Preface to Story on differentiation (in Japanese) MyBookへ. 
『微分のはなし』と『積分と微分のはなし』のホーム. 上巻のまえがき

『積分と微分のはなし』 まえがき


  数学は直線的に発展するものではない. 微積分学も同じである. 具体的な状況の探求と理論的構造の整備の時期が交互にやってくる. 具体的な図形の長さや面積を 求めようとする長い努力のあとで, (部分的な) 成功が得られると, そこで使われた技術を包摂した理論体系が作られ,進歩はしばらく停滞する. 時が経つうち, その理論からは求められない図形や関数の特殊な値が興味を引くようになり, それを求めるための新しい概念や技術が必要となり, 新しい理論が作られる. とくに大きな 理論が生まれるとき, 華やかな英雄の時代が来る. しかし同じ人物の中に事実の 発見者と理論の構築者の両方の才が実現することは少ない. 本書に関係する所では,前者の系譜にピュタゴラスヒポクラテスアルキメデスフェルマーオイラーアーベルなどがいて, 後者にはアポロニウスユークリッドガウスヤコビワイエルシュトラスカントールルベーグなどがいる. そしてニュートンリーマンの微積分学に対する貢献は他を圧している.
 上巻では無限を見据え,どう理解し対処するかを考えた. 無限大の理解はむしろ無限小を考察することによって深くなる. 無限小を見つめることが微分の発見につながっていき, 微分の概念から多くの事実と応用が見出されてきた. 下巻では求積 (quadrature) を中心に述べてみたい. 求積とは元々面積を求めることで, ラテン語の 「正方形にする」 という動詞 quadro から来ている. 線分の長さの抽象化である数を使って,まったく異質の多角形の面積を表すことは本当なら無茶な話だが,(線分の長さの)比の概念を数に昇華することで解決された. 分割の概念を導入し,単位正方形との面積の比を考え, 比の値として多角形の面積を表したのである. そうした作業の象徴が「正方形化」であり,求積は世界のすべてを数で表そうというスローガンと言うことさえできる. だからこそ積分は,古代から連綿として数学に関わるすべての者が関心を持ち続けてきたテーマなのである.
 第1章で紹介した古代からニュートン出現までの求積の歴史では, 天才のみがなしうる意外性をも伴う深い洞察が必要であった. ニュートンが微分法を発明し, そ れが積分の逆演算であることが分かった途端, それらは学ぶことのできるもの, いわば演習問題になってしまった. 巨匠クラスの名人芸が工業生産品に取って代わら れたのである. 求積が大量生産され, 多面的な応用が生まれていく。 第 2 章から第 10 章までは, ニュートンの観察から自然に成長していった微積分の様子を, 多く の例を挙げながら述べていく. それがニュートンからオイラーまでの微積分の発展 の歴史であり, これに 19 世紀の微積分の基礎の反省の概略とをあわせたものが大 学初年級の微積分の講義で述べられる内容である.
 歴史の中で大量の事実が積み上げられてきたので, 積分の応用にあたる部分は教 科書によって題材の選び方が千差万別である. 近年の講義時間数の減少は教科書の 薄さにつながり, 1 つの話題を深く追求することは難しい. 筆者などが大学で学ん だ 30 年以上も前でさえ, 教科書の内容に不満を感じた思い出がある. たとえば, 楕円や双曲線にかかわる微積分がそれである. 面積や回転体の表面積や体積, さら に重心や回転モーメントなどの計算をするものはあったが, 長さについて触れてい るものには出合わなかった. 漠然とした不満だったために突き詰めて考えることも 書籍を渉猟することもなく, 易しいので書くまでもないのか, 難しくて書くことが できないのかすらわからなかった. 潜在的な不審感はそのままになっていた. 微積 分を講義するようになり, 難しいのだということが分かる. 鬼門というかタブーと いうか, 講義で使用したどの教科書も触れることすら避けている. 下巻を書き始め たときに, 学生時代に感じたそういう不満が生まれないようなものにしたいと, 不 遜にも思ってしまったのである. 簡明に述べなければいけないというジレンマの中 で, どこまで書きこなすことができたかは, いまは読者の判断に任せるほかはない.

 さて, 現代微積分の本体である第 2 章以降について簡単に内容を紹介しておこう. 第2章は微分の公式から直接的に求められる原始関数を, 第3章では漸化式で 求められる例と有理関数の原始関数を求める. 第4章は定積分の一般的計算例と応用について述べ, 第5章では面積を見つめ直すことにより, さまざまな場合での面 積公式と面積要素を求め, さらに曲線の長さの公式を求めている. 第6章では第5章での考察を3次元以上の空間に拡張する. 物理的な動機を持つ諸量を第7章で計算し 2次曲線や 2次曲面について第8章, 2次曲線以外の,名前のついた曲線に関して 9章で, これまでに定義された量 (面積,長さ,回転体の体積,回転面の面積, さらにそれらの重心やモーメントなど) を計算する. 第10章では関数の定義域や値が有界でない場合に,定積分を拡張する問題を考える.
  通常の教科書よりかなり大量の積分計算の例を挙げてあるが, すべては人類の遺産である. 第2章で認めることにした素朴な観察からどれほど多くのものが得られるか,だからこそ,微積分はこんなにも役に立つのだと感じてほしかったのである.
  数学が役に立たないという主張は,「理論と現実は違う」という言い方がされることが多い. 現実は限りなく多くのパラメータを含んでいるが,理論を適用するにはそこからごく少数の本質的なパラメータを取り出さなければならない.現実を理解できるほどの理論構造になっていないか,パラメータの選び方が適切でなくて「理論化」 がうまくいかないか. どちらの場合も実際には起こるし, 前者の方が本質的な困難である. しかし,後者であることも意外に多いのである. 理論化の際に対象とする量を関数として表す. その積分もできないようでは成功した理論とは言えそうもない. だから,積分できる関数の実例はたくさん知っている方がよい. そういう意味で, 手工業生産品の博物館展示といった気分が本書にはある. もちろ ん,すべての計算を実行する方がよいのだけれど,最初はあまり頑張らずに見てまわるという気分でよい. 面白そうだと思った計算があったら,それをチェックすれ ばよいし,他の方法はないかと工夫してみるのもよい. 本書の中で同じ関数の定積分が繰り返し現れ,異なる方法や概念を使って計算されていることがある. そこに深い理由があるとしても詳しく述べる余裕はなかった. が,記憶の片隅には残しておくとよいだろう.
 リーマン積分は,19世紀の微積分の基礎に対する反省を踏まえた厳密な積分論であり, 大学で学ぶ積分理論の標準である. しかし,これは有界区間上の有界関数に対して定義されるものであり,最大の欠陥は極限操作によって積分可能性が保存されないことである. それを改良するさまざまな試みがなされているが,一番成功しているものはルベーグによる積分論であり,確率論や関数解析などに広く応用されて,重要なものである. 第11章では簡潔にリーマン積分の利点と弱点,その弱点を克服するルベーグ積分の長所について触れておいた. 本書ではこの章だけが「理論」の章で,理論が好きな読者はこの章を読んだ後で第1章から読み返すのも良いだろうし,理論が肌に馴染まない人はこの章を斜めに読んで,理論の裏付けがあることに安心するだけでもよい. しかし,通読後,余裕が生まれたら,本章を少しじっくり読んでみることを勧める. 数学では,理論は実践のために生まれることがあり,自由闊達な応用のためにこそむしろ足もとの理論的基礎固めが必要なのである. 第12章はいわばオマケである. 本章の主たるテーマはガンマ関数や楕円関数であるが, 具体的な曲線 (楕円, 双曲線, レムニスケート曲線) の長さの計算などで,それらはちらちらと登場していた. それを少しだけまとめておいた. これらは定義自体が積分によるもので,初等関数で表されるわけではない. 分からないものを使って分からないものを表して何になる,と思う読者もいるだろう. しかし, 分からないものを分からないもので表すということは, 実は理論の王道であり,どんな 読者もやったことがある筈のことである. たとえば, 円の面積の公式がある. 半径rの円の面積はπr2である,という. 分かったつもりだろうが, ではπとは何かが分かっているだろうか. π= 3:14 だと言い切る人は縁なき衆生と言わざるをえない. πは円周の長さと直径との比である. どんな半径の円周でも,どんな場所に置かれた円周でも, この比が一定であるというのは大定理で, 簡単に分かったつもりになってよいことではない. また,それを認めたとしても,πが分かったわけではない. 数πとは何か? πを知ろうとする努力は, 無理数πの有理近似を求めることにほかならず,πは何かとは永遠にわからない謎でもある. 本書の立場だと, 微分方程式によって sin x という関数を定義し, その関数が周期関数であることを示し, その最小周期の半分をπとしている. 分からないことを, より分かったつもりになれることで記述する. そしてそれをまた, …という際限のないプロセスが 「理解する」 ということでもある.

 上巻にもつけた注意であるが,定理の直後に[証明]がついていない場合は, 演習と思って独自に解くことが期待されている. 証明は演習の解答として巻末にあるが,できれば見ないでトライしてほしい. 定理の証明にギャップがある場合がある. 気づいたらその証明を考えてほしい. 時にはそのギャップの証明は巻末の解答の中 にあることもある. 本書の範囲外であったり, 証明をつけるだけの余裕がない場合には, 定理の肩に * をつけて表した. 最後になったが,鈴鹿工業高専の佐波学と兵庫県立大学の伊吹和彦の両氏には折りに触れてのコメントや幾つかの演習の解答などでお世話になった. また, わがままな筆者の注文を受け入れ, 特に下巻の原稿の遅れを暖かく許してくれた編集者の西川氏に深く感謝している.

2008年 1 月 蟹江幸博

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