MyBookのホーム,
幾何教程。
『幾何教程』 訳者まえがき
本書はGeometry by Its Historyの日本語訳である.著者の一人,ヴァンナー氏は数値解析の専門家だが,『幾何的数値積分』という著書もあり,また本書の執筆が動機となってか,初等幾何の定理の初等的証明の論文も書いている.
2014年9月に,前著『解析教程』(Analysis by Its History)の共著者であるハイラー氏とともに,数値解析の研究集会のために京都に来られた.
訳者もその集会に出かけてお会いし,そのおりに頂いた第2版用の原稿のファイルが本書の底本になっている.
『解析教程』も本書も2部構成で,『解析教程』の場合はニュートン以前と以後に分けられ,さらにニュートン以後は19世紀後半の解析学(数学)の基礎付けの反省以前と以後に分かれており,それぞれの境目が近代数学と現代数学の幕開けになっている.
本書の場合はデカルト以前と以後に分けられており,近代の始まりを示す明確な里程標になっているが,幾何学の内容が変わったわけではない.
幾何学的諸量を記号で表し,代数的な処理が可能になっただけである.もちろん,そのことによって問題解決の手法が劇的に増え,古来からの難問も不可能性が証明され,非ユークリッド幾何も生まれる.
それでも初等幾何には新しい定理が付け加わり,豊かにも精密にも深くもなっていく.技法と構造の発展と相まって,
解析幾何学が生まれ,射影幾何学が生まれ,微積分の発展とともに微分幾何学が生まれ,代数幾何学が生まれ,位相幾何学が生まれてきた.
また,それらの新しい技法を使わず,幾何的な技法と概念だけで展開される総合幾何学もある.
本書では,古代から知られていた三角関数は使用するが,微積分は使わない範囲での幾何学のほとんどすべてを,歴史に沿って展開している.
本書の冒頭には,geometryという英語は,プラトンの時代から学問の名前として知られているもので,γεωμετρία[ゲオメトリア](大地を測ること)という言葉からきていると説明されている.
であれば,geometryを訳すとすれば,測地学とすべきようにも思われる.
しかし,測地学という学問は別にある.英語ではgeodesyと言い,ギリシャ時代からあるもので,γεωδαισία[ゲオダイシア]と言う.
同じように大地を測るものだが,こちらは実際に計測する技術やそれから地図を作るなどの実務的なものである.地球の形状を定めるのもこの学問である.
中国に幾何学という学問があったかと言えば,
図形の面積や長さを求める技術は確かに古くからあったが,学問と言えるものではなかった.
では,いつ誰が『幾何学』という学問を作ったのだろうか?
1607年のことであった.ユークリッドの『幾何学原論』の漢訳が北京で公刊された.
その書名が『幾何原本』であった.ユークリッドの本のタイトルはΣτοιχεία[ストイケイア]であり,対応する英語はElementsであって,幾何という言葉はどこにもなく,現在では単に『原論』とか『原本』と呼ばれることが多い.
『幾何原本』の表紙には中国の儒服を着た,マテオ・リッチと徐光啓じょこうけいの絵が描かれている.リッチは明{みん朝末期に宣教に訪れたイエズス会士であり,徐光啓は後に改暦に携わる明の高官になる.
両方の文化に精通した彼らが作ったのである.しかし,geometryの訳語をなぜ幾何としたのだろうか.
「幾何」という言葉が「幾何学」とは関係のない文脈にあれば,「いくばく」と訓よまれる.つまり,どれくらいの量?という疑問に使われることが多く,
図形の学を表すとは思えない.
以前は「幾何」は音訳であるというのが定説だったが,近年は誤解によるという説が強い.19世紀に編まれた漢語-英語辞書では,geometryに対応する漢語が与えられておらず,その内容を漢語で説明する書物が『幾何原本』とある.その本に``the principles of quantity''という訳がついている.つまり,幾何とは量のことだと理解されていたらしい.ストイケイアの訳としてはむしろ自然だったと言えるだろう.
大地を測るとは,大地の上にある何かしらの対象物や構造をできるだけ忠実に再現するために,数値を対応させるということである.
写真のない時代に図形なるものを伝えるためには,劣化しない情報である数に変換するのが良い.数に変換し,数から再構成する.その技法と哲学が幾何なのである.
大地とは世界であり,図形はその世界の現象だとすれば,幾何は世界を理解し,操作するための技術であり,哲学である.現在,素粒子論でも宇宙論でも幾何的枠組みで語られることが多いのはそのためである.
本書には,現代の諸学の基礎である幾何が,そのあらゆる陰影とともに語られている.演習問題をすべて解けば,信じられないほどの実力がつく.
最初は楽しんで読み進むことができなくともよい.苦しんでも読み進むことをお勧めする.読み進むことを楽しめるようになったら,どんな学問にも進むだけの心構えができていることだろう.健闘を祈る!
桑名にて
2016年12月 蟹江 幸博