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『代数学とは何か』 著者まえがき



  本書の目的は,代数を,その基本概念と主な分野について,一般的に概観することである. しかし,それをするために,どんな言葉で表わせばよいのだろう?  「数学は何を研究するのか?」という質問に,「何かしらの関係」または「構造」が「与えられた集合」と答えたとしても,受け入れてもらえるとは思えない. つまり,何らかの関係または構造が与えられた,考え得る集合の連続体の中で, 数学者を本当に惹きつけるのは,非常に小さくばらばらに存在する部分集合だけであって, 質問が意味するのは,非結晶質の大きな塊の中に点在するこの消えてしまうほど小さな部分の特別な価値が何なのかを理解することだと言えるだろう. 同じように,数学概念の意味は,定義の形式性に込められているというものではない. 数学者にとって,基本的な実例(普通あまり沢山あるわけではないが)とは,概念の動機付けや実質的な定義であり,と同時に概念の「意味」そのものである.それらがもたらすものは少なくない(むしろ多いと言える).
  どんな現象であろうと,何ほどかの個別性を持っているなら,それを一般的な性質で特徴付けようとすれば,おそらくは同じような困難が起こるだろう. たとえば,ドイツ人とかフランス人の「定義」を与えるなど無意味なことで,できることは,彼らの歴史とか生活のスタイルとかを述べることだけである. 同じように,ある1人の人間を「定義」することも不可能であって,できることはその人の「パスポートのデータ」を与えるとか,外観や性格,または伝記的な事項のうちの代表的なものをいくつか物語ることぐらいしかない. 本書の中で代数に対して行おうとしていることはこういうことである. それゆえ,本書では,公理論的で論理的な記述が描写的なスタイルと隣り合うことになり, 鍵になる例や,数学の他の分野や自然科学と代数学との間の接点を綿密に述べている. ここでの素材の選択は,もちろん著者の個人的な意見や好みに強い影響を受けている.
 読者として著者が想定しているのは,大学初年級の数学科の学生や,代数学の精神や数学における代数の位置に対する感じをつかみたいと思っている理論物理学者や代数学を専門にしていない数学者である. 代数学の概念や結果を系統的に扱っている箇所でも,本書で読者に要求している予備知識は非常に制限されたものである. 仮定している読者の知識は,多くの大学で教えられている程度の微積分学,解析幾何学,線形代数学だけである. 例を述べるときに使われている知識の範囲を書き上げることは難しい. 射影空間,位相空間,微分可能多様体と複素解析的多様体,複素関数の基礎理論を知っていることは望ましいことではあるが, 個々の例を取り扱う際に起こり得る困難は本質的にその例だけのものであって,残りの部分の理解には影響しないということを覚えておいて欲しい.
 本書では,代数学を教えようという振りをするつもりもない. これは単に代数学について語ろうという試みである. 多少は埋め合わせになるように,詳しい文献表を作る努力をした. 文献表の前のコメントで,本書で述べたことに関する問題の研究ができる書物とか,紙数がなくて扱えなかった代数学の他の諸分野に関する参考文献を,読者自身で探し出せるようにしたつもりである.[訳註]ロシア語版にはこの後,本文中の補題や定理の書き方についての注意書きがあるが,本書では英語版に従って,定理などは独立した段落として前後に空行を入れ,主張を強調文字にするという処理をしているので省略した.
  本書の準備版は,F.A.ボゴモロフ,E.B.ヴィンバーグ,A.M.ヴォルコンスキー,R.V.ガムクレリジェ,S.P.ジョムシキン,D.ザギエA.I.コストリキンYu.I.マニン,V.V.ニクリン,A.N.パルシン,M.K.ポリヴァノフ,V.L.ポポフ,A.V.ロイテル,M.リード,A.N.チューリンが読んでくれた. 彼らの意見や提案には感謝しており,それらは本書の中に反映している.
  原稿作成を大いに助け,貴重な意見をしてくれたN.I.シャファレヴィッチにも,大変感謝している.[訳註]ロシア語の原著の初版は1986年に出版され,M.リードによる英訳が1990年に Springer-Verlag社の Encyclopaedia of Mathematical Sciences の第11巻Algebra I として出版され,1997年に単行本として2刷りが出版されている. さらに199年にはロシア語の原書第2版が出版されており, この「著者まえがき」はロシア語初版とまったく同じものだが,謝辞には追加がある.

モスクワ,1984年

I.R.シャファレヴィッチ



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日本語訳に寄せて

 本書の目的は,代数の専門家でない数学者や数学を用いる物理学者に理解できる言葉を使って,「代数学とは何か?」という問に答えることであった. しかし何よりもまず,自分自身に答える必要があった. すると,このことが自明でないように見えてきて,私にとっても興味深い問題になったのである. ときには,それは純粋に研究者の心理の問題のようにも思える. 数学のある部分が,(たとえば)一方で幾何学に属すようにも,他方で代数学に属すようにも考えられることがある. たとえば,大学で教えられている線形代数学とは何だろうか?  加群(体上の有限の長さの加群)の代数学だろうか,それとも有限次元空間の幾何学だろうか?  それでも私には,代数学が数学の中で占めている位置をはっきりと示すことができるように思える. 代数学は,他の分野(幾何学,解析学,物理学さえも)の情報を,それを使って書き下すことができるアルファベットのようなものである. しかしこのアルファベットには2つの変わった特徴がある. 1つには,アルファベットで書かれたテキストをある規則で操作することができることであり(代数学者はこの操作を代数演算と呼んでいる), 書き下された真実に関する新しい情報を与えてくれる新しいテキストがこうして 得られるのである. そしてもう1つは,代数学が,ギリシャ語やラテン語のようなある固定したアルファベットを使うのではなく,数学や物理学の新しい分野を研究するための新しいアルファベットを創り出すことである(整数,複素数,群はそのような異なるアルファベットの例である). もちろん,これらすべてはかなり漠然としたものであり,本書全体がこの考え方をもっと具体的な内容で満たすための試みなのである.

2001年5月

著者



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