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新学習指導要領を読む



数学セミナー,1998年9月号

中馬 教育課程審議会の「審議のまとめ」が6月の下旬に出て、2
002年から始まる学習指導要領の内容が固まったようですが,ず
いぶん変わりましたね.
蟹江 「審議のまとめ」の全文が文部省のホームページに掲載され
てるけど,読む気にならないや。新聞やテレビの解説はニュース的
においしいところだけのつまみ食いの感じがするし,黒木さん,読
んでるのなら,まとめてくれませんか。 
黒木 平成8年8月の文部省からの諮問を受けて,この6月に教育
課程審議会の「審議のまとめ」が出たわけですが,これは平成8年
7月の中央教育審議会の「21世紀を展望した我が国の教育の在り
方」という答申が下敷きです.「ゆとり」のなかでの「生きる力」
を育むために,学校週五日制の完全実施と教育内容の厳選というの
が建て前のようです。
中馬 そう言えば,以前に,「ゆとりの時間」を時間割に組み入れ
たために,強制的に「ゆとり」を持つことになって,「ゆとり」が
ゆとりでなくなり,結局は「ゆとり」がなくなるという結末に終わ
ったことがありましたね。言葉遊びをするのもいい加減にして欲し
いと思います。「ゆとり」とか「生きる力」とかいう具体的でない
目標を掲げられても困るんです。現場は混乱するばかりです.
蟹江 「豊か」ではあっても「ゆとり」のない社会だということが
問題なのであって,児童・生徒の社会環境を変えないまま,学校に
おいてだけ「ゆとり」を与えようとしても無理な相談でしょう.し
かもそれを雑用に追いまくられて,授業の準備すら満足に時間をか
けられない「ゆとり」のない教師に実現させようとしたってね.
 「生きる力」が「ゆとり」の中でしか培われないような言い方も,
問題点をひとからげに実現不可能な「ゆとり」という仮構の中に追
いやっていて,中教審の委員が現実に子供たちと向き合う姿勢を持
っていないことの顕れだということなのかな.
 ハードがあってもソフトのない日本の社会,校舎は立派になって
も荒れる学校.入れ物や制度は作るが,それを運用すべき教師には
時間的にも経済的にもゆとりを与えようとしない.....
 あ,また脱線しそうだ.黒木さん,続きを頼みます.
黒木 今回の具体的視点は次の4点だそうです。
 一つ目は,豊かな人間性や社会性の育成と日本人としての自覚を
養う教育。二つ目は,自ら学び,自らが考える力の育成。三つ目は,
ゆとりある教育活動と基礎・基本の定着と個性を生かす教育。四つ
目は,特色ある学校作りというということで,授業時間数や単位時
間の弾力化などの教育課程基準の大綱化。
 一つ目に関して言えば、各学校段階の役割を述べている部分で、
「国家・社会の一員として・・・」というフレーズが目につきます。
そのためか,小学校音楽の改善すべき点の一つに,国歌「君が代」
の指導のいっそうの充実をあげ,小学校のいずれの学年においても
国歌の指導を明確にせよとまで言っています。社会性の育成という
耳障りのいい衣の下から,かなり露骨に本音が見え隠れしています
ね。この春の埼玉の高校の入学式の問題といい,社会科教科書の検
定といい,一時的なことのようには思えません。
蟹江 サッカーのワールドカップなんかを見ていると,普段「国家」
という言葉の嫌いな人でもニッポン・ニッポンを連呼してたりする
よね.一般にナショナリズムはことが起きれば昂じるもので,善し
悪しは別にしてある意味で自然なもの。しかし,だからこそ,教育
でナショナリズムを鼓吹するというのは感心しないですね.
中馬 ところで,今度の改訂の目玉になっている「総合学習」とい
うのは,どんな文脈からきているわけですか?
黒木 それは,二つ目ですね。知識と生活を結びつけることが大切
だと言っていて,それを実現する方法として「総合学習」というの
を提起して,合科的なものをやれというわけです。
中馬 小学校では,生活科の延長になるのですか。
黒木 似ていますね。ただ,生活科の場合は,理科と社会科を潰し
て1年生で102時間,2年生で105時間のものを作りましたが,今回
は,すべての教科から時間を削減して,3・4年生で105時間,5
・6年生は110時間を捻出しています。完全週休二日制になり,全
体のカリキュラムが削減される中で,総合学習が新しく導入される
わけです。
蟹江 小学校の3年では,国語が235時間,算数が150時間だという
のに,総合学習が105時間とはいかにも多いね。国語は6年では175
時間しかないのに.基礎的な能力を積み上げた上でないと,知識の
総合化などできるわけがない。まとめの文章で嫌というほど繰り返
されている「基礎・基本」はどこに行ったのか,という印象だね。
 「今の教育は知識の詰め込み教育だ」という非難をかわすためと,
時間を削減する大前提の下,社会に役立つ人材育成というスローガ
ンとの帳尻合わせで出て来たのだろうね。
 学んで思わないのは確かに罔(くら)いけれど,思って学ばない殆
(あや)うさの方が,基礎的な教育では問題なのだと思うんだけどな。
中馬 論語ですか。昔は政治家の必読書だったものですが。
 ところで,総合学習の狙いや位置づけはどういうことになってい
るのでしょうか。岐阜の研修校でもこの4月から総合学習の実験を
始めています。学年全体でいくつかのグループを作りその中で自主
的に活動させているようですが,教師も配置しないわけにはいかず,
ゆとりどころか教師の負担は増えるばかりのようです。評価をしな
いからといって教師が必要なくなるわけではありません。
 私の研究室には教員留学生が来ていまして,学校見学に行くこと
がありますが,その場で子供たちにモンゴルでの授業の様子を話す
ように頼まれ,それを総合学習の国際理解の分に当てたんだそうで
す。試行錯誤の試みとは言えますが,小手先の感じがしますね。
黒木 横断的・総合的な学習を通して,自分で判断でき,問題解決
のできる資質や能力を育てると言っています。目標や内容の基準は
定めないが,その形態は体験的学習やグループ学習や問題解決学習
をという例示をしています。
蟹江 結局そうなるんだよね。グループ学習をすればいろいろな視
点から考えることができる。体験学習をすれば学校の授業では得ら
れない体験ができるし,問題解決学習によって持っている知識を活
用し,通常は学ぼうともしない事柄の調査学習をすることになる。
 しかし,それを現実に行おうとすればいくつもの障害が立ちはだ
かる。良いテーマを選ばないといけないし,それを多面的,立体的,
主体的に取り扱わなければならない。そんな良いテーマがどれほど
あるのか,新しい切り口がどれほどあるのか。あったとしても,そ
れを実現するのにどれだけの準備や労力が必要になるのか。それが
基礎教科の学習に対する時間的・精神的余裕を奪わないでできるの
か。また学校全体なり学年全体なりで選んだテーマに馴染まない子
供をどう指導するのか.すべての学校で実践するとなれば大変な問
題ですね。
黒木 福井大学の附属小学校でも総合学習の実験をしていますし,
ほかにもいくつか面白い実践例もあるのですが,準備が大変なよう
です。その一方で,教科が手薄にならないような配慮が必要ですか
ら,教師も児童・生徒も「ゆとり」どころではありません。下手を
するとかつての生活単元学習のように,楽しいけど基礎力が培われ
ず,何の意味の力も育たないことになりかねません。
蟹江 一般的に言えば,総合学習の初等中等教育における位置づけ
と教育の方法論が明確でないということですね.それもあって,日
本総合学習学会(メモコア欄参照)を立ち上げざるを得なくなったと
いうことです.数学を教えることだけ考えていては,数学教育を良
くすることができないという,やっぱり妙な時代だね。(続く)

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