Translator's Preface to Lines and Curves MyBooksのホーム
モスクワの数学ひろば第2巻:幾何篇 面積・体積・トポロジー

『モスクワの数学ひろば第2巻:幾何篇 面積・体積・トポロジー』
訳者まえがき




 この巻には
● B.P.ゲイドマン『多角形の面積』 (2001年出版,「数学啓蒙」文庫シリ−ズ9巻)
● I.K.サビトフ『多面体の体積』(2002年出版,「数学啓蒙」文庫シリ−ズ21巻)
● S.G.スミルノフ『閉曲面を巡って』(2003年出版,「数学啓蒙」文庫シリ−ズ27巻)
の3冊を訳出しました.
  ユークリッドの平面幾何,空間幾何,閉曲面の位相幾何(トポロジー)と話題は少しずつ違いますし,取り扱い方も違っています. 独立して読むこともできますし,3冊をまとめて読んでも,またそのときどんな順序で読んでも構いません.
  前の2つは,長さ,角度,面積など測ることができるものが活躍する幾何学で,3番目は延ばしたり縮めたり裏返したりしてみても変わらない図形の性質を調べる幾何学です. 19世紀の末にF.クラインが有名なエルランゲン・プログラムにおいて,それまでに多岐にわたって発展してきた幾何学を変換群を使って分類しました. このシリーズの代数の巻でも変換群が大いに活躍していますが,変換が図形に対して作用していれば幾何学,多項式などの代数的対象に作用すれば代数学,解析関数などに作用すれば解析学と,現代数学の色々な局面で変換群は出てきます. そしてその時大切なのは,その変換群で何が不変に保たれるのかということです. つまり,不変量は何かということが大切なのです.
  ユークリッド幾何なら,ユークリッドの運動群や合同変換群という変換群が作用します. 平面の場合,不変量は線分や曲線の長さ,直線の交わりの大きさを表わす角度,平面領域の大きさを表わす面積ということになります. 空間の場合なら,さらに空間領域の大きさを表わす体積,平面の交わりの大きさを表わす2面角,頂点のまわりの立体角,面積や長さということになります.%向き付けを考えると,体積の値も負になることができるのです. 位相変換群を考える第3冊では,長さも角度も面積も保たれません. どんな不変量があるのでしょうか? 読み出す前に少し想像してみて下さい.
  よく数学の本の読み方として,紙と鉛筆を用意して,書いてあることをまとめたり,概念図を描いたり,問題を解いたりしながら読み進みなさいという忠告が本に載っていたりします. 確かにそうするのが一番よいのですが,そこまでしなければならないと身構えると,読み進む意欲を削がれてしまうかもしれません. それよりもまず,ともかく読んで欲しいと思います. 読んでみて気に入ったら,上のようにして読んでみるのもいいでしょう. でもやはり漫然と読むのではなく,読書感想文を書くくらいのつもりで読んでみて下さい. そうすればきっと,数学の本を読むことが,無味乾燥なものでないことに気がついてもらえるのではないでしょうか.
では,それぞれについて,少し述べておきましょう.

B.P.ゲイドマン『多角形の面積』

 ユークリッド平面幾何だけで,ここまでのことができるのかと本当に感心してしまいました. コクのある名品と言ってもよいと思います.
  三角形の辺の長さと角と面積などの間の関係には,正弦定理や余弦定理を使うと,後は式の変形だけでできてしまうものもありますが,ここではジッと我慢して,使わずに済ますように頑張って下さい. 多少はゴツゴツでも,温もりのある手作りの木の家具に触れているような気持ちになるでしょう.
  問題を読むときには,何よりもまず,自分で図を描いてみてください. 解答には問題が理解しやすいような図が描いてありますが,わざと少し先の方に描いてあることがあります. 読者が自分で描く前にその図が目に入ってしまうようなときには,何かで隠して見ないようにした方がよいでしょう. 最初のうち,その図と同じようにはならないかもしれませんが,何度もやっているうちに大体は同じような図が描けるようになってくるでしょう. そうしたら,解答を見ないで解いてみてください. すぐに出来たらそれでもいいし,すぐにできなくても構いません. しばらく考えて分からなかったら,一旦別の問題に移って,また戻って考えればいいのです. そういうときにはそれだけ長く楽しめて嬉しいと思えばよいのです.そう思えるようになればしめたものです.
  実は,最後の節の宿題の解答を考えていたとき,1つの問題に1週間以上も掛かったことがあります. 本当に楽しめる1冊です.

I.K.サビトフ『多面体の体積』

  この分冊の原著のスタイルはとても独特なものでした. 章立てはしてないのですが,その代わり一続きの文章の中にある字句が太字になって,中央に置かれ,その上下に1行分の空白があるという形になっています. 太字の字句が章のタイトルに当たるわけです. 小冊子だからこそ可能なしゃれた作りになっているのですが, 日本語の文章として同じことをしてみると,見た感じがとても妙なものになります. また,シリーズ全体で章立てのスタイルは一定にしたいということから,今ある形になっています. つまり,章のタイトルを含む文章の全体を,章の始まる前か後かに一続きの文章にしておき,番号を振った章のタイトルを別に用意してあります.
  さて内容ですが,最初に登場するのはヘロンの公式です. 3辺合同定理によって,三角形は3辺の長さ $a,b,c$ が与えられれば一意的に決まるのですから,当然面積も決まり,面積は $a,b,c$ で表されるべきだというのが,ヘロンの公式のココロでした. 4角形以上ではそういう公式はあり得ません. だって,すべての辺が1の4角形は,正方形のときが面積最大で1ですが,後はパンタグラフのように縮まって,いくらでも小さな面積の菱形が得られます.
  では,最も簡単な多面体である4面体の場合はどうでしょう. 三角形である面の数が4で,稜の数が6です.6つの稜の長さを与えると,(存在するなら)4面体は決まってしまいます. だったら,4面体の体積を与える6変数の公式がある筈です. 実はそれがあるのです. あの有名なタルターリアが初めて出版物の中で公表し証明を与えましたが,公式自体の存在はそれ以前から知られていたようです. タルターリアの公式の証明が最初のトピックスです. また,4面体の頂点が一般の位置にある場合にも成り立つ形の公式がオイラーによって与えられ,証明されています. その証明もここでしてあります.
  面の形が三角形でないなら,当然この種の公式はあり得ないのですから, 三角形分割をすることによって,すべての面を三角形であるとしてみましょう. そのとき,体積を与える公式があるでしょうか?  体積 $V$ を稜の長さから四則演算と根号を使って表わすことを諦め,少し見方を変えてみます. $V^2$ が満たす代数方程式で,その係数が稜の長さから定まるものでよいとするのです. そういう方程式の存在することが最近発見されました. 4面体のときは $V^2$ の表示があるのですから,$V^2$ の1次方程式ですが,8面体の場合には $V^2$ の8次方程式になります. しかし,それ以上面の数が増えると,急速に次数が大きくなり,一般の場合にはとても大きくなってしまいます.次数を下げる努力はされていますが,実は何次でもいいからともかく代数方程式があるということが重要なのです. 著者は発見者の一人であり,この間の(数学的な)事情が生き生きと描かれています.
  もう1つの話題は,三角形だけを面とする多面体が,その面の形を変えないまま連続的に変形するという,まったく常識と反する現象が扱われています. そのことが可能な多面体を,折り曲げ可能ということにします. いくら常識が過去の知識による偏見だとは言っても,とてもこれは信じられないでしょう. しかし安心してください. 皆さんが思っておられるように多面体が凸多面体のことであるのなら,そういうことは起こりません.だから体積も求まります. そのことは18世紀に証明もされていて,コーシーの剛性定理と呼ばれています.
  ですから,凸でない多面体を考えるのです. ここでは,凸でない折り曲げ可能な8面体の具体的な作り方も書いてあります. そして,実際に動いているアニメーションがインターネットの著者のホームページにあるのです. こういう多面体は,アコーディオンのような蛇腹の構造があるものです. アコーディオンというものは,表面の形は変わらないが,体積(容積)は変わるようです. 何となく不思議ですね. これを単純化した,鍛冶屋の使うふいごは風を送るか?という問題が考えられました. 実際にふいごは風を送っているのですから,何が問題なのか分かりにくいかもしれません.
  ふいごの表面を,折り曲げ可能多面体で表現することができたとします. すると,とても不思議なことが起こるのです. 形を変えることができるといっても,面の形が変わらないのですから,特に稜の長さも変わりません. ですから,この多面体の体積はある代数方程式を満たします.ということは, 体積の値の候補は有限個しかないのです. 形が変わるというのは,連続的に変形されるということで,だから,体積の値は変わることができないわけです. つまり,折り曲げ可能多面体は変形の途中で体積が変わらないのだから,ふいごは風を送らないことになります. 何がいけなかったのでしょう. もちろん,実際のふいごを動かすときには,その表面は変形しているということなのです.
  自然現象の数学モデルを作るのは慎重にしなければいけません.

S.G.スミルノフ『閉曲面を巡って』

  図と節に名前が付いていなかったので,見やすくするために訳者が名前をつけました.
  現代数学のさまざまな基本的な概念が,まったく定義されずに,あたかも周知の事実のように語られていますが, 短い時間で古代から20世紀半ばまでの曲面の数学を語っているのですから,昔話でも聞くように(というか,まさに数学的な昔話なのですが),分からない言葉が出てきても気にしないで読み進んでください. とは言っても,気になって一歩も先に進めないという気持ちになる読者もあるでしょうから,そのような場所には簡単な説明を脚註として補充してあります. 気にならない読者は,脚註を読む必要はありません.
  何度も繰り返して読むことをお勧めしますが,2度目や3度目に読むときには,脚註にも目を通してみて,さらにちゃんとしたことを知りたいということであれば,巻末の「続けて勉強する人のために」で紹介してある本を手にとって勉強して下さい.
  厳密な証明は余りありませんが,十分納得のいく解説があります. ああ,そんなものか,と気軽に読んでもらったほうがいいでしょう.
  読者に証明するようにという指示のあることがありますが,自分に納得できるだけの説明を考えてみるという気持ちでトライしてください. 厳密に示すことが易しくない場合でも,あれこれ考えて見ることは楽しいし,役に立ちます. 何度か繰り返すうちに納得の度合いや姿が変わっていくのが感じられるようになれば,それが数学を楽しむということだと分かってもらえるでしょう.

蟹江幸博