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天才は孤高でなく

モーリス・マシャル「ブルバキ:数学者達の秘密結社」の書評
(数学セミナー8月号(2003.9.1), p.90.)


  訳者があとがきの中で言っているように,書店でブルバキを見かけなくなった. どこの大学の数学教室の図書室にも数セットの『数学原論』が書架にある. しかも,フランス語の原本も英語版も揃っている. だから,書店にないのを忘れていた.
 しかし,ブルバキが世界の数学のリーダーで, ブルバキを手にしたことのない数学者が稀だった時期がたしかにある. それもそんなに昔のことではない. 僕が大学の3年のときの代数学の演習でのことだった. 講義内容の直接の演習問題が早々と消化され, 見慣れぬ雰囲気の,手のつけ方も分からない問題群が出されたことがある. 誰かが, 当時は未訳の巻『可換代数』に出ていることを見つけてきた. フランス語の辞書を片手に,問題数を稼ぐというズルをした思い出がある.
 当時既にブルバキがフランスの数学者集団であることと,ヴェイユデュドネカルタンシュヴァレーといった有名人がメンバーなことは常識だったが, それ以外はまったくの謎だった. 秘密結社だったわけだ.
 その後の創立メンバーの回顧話や, ブルバキ家の結婚通知(1939年)や死亡通知(1968年)などの資料, メンバーとのインタヴューなどをもとにまとめられたものが本書である. ほとんどの秘密は本書で明かされていると言ってよい.
 50才の定年制を主張したヴェイユの自伝には創設時の楽屋話が満載だが, 本書の記述は客観的である. が,時折じわりと笑いを誘うことがある. ブルバキたち 自身のユーモア感覚の反映だろうか.
 初めて知ったことも多い. 創立メンバーが大学教師になりたての頃, 講義すべき解析教程への不満が嵩じ, その書き直しが当初の目的だったこと. それが数学全体の書き直しへ発展した経緯. 強烈な個性をまとめるのに,68年に本当に死んだデルサルトが果たした役割. 自分たちが貰うことになる可能性が高いのに,数学の健全な発展のためにならないと,数学賞を作ることに反対したこと.
 ブルバキ・セミナーでは,非専門家の数学者が混沌状態の数学の話をした. それで新しい分野が認知されたことも多い.
 『数学原論』の意義は,全数学を統一した概念と記号の体系で語ろうとしたことだろう. ブルバキ以前と以後では,数学の表現法が一変した. 分かりやすい教科書も増え,ブルバキ自身は読まれなくなったが,共通の言語を与えたのである. そのための作業は単独ではなし難かったのかもしれない.  古代数学もユークリッド以後,数学を記述するスタイルが確立した. ユークリッド自体が集団であって,ユークリッドの『原論』も共同作業の成果だったのかもしれない,と思えてもくる.

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