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『文明開化の数学と物理』 まえがき


 現在、日本の数学と物理学の研究は世界的な水準にある。 すでに何人もの日本人が、国際的な最高ランクの賞である、ノーベル物理学賞や、国際数学者連合が授与するフィールズ賞を受賞しているというだけではない。 日本の学界である日本数学会や日本物理学会の会員はそれぞれ約五千人と約二万人であり、多くの成果を生み出し続けている。そして日本で認められる(学問的)業績は、何の留保もなくそのまま国際的にも承認を受ける。 しかし、江戸時代には現在の意味での学問研究は存在しなかった。 明治維新が起き、近代化は文明開化という名で、西洋文明の受容によって行われるようになり、しだいにその基盤が整備され、そこに学問研究も行われるようになっていく。 明治時代に大学に学び,世界に通用する数学や物理学の研究が日本人にできるものかと真剣に悩んだ人たちがいたことはもう夢物語である. 世界の水準に追いつくまでには幾多の曲折があったが、 第二次大戦後には、湯川秀樹がノーベル賞を授賞し、小平邦彦がフィールズ賞を授賞するようになるまでに成長していく。 本書は、その生い立ちの記である。
 本書を書くに当たって正確な事実に基づくように努めた。 ただ、例えば、数学という言葉ですら、現在の意味で使われるようになったのは、明治期の東京数学会社の訳語会の議論の後であり、それ以前には異なった語感を持っていたのである。 本書は学問史の研究書ではなく、それを目指したわけでもないので、すべてを一次資料に当たる余裕は取れなかった。 だから,数人の人物を取り上げて,その人の視点で見た数学・物理の有り様を述べることにした。 歴史のその状況に置かれて、数学者なら、物理学者ならどう振る舞うか、またどう振る舞うことができたかということを考えてみたかったのである。 それはむしろ、西洋科学の基本にある数学と物理学の、日本における生い立ちにまつわる御伽話と思ってもらったほうがよいかもしれない。
 「現在は過去の時間との共存である」
 本書の執筆は、話題の連続性を重視して、数学を主とする部分と物理学を主とする部分に分けることにした. プロローグと三章までを蟹江が、四章以降とエピローグを並木が執筆し、最後に少しだけ調整を行った. 同じ事実が、異なる立場からは別のものに見えることもある。現在のそれぞれの立場が過去の出来事を見る視点を決める。それもまた面白い。重複や矛盾に見えることも、敢えて整理・統合することは行わなかった。




 本書を実際に手にとった読者は変に思うかもしれない。これは、僕が書いた前書きであり、本書の実際のまえがきではない。それはもともと僕の分担であった。しかし、ある事情でそれを並木氏に分担していただくことになった。
 9月半ばになって、本書の発行日時が11月6日に決まり、本書に岩波科学ライブラリー150巻目という番号が振られ、ライブラリーのキャンペーンをするので、一切期日の延長はできないと編集者から強い要請があった。  その時点で、第3章はまだ3分の1ほどしか原稿が出来ておらず、さらに他の部分は大幅に分量を超えていた。書物の印刷の都合上総ページ数は2のべきでないといけないものらしい。この場合は128ページである。表紙や目次、奥付きや宣伝のページを入れると本文は120ページ。これを二人で半分にし、60ページずつである。
 しかも、9月に東工大で数学会があって、そこで編集会議をしたのだが、僕が作ったものよりなぜか大幅にページ数が多い。よく見ると、1ページの行数が2行少ないのである。確かにその方が目に優しいのでよいのであろうが、内容が納まらない。前史としての和算、特に内田五観を調べていると、書くべきことが多くなり過ぎていた。 関流の系譜には納得の行かないところがあり、それを調べているうちに何とか自分なりに納得できるストーリーを作ることができた。それを圧縮して書いた原稿になっていた。が、上の事情で、予定枚数の倍くらいになっており、まだ第3章は書いてないのも同じ。 増ページは、時間の制約もあって難しい。どうしたらよいか頭を抱えることになった。
 科学ライブラリーの体裁からいって、増ページは好ましくない。となれば、こちらで処理するしかない。並木氏とは初めて協同作業をするということもあるが、数学と物理で半分ずつという建前は動かしづらいものがあり、ページ数を譲ってくれるように依頼することも難しい。彼の方も何ページか圧縮するように言われているのを目の当たりにするにつけ。
 で、涙を飲んで大鉈を振るった。和算については内田五観の視点に限定することにした。 それでも、データを最大限刈り込む必要がある。
 だから中国の算家も、マテオリッチらの宣教師も、日本の律令の話も前田利家の算盤もすべてカットである。 太閤もなければ江戸幕府の成り立ちから和算が生まれた背景も、キリスト教禁教が与えた影響も、その克服が結局は明治初年までかかったことも、それが内田の行動の大きな制約だったこともすべてカットである。関孝和の青春と挫折に付いても、その継承で歪められた人間像についても述べることは止めた。まあ、それは止めたほうがよかったかもしれない。一家言ある諸方から大声で非難が浴びせられた可能性がある。
 並木氏とは、数学と物理で1冊ずつ書かせてもらえたらよかったのにね、と言い合ったものである。
 そんな愚痴を言っていてもなんともならない。長いものに巻かれなければいけないときもある。もともと科学ライブラリーの体裁から1ページに入る文章量は多くない。原稿が出来れば何割かくらいは増えても何とかしてもらえるだろうと、高を括っていたこちらも悪い。
 その後、行数だけは元々の行数に戻してもらった。TeXで原稿を書いているが、行数と1行の語数については確認をしてから、作業に入っていたので、まあ、それくらいは認めてもらえたわけである。が、ページ数は何ともならない。せめて、まえがきを僕の分担ページ数に入れないで貰うために、並木氏にまえがきをお願いすることにしたのである。「どんな風に書き直しても一切文句は言いませんから」。並木氏は紳士であった。ノーベル賞受賞のニュースは本書の売れ行きに貢献するだろうから、書き込むことに依存はない。僕がまだ分担であっても書きなおしたろう。書き込むことで生じるトーンを修正して、データを変更したという程度に納めていただいた。彼の分担というより共著という感じになっている。有り難いと言ったりすれば、好きなように書き直しただけですよと、にこやかに応えが帰ってくるだろう。
 ここに、そのまえがきを掲載せずに、僕の元の原稿を掲載したのは、それを残しておきたいというような気持ちからではない。まえがき自体のクレジットは彼にあることを尊重しただけである。まえがきは本書を手にとってお読みください。  
 


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