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『シンメトリー』 訳者まえがき



 本書は『黄金分割』の著者ハンス・ヴァルサーの2冊目の本です. その読者にはお分かりでしょうが,彼の本は普通の数学書とは少し感じが違います. 一言で言えば,数学好きな読者に向けて数学を語るのではなく,必ずしも数学が好きでない読者に対して,誰もが持っている好奇心の赴くまま,様々なものごとを数学の視点で見たらどうなるかを語り,数学の魅力を伝え,感動を呼び起こそうとしているのです. 初めから数学に座標づけられてはいない視点から各章が語り起こされていて,数学嫌いと自任する読者にも読み始めることが嬉しくなるように工夫されています.
 しかし,数学嫌いだという読者が持っている数学のイメージは,その人が本来持っているものではなく,むしろ教育の(逆)効果によって植えつけられたものなのです. それらを拭い去って,誰の心の中にもある好奇心と探求心だけから,目に触れたあらゆるものを見つめていけば,そこに数学として提示され得るものが浮き上がってきます. 著者の信念はそこにあるように感じられます.
 『黄金分割』の訳者まえがきで,数学を学び研究することを山登りに喩え, 黄金分割は幾つかの里山の1合目の祠のようなものだと言いました. 黄金分割は深く高いいろいろな数学への入り口としてとても良いものであることを教えてくれたのが,『黄金分割』という本でした.
 本書のテーマは「シンメトリー」です. シンメトリーは,数千年の昔から数学山脈の頂き近いところにある神殿でした. 古代エジプトの建物,像,器物などの形や装飾にもシンメトリーの深い知識が見え隠れしています. ギリシャ文明にも引き継がれ,理論化され抽象化され,ユークリッドの『幾何学原論』はまさにその集大成ともいえるものです. しかし,シンメトリーとは格式張ったものばかりではありません. 人が世界に向かい,その中に何かの規則性を見いだす.それがシンメトリーなのだと著者は言います. 本書を読むと,きっとそれが分かって頂けると思います.
 19世紀にE.ガロアが群の概念を見つけ,それがシンメトリーを制御するものであることが明らかになって行きます. ガロアが考えたのは,代数方程式の根を取り換えることに対応する変数 x の変換でした. 代数方程式は x の多項式 f(x) に対して,f(x)=0 を満たす数 x を求めるというものです. そのような変換をしても方程式としての形は代わらない筈です. ですから,そういう変換を調べるというのがガロアのアイデアで, そういう変換が群になり,さらには群のある程度の一般論を展開することが方程式の可解性の研究に役立ったのです. 例えば,相反方程式の場合なら,変数 x1/x に変換しても方程式としての形は変わりません. 2次方程式 f(x)=0 の場合なら,2次式 f(x) を標準形 f(x)=a(x-α)2+c にすれば分かるように, x -> 2α -x という変換をしても変わりません. これは y=f(x) のグラフが,軸 x=α に関して線対称になっていることを意味しています. 高い次数の方程式には,より複雑なシンメトリーが関係しているのです.
 線対称で思いつく数学は,やはり(ユークリッド)幾何ですね. たとえば,2等辺三角形を考えると,頂角の2等分線は底辺を垂直2等分して,この直線を対称軸として線対称になっています. このことが,2等辺三角形の底角は等しいという有名な定理の本質でもあるのです.
 ユークリッド幾何では,2つの図形 PQ が合同ならどういう性質を共有するか,またどういう性質を共有したら合同になるかということが,主なテーマになっています. ところで,合同とは何だったでしょう.
 PQ に合同であるというのは,Pに,平行移動,回転,線対称という操作を有限回行って Q に重ねることができること,と定義されています. この際,操作は紙に描かれた図形 P を切り取って行うように思いがちですが,むしろ平面全体に対する操作と考える方が自然です. 普通,合同な2つの図形 PQ を考えるときには1枚の紙の上に書いてあるものです. それが本であったら,切り抜くことは,禁じ手ですね. 透けて見える紙を重ねて,上から P をなぞって描き,それを Q の上に重ねるということをしますね. これはつまり,平面自体を(コピーして)動かすことになっています. 面倒な議論だと思いますか?  でも,これはとても大切なことなのです. こうして紙を(コピーして)動かしても良いから,つまり,紙を動かしても同じ幾何をしていることになるから,幾何の問題を他人に伝達もできるし,解法を教えても貰えるのです.動かして幾何的性質が変わってしまえば,もう何もできなくなるとは思いませんか.
 平面全体に対して行う,3種類の平行移動,回転,線対称という操作を,平面に対する合同変換といいます. PQ に合同で,さらに QR に合同なら,PR に合同ですし,もちろん,QP に合同です. このことは,合同変換の全体が群になることを意味しているのです. そして,ユークリッド幾何はこの合同変換群に関して不変な性質を調べるものであるということができるのです.
 ガロアが代数方程式の解の構造を調べるのに(有限)群を考案したのに刺激され,微分方程式に対して考案された(連続)群がリー群です. そのどちらもが,20世紀になって量子力学を記述するのに有効な手段となり,まさに,物理学が自然の中のシンメトリーを探す学問であるという性格が顕著になって来ました.
 幾何学についても,19世紀にユークリッド幾何の絶対性が崩れました. つまり,非ユークリッド幾何の存在が明らかになったのです. それ以外にも射影幾何や共形幾何などが生れ,百花繚乱の状態ではありますが,かなりな混乱が生れていました. そういう1872年に,F.クラインというドイツの数学者がエルランゲン大学の哲学部教授になるとき, 教授就任演説に,「最近の幾何学研究の比較考察」という題の講演をしました. 「空間 S とその上の変換群 G が与えられたとき,S の部分集合(図形)の性質のうちで,G のすべての変換に関して不変な性質を研究するものを,空間 SG に属する幾何学という」というこの宣言は,後にエルランゲン目録と呼ばれ,多様な幾何学を統括する指導理念になったのです.
 つまり,20世紀初頭の時点では,シンメトリーこそ,数学全体を理解するためのキーワードであると思われて来ていました. それを確認するように,ワイルの古典的な「シンメトリー」が書かれました. 平面と空間の合同変換群の離散部分群を決めることが,平面や空間の敷き詰め,帯状の装飾などのシンメトリーを定めることであるというテーゼのもとに,それらの群に対応する美術品や自然物の例をあげてあります. それ以来,「シンメトリー」に関する著作は,多かれ少なかれワイルの著作の影響を受け,その格調の高さと何らかの意味で競わなければならなくなりました. ですから,著者のまえがきにもあるような多くの著書がありますが,ワイルとは異なる視点を必要とするような雰囲気があって,それぞれの特徴を強調したものになっています. そんなわけで,本書のような素直に「シンメトリー」というものを考える,という著書が現われにくくなっていたような気がします.

 ここで本書の内容を簡単に述べておきましょう. 第1章は,平行に向かい合った鏡の間で自分を見たときの驚きを,日本でいうなら新民謡形式で歌い上げることから始まっています. それから,ゆっくりと,なぜそうなるのか,どのようにしてそうなるのかを考えて行きます. 近代科学は why の疑問を考えることを止め,how を問うことから始まったわけですが,それを地で行くように,本当に身近な話題から how を考えて進んでいきます. ポプラ並木で,遠くの木が低く見えていくさま,ビデオカメラで撮った映像を写し出しているモニターをカメラで撮るとどうなるか?  シンメトリーは対称性だけのことではなく,繰り返される何かの規則性を見いだすことという気持ちです.
 第2章は,線対称の対称軸である直線を円に変えたらどうなるか,つまり,線対称の類似として,円に関する反転を考えます. 円と直線をメビウスの円という1つの概念で考えた方がよいということが丁寧に述べられています. 円の代わりに正方形ならとか,双曲線ならということも考えます. いつもうまくいくわけではないけれど,そういうことも考えるのがいいですね.
 第3章ではシンメトリーの考え方を用いて,三角形と四角形の重心を求めています. 各頂点に等しい重さを置いたときの頂点重心,各辺に均質な棒を使ったときの辺重心(楽器のトライアングルの重心),面に均質な板を使ったときの面重心です. あるものは等しく,あるものは異なります.
 線対称には対称軸の直線があり,回転対称や点対称には中心の点があります. 重心もそうですが,図形全体を1つの点で代替させられる意味を持った点です. 状況を1点で代表できる点があるというのもシンメトリーで,シンメトリーの方法を使うとそれらが求めやすくなるということです.
 第5章では一歩進んで,中心とか平均とか言えるものを考え直します. 相加平均,相乗平均,調和平均が自然な問題の中で出てきます. 中央値も出てくるのです. 中央値が最小問題の解になるような問題が載っています. 面白そうでしょう.本文を見る前に考えてみませんか.
 第4章は一転,正方格子が主役になります. シンメトリーの話題で正方格子が出てくると,一番標準的な平行移動群 を考えるのが普通ですね. 基本正方形を変形すると,いろいろな敷き詰めのパターンが得られて嬉しいものです. ここではそれを踏まえた上で,直角三角形の各辺上に正方格子を乗せ,変形して,分解して,重ね合わせて,そしてピュタゴラスの定理を証明するのです. 格子の変形も様々で,面白いパターンが沢山出てきます. さらに,辺の長さがすべて整数の直角三角形をピュタゴラス三角形と言います. そして,すべてのピュタゴラス三角形を与えるパラメーター付けが古代から知られているのですが,ここでそのパラメーターの幾何学的意味づけが,内心や傍心を見つめることによって得られるのです. そしてそのすべてが,変幻自在のモアレ模様によって飾られていて,とても素敵な読み物になっています.
 さて,第6章についてですが,少し困ってしまいました. 扉文,第1節,第3節の前半はドイツ語の言葉,文章,詩文をテーマに数学的な考察を行ったものなのです. 多くはドイツ語の知識がある程度ないと,理解も鑑賞も出来ません. %英訳では多くを省略したり,英語での対応物を採用しています. 本章での考察では,言葉としての意味よりも形式に重点があり, ドイツ語での意味が理解に不必要なものが多いのです. しかし,説明できるものはできるだけ説明したいと思い,原文のアイデアに沿うように,日本語の言葉や詩句を用いて書き直しましたので,翻訳というより翻案という感じになってしまいました. この点については,著者の了解を取ってあります. 内容が数学的な第2節と第3節の後半はほとんど原書のままです.
 付録で数学的な説明を加えたのは,著者の意図に反したかも知れません. シンメトリーを見いだすことに主眼があって,それをあまり追求することは本書の守備範囲ではないと思っているようです. しかし,訳者にとって,付録に解説を書いたテーマは実に魅力的で,放ってはおけなかったのです. 第1節は,三角形の頂点重心と面重心が一致することです.積分の計算をしなければいけないのですが,計算自身は簡単でも,計算の仕方には工夫が要ります. やさしく説明が出来るだろうか,というのが訳者へのチャレンジでした. 第2節は,正方格子を原始線分に関して鏡映し,元の正方格子との共有点が作る格子がどうなるか,またピュタゴラス三角形の内接円の半径は整数になるという,第4章にある著者の主張の証明とそのための解説です. また,第4章には非常に魅力的なナポレオンの定理が引用されています. 証明しないと気持ちが悪くて,で,その証明が第3節です.
 本文を読んで行くと,ほかにも証明のない説明がありますが,それは読者の皆さんのお楽しみに残しておきます. 前著の『黄金分割』も非常にオープンなところのある本でしたが, 本書にもずいぶんオープンなところがあります. 数学の本の書き方としては,今では珍しいと思います. それが魅力でもあるのですが,訳者の数学者としての気持ちが掻き立てられ,証明したくなって困りました. 証明をすると説明がしたくなるのは,教師の習性というものでしょうか.

 表紙についても,述べておきましょう. ドイツ語版の表紙には寄せ木張りによるピュタゴラスの定理の証明の図(図64)が, 英語版の表紙は瑠璃色の美しいアゲハチョウが描かれています. 『黄金分割』に続き今度もぜひ,日本語版の表紙は日本を表わすもので行きたいと,編集部にお願いしました. しかし,和の美意識には,対称性や規則性を崩すところがあり,デザイナーの駒井祐二さんにはご苦労をお掛けしました. 結局,お手元の膨大な資料の中から,このために描かれたとでも言うべき逸品が見つかって,一件は落着したのです. 奇しくも『黄金分割』の表紙と同じ安藤広重の浮世絵で,名所江戸百景のうち「するがてふ(駿河町)」です. 通り自体が富士山に向かっていることで有名なこの町の両脇にあるのは,三井越後屋です. 今では日本橋三越百貨店になっていますが,150年前にはこれほど見事な富士山を見ることが出来たのですね.
 日本の絵画では,対称性がモチーフになっているのは非常に珍しいのです. もちろん,人の流れや源氏雲の描き方で,日本の絵師としての良心をなだめているのですが, 完全な対称性を持っていないからこそ, 日常性の中からシンメトリーを選び出していこうとする本書の表紙にはふさわしいと言えるでしょう. 完全に対称なものがいいのなら,例えば室生寺の五重塔のような建造物にすることもできたのですが.
 実は,出版の最終段階に,どれだけを附録にするかを決めるのに少し手間取ってしましました. 訳者の数学的良心と読者の読みやすさとの,天秤が釣り合う時間がかかったわけです. そうこうしているうち,私事ですが,義父の早川六郎が亡くなりました. 接する人に清々しさを与えてくれる人でした. しなければならないことがあると,どんなことでも自分でしてしまう人でした. 亡くなって,ふと気がつくとセミが激しく鳴いて,長かった梅雨の終わりと義父の死を悼んでいるようでもありました.

 では,この本を心行くまでお楽しみください.

2003年8月
蝉時雨ふりしきる桑名にて

蟹江 幸博



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