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1つの教員養成理想郷



数学セミナー,1999年3月号





01中馬 なんとか1年間休まずこれて,ほっとしています。算数・数
学教育の問題点を主として教員養成の立場から話してきたわけです
が,読者の反応はどうだったんですかね。少しは実情を伝えられた
でしょうか。
蟹江 『数学セミナー』の読者にとっては、教育というのは数学教
育のことだろうから,話題がむしろ教育全般のことになってしまっ
て,趣味に合わない人もあったろうね。算数・数学教育について話
し合うということで始めたんだが。真剣に,実践的に,教育現場の
問題も含めて,算数・数学の教育を考えていくと,自然にこうなっ
てしまうということかな。
 数学嫌いの問題も,数学がというより努力すること自体が嫌がら
れ,「勉強」のブランド=「数学」として嫌われているということ
か。公教育の元来の目的を考えれば,知識の内容自体よりも,物事
を秩序だって考え対処する能力の育成ということかな.それには数
学は他の科目より能率的で学びやすくてお得なんだけどなあ.
黒木 一口に数学者といっても、数学に対する立場は変わらなくて
も,教育の次元まで踏み込めばまるで違います。教育と研究が一体
である環境もそうでない環境もある。そのため,教員としての立場
がまるで違うわけで,このことはあまりあからさまに語られてこな
かった。
 すぐれた研究者がすぐれた教育者という思いこみ(公理と言って
もいいか)があって,教育問題についても研究業績で測られ,教育
への実際の貢献は一段低く見られていたよね.だから,教育の問題
を語ることが引退した研究者や研究者の時間つぶしのように思われ
てきたからね。研究の成果と違って,教育の成果は見えにくい。そ
れでも,かなり以前から教育的業績を評価しようと努力してきた国
々はある。そのことですぐさま教育がうまくいくとは限らないが,
教育がまともに根付く畑はあるということだね。そのことはとても
重要なことだと思う。
中馬 その流れに便乗するわけではありませんが、連載の終わりに
あたって、あるべき教員養成大学についてついて少し考えてみませ
んか。いま、国立大学の法人化とかブロック化して学部数も3分の
1に,とかささやかれています.リストラも大問題ですが、それ以
前に考えておくべきことがないでしょうか.教員養成に対する実効
あるシステムの追求があまりなされて来なかったように思います。
岐阜の教育学部では、他の大学が大学院,大学院と騒いでいるとき
に、5年制の学部を志向したこともあります.政策的にそういう新
しい構想が出てこないのが不思議なくらいです。
蟹江 たしかにね。上越,鳴門,兵庫の3つの教育大学を作るとき
に,本当に新しい構想の大学を作ろうとしたという話を聞いたけど。
学生の教育と附属学校での体験・実践とを有機的に関連づけてとい
った.あれ,違うの? 出来上がったときには,単なる大学院(教
育)大学を目指した形だけのもので,全国から現職教員を大学院に
受け入れるシステムを併置しただけ。教員養成のシステム自体はま
ったく変わっていない感じだね。
黒木 結果的には、同じような教員養成学校が3校増えたというこ
とで、そのあおりを受けた大学も出ました。徳島大学の教育学部が
吸収され、神戸大学は発達科学部に衣替えになりました。そして最
近では、新潟大学が衣替えの煮え湯を飲まされています。新潟はか
なり抵抗をしたと聞いています。もし、この新構想の3校が本当に
教員養成のパイオニアとして、誰もが納得できる斬新な内容であれ
ば競合も防げたかもしれません。でも,教員採用率が悪い現状から、
1つの県に教員養成の学部は2つもいらないと言われれば,それは
筋が違うと言いたいでしょうね。
 教員養成の歴史を調べることがあってね.新潟大学の教員養成は
明治になって最初にできた数校のうちの一つなんだよ。日本の教員
養成の老舗の一つだったわけで、新潟の人が怒るのも無理はないと
思ったね。
中馬 これからの教員養成大学はどうあればいいのでしょう。そう
いうビジョンをきちんと提起しないと、このまま同じような学部は
いらないという強引な論理で大学がリストラされていく可能性は大
いにあると思いますが・・・。
蟹江 一つずつ考えてみますか。まず,小学校、中学校という教員
養成の区分の問題ね。現場で要求される教員の質という点からみる
と,小学校の教員がすべて,全科担任制なのは問題じゃないかな。
高学年の教科内容はすでにかなりの専門性が必要で,特に今度の免
許の改訂で極端に専門的な教科単位が減ったのは問題だと思う.だ
から,小学校も低学年だけは全科担任制とし、小学校高学年から中
学校にかけては専科制にする。それに応じた教員養成のシステムに
するというのはどうかな。
黒木 たしかに、福井の今回の改革のように小学校と中学校を見通
せる包括的な視野を持った教員の養成ということも一つだが、子供
の発達に合わせた養成という見方も大事だね.
 制度的な問題をクリアしなければならないが、子供たちのまわり
に情報があふれている今日では、小学校でも必要なことですね。教
員免許も、小学校全科と小・中専科という形のものがいいですね。
ただ、小学校の間は、専科制以外の学級担任教師というのが必要だ
と思いますね。つまり、小学校の免許を持っていて、さらに教室の
マネージメントを勉強した教師を学級担任としておく、それが必要
に応じてTT(チーム・ティーチング)を兼ねてもいいと思うんで
すね。
中馬 そうなると修業年限はやはり5年から6年くらいは必要です
よ。医学部と同じ修業年限だということになりますと、卒業後の収
入が医学部とは全然違うので、大切な人作りに貢献する教員への人
気がなくなると困るので、授業料を安くする。6年間の授業料が他
学部の4年間の授業料と同額というのはどうでしょうか。
蟹江 面白いアイデアですね。教員の給料を上げるのは財源難で難
しいから,教育費を抑えるということですか.
 現実的に言うなら,すべての大学をというのではなく,本当の意
味の新構想という感じで思い切った試みを考えて見ますか.修業年
限は6年.全員修士をとって卒業することにし,教育実習はもっと
日常的におこなうようにする.
 附属学校を大学と同じ敷地内に作り,学生は3−5年生の間は,
附属学校で,あるクラスに所属し,持ち上がる.小学校を低・高と
3年ずつ分けてね.最初の2年間は教員になる教養的な科目と専門
の基礎的科目をみっちりする.その間に,適性を自分で測って,中
学校か小学校の高・低のどれかを選ぶ.3年目には附属学校で週1
日,4年目は週2日,5年目は週3日を,学級の副担任として過ご
す.大学では,附属での経験と必要性から,本当に必要だと考える
知識を学ぶ.学習に対する動機づけが高まるね。そして,6年目は
修士論文のための研究に充てる。実践研究はやりやすくなっている
だろう。
黒木 なかなかいいですね。まったく新しい6年制大学を立ち上げ
て、同じ敷地内に、学生寮も(附属の担任をする時期だけ入寮でも
いい)作る。卒業論文は2年間でもよいが、6年目は、むしろ公立
学校のアシスタントとして活動する。公立学校の経験も必要だと思
いますからね。本当に、こんな教員養成大学があるといいですね。
中部地方あたりに一つ作りますか。まあ、いま進行しているような
夢のない構想ではなくて、絵に描いた餅でもいいから希望のある話
をしたいですね。
中馬 そうですね。その場合に附属学校の教員の位置づけをどうす
るかということも問題ですね。今のようなシステムではなしに、大
学の教員と兼ねるという在り方を考えてみることも必要かもしれま
せん。そうすれば、より実効的な研究や指導ができます。
 教員養成大学や学部の改革も平成12年度で一段落です。そのこ
ろまだ教育学部が残っていれば、また立ち話しましょうか。