ホームぺージへ。 文献リスト
立ち話 4月5月6月7月8月9月10月11月12月1月2月3月

内容削減自体が悪じゃない


数学セミナー,1998年11月号




01中馬 新指導要領について話してきましたが,算数・数学の授業時
間が大幅に削減されるという話が新聞紙上を賑わせて,大勢の人た
ちが右往左往しているようですね.しかし,内容の削減と時間数の
減少とは,別々の問題として考えるべきでしょう。一定の知識・技
術の習得が主目的の教科にとっては,「ゆとり」と「時間数削減」
はむしろ対立するものです。
 内容に関してみれば,小学校の算数は「数と計算」「量と測定」
「図形」「数量関係」の4つ(中学校の数学は「量と測定」がなく
なって3つ)の領域に分かれていて,学習する内容がこの4つの領
域に細かく分けて呈示されています.このため相互の関連を教えな
いことになりがちで,学習させられる側は大変だと思います.小学
校では,その基本は「数と計算」と「図形」という具合に,すっき
りできないものですかね。検討もされてはいるんでしょうが.
蟹江 いつ頃から,そんな区分が入ったのかな。ラベルを貼ると,
どうしてもそれに引きずられるということはあるよね。
黒木 「量と測定」に関して言えば,もともと度量衡としての換算
が戦前の大きな算数の柱だったわけで,その後,1958年の指導要領
までは「測定」は大きな柱だったようです。そのうち「測定」より
「量」が主になってしまい,「量と測定」になったようです。
 エンゲルス流に言えば「数学は量の科学であり,数学は量の概念
から出発する」ということかな。小学校でも整数以外の数の理解や
図形には量認識が大切ですが,この4つの領域の立て方については,
その関係を検討してみる必要がありそうですね。何を削るかという
とき,結局は,分野それぞれから,少しずつということになれば,
精選ということからほど遠くなりかねないわけです。その意味で,
中馬さんの意見はもっともですね.
蟹江 小学校では内容は多様であった方がいいと思うけど,今は教
える側がラベルに惑わされて,各領域を同じ比重で教えようとして
メリハリがなくて面白くないということになってるかも知れない.
「計算」と「図形」が基本で,他の分野がそれと同じ比重である必
要はまったくないんだ.
 もちろん,計算の分野でも削っていいものはある。たとえば,帯
分数なんて何のために教えるんだろうね。日本以外で通用するのは
ほんの少しの国だけです.その上,帯分数同士のかけ算わり算なん
て,計算練習としてもほとんど無意味だね。帯分数に小数を掛ける
なんぞはもう論外だ。だから,この改革を無意味なものを削るチャ
ンスと考えるのなら,それはまあ意味がないわけじゃないけど。
 本音を言うとね,量を減らすというのは,一般に言って賛成じゃ
ない。少しのことをガチガチに教えるより,無駄もあるほどの量を
ふんわり教えて,意識的に覚え込むのは適当でいい,という方が僕
は好きだ。九九を覚えるために,壁に向かって何度も大声で言わせ
るとか,できるまで家に帰さないとか,できなきゃ廊下に立たせる
とか,軍事教練みたいなのを自慢する人もいるけど,とても好きに
なれないね。
中馬 今は,軍事教練的な指導はないんじゃないですか。
 今回の改訂では,帯分数などの複雑な計算は軽減するといってま
すので,少しは良くなるのではないでしょうか。たしかに,教科内容
よりも教える側の問題といったこともありますが,その軽重の感覚
を数学専攻でない小学校の教師全体に期待するのは無理じゃないで
しょうか。
黒木 私は,算数も数学も今の内容を精選すべきだという立場です。
量を減らすことは,必ずしも少しのことをガチガチに教えることに
は繋がらないと思っています。私も無駄の効用を認めます。内容の
無駄も必要ですが,時間の無駄も必要だと思ってるんです。小学校
の低学年では基本的な内容をゆっくり教えればいいと思いますね。
私は,九九が言えず廊下に立たされた口ですが,全体的には小学校6
年生くらいまでにしっかり計算ができればよいというスタンスがあ
ったのか,落ちこぼれずに済んだような気がします。だから,時間
数の削減は致命的なことですね.
中馬 黒木さんが立たされている姿を思い浮かべると何ともほのぼ
のとした感じですね。先生の言うことを素直に聞いて立たされると
いう図は,いまでは考えにくいですね。当時は先生を尊敬していた
ということでしょうか.私も同じ指導要領で習ったのですが,九九
がしっかりするには相当の練習が必要でした.個人差はあるでしょ
うが,九九を使って計算が自在にできるようになるのは5,6年生
で充分でしょう.
蟹江 黒木さんのケースは,むしろ,当時はそれを落ちこぼれと見
なかったということじゃないかな.教師のというか,社会の許容量
が大きかったということで.
 僕は下町育ちだけど,戦後の焼け野原に街が一気に建ってしまっ
たような所で,遊び場所としてはなかったな.小学校までは「集団
登校」で,この出発の時間までが遊びの時間だったような気がする.
待合せの場所がただの道路で,朝のその時間だけ子供たちに開放さ
れていた.帰ったら家の手伝いとか,そんなに勉強する時間はなか
ったんじゃないかな。学校の帰りは一人だった.歌を歌ったり,自分
が主人公の物語を作ったり,それほど車も多くはなかったしね.九
九も帰り道にぶつぶつ言いながら覚えたような気がする.
 九九なんて覚えるより,計算しているうちに覚えるという方がい
い.無理して覚えこませても、効果は少ないよ。まず覚えられない.
覚えただけじゃ使えない.使えないから覚える気にならないという
わけだ.覚えが悪くたって,知恵遅れというわけじゃないしさ。
黒木 知識はガンガン詰め込めても,知恵の方はゆっくりとしかつ
いていかないものですからね。ただ,覚えが悪いとか良いとかいう
問題ではなくて,いろんなタイプの子がいるといいたいわけです.
覚えることにまったく興味のない子もいるし,何でこんなものを覚
えるのかと考える子もいるし,意味がなくてもすんなりと覚えてし
まう子もいるわけです.だから,許容の幅というか,真の意味での
「ゆとり」が必要なわけですね.「ゆとり」がなければ,どうして
も詰め込みになりがちで,すらすら対応できる子どもだけが生き残
れるというのでは,これはつらいですよ.
蟹江 こういうことを言うと嫌われるだろうが,詰め込みになりが
ちなの? 僕の記憶では,分からないとか難しいとかはあったけれ
ど,詰め込まれたという感じはないな.僕が特殊なんだろうか? 
算数・数学は詰め込んで詰め込めるってもんじゃないし,むしろ詰
め込まないで熟成を待つくらいがいいと思うんだが・・・.もしか
すると今は詰め込み式の部分が多くなって,だから数学嫌いを造っ
てるんじゃないの?
黒木 教科内容から教師の力量の方に話が変わりましたが,最近の
学生は,自分から考えて何かをするというのはひどく苦手なようで
す.すぐに解答を欲しがったり,マニュアルを欲しがります.その
学生が教師になる.最初は指導書の真似でもいいんですが,そのマ
ニュアルを克服して自分のスタイルを確立するのは時間がかかる・・・.
うーん,結局,教員養成に行き着きますね.責任が重いですね.
中馬 これからさらに、総合学習がありますね.これにはマニュア
ルがないので、主体的な力量が問題になります。教師個人で対応する
のは大変なことです。どの学校でも、インターネットをもっと活用
して、他校の教師との協力ということも視野に入れるべきでしょう.
新しい指導要領に対処するには蟹江さんが開いているような多彩な
ホームページを利用することも一つの方法だと思います.
蟹江 たしかにそういうことが自然に必要になる時代だね.今回の
目玉の総合的な学習ではホームページの活用がテーマの一つだけれ
ど,教師の互助組織的な側面は隠れているよね.
 内容の削減問題と総合的な学習の問題を論じるとき,いまはまだ
思想性が重要で,技術論に走るべきじゃないね.