連中が,日本には, 同一学年毎に,百人程度いたとして,日本の入試制度では, そのうちの何人が,果たして, 大学以上の高等教育を受ける機会を得ることができるのか, 大いに疑問を感じています. 個人的な感覚的数値で,何の根拠もありませんが, 良い先生が,どこの大学に居るか,確率的, 良い先生と,出会えるかどうかも,確率的,ということも含めて, 8割以上が,良質な大学以上の高等教育を受けられずに, 路頭を,彷徨っているのではないかと思います.

修士を終了して,僕は,製薬会社の研究員になりましたが, 協調を重んじ独創を嫌う日本では,IQが高い者にとって, 社会に出ても,あまり良いことはありません.

まとめという訳でもないのですが,ここまで振り返ってみると,

1)小学校に飛び級があって,特に数学については, 大学教養部程度まで,教えてもらえればよかったと思います. 今ならば,e-mailなどもあるので,大学の数学科の先生が, 各各,数名程度の小学生(たぶん,一学年百人なら, 全体でも高高,六百人)を受け持って, 教えるなんていうこともできるのではないかと思います.
2)その上で,中学校では,興味のある各分野について相談できる, 担当の(大学の)先生がいれば良かったと思います. 今ならば,やはり,e-mailなどで,可能ではないかと思います.
3)税金を投資する価値があるのかどうか,ある程度の選択は, 必要だと思いますが,見込みのありそうな子供(の一部)は, 精神年齢や肉体的年齢の遅れが,あまり問題とならなくなる時点で, 大学に進学させてしまっても,良いのではないかと思います.
4)厳密な意味での設問をすることは,文章も長くなり困難です. 1+1は,いくつか? なんていう,厳密で,一見,何の変哲も無さそうな設問でも, ある種の子供には,とてつもなく大きな混乱を招きます. 1+1=2,というのは,色色な意味で,極めて高度に, 抽象化された概念です.経済活動の基盤としては成立しても, 自然界では,成立しないかもしれません.
「1」は,二つあるのか,二つの「1」を考えることに, 意味はあるのか? と全体論的(量子論的)思考をする子供には, 数式そのものに,意味があるとは考えられないかも知れません. 世の中に同じリンゴなんか無いと考えている子供にとって, 右辺と左辺のリンゴが,=なのかどうか,甚だ疑問かもしれません. 二つの水素原子の,原子核が,同じなのかどうかということさえ, もしかすると,ある種の抽象的空間では, 1つの同じものなのではないかと,そういった子供は, 甚だ疑問に思っているかもしれません. 設問の不備は,書かれた解答の内容を調べることで, 補う必要があります. 選択肢問題は,教科書的思考のできない子供, つまり,正規分布の両裾を,等しく切り捨てます.

追記
どこの親も,子供に,1+1=2, ということを,教えるのかもしれません.しかし,僕は, 3歳になった娘に,それを教える,という行為をためらっています. 経済活動をしない動物にとっても,果たして,当たり前のように, 1+1=2なのかどうか, 数学の発祥が,経済活動にあるとすれば,我我の数学的思考は, その時点で,何か足枷をはめられているのではないか, そんなことで,悩んでしまいます.

以上です.
日  付01 October 1999
コメント長く掲示板の書き込みが出来なくなっていることに気付いていませんでした。この書き込みはメールできたものです。力作なのでここに転載しました。 掲示板の書き込みについては,もう少しお待ち下さい.