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『数学者列伝:オイラーからフォン・ノイマンまで』 の訳者あとがき



 有名な数学者は沢山いて, 数学者になりたい若者も沢山いるだろう. しかし,数学者になるには何をしたらいいのだろうか?  大学入試の数学の勉強をしても,数学者にはなれそうもない. 数学者とは数学をすることで生きている人と定義をされても, 謎が解けるわけではない.
 怖いもの見たさではないけれど,適度な真面目さとほどほどの情報量の本を読んで,その謎が少しでも解けたら嬉しいと思う人も少なくないような気がする.
 そんな人にぴったりの本に,有名なE.T.ベルの『数学をつくった人びと』がある. 日本語版初版は1962年,63年に出版され,一時入手困難であったようだが,2003年にハヤカワ文庫から復刊されている.
 実は,訳者も高校生の時に読んだ. そこから何を学んだかは心もとないが,世界が広がっただろうことは間違いがない. アキレスとカメの話もそこで知ったし,発見の興奮で裸で町を駆け出す人がいたことも知った. 史上最高の学者が,卵と間違えて時計を茹でた話も知った. 数学者が奇人変人の集まりだと思ったわけではないが,数学者になりたいとは考えもしなかった. それほどに特別な人たちに見えた. そういう訳者が今,曲がりなりにも数学者のうちに数えられている. もしかすると,ベルのお陰もあったかもしれない.
 ベルの登場人物は英雄たちであり,際だった個性を持っている. 古代ギリシャのツェノンに始まり,集合論のカントールまで,40名弱の人々の人生が若干の業績とともに描かれている. 最後のカントールが亡くなったのが1918年だから,ベルの本が出版された1937年では,まだそれほど昔の話だったわけではない.
 ベルの本を読むと,ベルが数学を好きなことやその数学を作ってくれた人びとに感謝と共感を持っていることが伝わってくる. 数学者列伝の定番と言ってよく,いわば司馬遷の『史記』の列伝のようなものである.
 それを継ぐものが欲しいという期待に応えようとしたのが本書である. 班固の『漢書』の列伝に当たるといってよい. 史書のスタイルを作り上げることからしなければならなかった司馬遷に比べ,班固は述べる事柄から近い時代に生きていて,事実に関してはより精密で,専門的な書き方であり,本書もそうなっている.
 このような列伝型の本を書くのは思ったよりも難しい. 誰を選ぶかよりも,誰を選ばないかに迷う. 各章の分量はだいたい同じにしたいが,人によって語るべきことや語るに値することが同じほどにあってくれるわけではない.
 本書がベルの後を継ぐものであるとすれば, ベルの本の人物をすべて含むものにするか,ベルの本が終わった時点から始めるか,いくぶんかを重ねて自然な流れでつなぐのか,という3つの選択肢がある. その際,ニュートンを入れるかどうかが大きな問題である. また,カントール以降だけにすると,数学的話題が専門的になりすぎるという恐れもある.
 ニュートンにはあまりにも多くの史料があり,他の人と同等な分量だけ切り出すのは却って難しい. ニュートンを外せば,ライプニッツやベルヌーイ兄弟たちのような直接にニュートンと関りを持った人は入れにくい. そこで,ニュートンと活躍期間がずれているオイラーから始め,カントールを中央に置けば,ほぼ200年をカバーできる,というのが本書の骨格になっている. 1707年に生まれたオイラーから,1903年のコルモゴロフまで,同年に生まれたフォン・ノイマンを除けば18世紀と19世紀に生まれた人物を扱っている. もっとも,活躍するのは成人してからなので,20世紀前半までの数学が登場する. ニュートンによって微積分が生まれ,世界を語る中心的な言葉となった数学が,さらに成長していく物語を,作り手たちの人生を通して語っていくことになる.
 本書の著者のジェイムズは1928年5月28日にイギリス,サリー州クロイドンに生まれた. ベルの本が出た10年後のことである. 少年になった頃には,既にベルの本自身が伝説となっていただろう.
 ベルと違って,ジェイムズは数学者である. 列伝に描かれるほどではないとはいえ,訳者も学生の頃に論文を読んだことがある一流の数学者である. 専門は代数トポロジー,特にホモトピー論で,オックスフォード大学の数学の教授である. 本書のヴェブレンの節とウィーナーの節で登場したJ.H.C.ホワイトヘッドの弟子でもある.
 本書が扱う人物たちは,偶像化された英雄ではない. 偉大な先人たちとはいえ,同じ数学者としての視点から,彼らの生涯が観察されている. 登場人物の何割かにはジェイムズも直接に会っているだろう. 訳者ですら,何人かには遭っている.
 著者の構成はとてもきっちりしていて,どの人物に対しても,生没年月日,生没地,家族,受けた教育,数学を志す契機,職歴,受賞歴,死因をできる限り明らかにしている. これらをきちんと行なうために18世紀以降という制約は必要だったろう.
 ジェイムズが書き下ろした英語版原書Remarkable Mathematicians: From Euler to von Neumannは,直訳すれば,「特筆すべき数学者たち:オイラーからフォン・ノイマンまで」となる. 本書の成功によって,著者はRemarkableシリーズというべきものを書き続けている. 本書はその最初のものというだけでなく,一番面白いものであると,一読者として訳者は思う.

2011年2月 


蟹江 幸博



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