Iroha Poet for Mathematics エッセイの部屋へ、
  


数学いろはカルタ


            
           
            
            
 

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一様収束は連続を保つ

 連続関数の一様収束極限は連続関数であるというだけ.一様性の重要性は学生になかなか分かってもらえない.コーシーだって見逃したんだからというのは,言い訳にならないんだが.

急がば廻れ

 三角不等式が成り立つところでは嘘になる.だから,論理の世界は距離空間ではないということなんだ.
 それはともかく,急いで答えに飛びつくな,状況をしっかり把握してからにせよ,という意味にとること.そういう心がけを忘れないで実践していれば,いざ急げという時に無駄な経路を排除するのが速くなる.

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論より証拠

 議論よりも証拠のほうが大切だという意味である.一般の人が数学に対して持っているイメージとは違うかもしれないが,理論構築よりも意味のある例のほうが大切だということである.
 物理の人はよく自分たちはこの現実の世界について研究しているのであって,数学のような架空の世界の話をしているのではない,と口にまでは出さないが,態度でそう言っているようにみえる.
 しかし,数学には数学で,厳然として数学的世界というものがあり,その世界での事実の方が,世界を説明する理論よりも重要なのである.
 ただ,その世界は,定義と公理と論理によって,さまざまな姿をしている.

老驥は櫪に伏せども,志しは千里にあり

 曹操の詩に「老驥伏櫪,志在千里。烈士暮年,壯心不已」とあることから.
これとは反対に「騏も老いては駑馬に劣る」という言葉もある.
 老いてみて,さて,麒麟でもなかったことに気づいたとき,人はどうすればいいのか.

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薄氷を履むが如し

 『詩経・小雅』に「戦戦兢兢として深淵に臨むが如く、薄氷を履むが如し」とある.
 証明の際に,論理の運用には一点の瑕疵もあってはならない.気をつけることは絶対なのだということ.だが,それだけを思っていては,本当に新しい理論を作ることはできない.新しい理論にはそれを支える新しい論理がある.

花も折らず実も取らず

 「一も取らず二も取らず」と同じような状況を指す.似た言葉として,「二兎を追う者は一兎をも得ず」とか「虻蜂取らず」というのもあるが,心学的なニュアンスになっていく.

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握れば拳開けば掌

 同じものでも状況によって変わること.

二度あることは三度ある

 

二兎を追う者は一兎をも得ず

 

人間到る処青山あり

 「男児志を立てて郷関を出ず、学若し成る無くんば復還らず、骨を埋むる何ぞ墳墓の地を期せん、人間到る処青山あり」
 人間は「じんかん」と読むべきかもしれず,であれば,ここには入れない.

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棒ほど願って針ほど叶う

 世の中は願い通りにはいかないものだということと、願いが叶うのはわずかだから望みは大きく持つべきだという2つの教訓のうち,どちらだと思うのかで人の性格と運も分かれる.

仏作って魂入れず

 同義の言葉に,「画竜点睛を欠く」「九仞の功を一簣に虧く」「仏作って眼を入れず」などがある.英語のPloughing the field and forgetting the seeds.も

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下手の考え休むに似たり

 「下手の考え休むに如かず」とも言われたりすると,どうしていいのか分からなくなり,考えてるのが馬鹿らしくなる.それでもやはり,考え続けないといけない.

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努力は報われる

 同値なはずの対偶は,「報われなければ努力じゃない」である.
 努力しても,努力しても報われないという経験を持っている人は多いだろう.何か変なのだろうか?
 算数・数学ではたとえば,掛け算の九九を覚える努力をいくらしても覚えられないとか,参考書に載っている公式を一生懸命覚えるんだけど,試験になるの思い出せないとか,そういうことって沢山ある.
 努力が足らないんだろうか? それとも努力の仕方が悪いんだろうか?
 そういうこともあるだろうね.努力の質というか,向きというか,そういうことが間違っていると,やってもやっても報われない.
 無駄な努力のうちはまだいいけれど,間違った努力が逆効果になることがあると,教育心理学の人でなくても,言うだろうね.


友達関係は同値じゃない

 友達の友達が友達とは限らない(推移律が成り立たない)ということだけど,対称律も成り立たないかもしれない(こっちが友達だと思っても,向こうは友達だとは思ってないこともある).人によっては反射律も危ない(自分を友達と思えない人もあるってこと).
 友達百人作るというのは,小学校入学の時の目標のように言ったCMがあるが,同値関係の審査に通るほどの友達は一生に何人もできるものではない.


読書百篇,意おのずからあらわる




十で神童,十五で才子,二十過ぎれば只の人



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塵も積もれば山となる

 どんな大きな山も,岩や石や土や砂や塵で出来ている.ともに有限のものであれば,アルキメデスの公理から,いつかは山ができる.
 それは,誰でも知っている.中国のことわざに「愚公,山を移す」というのがあるから,古くからの叡智の一つだ.
 ここではちょっと違うことを言うことにする.
  「非可算個の正の数を足すと無限大になる」
 もちろん可算個の場合,有限になることも無限大になることもあり,それは正項級数が収束するか発散するかということである.

長者の万灯より貧者の一灯

 「阿闍世王授決経」にある言葉だが,仏という人智を超えた判定者があってこそ成り立つ.だから,凡人のわれわれにとっては,むしろそうなって欲しいという願いのようなものかもしれない.
 無名で無力な僕にとって,世界を変える力にならないことを覚悟しても,貧者の一灯をともし歩き続けるしかないという,諦めというか,慰めというか,そういうものと思っている.

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良薬は口に苦し

 孔子家語に,「良薬は口に苦けれども病に利あり.忠言は耳に逆らえども行いに利あり」

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濡れ手で粟の掴み取り

 何の苦労もしないで多くの利益を得ること、骨を折らずに金をもうけることのたとえだが,数学を学ぶときにこんなことを考えるとろくなことはない.
 ただ,公式というものは,そういうことを成り立たせる道具でもある.楽をするために公式があるが,数学はその公式を作るために大変な努力をするものなのである.

濡れぬ先の傘

 これについては,同じようなことわざに「石橋を叩いて渡る」,「念には念を入れよ」,「跳ぶ前に見よ」,「用心に怪我なし」,「用心には網を張れ」,「用心は前にあり」,「予防は治療に勝る」などがあるし,同義だが戒める側からの「渇して井を穿つ」,「泥棒を捕らえて縄を綯う」,「盗人を見て縄を綯う」,「後悔先に立たず」,「遠慮なければ近憂あり」などがある.何重にも言わねばならぬほど人はやってしまいがちなことである.

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類は友を呼ぶ

 同じような言葉に「牛は牛連れ、馬は馬連れ」,「同気相求む」,「同類相求む」,「似た者夫婦」,「似るを友」,「蓑のそばへ笠が寄る」,「目の寄る所へ玉も寄る」,「類は友を以て集まる」,「類は類を呼び友は友を呼ぶ」,「類をもって集まる」があり,似ているものは集まってくるという意味だが,集まっていると似てくるというニュアンスもないではない.
 数学に関して言うなら,類別となるが,それは,似たものはすべて集め,似てないものはすべて異なるものとして峻別する.同値関係の推移律が厳密に成り立つのはもともと同じものだけだったというのが,同値関係で商集合を作る心なのだ.

瑠璃も玻璃も照らせば光る

 瑠璃はラピスラズリの和名で,濃い赤みを帯びた青色の宝石であり,ガラスの古称でもある.玻璃は水晶で,透明で,要するに全く異なるものだが,照らせば光るという点では同じだということである.つまり,才能にもさまざまあり,ひとつの評価だけで腐ったり奢ったりしないようにということ.

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老いたる馬は道を忘れず

 老いた馬は道をよく知っており、迷うことがないことで,斉の管仲の故事にから来たことわざ.
 一旦きちんと学べば忘れることはない.うろ覚えや,...

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若い時の苦労は買ってでもせよ

 

我が物と思えば軽し笠の雪

 

和して同ぜず

 『論語・子路篇』に「子曰く、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」とある.

我思う、故に我在り

 デカルトの有名な言葉,元はラテン語で「Cogito, ergo sum」,意味も分からず「コギト・エルゴ・スム」と唱えるだけで偉くなったようような気がした若い時が懐かしい.

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各点収束では,連続性が破れることも

 点での収束ではオーダーを問わないが,収束のオーダーが点ごとに違えば,どこかでビリっと破れても仕方がない,ということ.
 点ごとの収束のオーダーを縛るために「一様性」が考えられた.

蟹は甲羅に似せて穴を掘る

 

頑張り過ぎの空回り

 頑張ることは大切だが,闇雲に頑張ればいいわけではない.じっくりと周りを見回し,頑張れば頑張れる方向や道筋を見極めないと,風車に突進するドンキホーテになるだけになる.

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輿馬よばを仮る者は足を労せずして千里を致す

 『淮南子』にある言葉.正しく,間違わずに使えるなら,道具を使うのを嫌がらなくても良い.掛け算の九九をすべては覚えないで,あとは上手く計算して出すというような猛者が昔はよくいたものだが,九九くらいは覚えたほうが時間の節約になるだろう.公式を覚えることの利便性を言った言葉.

弱馬道を急ぐ

 実力や才能のない者に限って、気ばかり焦って功を急ぐことのたとえ.最近の学生や受験生が答えばかりを欲しがることへの戒め.

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大樹には雷が落ちやすい

 最初に考えたのは「寄らば大樹の陰,されど大樹には雷が落ちやすい」というものだったが,カルタには長すぎる.しかし,これだけでは説明がないと分かり難い.
 教科書や教師などの権威に身を委ねて,自分で考えることをしないことを戒めたもののつもり.教科書には誤植がつきもの,教師にだって勘違いもあれば,理解を超えるものもある.


単位が出ない講義なんだから真面目に聞け

 今の学生の多くは単位のために講義に出る.単位がもらえるのなら,中身はわからなくても,つまらなくてもいい.言い換えれば,単位が貰えない可能性が高いと,講義に出なくなるようになる.
 僕は大学の1年生の頃,単位の出ない講義をいくつかとった.単位が取れるところまで取ったわけではないから自慢はできないが,これは結構快適である.単位を取るべき講義を合間に詰めたわけだから,とてもきつい.そっちが忙しくなったせいで自然消滅したが,2年の初めにもいくつか取った.今でも,もう少しとっておけばよかったと思う.
 1年の最初のガイダンスで,理学部の学生を第2外国語でクラス分けすることになった.ロシア語を取った.自分で勉強するのは辛かろうと思ったからで,フランス語やドイツ語が嫌いなわけではなかった.なにせ何も知らないのだから.
 で,空いているコマにフランス語とドイツ語を詰め込んだ.といって,正規の受講ではない.語学は基本,クラス指定だったから.潜りで入るならと,文学部の仏文のフランス語に潜り込んだ.これがとても大変.初心者相手のはずなのに,文法はともかく,講読の方はのっけからカミユだった.紛れ込んでるせいで,出来の悪さを慰めあう友達もいず,半年で降参した.
 でも,単位目当てでない講義は面白い.詰まらなければでなければいいんだし.だから,出るなら真面目に聞け!ということである.
 卒業しなければいけないわけではないが,入学した以上卒業しないのはコストパフォーマンスが悪い.もちろん,合わないと思ったら早めに転身する勇気も必要なこともあるが.
 それより,だから卒業単位は仕方がないとしても,それ以外の空き時間は遊びだと思って,クラブに入る代わりに講義を取るのも有効な技.無料で受講できるカルチャーセンターと思えば良い.大学なら,大抵のカルチャーセンターよりはいい教師が揃っている.利用しない手はない.そういうものの中で,もしかしたら君の生涯を決めるものに出会うかもしれない.

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連結の連続像は連結なり

 トポロジーの基本結果の一つ.実関数の場合には,連続関数の中間値の定理になる.中間値の定理の証明には極限操作が必要なのに,この定理の証明には極限操作がいらないように見える.さて,なぜでしょう?>

例外のない規則はない

 和漢由来ではない.「There is no general rule without some exceptions.」の訳.規則というものの縛りが日本の感覚よりも強い中でもこういうことがあるという言葉.

歴史は繰り返す

 紀元1世紀の,Curitiusローマの歴史家クルティウス・ルフスの言葉「History repeats itself.」の訳.元のラテン語は見つからなかった.「朝あることは晩にある」,「一災起これば二災起こる」,「二度あることは三度ある」と似てはいるが,「個体発生は系統発生を繰り返す」という方が個人的には好み.

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備えあれば憂いなし

 殷の宰相傳説の言葉で,『書経』説命に、「これ事を事とする乃ち其れ備え有り、備えあれば患い無し」とある。
 するべきことをしておくことが大切だということ.「転ばぬ先の杖」,「跳ぶ前に見よ」,「濡れぬ先の傘」,「念には念を入れよ」,「降らぬ先の傘」,「良いうちから養生」,「用心に怪我なし」,「用心には網を張れ」ほどは神経質ではなく,良い言葉である.BR>
滄海の一粟

 蘇軾『前赤壁賦』の中の言葉.無限小もこれくらいのイメージでいいのだろうが,数学ではあくまでもこれでは有限の大きさ.

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角を矯めて牛を殺す

 英語にするとThe remedy may be worse than the disease.(治療が病気より悪いこともある)となる.日本語の「下手な治療は病気より悪い」,「技を矯めて花を散らす」,「磨く地蔵鼻を欠く」の方がうまい比喩だけれど.
 

爪で拾って箕で零す

 これも英語のNarrow gathered, widely spent.(けちけち貯めて湯水のように使う)の方が直接的だが.

使っている鍬は光る

 「使う鍬は錆びない」とも,「流れる水は腐らず」,「繁昌の地に草生えず」とも言う.似たことわざに「転石苔を生ぜず」というのがあるが,ほとんど直訳の「A rolling stone gathers no moss.」はむしろ,仕事や住居を転々としている人は、成功せず、金もたまらないことのたとえで,気分は反対.

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猫に小判

 似たものに「犬に念仏猫に経」,「犬に論語」,「兎に祭文」,「牛に麝香」,「牛に説法馬に銭」,「牛に対して琴を弾ず」,「馬の耳に風」,「馬の耳に念仏」,「馬の目に銭」,「猫に胡桃をあずける」,「豚に真珠」,「豚に念仏猫に経」といろいろある

猫の首に鈴を付ける

 何だか日本のことわざらしくない感じがしていたが,イソップ由来らしい.英語のWho is to bell the cat?の方が臨場感がある.計画の段階では良いと思われるであっても、いざ実行となると引き受け手がいないほど困難なことのたとえらしいが,日本語での語感は少し違うような.

念には念を入れよ

 似た英語のことわざ,Look before you leap.(跳ぶ前に見よ)や Second thoughts are best.(二番目の考えが最も良い)は説教らしくないが.


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習わぬ経は読めぬ

 

鳴く猫は鼠を捕らぬ

 似たものに「空き樽は音が高い」,「能無し犬の高吠え」,「能無し犬は昼吠える」,「能無しの口叩き」,「光るほど鳴らぬ」,「吠える犬は噛みつかぬ」,「痩せ犬は吠える」,「能ある鷹は爪を隠す」などがある.
 

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楽あれば苦あり

 似たものに「禍福は糾える縄の如し」,「苦あれば楽あり」,「苦楽は相伴う」,「苦楽は生涯の道づれ」,「楽しみは苦しみの種」,「上り坂あれば下り坂あり」,「楽する悪かろう苦をするよかろう」,「楽は苦の種、苦は楽の種」,「下れば登る山の道」

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無理が通れば道理引っ込む

 似たものに「理に勝って非に落ちる」

無用の用

 『老子』には「埴をうちて以て器を為る。その無に当たりて器の用有り」とあり、『荘子』には「人は皆有用の用を知るも、無用の用を知る莫きなり」とある.

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うさぎがどんなに速くても,寝てると亀が追い越していく

 アルキメデスの公理そのもの.
 その種の議論にはいろいろあるけど,ぼくの 微分のはなしの最初の方に「分かりやすく(たぶん)」書いてあるので,参考にしてください.

魚の目に水見えず

 ものに交わって慣れてしまうと、善悪美醜の区別ができなくなることのたとえだが,思い込むと見えているものが見えぬことが起こる.水を見るためには,自ら飛び出してみる必要がある.と言って,「魚の水を離れたよう」になってもいけない.

氏より育ち

 人間形成にとって大事なのは,家柄よりも教育や環境であるということ。

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井の中の蛙大海を知らず

 

猪も七代目には豕いのこになる

 

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能も歌舞伎も,分かるのは,観客と役者が約束事を共有してこそ

 能や歌舞伎は今や古典芸能である.作られてから時代が経って,初めて見る人には何をやっているのかわからない.しかし,当時だって,何も知らない人が初めて見たら分からなかっただろう.
 能面のわずかな違いで(わずかに思えるのは現代人の感性が摩耗しているせいかもしれないが)役の状況や性格を表している.歌舞伎だって,隈取の形や衣装によって,役柄のステータスや立場を表している.当時だって,説明をされなければ,最初から分かるわけには行かない.能は古典芸能の立場を守り,歌舞伎は現代に生きるように変化し続けているが,それでも約束事を共有するから,激としての内容が理解できるのだし,より深く鑑賞することができる.
 数学が能や歌舞伎と同じようなものに感じるのはある種の誤解によるものだが,数学が苦手な人にはそう思えることだろう.数学が苦手だという人に多い特徴は,約束事を無視するか,約束事があることも無視するかであることである.
 約束事というのは,定義や公理ということになるが,特に定義が問題である.能や歌舞伎の約束事は日常から離れたところにありがちなので約束事があることは意識されるが,数学は数学だけの言葉を使うことができなので,日常で使う言葉を使うことも多い. しかし,そのような言葉も定義されて使われていると,その意味で使われることになるが,日常に使っている意味と異なることも少なくない.数学が苦手な人はその言葉を日常語の意味で使うことになって,混乱する.混乱するだけでなく,間違った結論に飛びつくことにもなりかねない.

のれんに腕押し


 

能ある鷹は爪を隠す


 

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負うた子に教えられて浅瀬を渡る

 英語でThe weak may stand the strong in stead. と言ったほうがわかりやすいかも知れない.

己に如かざる者を友とするなかれ

 論語の学而篇に「忠信を主として己に如かざる者を友とする無かれ.過ちては則ち改むるに憚はばかるる勿れ」とある.
 この2つのことわざは文字通りには反対の状況を言い表しているが.

親思う心にまさる親心

 吉田松陰の辞世「親思う心にまさる親心 けふのおとずれ何ときくらん」から.

学而不思則罔、思而不学則殆.

 論語,為政篇より.
学びて思わざればすなわち暗く,思いて学ばざればすなわち危うし.
数学ばかりでなく,あらゆる学びに共通する.勉強するばかりで考えなければ真の理解はできないし,考えているだけで(本や人から)学ぼうとしないと独善的になり危険である,という意味.
 前半は多くの学習者に対する戒め,後半はある程度学習が進んだものに対する戒め.

 これには,ステファン・キングが作家になりたい人のためにOn Wrintingという著書の中で書いている「Read a lot and write a lot(たくさん読み,たくさん書くこと)」という勧めに通う点もある. それは書き散らすことではない.数学者にはガウスの振る舞いが託宣のようになっているので,雑にものを書き散らすことを毛嫌いする傾向がある.
 数学者は間違ったことを書くことはできない.意味のないことを書くこともできない. そうせずに,たくさん書くにはどうしたらいいだろうか. 多作家の数学者と言えば,オイラーとコーシーが思い浮かぶ.コーシーには駄作もないではないが,カリキュラムとしての高等数学の教科書を書くためには試作も必要で,エコール・ポリテクニクで使うものであるため,執筆の締め切りもきつかっただろうから,版もいくつかある. それでも,書いて,講義で使って書き直す.どんな数学書でも大体はそうやって書かれている. 普通には,実際に出版するのは何回かの推敲を重ねたうえでのことになるが,コーシーにはそういう時間がなかったのかもしれない.
 たくさんの論文を書いて,駄作も多いことで有名なシルヴェスターやケイリーにしても,駄作を書くことが次の傑作を書く下敷きになるのならそれも悪いことではない. ただ,筆者のような平凡な数学者では,そのような駄作を書くような余裕が与えられないということがあって,.....少しつらい.

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繰り返しをしてはくれない大学数学

 数学だけではないが,高校までは何でも一度だけではなく,ことに大事なことは反復練習をする.高校までの教育と大学からの教育での違いは大きく言えば次の2つである.
 1つは,高校まではほとんどの人が,つまり学びたくない人も行くが,大学以降は行きたい人だけが行くことである.だから,高校まではやる気のない人にも分からせるためには様々な工夫をする.大切なところは反復し,具体例や比喩も使って説明をする.
 しかし,大学は学ぶ気持ちを持つ者だけが入ってくるところだから,一度理解させたらそれ以上のことは自分でやることになっている.それに,実習でない講義には,本来講義時間の半分程度の時間の予習と復習することになっていて,それが前提になっている.これは法律に書いてあるのだ.
 現実に即さない法律は変えるべきだと主張すれば,法を守れないような学生には単位を出してはいけないと言われても仕方がない.実態に合わないという主張が間違っているとは言い難いが,それは,法律が出来た時に想定されていた大学と今の大学は違うというか,その水準にある大学がほとんどないということになる.
 もう1つは上のことと関係がなくはないが,時間がないということである.なんの時間かといえば,それは学ぶべき学生自身の時間がである.大学を出ればすぐに社会人か,専門家になるというのなら,その専門で世界の一線に向き合えるのでなければならない.だから,学ぶべきことがとても多いのである.反復練習などしている時間がない.だから,知識の定着のようなことは自分でやれというのが,復習時間の設定なのである.

国破れて山河あり


 盛唐の詩人・杜甫の詩『春望』の冒頭の句「国破れて山河あり、城春にして草木深し」から.

鶏口となるも牛後となるなかれ

 『史記』蘇秦列伝から.


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山高きが故に貴からず

 本当の価値は見かけだけで決まるものではなく、実質が伴ってこそ尊ばれるということ.
 平安時代の教訓書『実語教』に「山高きが故に貴からず、樹有るを以て貴しと為す。人肥えたるが故に貴からず、智有るを以て貴しと為す」とある.

柳は緑花は紅

 似たものに,「雨の降る日は天気が悪い」,「犬が西向きゃ尾は東」がある.で?

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蒔かぬ種は生えぬ

 何もせずに良い結果が得られるはずがないこと.

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毛を吹いて疵を求む

 『韓非子・大体』に「毛を吹いて小疵を求めず,垢を洗って知り難きを察せず」とある.人の欠点や悪事をあばこうとしてかえって自分の欠点をさらけ出すことのたとえ。

健全なる精神は健全なる身体に宿る

 ローマの詩人ユベナリスの『風刺詩集』にある「大欲を抱かず、健康な身体に健全な精神が宿るようように祈らなければならない」の一部が訳され広まったもの.

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分離公理は空間の肌理の細かさの徴(しるし)

 集合に位相が入って遠近を考えることができるようになるが,開集合のあり方の程度というか具合というか,それを表現するのが分離公理である.
 異なる2点には交わらない開近傍があるというのがハウスドルフの分離公理で,これを満たす空間をハウスドルフ空間ともT2空間とも言う.空間Xがハウスドルフであることと,直積X×Xの中で対角線集合が閉集合であることと同値である.
 これが標準的なというかわかりやすい分離公理だが,それより弱いものも、強いものも沢山ある.弱いものにT1空間があるが,これは1点だけからなる集合が閉集合であることと同値であって,これくらいはないと辛いので,ほかの強い分離公理もT1があってこそという形をとる.
 強いのでは,任意の交わらない閉集合には交わらない開近傍があるというT4という公理があるが,T1とT4を満たす空間を正規空間という.これはまたウリゾーンの補題(交わらない2つの閉集合に対して,一方で0,他方で1を取る連続関数が存在する)が成り立つことと同値であり,ティーツェの拡張定理(閉集合上の実連続関数は全空間に連続的に拡張される)が成り立つこととも同値である.
 T4を満たし,さらに任意の閉集合がGδ集合(高々可算個の解集合の和として表されること)であることをT6と言い,さらにT1もを満たす空間を完全正規空間というが,これが一般的に考えられる中では一番強い分離公理である.
 距離化可能空間は完全正規空間だから,距離空間はもちろん完全正規である.またコンパクトなハウスドルフ空間は正規空間だから,多くの図形ではあまり分離公理は心配しなくていい.しかし,ザリスキ位相はハウスドルフでないので,代数幾何では分離公理は使えない???のだろうな.

覆水盆に返らず

 太公望の故事から.英語のThings done cannot be undone. よりも品がいいか.

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コーシー列は収束する

 もちろん完備な空間でないと成り立たない.実数を有理数体の完備化として定義するという気分がこのカルタ札にこめられている.

コンパクトの連続像はコンパクト

 トポロジーの基本結果の一つ.実関数の場合には,連続関数の最大値の定理になる.最大値の定理の証明には極限操作が必要なのに,この定理の証明には極限操作がいらないように見える.さて,なぜでしょう?

公式暗記は躓きのもと

 公式を暗記するのが悪いとは言わないが,暗記に頼ると,間違って記憶した時に困る.
 また,意味も知らず暗記したことは忘れやすい.忘れるのならまだ良い.困るのは間違って覚えることだ.更に悪いのは,覚えた時は正しくても,一旦うろ覚えになり,間違った記憶を再現し,結局は間違ったものを正しいと思い込むことである.
 一旦こういう症状に陥ると,正しい公式を覚え直したとしても,間違って覚えたものも頭の中に浮上して,どちらが正しいか混乱することが起こる.

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益者三友,損者三友

 論語にある,「直きを友とし、諒まことを友とし、多聞を友とするは、益なり。便辟べんへきを友とし、善柔を友とし、便佞べんねいを友とするは、損なり」から来たことわざ.

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定義もさまざま

 同じ概念の定義が2つどころか沢山あって訳がわからなくなることがある.同じではないが似たような概念があれば定義もまたに通ってくる.また困るのが,一般には異なる概念なのだが,付帯条件をつければ同値になるということもある. 定義は正しく覚えるないといけない.覚えきれないのなら,きちんとしたメモを取って常に参照できるようにしなければならない.何度も使っているうちに自然に違いもニュアンスも身についていく.

 同じ概念の定義が多くある例にはさまざまあるが,トポロジー(位相)を挙げておこう.
 集合Xに位相が与えられたとき位相空間というのだが,位相を与える方法(それが位相の定義)がさまざまある.
1)開集合の公理を満たすXの部分集合族を与えること,
2)開集合基の公理を満たす部分集合族を与えること,
3)閉集合の公理を満たす部分集合族を与えること,
4)近傍系の公理を満たす部分集合族を与えること,
5)基本近傍系の公理を満たす部分集合族を与えること,
6)閉包演算を与えること,
7)開核演算を与えること,
などである.もちろん,どの1つで位相を定義しても,他の定義での部分集合族や演算を概念を定義することができる.
 また,集合Xが位相以外の構造を持ち,それによって位相を定義できる場合もある.最もよく出てくる例は距離空間で,距離によって基本近傍系を定義することにができる.もちろん,距離空間にほかの位相も定義することができる.
 どんな集合にも,密着位相か離散位相を入れることができ,位相空間になる.また,たとえば直線や平面にユークリッドの距離を入れれば距離空間になるが,上の2つ以外にも距離による位相やザリスキ位相も入る.そういう事情を説明した記事を30年近く前に書いたことがある.読みにくいコピーだが参考になるかも知れない.
 微積分では距離による位相を使って極限やコンパクト性などを定義する.それらが一般の位相空間での定義と一致することなども,微積分のかなり難しい定理である.
 点列コンパクト(任意の点列が収束する部分列を持つ)ならコンパクトだが,第2可算公理を満たすコンパクト集合は点列コンパクトである.
 一般の位相空間でのコンパクト性は,「任意の開被覆には有限な部分被覆が存在する」と定義されるが,この形にすると,類似のコンパクト性が様々に定義される.もちろん一般には異なる概念である.
 例えば,「任意の」を「可算の」に代えた概念が「可算コンパクト」であり,結果の「有限な」を「可算な」に代えた概念が「リンデレーフ性」である.
 コンパクトという言葉は使わないが,似た感じであり,関係の強い概念もある.
 位相空間Xは,高々可算個の元からなる稠密な部分集合を持つとき,「可分」であると言い,各点xに対して高々可算個の元からなる基本近傍系がとれるとき,「 第1可算公理」を満たすと言い,可算個の元からなる開集合の基が存在するとき,「第2可算公理」を満たすと言う.
 さらにこれらの間には関係があって,「第2可算公理を満たす位相空間Xは,第1可算公理をみたし,可分なリンデレーフ空間」であり,「第1可算公理を満たす位相空間では,点列コンパクトと可算コンパクトは同値」である.
 定義を使わないと正しい議論ができないのは明らかだが,すぐに覚えることは難しい.定義のメモをそばに置いて,具体例で確かめているうち,必要なことは覚わっていく.必要でないことは忘れてもいい.必要になったら調べれば良い.ただ,一度ちゃんと考えておくと,必要かどうかということくらいは記憶に残る.それが大事なのである.

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青は藍より出でて藍より青し

 『荀子』に「青は藍より出でて、藍より青し。氷は水これをなして、水より寒し」


新しい酒は新しい革袋に盛れ

 


過ちと偽りは密かに絶え間なく忍び込む

 カエサルが「人間ならば誰にでも,現実のすべてが見えるわけではない.多くの人は,見たいと欲する現実しか見ていない」と言っている.
 目が見るということと,頭が見る,つまり認識することとは違うということであり,見たいと思っていることしか見えないということは,見たくないと思っていることは見えないということでもある.


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砂上の楼閣

 一見すると立派に見えても,基礎がもろいと長く維持できないこと.基礎が大切だということである.立派に見える建物も揺するとグラグラと揺れて倒れることがある.  信じていることが少し揺すられて不安になるのであれば,信念の基盤が確かでなかったということである.大きなものを建てるよりも,小さくても揺すられて倒れないものを立てる方が良い.単なる耐震改修では不格好になる.最初からきちんと基礎を固めたほうが美しく,使い勝手も良いものができる.


三十六計逃げるに如かず

 形成が不利になったときは、あれこれと策を練るよりも逃げるべきときに逃げて身を守る方がよいということ.
 山で道が分からなくなったり,到達できなくなる可能性が出たときに引き返す勇気.
 困難を近くで見ていては回避する道が見えないが,少し引いて遠くから(客観的に)見ると見えてくるものがある,ことがある.

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逆,必ずしも真ならず

 必ず真なのは対偶だと覚えるのも問題.元の命題と対偶の命題の真理値が等しいということであって,元の命題が偽ならば,対偶も偽である.
 一般に数学の命題はすべて仮言命題であり,逆命題と裏命題とは一般には真理値が等しくないということを標語的に言ったもの.
 逆命題も真になるのは,元の仮言命題が,同値な主張を結ぶものである時だけである.

九仞きゅうじんの功を一簣いっきに虧

 苦労して積み上げて,最後の一苦労をし損なうなり,し忘れたりすることで,すべての苦労が水の泡になることがある.qedと書き終わるまで,証明は終わらない.

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雄弁は銀,沈黙は金


 トーマス・カーライルの『衣装哲学』に「Speech is silver, silence is golden.」とあることから.

幽霊の正体見たり枯れ尾花


 

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目から鱗が落ちる


 『新約聖書』使途行伝・第九章にThe scales fall from one's eyes.とある.


面壁九年

 達磨太師の故事.9年壁に向かって座禅をして,足が立たなくなったと,まあ客観的な事実はそういうこと.達磨太師ほどの人でもそれほど座禅しないと悟れないというようにとるか,それほど長く座禅すれば悟ることができるから頑張れとろるか,壁と同化するまで座れととるか,...
 才能?努力?努力の質?....うーん,これこそ考案か.

名人は人を謗らず

 

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水は方円の器に随う


 『韓非子』に「人君為る者は猶盂のごときなり。民は猶水のごときなり。盂方なれば水方に、盂圜なれば水圜なり」

三つ子の魂百まで


 幼い頃の性格は、年をとっても変わらないということ.学び初めの時に悪い癖をつけないように.
 小学校で最初に教える時の方便は放っておくとこびりついた偏見となって,中学校からの正しい概念の理解を阻害することがある.

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失敗は成功の母

 本来は,失敗はしてもその経験が成功に導いてくれるから,めげずに頑張れという程の意味だが,もっと積極的に失敗することを怖がらずにトライを続けてこそ成功もありうるのだという方がいいのかもしれない.
 最近の受験生や学生を見ていると,どんなときもすぐ答えを欲しがる.問題を見たら答えがすぐにわかるというようなパターンマッチングでは,答えられる問題の幅を広げることは難しい.覚えることばかりで大変なばかりでなく,覚えたはずのことの一部でも忘れればもう答えには結びつかない.
 答えをでなく,問題をこそ考える.覚えるのではなく考える.当然直ぐに答えは出ない.失敗する.失敗すればいいのだ,失敗すればその道が危険な道だとわかる.可能な道をすべて考えて残った道が答えであるというセリフの得意な探偵の手柄話を読むことがある.すべてを尽くしたのか?と思わず訊きたくなるようなことも多いが,失敗すればこそ,成功への道が見えてくるし,類似な問題にも対処できる.数値が違うだけで例題程度の問題も解けないなどということは起こらない.

少年老い易く,学成り難し



上手は下手の手本,下手は上手の手本



鹿を逐う者は山を見ず

 利益を得ようと熱中する者は、周囲の情勢に気がつかないことのたとえ。

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絵に描いた餅




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日暮れて道遠し


 『史記』の中で伍子胥の語る言葉.「吾日暮れて途遠し.吾、故に倒行して之を逆施す」

必要は発明の母


 Necessity is the mother of invention.英語からの訳のせいか,言葉から硬さが消えない.

人は自分がなろうとするものになる


 

 

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門前の小僧,習わぬ経を読む


 

諸刃の剣


 

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急いては事を仕損じる

 長い計算でなくても,答が欲しいばっかりに思い込みの間違い計算をすることがある.また,ありえないほど素晴らしい定理を発見したと思ったとき,しっかり確認しないと恥をかくことが起きる.
 数学史上にも多くの例がある.もっとも,そういう失敗の例が歴史に残るのは,大きな業績を遺した人の場合だけだが,失敗のために歴史から消えるということもありうる.

栴檀は双葉より芳し



千里の道も一歩から



正方形は長方形

 小学校では正方形を長方形でないと教える時期があるが,そんな必要があるのだろうか.

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数学は暗記科目じゃない

 コメントをしたくないほど明らかなことだが,センター試験型の試験しかないなら最小努力で効率よくある程度の得点を挙げるためには暗記自体を否定するのは酷なのかもしれない.
 試験の種類にもよるのだが,暗記だけでは一定の得点以上のものは望めない.数学的能力を測るための試験では必ずそうなる.それはつまり,数学的能力のうち暗記能力は大きな比重を占めてはおらず,それ以外の能力を測るための試験になっているだろうからである.もちろん,暗記が全くできなくては早く遠くということはできない.数学は暗記だけではダメだと言っているだけである.

水平思考は垂直思考があってこそ

 デ・ボノによれば,水平思考とは,問題解決のために既成の理論や概念にとらわれずアイデアを生み出す方法のことで,垂直思考は従来の論理的思考や分析的思考のことらしい.斬新で直感的な発想を生み出すためだという.
 しかし,論理的な思考ができなければ,水平思考もできないのである.「垂直思考を既に掘られている穴を奥へ掘り進めるのに例えるのなら、水平思考は新しく穴を掘り始めるのに相当する」という説明があるが,新しく穴を掘るのにどこでもいいわけではないし,新しい穴もすぐに結果につながるとは限らない.ある程度は深く掘らないとそれが答えに結びつくこともわからない.
 水平思考だけを重視すると,庭中穴を掘り散らかしても何も出てこなかったというような探偵小説のようなことが起こる.

り粉木で腹を切る






 言い訳
 完成しないものを公開するつもりはなかったのだが,思ったよりも進まないので,皆さんの知恵をお借りしたいと思って,恥を忍んで公開することにした.
 数学の学習のための戒め的なものを作ろうと思ったのだが,ことわざ的な言葉にまとめるのは意外に難しい.とりあえず,数学または数学の教育に関連のあるカルタを作るための候補になりそうなものをあげてみた.


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