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私の本棚(数学セミナー1992年8月号27ページ)


 数学セミナー1992年8月号の「私の本棚」という特集に依頼されて書いた文章を再録しておくことにする。
 依頼の項目は次のとおりだった。ページ数は1ページ。
--あなたの読書体験や勧めたい本を教えてください。
  1. 高校生・大学生・社会人1年生に勧めたい自然科学書
  2. 自然科学以外の分野で勧めたい本
  3. 中学生・高校生のとき読んで面白かった自然科学書
  4. 旅行に行くとき、カバンに入れておきたい本
  5. 今、読んでいる(論文でない)数学書

 本棚なんてものは、下着と同じようなもので、他人に見せるようなものではない。汚ければ恥ずかしいし、綺麗だからって見せびらかすようでは品性が疑われる。だから、原稿の依頼を受けたとき断りの言葉がまず頭に浮かんだのだが、数学・自然科学を志す若い人が読んだら良いようなものを編集部の求める項目にしたがって挙げれば良いらしい。それで原稿を引き受けはしたのだが、高校生に勧められるような数学・自然科学の本が思いつかないのには困ってしまった。
 私が高校までに読んだ本にしても、自然科学の本というよりそれに関する歴史の本になってしまう。数学でなら、ベル『数学を作った人々(上・下)』田中勇・銀林浩訳(東京図書)が一番印象に残っているし、自然科学でなら、コペルニクスケプラーガリレオ・ガリレイニュートンなどの伝記、相対論や量子力学の発展の解説書を手当たり次第に読みはしたが、薦めて良い本といえるかどうか?
 本当に数学・自然科学を理解しようとしたら、それに必要な技術の習得はどうしても避けられない。たとえば、ニュートンの仕事の意義や、それ以降の自然科学の発展を理解するためには微積分を知らずには何ともならない。 J.アダマール『数学における発見の心理』伏見康治・尾崎辰之助訳(みすず書房)に挙げられているポアンカレの逸話は有名だが、長い間考え続けても分からなかった保型関数の性質が馬車に乗り込むときに分かったと言われても、 馬車に乗り込むときに普段使わない筋肉を使ったことが、ポアンカレの脳のどこかを刺激して活性化したとか、通常では起こらないシナプス結合をしたのじゃないかと想像するぐらいのことだ。ポアンカレがそのとき発見した保型関数の性質が何か、分かったら面白いだろうと思っても、教えてくれる歴史書はない。
 科学者本人が自分の仕事や、仕事を支える思考をできるだけ平易に書いた本も多くはないがあることはある。私が高校生の頃、何ヶ月も持ち歩いていたが結局は読み切れなかったガリレオ・ガリレイ『天文対話』青木靖三訳(岩波文庫)とか、時代が新しいためか楽しく読めたアインシュタインL.インフェルト『物理学はいかにして創られたか(上・下)』石原純訳(岩波新書)等は、元気な高校生なら読めると思うし、受験の向こう側にある世界の広がりや深さを感じさせてくれるだろう。
 デデキント『数とは何か』河野伊三郎訳(岩波文庫)を大学1年のときに読んだのが、歴史書でない数学の本として初めてのものだった。それまで読んでいた啓蒙書と違った骨身を削る思索の書といった感じがして、身の引き締まる思いがしたものだ。物理をやろうと思って大学に入ったのに数学をやることになってしまったのは、そのためだったのかも知れない。翻って考えてみると、高校のときに読んでいたとしたら、大学に入って論理学でもやっていたかも知れない。高校生に勧めるのは止めよう。大学生になってから読んだらいい。
 他の自然科学の本では、伊谷純一郎『日本動物記2 高崎山のサル』(思索社)が良い。著者の人間に対する、学問に対する愛情と情熱が伝わってくる。 大学3年の冬、京大闘争の最中で伊谷先生に出会い、その求道者のようでありながら一方ですこぶる人間臭い人柄に惹かれたことがあった。高校時代にこの本を読んでいたら、もしかすると今ごろはアフリカで暮らしていたかもしれない。危ない。危ない。数学をやろうという若い人は、この本を読んではいけません。
 自然科学の応用ということで胸踊るような本といえば、フレッド・ホイル『暗黒星雲』鈴木敬信訳(法政大学出版会)はどうだろう。SFではあるが、天文学者のホイルが、学問をするものの世界に対する責任をどう果たすべきかについて、1つの解答を与えたものだと言える。

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