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『微分のはなし』と『積分と微分のはなし』.
下巻のまえがき
『微分のはなし』 まえがき
本書は, 2004年3月から1年間『数学セミナー』 に連載した「微分のはなし」が基になっている.
長年, 微積分の講義をしてきて, 講義のたびに教科書を 替えたので, 数十冊の教科書をそれなりに読み込んではいた. どの教科書を 使ったときも, 感心する箇所はあるが, 不満を感じることも多かった.
日本の近代的な学問は,西洋に追いつき追い越すことを目的とし, 明治以 前の伝統をいったん切り離したところに成立している.
そのためもあってか,理科系の教科書にはどこか大上段で押しつけがましいところがある.
書くべきことが何でも書かれ,知るべきことは何でも載っていることを善しとする雰囲気がある.
一松[8],杉浦[2],溝畑[11]などは辞書としても使える.
質と量のバランスのよいものに,古いが高木 [4] や笠原 [1] がある.
読みやすさでなら難波[6]や森[12]など,
面白くて特徴のあるものも少なくないが,それでも実際に大学の講義の教科書に使うことは,まず分量的に難しい.
10 年ほど前,ハイラー,ヴァンナー [7]を翻訳する機会に恵まれた.オイラーやベルヌーイなどの手稿が著者たちの身近な図書館に所蔵されている環 境のせいか, 歴史的観点に立った構成でありながら,本格的な教科書でもあった.数学自体の成長を描くという姿勢を貫いていて,ド・ロピタルに始まる微積分の教科書の歴史の中でも画期的な一冊である.
本の執筆の際には,何を書くかということより,何を書かずに済ますかが重要であるということを聞く.
[7]の翻訳によって,著書執筆の擬似体験ができ,そのあたりの呼吸も少しは分かってきたつもりだが,雑誌連載特有の時間的・分量的な制約は思った以上に厳しかった.
それでも, 連載にはライブ感覚が生かせる利点もある.
欠点が霞むほどに特長を生かそうと, むしろ積極的な目標を考えてみた.
そこで,講義部分の本文では話の筋道を重視してゆったりと述べ, 学習としての実質の多くは演習の中に押し込めるという方針をとることにした.
これを演義形式と呼んでおこう.「義を演ずる」のは「義を講ずる」よりも聴衆に主体的な取り組みを期待するものでもある.
筆者が京都大学の理学部数学科の3回生だったとき,月火木金の午後,1時から5時までずっと演習の時間だった. 対応する講義が午前中にあり,午後に大量の問題を解く.
ばりばりの若手研究者である助手が担当で, 演習の問題は,時に講義とは無関係に, 彼らがどこからか選んでくる.
その時間内に解けない問題は,宿題である.
講義では身に沁みなかった概念や事実が, 問題を解き,それを説明することで分かってくる.
その演習の正式名称が「演 義」であった.
身に沁みるほどに理解しようとすれば, 演習を解かないといけない.
そういうこととは別に,気になっていたことがある.
近年,数学が役に立たないという誤った考え方が一般的になっていることだ.
が,それは科学 応用をブラックボックスのように扱っているからではないだろうか.
科学を実際に応用する立場に立ちたいのなら, ブラックボックスを開けて, 内部の 機構を知らねばならない. 実際の応用では, 具体的にどういうことが問題に なるのかを知らねばならない. 本書では, そういう視点も考えてみたい.
数学の概念を単に歴史的に捉えるのではなく,素朴な疑問を1つ1つ説き 明かしていきながら,重層的に概念や事実を積み重ねていくという書き方をしたのは,臨場感を味わってほしかったからである.
さらに,講義する側の楽屋話を表に出しながら,教科書では普段は書きにくいテーマにも焦点をあてる.
しかし,脈絡のないトピックスの集まりではなく,全体として1つのストーリーとなっているように心掛けた.
類書の中では強調されていないような細かい事柄でも, 微積分を理解するときの心の棘になるようなことはじっくりと述べていく.
そのとき,初めて概念に出会うときに感じる素朴な疑問や感想を大切にするという立場をとった.
仮に演習を解かずに本文を通読したとしても,微積分全体の概念や構造が把握できるようにも気を配った.
論理の厳密さも,応用的な具体性も大切にしたつもりである.
分量的な無理は,演習に押し込めることで回避した.
演習をすべて独力で解けば,微積分の教科書に対するほとんどの要求を満足するようになっているが,
本書で微積分を初めて勉強する人は,最初に読むときは演習を解いてみようとしな い方がよいかもしれない.
演習問題にはさまざまな難度のものがあり,斜めに読み飛ばしてもよい.
本文を何度か読んでみて,まだ納得できないときは,できそうな演習をやってみることを勧める.
解けなくても,がっかりしないで,また時間を措いてやってみるとよい.
最後に,繰り返しになるが,本書の構成が類書とはかなり異なっていることを覚えておいてほしい.
構成としての厳密さは目指していない.各時点で 必要な事実は既に書いてあるというようなことは保証しないし,意図もしていない.
つまり,微積分の堅牢な建物を目指してはいない. しかし,どの時点でも,十分納得できるだけの前提や背景は述べたつもりである.
頭脳的な論理の一貫性より,想いや心のつながりの方を重視したという言い方もできる.
定理の直後に[証明]がついていない場合は,演習扱いになっており, 自分で解くことが期待されている.
証明は演習の解答として巻末にあるが, できれば自力で証明をつけてみて欲しい.
本書の範囲外であったり,証明をつ けるだけの余裕がない場合には, 定理の肩に*をつけて表した.
執筆前は,微積分を学習中か既習であって,自分では解決しにくい疑問を持っている人,というあたりを読者として想定した. が, 出来上がってみる と望外なことに, 初めて本書で微積分を学ぶ人にも, 昔勉強した記憶しかな いが再度学習したい(もしくは,しなければならない)人にも, また物語として微積分を楽しみたいという人にも,それなりに面白いものになったように感じる.
いろんな読み方ができる.何度か読み返してほしいが,その都度違う読み方をするのも面白いだろう.
さあ,本書をガイドブックに,微積分の世界にお出かけください. 歩くのは,あなたです.
2007 年 8 月 蟹江幸博
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