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『数論の3つの真珠』.
『数論の3つの真珠』 著者まえがき
編集者まえがき
この薄い本は今から30年以上も前に書かれました.
しかしその内容は広い読者層にとって --- 現在の数学の愛好者にとっても,その価値を保ちつづけてきました.
2つの版が,1947年と1948年に出版されています.
このため今では手に入れにくいものになり,この第3版の出版が待ち望まれていたのです.
著者である高名な学者−数学者であり傑出した教育家でもある−アレキサンドル・ヤーコブレヴィッチ・ヒンチン(1894-1959)は,ソビエト連邦科学アカデミーの通信会員であり,モスクワ大学の講座主任でした.
本書の内容は3つの有名な数論の問題に捧げられています.
それは大変単純に定式化されますが,難しく,そして多くの大数学者たちの努力にも屈せず,それにもかかわらずもっとも初等的な方法で解かれた問題なのです.
アレキサンドル・ヤーコブレヴィッチ自身,数論では最高級の専門家で,その発展に大きく貢献をしています.
この科学の問題と方法を深く理解している彼は,驚くほどの熟練と優美さを見せて,問題とする定理の証明を説明しています.
そのため,この長い時の流れの間も,当然のことですが,私たちのこの国の,また本書の翻訳が出版された国々の,数学を愛する人々の間で,人気を博してきたのです.
確信をもって言うことができますが,「数論の3つの真珠」は,多くの若い数学者たちを数論の問題に取り組むように仕向けることによって,この科学の発展に大きな役割を果たしてきました.
本書で問題となっている3つの定理はすべて,当時は若く新人の数学者で,後には有名な大数学者になった人々の手で,初等的な方法で解かれました.
自然数の集合を分割した部分集合における等差数列に関する定理を証明したオランダ人のB.L.ファン・デル・ヴェルデンは,広く知られた数学者かつ数学史家になりました.
彼の代数学の著書は,この40年間数学者必携の書物になっています.
加える数列の密度による数列の和の密度の評価に関する定理−加法的整数論で大きな役割を果たしている−を証明したアメリカ人H.B.マンは,数学で多くの他の重要な結果を得ています.
自然数を自然数のベキの和で表わすという有名なウェアリングの問題に初めて初等的な解法を与えた,我々の同国人である Yu.V.リニクは,もっとも重要なソビエトアカデミー会員になり,数学と数論の発展に多くの新しいものをもたらしました.
1972年の早すぎる彼の死去は,大きな損失でした.
ア・ヤ・ヒンチンは,戦争によって学校の長椅子や大学の講義室での好きなことから引き離され,
また戦後,異常な程の熱意で数学の基礎の習得に加わった,数学に興味を持っていた1940年代のソビエトの若者に,その著書を捧げたのです.
このことについては,本書のまえがきの代わりに書かれた前線への手紙が物語っています.
そして本書の記述も前線への手紙の形で行われています.
その英雄的な時代に敬意を表して,著者のテキストをそのままの形に出版することになりました.
編集校閲にあたっては,些細な文体上の修正をするに留めることにしました.
ヒンチンの著書のこの再版が広い範囲の数学愛好者に好意を持って受け入れられ,
本書の中でこんなにも鮮やかに物語られる「数論の3つの真珠」が,これまで通り,
もっとも古い科学である数論の魅惑的な問題によって,多くの人々をその深い学習へ駆り立てることを,出版局は期待しています.
1978年7月10日 A.シドロフスキー
戦線への手紙
(序に代えて)
末尾の日付けを見てもわかる通り,第2次大戦中のヨーロッパ戦線にいる教え子への手紙という形を取っている.
親愛なるセリョージャへ
[訳註]セリョージャとはセルゲイという男性の名前の指小形で,自分より年少の知人や家族,親しい間柄を示すときに使われるものである.しかし,以下の本文での相手に対して使っている人称代名詞を見ても,本文中に述べているように個人的な付き合いはなかいということかも知れない.実際に対応する個人が存在したのか,本書を書くためだけの設定なのか,今は分からない.
病院から送られた貴方の手紙は三重にも私を喜ばせてくれました.
何よりもまず,「なにかある数学の小粒の真珠」を送って欲しいという依頼から,貴方が実際に快方に向かっており,単に勇敢な戦士として,友人たちを安心させようとしているのではないと分かったことです.
これが1つ目の喜びでした.
さらに,この戦争では,貴方のような極めて若い戦士たちが,戦争まではその身を捧げ,戦争によって引き離された自分たちの大好きな活動に,僅かな暇を見つけては熱心に取り組んでいる,というようなことを私に考えさせてくれました.
先の世界大戦ではこういうことはありませんでした.
当時戦線に送られた若者は,自分の人生が折りとられ,以前には人生を満たしていたものが起こりようもないおとぎ話になってしまったと,たえず感じていたものでした.
それが今日では,戦争の合間に学位論文を書きあげ,短い休暇で帰るときに論文審査を受ける人さえいるのです!
これは貴方たちが,戦争での働きと愛する仕事 --- 科学,芸術,実践活動 --- が,同じ1つの大義の2つの輪であると,心の底から感じているからではないでしょうか?
もしもそうなら,そう感じていることは,銃後にある私たちがここでこんなにも熱狂している貴方たちの勝利の主要な原動力の1つなのではないでしょうか?
この考えはとても私を喜ばせてくれました.
これが2つ目の喜びでした.
そこで,どんなものを貴方に送ろうかと考え始めました.
貴方を非常に親しく知っているわけではありません.
私の講義に出席してくれたのも1年だけです.
それでも,科学に対する貴方の深く真面目な態度は私の心に強く残っていましたので,見てくれは良くても科学的な内容の乏しい「玩具のようなもの」を貴方に送りたくはありませんでした.
一方で,貴方の素養があまり深いものでないことも分かっていました.
大学の椅子で過ごしたのも1年間のことですし,
3年もの間絶えず前線にいたのでは勉強する暇だってなかったでしょうし.
何日かよく考えて,1つの選択をしました.
それで良かったでしょうか --- どうか貴方がそれを判断して下さい.
私としては,貴方に書き送るこの3つの算術の定理は,我々の科学の本物の真珠であると考えています.
算術,このもっとも古くそして永遠に若い数学の分野では,ときおり素晴らしくまた一風変わった問題が現れることがあります.
その内容は初等的で,中学生にも理解できるほどのものです.ここでは中学生と訳したが,ロシアの初等教育の制度では小学校と中学校を一緒にした初等学校があって,それに所属する生徒という意味の言葉が使われている.証明は分からなくとも数学的な内容=意味は分かるだろうということだろうか.
問題は普通,数の世界を支配するある非常に簡単な法則を証明することです.
その法則は特別な場合に調べてみるといつも成り立っているのですが,実際常に成り立つことを証明しなければならないというわけです.
問題の見かけの簡単さにも関わらず,それを解くのに何年も,時には何世紀にもわたって,その時代の大学者たちの努力が必要なことがあるのです.
とても面白いことだと,思いませんか.
貴方のためにそのような問題を3つ選んでみました.
それらはすべてつい最近解かれたもので,その来歴には2つの際だった共通の特徴があります.
第1に,この3つの問題はどれももっとも初等的な算術的方法で解かれたことです(初等的であることと簡単であることを混同してはいけません.読めば分かりますが,どの問題の解答もあまり簡単ではなく,それをよく理解し習得するには,少なからず努力しなければならないでしょう).
第2に,この3つの問題は,「長老」級の学者が何度も解決に失敗したあとで,非常に若い,そう貴方と同じ年頃の新進の数学者によって解かれたことです.
これはまったく,貴方のような新進の学者にとって,未来に希望を抱かせる刺激的な話だし,科学的な挑戦への誘いとしても素晴らしいものです.
これらの定理を述べるための仕事をすると,その壮麗な証明の構造の中に深く分け入ることになりましたが,それは大きな喜びを与えてくれました.
これが3つ目の喜びでした.
貴方のさらなる成功を祈ります.戦いにおいても,科学においても.
1945年3月24日
あなたのA.ヒンチンより
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