Translator's Preface to Proof from The Book (Japanese Translation) MyBooksのホーム『天書の証明』ホーム


『天書の証明 原書6版』 訳者まえがき



 日本語初版の訳者まえがきでも述べたように,本書の原題Proof from the Bookのthe Bookが,唯一の書のうちの「真実の書」が本書の『天書』である.唯一の書のテーマである美と真実であるうちの真実の書であるとは言ったが,真実に美がないわけではない.むしろ真実の書に書かれるほどの真実であるならそれが醜いものであるはずもない.
 G.H.ハーディは「醜い数学には恒久的な場所はない」と言った.数学にもいろいろな表現形式があるが,確かにより美しくなるように努力がされていく.それなりに見られるようになって,重要さが知られるようになって教科書が書かれる.
 数学の美しさには,理論の美しさ,事実の美しさ,証明の美しさがあり,それぞれ固有の美しさがあるが,もちろんそれらは互いに絡み合ってもいる. また,それぞれを表現することにも美しさがある.まず,数字,文字記号,それらを組み合わせた式がある.数を組み合わせて10進記数法,分数,四則演算に累乗など.記号を使えば,多項式や分数式,指数関数,対数関数,三角関数などの関数もある.そしてそれらの間に,常に成り立つ恒等式や,特定の状況のときに成り立つ方程式などの関係がある.
 面倒な記号だと敬遠されることが多いが,それこそが記号を使う意味でもある.もちろん嫌わせようというのではなく,多くの異なる状況の中に共通の何かを見出しそれを表現するものだからである.複雑な個別の状況から,問題に関りのないものを捨象し,本質を抽出し抽象して簡潔な表式で表わすのである.抽象性こそが重要なのであり,だからこそ,非常に多くのものに応用ができるのである. 確かに,そういう表現を嫌わずに,慣れて使えるようになるには少なからぬ努力が必要である.それで数学が嫌いという人が多くなるが,数学の美しさとその有用性に惚れこむ人も少なくはない.
 本書は何の努力もなく,何かを分かった気にさせるといった啓蒙書ではないし,数学の美のうち証明の美に特化したものである.大きな理論を打ち立てるものではなく,数学全体を風景に例えるなら,基本的な理論の入り口あたりの庭のようなものを見せてくれる.
 第1部は「数の理論」,第2部は「幾何学」,第3部は「解析学」,第4部は「組合せ論」,第5部は「グラフ理論」である.大学教養までくらいの基本的科目でここで論じていないのは「確率統計」くらいであるが,それは美しさよりも実用性に重点がある.代数学という項目はないが,どの章でもある程度の代数は基本的な技術として使われている.
 原著が第6版まで版を重ねて,日本語初版では32章だったものが,第6版では45章に増えている.第1部は6章から9章へ,第2部は8章から9章へ,第3部は6章から9章へ,第4部は6章から9章へ,第5部は6章から9章へと増えている.各部が同じ章数になっているが,バランスをとるために調整したということかもしれない. 版を重ねるごとに章が増えているので,偶然なのかもしれないが,この版が著者たちにとっての完成形であるという思いがあるのかもしれない.
 日本語初版の読者にとっては増えた章に興味があるのは当然だろう. 数の理論で追加された,ファンの多い「平方剰余の相互法則」にはピュタゴラスの定理の証明ほどではないが2000年には既に196もの証明が知られている.発見者のガウス自身8つの証明を与えている.本書ではその中から2つの証明を選んでいる.
 幾何での「ボロメオの環が存在しない」ことの証明も面白い.解析では「代数学の基本定理」が追加されている.内容的には代数学だが証明には解析が使われているからこの章にあるのだが,訳者には微分トポロジーを使った証明の方が親しみやすい.次の章の正方形を同じ面積の奇数個の三角形で分割することが不可能であることは幾何の問題のようだがここにあり,証明の主たる道具は代数学の「付値」である.美しい証明のためには分野を問わず必要なものを使えばよいという精神にあふれている.
 組合せ論とグラフ理論は内容的にも技術的にも重なる部分が多く,初版では組み合わせ論の章にあった「ディニッツの問題」はグラフ理論の章に移っている.
 登場人物の日本人は一人増えた.その掛谷宗一は戦前の人であり,もっと若い人が登場するようになってほしいものである.掛谷の針は問題としては初学者にも分かりやすいが,中々に難しい.その章では一般化についても述べられている.
 本書を斜め読みすることは勧められない.読むならばじっくり読んでほしい.しかし,大部になったこともあり,すべてをじっくり読まねばならないと思う必要はない.1部から4部までの最初の章は分野全体の深い入門にもなっているのでお勧めである.第5部はむしろ,最後の章をお勧めしておく. その5つの章を何度も読み返し,精読することをお勧めする.回を重ねるごとに新しい発見があり,喜びが沸き上がってくるだろう.それからあとは,目次をじっと見ていろいろ想像してみて,面白そうなところを読むというのがいいと思う.

桑名にて,2021年12月

蟹江 幸博



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