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人名索引、
数学者の伝記、
バークレー 司教
(Bishop George Berkeley)
1685.3.12-1753.1.14.
アイルランド、トマスタウン近くのディザート城に生まれ、
イギリス、オックスフォードに死す。
この写真は Mathematical Intelligencer, 18-3(1996) の切手のコーナーから採録したもの。
ダブリンのトリニティ・カレッジで神学を学び、後に講義をする。アイルランド、クロインの(英国国教会の)監督Bishopとなる(1734)。
アイルランドの社会的・経済的な救済活動をする。
アメリカ・インディアンへの布教活動も資金難で失敗。
数学理論や自然法則は合目的的に創り出された体系であることを主張。数学から唯物論を追放する目的で。
『解析者』(1734)で、ニュートン・ライプニッツ理論を攻撃し、大論争を引き起こす(『解析教程』第II章第1節参照)。
ド・モアブル、テイラー、マクローリン、ラグランジュ、ヤコブ・ベルヌーイ、ヨハン・ベルヌーイなどが論争に加わり、微積分学の論理的基礎づけに対する関心を高めた功績は大きい。
とくに、マクローリンは反論のためにニュートンの方法の厳密な構成を行った。
「しかし、速度の速度、その速度、そのまた速度、またその速度、またまたその速度などなどというのは、私が間違っているのでなければ、すべての人間の理解を越えてしまっています。
精神がこの捉え難いアイデアを解析し追及すればするほど、それはまごつき狼狽えることになり.....」『解析者』
「......我が時代の解析者は有限の量の差を考えるだけでは満足しません。
彼らはさらにその差の差を考え、最初の差の差の差を考えます。
そしてさらに無限にまで。
つまり彼らは認識できる最小の量よりさらに無限に小さい量を考えます。
その無限に小さい量よりもさらに無限に小さな量を、そしてその上これまでの無限小量よりもさらに無限に小さい量を考え、終わりも限界もないのです。......もう告白するしかありませんが、無限に小さい量を心に描くことは ......私の能力を超えています。
しかし、そのような無限に小さい量の、それよりさらに無限に小さい一部、だから結局それを無限倍したとしても最も微細な有限の量にまでなることもできない、そんなものを想像するということは、どんな人にとってもそれこそ無限に困難なことだろうと、私は思うのです。.....」『解析者』
「そして、この流率とは何だろうか?
無限小の増分の速度。
そして、これら同じ無限小の増分の速度とは何なんだろうか?
これらは有限の量でもなく、無限に小さい量でもなく、無でもない。
こんなものなら、過ぎ去った量の幽霊と呼んではいけないというのだろうか? 」『解析者』
「存在とは知覚なり。」
文献
- 『解析者』(The Analyst), 1734. [II.1-2]