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『古典群:不変式と表現』 訳者あとがき



 本書はH.ワイルの The Classical Groups: Their Invariants and Representations, Princeton University Press(1939, 1946)の増補第2版(1953)の全訳である.
 原著は,以降の数学のあり方に大きな影響を与えており,今や20世紀数学の最高の古典であることは誰もが認めるところだろう. これまで日本語訳がなかったのは1つの不思議でもあった.
 H.ワイル(1885.11.9-1955.12.8)はミュンヘン大学およびゲッティンゲン大学で学び,1908年にD.ヒルベルトの指導の下,積分方程式論をテーマに博士の学位を取得する. その後ゲッティンゲン大学で教職に就き,チューリヒ工科大学(1913--30)を経て,ゲッティンゲン大学教授となる(1930-33). 第2次世界大戦前夜のドイツから逃れ,O.ヴェブレンの招きでアメリカに渡り,プリンストン高等研究所の創設に参加し,1951年に隠退するまで教授の職にあった. 名誉教授となった後,アメリカとヨーロッパを行き来し,スイスのチューリヒで亡くなった.
  19世紀後半,数学の危機を解消すべく精力的に数学の近代化に努力したドイツ学派の伝統に育まれ,1900年のパリの国際数学者会議で20世紀の扉を開いたD.ヒルベルトの教えを受けたワイルは,政治状況のため,ドイツにおいてその伝統を発展させることができなかった. その代わり,数学研究の場の新しい形であるプリンストン高等研究所で,他の5人の教授(A.アインシュタインJ.W.アレクサンダーM.モースO.ヴェブレンJ.フォン・ノイマン)とともに,新世界アメリカ,そして新しい時代の数学研究の伝統を創り上げていった.
  20世紀数学の方向性を定めたと言うことさえできるワイルの数学は多岐にわたり,数学の全体像を意識した業績を挙げている. さらに彼は単なる数学者としての枠組みに収まらない,広い視野と深い教養の持ち主であった. 論文ばかりでなく,多くの著書によって,大きな影響を与えている. 日本語に翻訳されているものだけでも次のものがある.
 
Die Idee der Riemannschen Fl\"ache, Teubner, Stuttgart(1913). 『リーマン面』(田村二郎訳)岩波書店(1974). %原著改訂第3版(1955)
Raum Zeit Materie, Springer, Berlin(1918).『空間、時間、物質』(菅原正夫訳)東海大学出版会(1973), (内山龍雄訳)講談社(1973). %原著第5版(1923)
Philosophie der Mathematik und Naturwissenschften, R. Oldenbourg, Munchen(1927).『数学と自然科学の哲学』(菅原正夫+下村寅太郎+森繁雄訳)岩波書店(1959).
Gruppentheorie und Quantenmechanik, H.Hirzel, Leipzig(1928).『群論と量子力学』(山内恭彦訳)裳華房(1932).%原著第2版(1931)
Symmetry, Princeton Univ. Press (1952).『シンメトリー : 美と生命の文法』(遠山啓訳)紀伊國屋書店 (1957).

  これらは純粋数学にとって重要であるばかりでなく,さらに広汎で深い影響を与えたものばかりである.
  1次元複素多様体としてのリーマン面の概念を確立した著『リーマン面の概念』で,解析と幾何とトポロジーを融合した. 『空間、時間、物質』では一般相対性理論と電磁気学を融合させ,時空の幾何学理論としての位置づけを与え,ゲージ理論の草分けとなった. 『群論と量子力学』では,連続群とその表現の理論を創り,量子力学に応用した. 『数学と自然科学の哲学』では,数学の基礎づけと相対論や量子物理などの新しい世界像に対する哲学的な考察を行った. 世界に対する認識の枠組みが大きく揺り動かされた,嵐のような時代の空気が,彼の哲学的思索を刺激したのだろう. 哲学者になることも考えたことがあるほどの,彼の思索が,厳しく言葉を選んで繰り広げられている. 啓蒙的な『シンメトリー』では美術・工芸を「現代」数学を通して理解できることを示した.
  確かに,本書『古典群』は,代数と解析と幾何の融合点に位置し,この時代の数学の最高到達点であり,その後の数学の歴史に大きな影響を与えたが,上の意味で言えば,ほとんど純粋数学的な内容である点がこれまで訳されなかった理由の1つであるだろう. さらに,本書には「難解である」という風説が付き纏っていて,翻訳したとしても広い需要があるかどうかが問題視されたということもあるだろう. 多くの数学の研究論文に引用されてはいるが,そのうちの何\%{}の人が実際に本書を通読したかわからないという,これも噂が流れていた. 実は訳者にも,大学院にいた頃の論文で,本書を引用しながらも,引用した内容についてはっきりとは理解していなかったという,他人には言いがたい思い出がある.
  今回この翻訳を行ってみて,わかったことは,その難解さには2つの側面があるということである.
  1つはもちろん数学的内容に関するものである. 不変式論を連続群の表現論の観点から統一的に捉えるという枠組みを与えた本書だが,十分に整理されているとは言い難い. 19世紀後半,不変式論は,代数学の実質として,深くかつ大量の業績を蓄積していた. しかし,リー群論とその表現論はまだまだ未整備で,それを基に整理し切るわけにはいかなかったのである. むしろ,ワイルが本書で指し示した方向に,リー群論とその表現論が相互に関連し合いながら発展していき,現在では数学の中で大きな分野として成長している. しかし,それらの理論が十分なほどに発展した現在でも,本書の価値はなくなっていないと考えられている. つまり,それらの整理の段階で取り残された重要な数学の実質が,本書の中にはまだまだ読み解かれるべく眠っていると,多くの人が感じているのである.
  ワイルは「数学の詩人」と称えられた人であり,あるとき,F.ダイソンに冗談めかして 「私の仕事はいつも真実と美とを結びつけようとするものだが,どちらかを選ばねばならないときには,私は美の方を選んできた.」 と語ったという.つまり,読者が本書を読んでいって,どんなに複雑でわかり難く感じても,それはその時代ゆえの制約ではあっても,醜いもの,つまり見難いものではないのである. 少なくとも,ワイルは美しいと感じていた筈である. ニュートンが巨人の肩に乗っているから先人の見えぬものが見えるだけだと言ったように,本書刊行後半世紀以上も経った時点にいる我々には,その美しさがきっとわかるだろうと思いたい.
  さて,もう1つの難解さの側面であるが,それは文章そのものにある. 彼の教養の深さは,言葉の選択や文書の美しさへの繊細で厳格な感覚に反映される. ドイツにいるときに出版された論文や著書はドイツ語で書かれているが,本書の序文にもあるように,アメリカに渡ってからは英語で書くようになった. 新しい数学は新しい言葉でという意気込みではなかっただろうか. そして本書の執筆の際には,教養人ワイルが,自分で美しいと考える英語の文章を綴るように,とくに強く心掛けたのではないだろうか. 数ヶ国語を理解できたゲーテが,執筆する際あえてドイツ語しか使わなかったのは有名な話であるが,ゲーテと同じ空気を吸い同じタイプの教養を持つワイルが,執筆する言語を英語に変えたことには,非常に強い意思を感じざるを得ない. しかしそのため,ワイルほどの文化的素養のない者には,却って読みにくい文章になってしまったのかもしれない. 訳していくときにも,数学の内容はもとよりだが,文章の意味がとりにくくて困ったことがよくあった. 文章は凝っていて長文が多く,単語もあまり日常的には使われないものも少なくない.
  %訳者が理解できた範囲で,日本語の文章を書く際には以下のような手を加えた. そのままではとても理解し難いと思われる場合には文章を分割するとか,わかりやすい言い回しに更えるとかすることもしたが,(二三度読めば)何とか理解できる程度であれば,あえてそのままの形で日本語に置き換えてある. 時代の空気と,序文にあるワイルの意気込みを少しでも伝えようとしたのだが,それなりに日本語の文章として意味のわかりやすい文章にすることも心掛けた. 歴史(数学史であろうと)文書として訳すのではなく,あくまで現在,数学を学ぼうとする際のテキストであり得るようにしたかったのである. そのため,現在の用語や枠組みと異なる場合は訳註をつけ,言葉遣いも日本人に読みやすくなるように書き改めることもした. しかし,できるだけ原文の持つ文章としての香気を損なうことのないように努力した. どれもが矛盾しあうような作業であり,どれほど成功しているのか,読者の叱正を待つしかない.
  以下,本書を読む際の若干の注意をしておこう.
  まず,本書の主たる対象である invariant は,場合によって「不変量」と訳したり,「不変式」と訳したりしている.原義としては同じものでも,日本語の文章の枠組みの中では,異なる訳語をつける必要があった. 原則としては,特に「量」であることを強調している場合は「不変量」としたが,多くの場合「不変式」と訳した. 「量」のままの方が包摂するものが豊かであるが,初学者が迷い勝ちになることを考えた処置である.
  本書を訳していて感心したのは,誤植が極めて少ないことである. しかし,上のような立場から,明らかなミスプリント以外は変えていない. ミスプリントのようであっても,間違い自体に歴史的ないし思想的なニュアンスがある可能性がある場合は,原文のままにしている. また,術語が現在と異なっていることも多く,そのままでは誤解を生じる可能性がある場合には,訳註をつけることにした.
  現代の読者にとっての読みやすさのために,定理や補題などの前後や,証明が終わった後,また話題が転換する段落の間に1行の空きを入れることにした.
  本書では,有理数体を κ,実数体を K,複素数体を Kと表している. 現在通用の記号である,Q, R, Cに変えることも考えたが,そのままにしておいた.
終わりに,翻訳期間中,あえて名前を挙げないが,多くの方々に助けていただいたことを感謝しておきたい. 中でも,名古屋大学多元数理研究科の司書である谷川澄子氏には,文献に関する訳者の問い合わせに懇切丁寧に対応していただき,大変お手数をお掛けした.原著にある文献に関するデータは完全ではなく,発行年,巻号,開始ページなどが間違っていることも,著者名が違うことすらあった. 本訳書の文献表が一応の体裁を整えたのは彼女の助力のお蔭である. また,翻訳原稿を通読し貴重なコメントを頂いた佐波学氏(鳥羽商船高専)にも感謝の意を表わしておきたい. 本訳書に誤まりがあれば,訳者の責任であり,再版の都度訂正していきたいと思っている. 訳者のホームページ(奥付参照)では,出版後見つかった修正箇所をはじめ補完情報を掲載する予定である.


平成16年10月                     蟹江 幸博



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