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『数の体系ー解析の基礎』 訳者あとがき


  第2次大戦後の日本の復興と目覚ましい経済成長を支えたものは,大学初年級までのしっかりした教育,特に理科系学生に向けての微積分の教育だったような気がしている. もちろん,微積分で培う技術や応用力もさることながら,大学に入ったばかりに出会った微積分の基礎としての実数論と,それを支える論理の運用の様子を肌で感じることが,社会に出てからの問題解決へのヒントや心理的な支えになったのではないだろうか. 詳細は熟知しなくても,あれほどの強固な基礎の上に微積分という強力な技術があり,理学・工学・経済学の基礎にあると思えることが,それぞれの仕事への自信を支えていたのだろう.

  もう何年にもなるが,ほぼ大学全入の時代が来て,すべての学生にそれ程の知的成熟度を求めることが難しくなり,微積分の教科書,特に応用系の微積分の教科書から実数論の部分が縮小したり消えたりしている. 教育は,もちろん知識の伝達は重要であるが,そういう知識を作り上げていくプロセスを(擬似)体験させ,その後人生で何かを作り上げて行く際の支えとなる雛形を持たせることが重要である. 陶工や刀工,また能・歌舞伎などの高度な技術・技能は,口で教える(テキストによるものといえる)よりも,背中で教えるものであり,技は盗むものだというような言い方がされることもある. それらは個々の技術よりも,技術を成り立たせている心構えのほうが重要であるという認識だったのではないだろうか.

  ランダウのこの書本来の意義は著者の序文を見てもらえばわかるし,付け加えることはない. 当時のドイツでもこのようなガチガチの実数論を教えることにはいろんな意見があったが,賛否両論がありうることが,またこのような著作がされるような状況の盛り上がりが,近代ドイツの成長発展を支えたのではないだろうか.

  現行の大学教育の中で微積分の基礎としての実数論がますます軽視されていく状況の中で,今ランダウのこの書が出版される意義は何なのだろうか.

  物理を志して大学に入った訳者が数学に転向したのは,春4月吉田山の麓のおんぼろ校舎の中で聞いた実数論の衝撃だったような気がしている. デデキントの『数について』を文庫の手軽さで手にすることができたこと, ここまで身を削るように思索することができること知った衝撃,そして自分でもそれが(追)体験できることの喜び. それらが訳者の心に深く刻みつけられたのだと,今にして思うのである.

  それは単に数学者の趣味やこだわりというだけのものではない. 天体,特に惑星の運動を厳密に理解するためにニュートンが創案した微分と微分方程式は,古代からの積分論に対応する長い努力と結びつき,多くの現象を解明した. オイラーがさらにそれらを発展させ,広大な領域の応用へと導いた. さらに,微積分で扱える対象が,流体,熱,電磁現象に広がっていったとき,基礎の反省が必要となった. 常微分方程式ではそれほどに深刻に感じられなかった解の存在と一意性の問題が,偏微分方程式では深刻な問題になる. 理論的にも応用面でも近似列に極限があるかということが根本的な問題で,それを一言で言えば,種々の完備性の問題になる.

  大学初年級の実数論の目的は完備な実数体を作ることであり,厳密をうたう教科書群も多くはそこに主眼をおき,有理数から始めている. 本書はさらに根本的に,自然数論から始めている. ルーティンな作業も多いが,それなりに心いくまで厳密に構成しようと思えば,これだけの分量になる. 大学で微積分を講義したことのある世界中の何万何十万という数学者が,誰しも一度はやろうと試みただろうことである. 本書でそれが実現されていることを知っているから,以降の数学者が教科書を書くとき,どの部分を強調するか軽く扱うかというだけで,執筆の最初の心構えが決まる. 本書はそのような位置づけを持っている.

  興味のある読者は,通読すればよい. すべての推論がそれ以前の定理を受けているから,繁雑すぎるのであえて引用されていなくても,探せば引用すべき定理が見つかる. 探してみるのも,宝探しの気分が味わえて,面白いと思う人もいるだろう.

  個々の議論に興味が無い読者も,パラパラと眺めてみるとよい. ここまでの基礎があって微積分は成り立っていると感じられたら,自分の分野の微積分を使った議論を信頼することができるようになるだろう. それだけで十分本書を手元に置く価値はある.

  2013年師走

蟹江 幸博



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