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算数を教えるのに数学はいらない?



数学セミナー,1999年2月号




(10Q細ゴチ17字詰め3行)
訂正 1月号では福井大学の新学部の名称を間違えました.地域教育学部とあるのは教育地域科学部のミスでした.(1行空き)
01黒木1自分の学部の新しい名称が間違っていてびっくりしました.
正しくは教育地域科学部で,平成11年4月からスタートします.今
のところ鳥取大学と福井大学にしかない学部です.
 さて,中馬さんのところの院生が話していたけど,同期の友達が
この春から小学校で教えるようになったが,他の科目を教えるより
算数を教えるのは簡単だと考えているのを聞いてぞっとした,と話
していましたね.その友達は数学の専攻ではなかったけれど,答え
が一つしかないから算数は教えやすい,という話でした.これって
他人の芝生みたいなものかな.
蟹江 多くの小学校の教師はそう思ってるんじゃないのかな.大人
11の常識だけで,教師が勤まると思っている.数学の専攻生の多くだ
って,程度問題かも知れないね.ぞっとしたと言ってた学生の感性
は,今じゃとても貴重だね.
 そう言えば,昔,上の息子が小学校に行ってた頃,父親参観に行
かされたことがあってね.それが算数の時間だったんだ.技術の問
題以前だったね.数学のスの字もというか,算数のサの字もという
か,まったく分かっているとは思えない大学出たての教師が,また
張り切ってやっているんだよ.それがうちの学部の出身者でね,単
位は取れなかったらしいんだが僕の講義を聞いたことのある教師だ
ったんだな.それをあらかじめ子供から聞いていたから,普段なら
21感じるかも知れない教師に対する不満なんてとんでもない話で,自
分が責められている感じがして,黒板も,教師も見ていられなくて,
窓際に行って,その時間が終るまで窓の外を眺めていた.
 若いからまだ救いはあるのだろうが,そのまま年齢を重ねて熟練
と言われるようになるのだとすれば,ちょっと怖いね.
 息子は親の言うことも教師の言うことも聞かないような子だった
からいいけど,素直な子はやっぱり困るだろうなと思った.それが
数学教育なんてことに無関心でいられなくなった動機みたいなもん
かな.
中馬 蟹江さんの息子さん達は立派な大学に在学されていますが,
31若い元気な先生に出会ったから良かったのかも知れませんよ.それ
にしても,たしかに岐阜大学の教育学部でも数学専攻生の数学離れ
は目立ちます.大学の数学に対して何でこんな難しい数学をやるん
だと思っている学生は多いですね.少し丁寧に教えようと気を入れ
ると,とたんにそっぽを向くような学生が増えました.
 やはり,算数くらいは簡単に教えられると思っているのでしょう
か.職業意識も希薄になってきているということでしょうか.
 卒業生に聞いた話ですが,それでも大学時代数学を専攻した学生
の方がずっと教えるのがうまいということです.何より,大学時代
数学の勉強で挫折しているから,算数のできない子供の気持ちが分
41かって優しくなれるという,落ちのような話でもあるのですが.
黒木 福井は進学に熱心なところで,ある繁盛している塾があって
,多くの子供がそこに通っています.息子達が子供の頃にその塾に
行きたいと言ったが,許可しなかったんです.言葉は悪いが,そこ
では本当に素人のおばさんがマルつけをしているんですね.算数を
教えるのは簡単だと思われるのも無理はないという気もします.こ
の塾が至る所にあるというのは,ノンプロでも算数の点数が上がる
ということですね.実際は,おばさんのせいではなく子供が勝手に
勉強しているだけなんだろうけど.
蟹江 点数が上がるということと算数・数学が分かるということは
51別のことで,分かるというなら,本当に意味までこめて分からない
といけないという議論ね.それ,正しいんだけど,教育論議や教科
教育なんかで,意味論を言いつづけて来たために,かえっておかし
くなってしまった気がしている.
 昔,意味の分からないまま論語や何かの素読をさせるという教育
法があったよね.教育法というより,訓練法かも知れないけれど.
あれはあれで,意味があると思っているんだ.むしろ,今こそ「読
み・書き・そろばん」という言い方を見直してもいいんじゃないか.
そのそろばんができない子供が多い.もちろん,あの形の算盤を持
ち出さなくてもいいわけですが,要するに,教科の内容には,意味
61と技術の両面があるわけだけど,意味のない技術至上教育の弊害を
弾劾してきたことによって,技術のないただのおしゃべりに堕して
しまったというところが,近年の教育にはある.
 そういう意味じゃ,一定の技術の修得のために算盤を習う代わり
にその種の塾に行くことは悪いことだと思わないんだよね.ただ,
いつまでもというのはやはりとても問題で,意味を強く意識すべき
程度の内容,まあ,高校くらいが目処かな,それくらいになったら
,ただただ走るのは止めるべきだね.
中馬 教師の側の問題に戻しましょう.学生は,教育学部はより上
手な教え方を学ぶところだと思っているわけで,数学をさらに勉強
71させられるとは思ってもいなかったというのが本音ではないでしょ
うか.
 そう言えば,黒木さんのところの大学院生でもある現職の先生が,
「なるほど,教育学部は教育を学問するところだと思った」と言っ
てましたね.理学部出の院生は教育を学ぼうとし,教育学部出の院
生は数学を勉強しろと言われて嫌になる,ということがあるのかも
しれませんね.
蟹江 要するに何のプロかということかな.教え方のプロであるの
はもちろんだが,教科の専門に関してもある程度はプロでなければ
ならないという自覚の問題かな.どちらが強調され過ぎてもまずい.
81教え方の方は教師を目指すなら誰でも自覚できることだが,義務教
育程度だと教科内容は知ってるつもりなだけに,教科の勉強の必要
性は自覚しにくい.
黒木 大学で教えている我々の側に問題はないのかな.教育の方法
を我々がもっと工夫する必要があるのではないのかという気がして
ならない.数学の専門性は絶対に必要で,「数学教育に数学はいら
ない」なんていう心ない人々もいるようだけど,教育学部で教えら
れるべき数学の中身をもっと吟味しなければならないと思う.教育
学部で学ぶ価値のある専門数学の内容の確立が必要ですね.つまり,
大学の数学を勉強しなくても算数は十分教えられるなどと言わせる
91教育ではまずい.小学校から高校までの数学教育を議論することと
同じくらいに大学での数学教育をその目的性に引きつけて考えるこ
とが重要な気がするな.
蟹江 少しズレてるかも知れないけど,アメリカにグリンプス・プ
ロジェクトというのがあるんだよね.アメリカでも大学生の学力は
下がってて,といって大学院に入れば狭い専門を猛勉強して論文を
書く,というか教師が書かせるというか,なわけだ.それでは独り
立ちできないわけで,その予防プロジェクトだね.大学院に入ると
いう学生に,数学全体の鳥瞰図が描けるような知識を,深くじゃな
く,広く与える.数学全体がどうなっているのか,何が分かってい
101て,何が分かっていないのか,ということね.実行するとなるとテ
ーマの選び方,プレゼンテーションが難しいけれど,僕はいま日本
では,大学入学前の生徒を対象に,このプロジェクトを走らせる必
要があると思っているんだ.プロジェクトの教科書を翻訳して,三
重大でも講義してみてるんだけど,学生たちの反応を見てみると,
これまでのタイプの数学の講義より気に入っているような気がする.
教育学部の学生に向いてるんじゃないかな.
中馬 蟹江さんは問題が難しくなると,何倍もの難しさの問題に広
げてしまうみたいですね.ともかく,今のままでは数学好きな算数
教師を育てるのが難しいですから,蟹江さんの言うような試みも必
111要ですね.それじゃあ,今年のTOSMシンポジウムは三重でやり
ましょうか.
蟹江 うーん,どうして,そういう話になっちゃうわけ?