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『解析教程』 裏話


 1996年の春の学会で、志賀浩二氏などから推薦を受けて本書を訳すようになった。正式に出版社から依頼を受けたのはそれからかなり経ってからだが、学会の本屋でパラパラと見たとき、非常によい本だと思った。
 もう20年以上にもなるが、アーノルドの『古典力学の数学的方法』を安藤・丹羽氏と訳したときも同じように、日本の数学的風土では育たない本で、是非日本の数学文化の中に移植すべきだと考えたものだった。
 この本を見て感じたことも、意味は多少違うが、日本人には書けないということであった。書かれている数学的内容のそれぞれが日本に知られていないわけではないが、こうした視野で書き切ることは不可能に近い。見栄をはって、対抗する本を書くより素直に教えを請う意味で翻訳すべきだと考えたのだ。
 内容を説明する代わりに裏表紙にある宣伝文の翻訳を挙げておこう。

 『本書は大学初年級の微積分の内容を、おおむねそれが最初に発見された順序で述べたものである。初めの2章は、実際的な問題の古代からの計算が、無限級数、微分法、積分法、微分方程式へ移行していくさまを示している。 1または多変数に対して、これらのテーマに対する19世紀の数学的厳密さの確立はIII章とIV章で扱っている。
 沢山の例、計算、数学的な図の助けを借りて本文が提供しているのは、広範な動機づけと深遠な説明である。教師に対するのと同じく学生にとっても刺激的で興味の尽きない読み物になっている。』

 志賀さんには「です・ます体で訳してみたらと思うようだね」と言われて、少しお調子者の僕は本が手元にないまま、そうする積もりになっていた。その上、タイトルも親しみやすいようにと、いろいろ考えてみた。分量からも内容からも二分冊にする感じだったが、「上下」とか「I,II」というのは嫌だったから、
  1. 微分積分・今昔物語、むかしの話編+厳密な話編
  2. 歴史に見る解析学、歴史編+現代編
  3. 解析学・その生い立ちと現在(いま)、生い立ち編+現代編
  4. 微分積分・今昔物語、生い立ち編+現代編
などを考えた。移入したものとしてでなく、日本の風土に根づいて欲しいという思いから最後のものにしようと思っていた。 しかし、脱稿間近に、出版社から、この本を日本の解析の本の定番としていく意味で「解析教程(上下)」か「解析学教程(上下)」したいという打診があった。定価もそれぞれ3000円と抑えた設定にするという。
 定価の設定に参ってしまった。この種の本でこの厚さなら、安い。 沢山売ろう、というより、沢山売れると思ってくれたということなのだ。それで、そうすることにした。そうなれば、すっきりしているほうがいいので、「解析教程(上下)」に決定である。 そろそろ(1997年9月末)、「上」は本の形になっているだろう。 秋の数学会に本を並べたいというのが、出版社の切なる希望であったから。
 1996年の6月に原著が届いてじっくり読み始めたら、思っていた以上に良い本で(少し安心をした、取られる時間に見合うだけの本だったから)、思っていた以上にしっかりした本で、とても「です・ます体」で書けるものではないという感想を持ち、志賀さんにもそう話した。話しはしたが文体に対してはかなり気持ちが揺れていた。そのころ、今昔物語風に訳して見たらどんな感じだろうかというような遊び心が起こった。

 地の文でやるのはいささか問題なので、引用文でいくつか遊んでみた。 成功しているとは言い難い。文法的にも、時代性も異論が多いとは思うが、 しゃれの範囲内として許してほしい。

民話風

 1.アンドレ・ヴェイユという人が(1979年に)語ったはなし(ブラントン(1985)さんの本の12枚目に書いてあるということ)。
 数学の勉強をする人たちには、今どきの本でやるよりか、ずっとむかしオイラーさんが(1748年に)書いた『無限小解析への手引き』という本で勉強した方がなあんぼか役に立つだろうって......

 2.ディリクレという人が(1852年に)ヤコビという人のことを想い出して語った話。
 ヤコビさんの先生はえーらく賢い人じゃったんだと。 他の生徒さんにはいっぱい問題を出してやらせたんだが、ヤコビさんは並のお人じゃあないことがわかっとんなさったんだな、オイラーさんの『手引き』だけやっとりゃええと、言ってたんだと。

少し今昔物語風

1.M.クラインなるひと、紙表紙の本を書きて、その序にて言えるに、
 伝統(ナライ)ありて、情けすくなき手習いの読本のごとき書きようはやめ.....

2.ブリースコーンとクネレなるひとあり。『平面代数曲線』なる文のiiページにて言えり
 かようなりせば、おおいにつとめて、多くの絵図を描きて、.....

3.F.クラインなる人ありて、『高きところより見たる初等数学』なるふみをかくに、三つのことを思い定めたりと言えり。
一つ、抽象的なることども、絵図を描きて説き明かし、
二つ、差分・補間なんどの近しい術との関わりに重きをおき、
三つ、生まれきたりしことのいきさつに、とりわけこころ砕くべし。
およそものおしふるものたらんとすれば、このことしかと心得べし。このこと、ことのほか大事なることとおぼゆるなりと。

 「である体」でI章を訳し終えII章に掛かったころだったか、突然気分が高揚してしまって、「です・ます体」でやるぞと宣言してしまった。全部書き直しである。計算機というものは有り難い。なければとてもやる気にならなかっただろう。
 変えた理由は大したことではない。「です・ます体」でできるじゃないかと思っただけである。基本的にはあらゆるものを日本語にするぞと、決意したということである。ラテン語あり、ドイツ語(中世も)、フランス語(中世も)、イタリア語(中世も)、オランダ語(中世も)、もちろん英語も。それらがほとんど何の断りもなく混在する。著者はスイスの人だからこれらの言葉はちょっとした訛りのようにしか聞こえないのかもしれない。突然、ジョークが炸裂する。最初はジョークだと分からないから何日も,時には何カ月も悩むことになる。いろいろと調べたり、いろんな人に訊いたり。それでもやるぞと決意したら、「です・ます体」にすることなんか何でもないような気になってしまったのだ。
 出版するのは無理だろうから、ホームページに今昔風や民話風、その他の文体で訳した裏本を作ってもいいかなとふと思っていたこともあったが、できることをしないでいるのは日本人の悪いくせだと思ってしまったのだ。
 「です・ます体」に書き換えてIII章に突入するころには、単なる翻訳でなく、訳注をかなり自由に書く気になってしまっていた。人名索引も作り、それに一言コメントをつける積もりにもなった。そこでまた、文体について悩んでしまった。
 今の所、訳者の発言部分は気楽に書ける「である体」で、演習問題は「である体」と「です・ます体」の中間で処理することにしている。
 まだ出版まで時間がかかる。また気が変わるかもしれない。
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