Translator's Preface to Proof from The Book (Japanese Translation)
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『天書の証明』 訳者まえがき
「天書」は英語ではThe Bookであり,ヨーロッパの慣習の中ではキリスト教の聖書を指すことが多いが,本来は「唯一の書」という意味である.
唯一の書に記録する価値があるものと言えば,美と真実しかない.
そのうちの1巻「真実の書」が天書である.
いかにも壮大な物言いではあるが,本書の本当の著者であるポール・エルデシュはそう思っていた.
そうある筈だと思っていた.
おそらくは命の尽きることを予感したエルデシュは,天書を自分の目でみたいと思ったのに違いない.
「君の頭は営業中かね」と言いながら,世界中の数学者を訪ねて回り,時間も気にせず共同研究を始めたというエルデシュの人となりは,最近日本でも出版された伝記『数を愛した男日本語版は,草思社から『放浪の天才数学者エルデシュ』(ポール・ホフマン著,平石律子訳)として出版されている』に詳しい.
すべての生活を数学に捧げ,周りのすべてを数学に巻き込んだエルデシュが心の拠り所としたのが天書であった.
天書を垣間見,それを書き写すこと,それがエルデシュの生涯でもあった.
序文にあるように著者たちがエルデシュに提案しなかったら,おそらくは本書は生まれなかっただろう.
天書そのものでなくていい,その近似でもいいから,という提案はエルデシュにとって新鮮な驚きだっただろう.
その驚きに打たれ,すぐさま作業に取り掛かったが,それを仕上げないうちに旅先のワルシャワでセミナーの途中に倒れ,病院に運ばれて亡くなった.
著者たちはエルデシュの遺志を継いで,本書を完成した.
その経緯といい,内容といい,初版が出版された1998年に開かれたベルリンの国際数学者会議(ICM)では大変な評判だったと言う.
日本でもその秋の数学会の折,書籍展示場に本書はあった.それを見た途端,ぜひ早急に訳すべきだと編集者に話をした.
そして,その方向に話は進んだのだが,一方で著者の方は年内にも修正刷りを用意しており,次の年には第2版を出す予定でいるという.
初版を数章訳し終わっていたが,第2版を待ってからの方がよいというのが出版社の判断で,そういうことになった.
第2版の出版は思ったよりも時間が掛かり,2000年の末になった.
「第2版への序文」にあるように大幅な変更があった.
第4章の証明が全く別のものに変わっていたのは残念な気がした.
訳してあった中で一番気に入っていた証明であった.
また,使われていた図は本文中唯一のカラー図版だったので,著者たちにも特にお気に入りだった筈なのだが.
確かに,第2版の証明はより初等的でわかりやすくなっている.
著者たちのよりよいものを求める気持ちがそうさせたのだろう.
エルデシュならそうしただろう,と著者たちは考えたのに違いない.
日本語版の出版を急ぐべきだと言っていた筈だったが,第2版が手元に届いた頃は別の仕事で手一杯になっており,本書の翻訳に本格的に取り掛かったのは2001年の秋になってからであった.
第2版は非常に練りあげられた仕上がりで,ミスプリントもほとんどなく,そのため結果として著者への連絡が遅くなってしまった.
やっと一通り翻訳原稿が出来た頃に,若干のミスプリントの指摘と共に著者に挨拶の電子メールを出した.
それから一転,目の回る思いをすることになった.
こちらの指摘の返事以外に,彼ら自身が気がついたミス,また内容や図の修正が送られてくる.
矢継ぎ早で,昼過ぎに送ったメールの返事が,その日の夕方に届くことも稀ではなかった.
彼らの指示が,手元の原著と符合しないことが時々起こる.
その点を重ねて尋ねると,フランス語版が出版され,さらに色々な意見やコメントが著者に寄せられ,そのため,原著第2版の修正2刷りが今年出版されていたことがわかった.
著者からの指示はそれからの異同ということになっていたのである.
著者たちもどの文章がどの版のものか分明でないようで,修正2刷りを送ってくれることになった.
それが届いたのが,日本語版の印刷予定の2週間前であった.
一番修正箇所の多い第6章だけは,修正2刷りとメールでの指示によって訳し直したが,著者・訳者に気がつかない異同が他にもあるかも知れない.
小さいものなら,増刷の都度修正していくつもりである.
著者は,この仕事を始めてからずっとこれに関わってきたと,訳者へのメールで言っている.
数学の発展と共に,これでよいと思った証明に間違いが見つかることがある(実際,第2版で「定理になった」と書いてあることが修正2刷りでは「まだ未解決である」となっている箇所がある).
また,よりよい証明が見つかることがある.
より広く,深い見方ができるようになる.
その都度,著者たちは本書を書き直して行く.
彼らの背中をエルデシュが押しているのである.
だから,これは終わりのない作業である.
訳者もその流れの中で翻弄されたし,これからもこれは続くことになるようだ.
さて,何にしても,発見とは多くの場合,事実について述べられるものと考えられている.
数学的発見においても,ある事実を証明することよりも,その事実が成り立つことを「知った」ということの方が重要であるという言い方がされることが多い.
それでも,フェルマーの最終定理のワイルズによる証明のニュースでもわかるように,数学では証明そのものが重要な事実であると考えられている.
それが数学の,少し特異なありようである.
本書に溢れんばかりの美しい証明たちは,まさにそのことの「証明」であると言えるのかも知れない.
本書は,エルデシュの熱情から始まり,それが2人の著者に燃え移り,拡大し純化し,さらに燃え広がり,いよいよ天書に近づいて行く.
多くの読者が,改良を提案し,瑕疵を指摘する.
予想であったものが定理になり,定理の適用範囲が増えて行く.
公刊された論文で,会議で,インターネットのやり取りで,証明が益々洗練されて行く.
著者は即座にそれを本書に取り入れて行く.
「日本語版への序文」の終わりにある言葉も決して社交辞令ではなく,著者は本当に,読者からの指摘や提案を歓迎している.
日本語版の日本語の間違いは訳者に,
数学的内容の間違いの指摘,改良の提案などは訳者または直接著者にメールで知らせて欲しい.
メールが使えない場合は,手紙で知らせて頂いてもよい.
本書の内容は多岐にわたり,新しい結果も多く含まれ,訳語が確定していないものも少なくない.
そのような場合,異論はあるだろうが,できるだけ日本数学会編の『数学辞典第3版』に準拠することにした.
「人名索引」についても少し断っておかないといけないことがある.
本書には最近の人々も数多く登場しており,そういう人の現在の所属は,わからないことも多く,本書に記述した情報が既に意味を持たなくなっている可能性もある.
その他,人名索引に記載されるべき情報をご存じの方は,訳者まで知らせて欲しい.
また.訳者のホームページ(奥付参照)の中の本書のページに出版後の修正事項を掲載しておくので,そこで確認の上,本書の改善に資することならどんなことでも,訳者に知らせて頂きたい.
個人情報はわからないが,エルデシュ数ならわかる人もいる.
そういう人の場合だけ,エルデシュ数を記載した.
エルデシュ数の定義は簡単で,エルデシュと共著の論文を書いた人のエルデシュ数が1である.
さらに,エルデシュ数 < n の人と共著論文を書けばエルデシュ数 ≦ n が与えられ,その最小数が個人のエルデシュ数である.
本書はエルデシュ数1のアイグナーとエルデシュ数2のツィーグラーを著者とし,(現在は)エルデシュ数が ∞ の訳者の手によるものである.
本書の内容の多くは,エルデシュと小さいエルデシュ数を持つ数学者によるものである
エルデシュ数が1である数学者は507人存在する.エルデシュがいない今,その数は増えない.しかし,その人たちが生きている以上,エルデシュ数が2の数学者の数は増えるかも知れない.それらのエルデシュ数を管理するプロジェクトがある.そのホームページのアドレスは http://www.oakland.edu/~grossman/erdoshp.html である.そこに行けば,年代順のリストもアルファベット順のリストも見ることができる..
これほど多くの登場人物の中に日本人はたった1人, 岩本義和氏だけである.
論文発表当時の数学会の名簿にもなく,本書に引用された論文以外には文献検索でも見つからない.
長い間探した結果,1ヶ月前にやっと電話インタヴューをすることができた.
当該の論文は,当時大阪理工科大学といった現近畿大学の紀要に,卒業研究を先輩や同級生と同じように載せただけだと話されていた.
%卒業後は大阪府の高校の数学教師をされ,姓も変えられていたので,発見が困難だったのである.それはともかく,
本書の読者の中からも,岩本氏と同じように,天書に刻まれる業績を挙げられる人が出ることを祈念して,訳者のまえがきとしよう.
最後に,原稿の通読をして有益なコメントをしてくれた鳥羽商船高等専門学校の佐波学氏に,
質問に迅速に答えてくれたツィーグラー氏に感謝する.
桑名にて,2002年11月
蟹江 幸博
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