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『解析教程』 訳者序文



 本書の話を上野健爾さんに聞いたのは、1996年春の日本数学会の年会(新潟大学)でのことでした。 志賀浩二さんからそのうち話があるから、という降って湧いたような話でした。 実はその前年の2月にこの2人の提案で、数学の教育の在り方についてのワークショップが熱海であり、参加した20人あまりの数学者はそれぞれに課題を持つことになったのです。 僕は、日本の理科系基礎教育を受けた者が持つべき最低限の常識と見識を培うことのできる、しかも1年で講義することのできる教科書を、ある友人と2人で書くという無謀な課題を自らに課したのです。
 1年経ってもまだ課題に程遠い僕に、この2人の先達は本書で修行するようにと、この翻訳の仕事を振り向けてくれたのだと思います。 学会の会場に数学書を販売する本屋さんのブースがあるのですが、そこで1冊だけ残っていた原書を拾い読みして、日本の数学文化に欠けていたもの、僕らの課題では埋まらない実質を、本書は日本の数学に与えてくれるものだと思いました。
 本書の素晴らしさは語り尽くせません。 一言で言うなら、西洋数学の伝統の真ん中で、著者たちが毎年改訂を重ねながら、30年掛けて育て上げてきた数学の樹です。
 数学の多くの概念の誕生と成長に立ち合うような臨場感を味わえます。 ラテン語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、オランダ語、英語で、創造者たちが、まるで旧知の知人のように語りかけます(もちろん、すべて日本語になっています)。 本書の中に豊富に出てくる図の多くは、著者たちが計算機を使って作ったもので、実に面白い。本当に楽しんで図を作っているようです。 例えば、下巻第IV章の図2.4は「ワナーの馬」と呼んでもいいオリジナリティーを感じます。 演習問題がまた面白い。解答をつけながら、思わず「オイラーは偉い」と唸ったこともあります。問題のための問題でなく、数学が成長していく様を追体験できるような問題が多い。それでいて、すべて解けば、間違いなくどこの大学院でも入学できそうな実力がつきます。
 本書の中の至る所にジョークが隠れており、 それをジョークだと気がつかず、何ヶ月も悩んだこともありました。 筆力がないせいで、無粋な訳註を沢山付けてしまいました。 時間があれば、さり気ないジョークにできたらよかったのですが。
 本書は1996年1月出版の第1刷に細やかな改良が加わった第2刷用の原稿に基づいています。 新しい図が入って見やすくなったり、日本語訳のことを承知してかどうか、π の計算に関する日本人の業績が挿入されたほかにも、細かい修正がされています。
 訳していて不明な箇所は、できるかぎり著者と電子メールで連絡を取り、訳者の独り合点にならないよう努力しましたが、なお多くの間違いや勘違いがあることでしょう。 誤りがあれば、再版の際に訂正していきたいと思っています。 訳者のホームページ(奥付参照)には出版後見つかった修正箇所をはじめ補完情報を掲載するつもりです。なお、著者のホームページ(奥付参照)もありますので、ぜひご覧下さい。
 翻訳原稿を作るにあたり、オランダ人のM.S.ダイクハウゼン氏(神戸大学)と 三重大学の桑原直巳氏にはラテン語の訳出を助けていただきました。三重大学の上垣渉氏、奥貞二氏(非常勤)、松田毅氏(神戸大学)にはライプニッツの論文の邦題のつけ方でお世話になりました。 杉浦光夫氏(津田塾大学)には数学史上の概念をいくつか教えて頂きました。 演習問題の解答に悩んでいたとき出会った、伊吹和彦氏(神戸商大)、上野健爾氏(京都大学)、向井茂氏(名古屋大学)、大島利雄氏(東京大学)にはご迷惑をお掛けしました。 文献の調査では名古屋大学数学図書室の谷川澄子氏に大変お世話になりました。 著者と旧知の三井斌友氏(名古屋大学)には、著者へのメールを出す勇気をいただきました。 丸林哲也、西岡孝昭両氏には原稿の誤植を幾つか指摘して頂きました。 鳥羽高専の佐波学氏にはすべての原稿を読み、解答をチェックしていただいた。この方々がいなければ、この短期間に翻訳は完成していなかったことでしょう。 皆様に厚くお礼申し上げます。

1997年8月末日                 蟹江 幸博


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 例によって、ページ数の制限で圧縮される前の訳者序文の原稿を以下に挙げておく。 推敲をあまり経ていないので、あまり良い文章ではないが、裏の事情が少し分かって、面白いと思う人もあるかもしれない。 と言って、これをもう一度推敲する気にもならない。気になる点があるかもしれないが、読み返す気にもなれないし、そのまま載せておく。 だから、マニアだけ読むこと。引用してはいけない。
 日本語版への著者の序文にある出版予定の通り、オイラーの『入門』の250年を記念した1998年の出版だったらきっと素晴らしい本ができたでしょう。 本書の翻訳を引き受けたときに知っていたなら、1997年9月に出版したいというシュプリンガー東京の強い圧力を撥ね返すことが出来たでしょうに。
 出版予定の話はもちろん彼らのジョークです。 本書の中にも至る所にジョークが散りばめられています。 しかし、翻訳していてジョークだと気づかず、何ヶ月も悩んだことがありました。 訳者に筆力がないせいで、ジョークのままに訳すことできず、無粋な訳註を沢山付けてしまいました。 もっと時間があれば、さり気ないジョークにできたかも知れないのですが。
 本書を訳す話があると上野健爾さんに聞いたのは、1996年春の日本数学会の年会(新潟大学で)のことでした。 志賀浩二さんからそのうち話があるからという降って湧いたような話でした。 実はその前年の2月にこの二人の提案で20人あまりの数学者が集まって、数学の教育の在り方についてのシンポジウムが熱海であり、それぞれ自分に課題を持つことになったのです。 僕はある友人と二人で、日本の理科系基礎教育を受けた者が持つべき最低限の常識と見識を培うことのできる、しかも1年で講義することのできる教科書を書くという無謀な課題を自らに課したのです。
 そのことをまだ実現できないでいる僕に、この二人の先達はこの本で修行するようにと、この翻訳の仕事を振り向けてくれたのだと思いました。 学会の会場に数学書を販売する本屋さんのブースがあるのですが、そこで1冊だけ残っていた原書を拾い読みして、日本の数学文化に欠けていたものであり、僕らの課題では埋まらない実質を日本の数学に与えてくれるものと思いました。
 本書の素晴らしさを語り尽くすことはできません。 一言で言うなら、西洋数学の伝統の真ん中で、毎年改訂を重ねながら、30年掛けて著者たちの育て上げてきた数学の樹です。
 数学の多くの概念の誕生と成長に立ち合うような臨場感を味わえます。 原著ではラテン語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、オランダ語、英語で、創造者たちが、まるで先日出会った知人のように語りかけます(勿論、すべて日本語になっています)。 本書の中に豊富に出てくる図の多くは、著者たちが計算機を使って作ったもので、多様で興味深いものが多い。本当に楽しんで図を作っているようです。 例えば、図IV.2.4は「ワナーの馬」と呼んでもいいオリジナリティーを感じます。 演習問題がまた面白い。解答を付けながら、思わず「オイラーは偉い」と唸ったこともあります。問題のための問題でなく、数学が成長していく様を追体験できるような問題が多い。それでいて、すべて解けば、間違いなくどこの大学院でも入学できそうな実力がつきます。
 本書は著者の用意した第2刷の原稿に基づいている。 新しい図が入って見やすくなったり、日本語訳のことを承知してかどうか、$\pi$ の計算に関する日本人の業績が挿入されたほかにも、細かい修正がなされている。
 著者たちの準備期間の長さに比べ、訳者の掛けた時間はあまりにも少なく、多くの間違いや勘違いが紛れ込んでいるに違いない。 運よく読者に受入れられ、増刷・改版することができたなら、その都度誤りは訂正していきたいと思っています。 しかし、それまでの間は訳者のホームページ中の、本書に関するページをご覧ください。 また、掲示板も作りますので、御意見や間違いの指摘を書き込んで下さい。もちろん直接電子メールや、郵便でも結構です。
 著者たちのホームページも紹介しておきましょう。ハイラーさんは http://www.unige.ch/math/folks/hairer で、ワナーさんは http://www.unige.ch/math/folks/wannerです。 本書に載せられなかった彼らの写真もあります。
 やせ我慢を張っていて著者に連絡を取るのを遅らせていたのですが、1997年の7月に入って著者を電子メールで連絡を取り合い、訳者の独り合点の多くが修正されました。あるときはメールを出してから、事務室でお茶を飲んで部屋に帰ったら返事のメールが来ていたこともありました。
 お世話になった方を以下に挙げて感謝します。 ラテン語で悩んでいたとき神のようにも思えた、さまよえるオランダ人のダイクハウゼン君(神戸大学助教授)、他にもラテン語では三重大学の桑原さん、ライプニッツの論文のタイトルについては三重大学の上垣さん、奥さん(非常勤)、神戸大学の松田さんのお世話になった。 数学史上の概念をいくつか、杉浦光夫氏(津田塾大学)に教えていただいた。 演習問題の解答では、伊吹和彦(神戸商大)、上野健爾(京都大学)、向井茂(名古屋大)、大島利雄(東京大学)の各氏に助けていただいた。 文献の調査では名古屋大学数学図書室の谷川澄子さんには大変お世話になった。 著者と旧知の三井斌友氏には、著者へのメールを出す勇気をいただいた。 丸林哲也、西岡孝昭両氏には翻訳原稿の幾つかの誤植を指摘していただいた。 鳥羽高専の佐波学君にはすべての原稿を読み、解答をチェックしていただいた。彼がいなければ、この短期間に翻訳は完成していなかっただろう。
 編集の平地豊さんにも世話になった。 本が編集者とのキャッチボールで作り上げられるということを初めて体験した。 用語の説明の長い脚注の殆どは、彼のもの言いに対する抵抗の跡である。 「日本語にしないと分からない人が多いのでは?」と言われると、気の弱い訳者は「カタカナでない方が日本語らしいわけではない」と納得させる自信がない。それで過剰防衛気味に脚注を書く。何人かの読者がそれを楽しんでくれたら、それで嬉しいと思っている。

1997年8月                     蟹江 幸博