Translator's Preface to Three Pearls in Number Theory MyBookのホーム『数論の3つの真珠』ホーム

『数論の3つの真珠』 訳者まえがき



数と数学,それを学ぶこと (訳者まえがきに代えて)

数の世界と数学の本
 「数学は科学の女王であり,数論は数学の女王である」と19世紀のドイツの数学者ガウスは言いました. そして,数論の真珠と称えられた平方剰余の相互法則を発見しました. ガウスはあらゆる分野の数学ばかりではなく,地理学,天文学,物理学にも大きな貢献をした人です.磁気の強さにガウスという単位があるほどです. それでもガウスは,数論にもっとも高い価値を置いています.
 数は,特に 1, 2, 3, 4, 5, ...と数えていける数は,身近で親しみやすく,とても役に立つ対象です. あなたの1日を考えてみても,息をするほどに不可避で,絶えず出会い,常に扱っている対象です. 朝起きて時計を見る.数と出会います. 体重計に乗ってみる.数と出会います. 体がだるく,体温を計る.数と出会います. 出かけに昼食代をもらう.数と出会います. 金,長さ,面積,体積,重さ,時間,日付,温度,密度,湿度,...ありとあらゆるものが数を使って表されます.
 それは他人にも伝達することができます. 伝言ゲームで文章を伝えていくと,言葉が次々と変わっていき,原形を留めないものになっていきます. しかし,数を使って表されたことは,それほど変わってしまうことはありません. 違う言葉を使う人でも,時代を隔てた人の間でも,数で表したものは伝わります.
 洪水が起きた.寒波が来た.ペストが流行った.そういう伝説の大災厄も,水位が25m上がり,気温が零下40度に下がり,10000人の人が死んだという1つのデータのほうがより多くのことを語ってくれます. 印象だけで語る言葉より再現性があるのです.
 単純だから役に立つ. しかし,単純に見える数の世界には,複雑で華麗な構造が潜んでいます. 調べても調べても尽きることのない謎があるのです.
 体系的な哲学や科学が生まれた古代ギリシャでも,数は重要な役割を果たしました. 数を使って,世界と世界の調和を,理性的に理解し説明しようとした人が,紀元前6世紀に活躍したピュタゴラスです. 小さな整数の分母分子を持つ分数を使って,美しい音色の弦楽器を作ることができるように,単純な数の比が世界の構成原理を表わすはずだというのです. そうした理想の世界観に触れたプラトンが,現実世界を理想(イデア)の世界の投影だと考え,西洋の哲学,科学の基となる姿勢を作り上げたのです. 数は弦の長さであり,数の科学が幾何学だった時代で,幾何学を知らないものは倶に語るに足らないと,プラトンは言っています.
 数のいろいろな性質に,人生や生活を結びつけることが好まれました. 数秘術という,錬金術や占星術と結びついていくものも生まれました. 当時の生活観や世界観をより堅実なものにするために,人が「数」に仮託したものなのです. しかし,数学的に意味のある数も見つけられています. 素数,双子素数,完全数,友愛数,三角数,合同数.... そのすべてが古代ギリシャの時代に見つけられ,今日になっても親しまれ研究され続けています.
 数に関する問題の多くは,その意味だけなら誰にもわかります. たとえば,本文の中で,ヒンチンが繰り返し話題にしているのは,自然数を何かの性質を持つ数のいくつかの和で表わすという問題です.
 1640年にフェルマーは,任意の自然数を3つ以下の三角数の和で書くことができ,4つ以下の四角数の和で書くことができ,一般に n 個以下の n 角数の和で書くことができると言っています. また1770年にウェアリングは,任意の自然数は4つ以下の平方数の和で書くことができ,9つ以下の立方数の和で書くことができ,19個以下の4乗数の和で書くことができると言いました. 戻って1742年にゴールドバッハは,オイラーに宛てた手紙の中で,任意の(6以上の)整数は3つ以下の素数の和で書くことができると言っています. オイラーはその返事の中で,すべての(4以上の)偶数は2つの素数の和で書くことができるということと同値であることを注意しています(解説第3章§11参照).
 証明されているものもいないものもあり,証明されていても初等的な証明があるものもあればないものもあります. 初等的でも込み入った証明しかないものもあれば,簡単な証明があるものもあります. 初等的という言葉に厳密な定義はなく,高度な理論は使わないというような意味ですが,生まれてからほぼ3世紀しか経っていない「微積分学」を使わないことだと本書では思っておいてかまいません. しかし,本文のテーマである事実はそれ自体初等的な言葉で述べることができるので,初等的な手段だけで証明したいと思うのも,また自然な欲求なのです.
 ポール・エルデシュが「ザ・ブック(天書)[『天書の証明』参照]に書かれている証明」と言うように,どんな定理にも,その定理本来の見通しの良い単純な証明があるのかもしれません. それが証明の理想ならば,いまだ,すべての証明が得られているわけではありません.
 しかし,本文の中でヒンチンが言っているように,「初等的であることが簡単であることを意味するわけではない」し,「まったく初等的な構成であっても時にどれほど複雑になり得るか」分からないこともあるのです. ヒンチンは本文で,「まったく初等的で」,しかも非常に「複雑」な構成の例を,3つの真珠とよんで,私たちに残してくれています.
 いわば,本文は数論の3つの真珠がしまってある宝石箱なのです. 真珠の美しさを鑑賞するには,まず箱を開けないといけません. しかし今,その蓋を開けるのにはかなりの力とコツがいるようです. けっして蓋の蝶番が錆ついたわけではありません. 宝石箱のできた時代から50年以上も経って,人々が宝の存在を忘れ,箱の開け方を忘れただけなのです.

 本文で述べられている3つの定理には,ヒンチンが与えている証明より本質的に易しい,初等的な証明は,20世紀が終ろうとする今になっても見つかっていません. 50年以上も前にヒンチンがとり出してみせた数論の3つの真珠は,忘れられて,深海に眠っていたのです. その素晴らしい輝きの記憶が,何人かの人の心の底からよび覚まされ,訳者に深海に潜るようにという依頼があったのです. 潜ってとり出して,そして磨いて展示するのが訳者の仕事でした. しかし,ダイヤモンドでならカットが古いというように,使われている言葉は古く,議論の進め方も今の読者には馴染まないかも知れません. それでも,これらの真珠は他のものに更えられない貴重なものです.
 何度も何度も読んで下さい.きっとそのうちに分かります. 何度も何度も磨いて,真珠に輝きを取り戻して下さい. 真珠は,磨くことを知っている読者の心の中に輝くものなのです.
 数学を学ぶのは確かに苦しい作業だという面があります. ヒンチンが本文で言っているように,「・・・の初等的解法も,簡単どころではなく,理解し習得するにはかなりの努力が必要となる」でしょうし,「出来るだけ簡単になるように説明するつもり」ではいても,「数学においては(もちろん他のあらゆる科学においても),本当に価値があり意味のあることを会得するには,どんなことにも,厳しい努力が必要とされる」ことは「覚えて置いてもらわないといけない」ということです.
 ヒンチンの与えている「証明は,初等的な点で素晴らしいものですが,・・・」「完全に理解し会得するのには,手に紙と鉛筆を持って2-3週間も頑張」らないとできないほどで,でも,「このような種類の困難を克服することによって,数学」する人は「だんだんと成長していく」ものなのです.
 古代ギリシャの時代は数学と音楽は同じものでした. だから,数学は音楽と同じように数楽であってもよいのです. なのに,なぜ片方が「学」になり片方が「楽」になったのでしょうか. 実はそうではないのです. ヨーロッパ諸語ではそんな区別はありません. 日本語にその区別があるだけなのです.
 苦しい音楽もあるように,楽しい数学もあります. ピアノやヴァイオリンのレッスンは数学を学ぶよりずっと苦しそうです. それでも,音楽の習得が困難なことは誰も非難しません. なぜ,数学は(難しいと言って)非難されるのでしょうか.
 そうです,音楽は習得できなくても別に困りません. 出来た方がいいけれど,できなくても困りません. しかし,数学が習得できないと困るのです. だから,文明国の初等教育では,どこでも応用数学の基礎(算数)が当然のように若者に強要されています. しかし,豊かになってしまった社会の住人は,強要されること自体を嫌悪します. 強要されるから,数学を嫌い始める. 努力せずにはなし得ない数学の習得に,届かぬ葡萄を酸っぱいと断じるキツネのように,数学は不用なものだと断じるのでしょう. そして,盛国の没落が始まるのです.
 文明は数学の上に建っています. 古代中国の帝王尭の優れた治世が大衆に統治を感じさせなかったように,数学は声高に功績を主張せず黙って文明を支えています.
 嫌われてはいてもこれまでは,基礎的な教育における数学の地位は揺らぐこともなかったのですが,直接的には政治が,本質的には変わっていく社会自身が,その状況を変えてきています. 教育における数学の立場に翳りが生まれてきています. そうした中,数学の有効性,美しさ,厳しさ,楽しさを知る僕たち数学者には,数学を護り,数学によって支えられている文明を護る義務があります. 数学者もまたそうでない人も,数学の大切さや楽しさを伝えようという本を書いていて,目録の上では,あらゆる種類の,と言って良いほど数学の本があります.
 数学者のための数学の本,未来の数学者に基礎知識を与える数学の本は沢山あります. 大学の基礎教育としての数学の本なら,教科書,参考書,演習書,それも難しいものから易しいもの,理論的なものから実践的なもの,歴史的な観点から概念・技術のルーツを語るものまで多量にあります. ちゃんと読むと,結構面白いのですが,これも強制されると面白くなくなるのでしょう. 小学校から高校までは,検定教科書があり(昔の教科書は結構面白かったものですが),参考書があり,問題集があります. 数学の雑誌もあるし,受験数学の雑誌もあり,数学・算数の教え方についての雑誌もいくつかあります. 新書や文庫にも読ませる工夫に溢れた本が出ています.
 どれも,読めば面白く,教科書でさえ,感心するような工夫がされたものも少なくありません.
 それでいて,本屋に行ってみても,余りちゃんとした数学の本が置かれていないことが多いのは,どうしてなのでしょう. 何故か数学の本は敬遠されています.
 数学の本といっても,あまり抵抗感なく誰にも受入れられているものもあるようです. たとえば,数字の絵本,数学(算数)パズルの本 .... 要するに,算数・数学が嫌いでない(年代の)子供を対象とする本なのだということでしょうか.
 しかし,専門知識を持たない普通の大人が楽しみながら,そして時には苦しんででも読みたいと思う本が少ないのです. 江戸川乱歩が描く名探偵・明智小五郎は,仕事のない夜は,徒然に,高等数学の問題を解いて過ごしていました.
 推理小説が流行っています. でも,殺人の技術を習得するために読むわけではありません. 数学だってそんな風に思って読めば,面白いのにと思います. 読まないから分からないだけで,読めばきっと面白い.
 それでも,読んで分かれば面白いくらいの主張にしておかないと,ここまで読んだ読者に数学至上主義者の本かと放り投げられてしまうかもしれません. といって僕が数学至上主義者でないわけではありませんが.
 推理小説にもいろんなジャンルがあります. いまや推理小説は探偵小説,警察小説,犯罪小説,サスペンス,ホラーを含んで膨張し,エンターテインメント小説だと言ってもよく,童話や昔話から進化してきたファンタジーやSFとも融合してしまっています. 古き良き時代の推理小説には,ペダンティズムが薫ります. どれも面白い. 数学の本にもそんなヴァラエティがあってもいいし,音楽のようにいろいろな楽しみ方があってもいい筈です.
 あなたには,数学を単に固定した教科として見るのではなく,人類の遺産・文化としての数学,文明を支える基盤としての数学を学んで欲しいと思います. 上に述べたようにいろんな種類の数学の本があります. 自分で,自分の世界観を作るために数学に関した本を読み,自分を高めて下さい. 本書もきっと,そのための役に立つと思います.

本書の成り立ち
 さて,本書はどんな本なのでしょうか.
 本文の著者は,旧ソ連の数学者でアレキサンドル・ヤーコヴレヴィッチ・ヒンチン(Александр Яковлевич Хинчинという人です. 1894年7月19日にロシアのカルージュスカヤ・グベルニヤ,コンドゥロヴォで生まれ,1959年11月18日にソビエト連邦のモスクワで亡くなりました. 彼が書いたロシア語のТри Жемчужины Теории Чисел第3版(1979)という本この本の表紙が本書のp.78にある. を,日本語に訳したものが本書の中心部分です. このタイトルは,直訳しても「数論の3つの真珠」となって,非常に魅力的なものです. 英訳のタイトルも素直に``Three Pearls in Number Theory''となっています. 初版は1945年です. 所々(特に第3章では)記号や書き方を平易にしようとした校訂が,A.B.シドロフスキー(本文の初めに出てくる編集者)によってなされていますが,内容は第2版(1946)と大きく変わっていません. 実は,原著第2版のドイツ語訳からの重訳が,1957年に木下素夫訳でみすず書房から出版されていました. それも絶版になって久しく,存在すら忘れられようとしています.
 半世紀以上も前に書かれたこの本を,なぜいまロシア語から訳し直すのでしょうか. 時代を越えた素晴らしい数学と,数学に対する著者の姿勢,良い数学者を養成することへの静かだが強い著者の情熱. ある意味で,失われていく古き良き時代の数学の世界の雰囲気を,もう一度現代のものとして蘇らせたい. そういう熱い情熱で数学を語る人がいたことを,思い出としてでなく,今必要なことなのだとすべての人が想うべきときではないでしょうか.
 ヒンチンが本文を書いた頃のソヴィエト連邦では,ナチス・ドイツとの戦争で,ヨーロッパ・ロシアの国土の多くが荒廃していました. 人口の多さと国土の広さだけが財産とも言えるほど疲弊していたのです. ソヴィエト連邦も成立したばかりで国力を培うことが急務でした. ソヴィエト連邦にとって,科学こそが正しく国を富ませる原動力であると信じられており,そのために科学知識の普及が重要視され,特に基礎科学の担い手の育成に力が入れられていました. 帝政ロシア時代の,農奴も存在するような前近代的な体制が打倒された後に興った,ロシアでは初めての民主義的政治形態だったのです. 心ある科学者は,国のため,そして世界のため,人類のためと信じて教育に力を注いでいたのです.
 ヒンチンもまた多くの教科書を,というより若い数学者を養成する目的の書物を書いています ヒンチンの著書の多くは日本語に訳されている. 『数論』(銀林浩,麻嶋格次郎訳,商工出版,1958), 『確率論入門』(グネジェンコとの共著,渋谷政昭,渡辺毅訳,みすず書房,1956), 『待合せ理論入門』(修正3版,森村英典訳,広川書店, 1966),『統計力学の数学的基礎』(河野繁雄訳,東京図書, 1971)など多数あるが,残念ながら『数学解析8講』(馬場良知ほか訳,大竹出版,2000)を除いて絶版である.. 本文にも,優れた若い才能を育てようという,彼の熱意が横溢しています. そのため,彼の語り口は,優しいものとは言えません.
 しかし,ヒンチンが見せてくれる3つの真珠は,それぞれ素晴らしいものです. 今このような話題を探そうとしてもなかなか見つかりません. 第1章でさえ,初等的ではあっても,非常に複雑な構成を持っています.そして,第2章は第1章の倍,第3章は第2章の倍の長さになっています. どれも,しばらく数学界で懸案になっていた問題で,当時若かった数学者が解決を与えたものです. 柔軟な頭脳と体力がなければ解けなかっただろうと思われる問題です. それをヒンチンが整理したものが本文の3つの章なのです.
 前にも触れたように証明はすべて「初等的」なのですが, そのためにむしろ構成は複雑になっていきます. 構成が複雑になっていくと,証明の途中で何をしているのかわからなくなって,富士山麓の樹海に迷いこんだような気がしてくるでしょう. 特に第3章は足元に光の射さない深い森にいるような感じがするときもあるでしょう. 整理された証明を読むだけでもそうなのです. 最初に証明するときは,どの方向に正しい道があるのかまったくわかりません. 発見者は非常に強い意思の力を持っていたのでしょう.
 今,大学に入学してくる学生に講義をしていて残念に感じることは,易しいことであっても,少し複雑になると,それをやり通す力がないということです. むしろ,やり通す意思の力がないということです. すぐに答えを欲しがって,すぐにわからないことはわかろうとしていないと感じることがあります. わからないことを,いわば謎を謎のままで体の中に抱えておくことは,とても大切なことなのですが. それが多分,とても気持ち悪く思うのでしょう. 誰だってわからないことをわからないままにして置くことは気持ちの良くないことです. しかし,そうしていれば,問題を意識的または無意識的に考え続け,いわば心の中で熟成して,あるとき気がつけば,解けてしまっているということがあるのです. 大きな数学の発見ほど,そうして生まれることが多いのです.
 誰にでもすぐにわかるような問題が詰まらないというのではありません. そういう問題の方が基本的で,しっかり把握しておくべきだという考え方もあります. また誰にも解けなかった難しい問題に対して,概念や方法を創り出し,すべての人に当り前と思えるようにすることは,数学の1つの理想でもあるのです. しかし,最初に突破するときはどんなに強引でも力づくでも解ければいいし,そうでなければ解けないことも多いのです. 一旦解けてしまえば,易しく解く方法も見つかるというものです.
 今の時代にこそ,読むための数学の本でなく,自分で考えるための数学の本が必要なのではないでしょうか. 高校生に向けてのこのシリーズの中に本書を選んだ編集委員の意図はそのことだったのでしょうか.
 意図はわかるものの,今の高校生に提供するには,そのままではやはり難しすぎるような気がしました. できる限り訳註もつけて補足しましたが,それでも難しいと感じます. もちろん,直接に本文にアタックして読解のできる読者はそうした方がいいでしょう. その場合にも,一度や二度の挫折にはくじけないで何度も何度もアタックして欲しいと思います. 山もある程度は高くなければ「貴く」ないように,本書は(予備知識は要らないのに)難しい,ということにこそその真価があるのですから.
 僕も,訳すために何度か読み返して,何とか理解はしました. 素晴らしいと思いました. しかし,何か物足りません. 本文には,さらっと触れられているだけのテーマや定理がいくつかあります. とても面白そうです. でも時代が移って,解決されているかも知れません. どうなっているのだろうか? 実に落ち着かない気持ちになりました. 僕はこの分野においてはアマチュアなので,素朴な好奇心が掻き立てられたのです. それで,調べてみました. しかし,調べ方が悪いのか,日本語で出版されている本では,十分この好奇心を満足させられませんでした. 本文を苦労して読んだ読者なら,きっと同じ思いに駆られるでしょう. そうだとするなら,今までに分かっていることを調べるのも僕の義務のような気がしてきたのです.
 書いていくうち興味が広がり,どこで止めるかの方が問題になってきました. でき上がったものは結局,自分が読みたいものになりました. 内容的には本文の内容を含んだ『加法的整数論入門』というようなものです. 本文そのものの解説というより,本文の内容とその後の進展の解説です.
 しかし,そのため,記述に難易度や視野の広がりに凸凹ができてしまいました.普通の数学の本のつもりでいると,違和感があるかも知れません. たとえば,解説の第1章\S 2の数学的帰納法は,フェルマーの無限降下法を説明するためにだけ書き始めたのですが,多少趣味が過ぎたようでもあります. それでも,きっと楽しんでいただけると思っています. なにしろ,僕は楽しんで書きましたから.
 解説は,高校生以上の数学を愛するすべての人が,それだけを読んでも分かるものにしたつもりです. しかし,「初等的」という制約を課したので,述べきれない部分があります. できるだけ文献を挙げておきましたが,ほとんどが外国の数学雑誌や書籍なので,タイトルの日本語訳で内容を推測して下さい. いつの日か,読者の中から,原論文を読んで,そして自分自身の歩みを始められる人が生まれると嬉しいと思います.

本書の読み方
 本書は,ヒンチンの本文が3章,訳者の解説が3章,作業の素材となる数表が1章分という構成になっています. 本文をその順の通りに読破し,それからそこに触れてあるいろんな話題について,読み物を読むように解説を読んで貰うというのが,もっとも正統派の読み方とは言えます.
 しかし,多分それはもっとも困難な読み方だと思いますし,実を言ってそのように最初から順に読んで貰うことを期待してはいません. ヒンチンの書いた本文と違って,解説の方は,大小様々な宝石が難易度の順でなく,関心の順序に並んでいる陳列箱のようなものです.
 もっとも抵抗感の少ない読み方を1つ紹介しましょう. 最初は本文の各章の導入部だけ読んで下さい. 各章の内容は以下のようなものです.
 第1章は,自然数をどのように2つに分割してもどちらかのクラスには好きなだけの長さの等差数列が含まれる,というバウデットの予想が話題になっていた歴史から始まります. 最初に証明したファン・デル・ヴェルデンは,予想をそのままの形でなく,もっと一般な形の定理に昇華させて証明したのです. 第1章の内容は,彼の証明を若干簡易化したルコムスカヤの証明を紹介したものです.
 第2章では,自然数の部分集合に密度を定義します.その簡単な性質からでも整数の面白い事実を示すことができます. さらに,2つの集合の和として得られる集合(和集合ではありません)の密度と元の集合の密度との関係についてのシュニレルマン予想がマンによって証明されました. その証明をアルティンとシェルクが簡易化したものが紹介されています.
 第3章は,ウェアリングの問題です. 問題の肯定的解決は1907年にヒルベルトによってもたらされましたが,見通しも悪く初等的でもない証明でした.それだけ独創的だったということです. 10年ほど後にハーディー--リトルウッドヴィノグラードフが明快なアイデアで新しい証明を与えましたが,それも微積分を駆使したものでした. そして1942年になってやっとソ連のリニクが初等的な証明を与えたのです.
 これくらいのことが分かったら,解説をざっと眺めて下さい. 解説は初めから順に読む必要はありません. もちろん,順に読んでも良いように書いてありますが. パラパラッと見て,気に入ったところとか分かりそうなところから取り掛かって下さい. その箇所に必要なことがそれ以前に書いてあると指示してあれば,その部分を眺めて下さい.
 「眺める」という言葉が気になりますか? 眺めるというのは字面を眺めるという気分で,単に文字を読むというか,意味が分かってもわからなくても良いから,読み下すということです. 数学の本を「読む」というのは,理解しながら読むということです.
 解説では,高校生が本格的な数学の本を読むときに感じるであろう障害について,少しくどいくらいに雑談風のコメントをつけてみました. ぱらぱらと眺めているうちにきっと何ヶ所か読めるようになるでしょう.
 そこで自信がついたら,本文にアタックしてみて下さい. 一度には1つの章だけで構いません. 草臥れたら,本書のことはしばらく忘れても構いません. でも,きっともう一度手に取りたくなる時がきます. あなたにとっても,それだけの魅力を秘めた本であることを僕は信じています.
 解説の附録の数表は本当の附録です. 理論的な記述に疲れたとき,それでも数の世界で遊んでほしい. そのための(素材としての)ブロックのようなものです. 説明があって,問題があって,解ければいいというような本だけが数学の本ではないことを知って欲しくて付けてみました. 何かの理論や事実を習ったら,それを具体的な数を使って確かめてみる. 必要な数表を何枚かコピーして,何かの性質で色を塗ったり,印を付けたりして遊んでみて下さい. けっして本自体に色を塗らないで下さい.そうでないと,別の遊びをするときの邪魔になってしまします.
 人名索引には,基本的には本書の中に出てくるすべての人の,生没地と生没年月日を含む情報を載せてあります. 数学は人の行う営みであることを知って貰いたいのです. 昔の人になると諸説紛々のことも多いようです. そんな場合にはあまりこだわらず,信用できそうな説を挙げてあります. 細かい点では違っていることがあるかもしれません.
 本書用のホームページ(kanielabo.org/mybook/pearl/)を僕が運営しているホームページの中に置き,ミスプリントなどの情報を載せます. 間違いを見つけた読者は,ぜひそこにあるアドレスにメールして下さい. また,人名索引は,他の僕の著訳書に登場する人物と合わせたものを作っていますので,ご利用下さい.

 原著では,第1章§1 - §6,第2章§1 - §4,第3章§1には節のタイトルがついていませんが,読みやすさを考えて,タイトルをつけました.

ファン・デル・ヴェルデンの思い出
 最後に,第1章の定理を最初に証明したファン・デル・ヴェルデンの思い出話を少しだけ紹介しておきましょう. 「1926年のある日,エミール・アルティンオットー・シュライヤーと昼食を取りながら,彼らにオランダの数学者バウデットの予想について話した.」と彼の話は始まります. アムステルダム生まれでアムステルダムとゲッティンゲンの2つの大学で学んだオランダ人の彼は,当時ハンブルグに来ていたのです.
 「昼食の後,我々はハンブルグ大学数学教室のアルティンの研究室に行き,証明を見つけてみることにした. 黒板の上にいくつかの図式を描いた.」 議論の中で彼らには閃きに似た思いつきが幾度も訪れ,そのたびに議論が新しい局面を迎え,アイデアの1つが最後には解決へと導いたというのです.
 アイデアの一番大きな点は,バウデットの予想をより一般的で強い命題に置き換えることでした. 帰納法を使える形にし,しかも定理を数列に対してだけでなく数のブロックの列に対しても使える形にします. アルティンとシュライヤーもいくつかのアイデアを出したそうです. 帰納法で示すとして,いつも気になるのは,自明な最初の段階ではなく,その次の最初に自明でない値での証明です. ファン・デル・ヴェルデンはその部分はこれ以前に示してあったようで,それを二人に説明し,一般の場合にも成り立つという確信を得たそうです. しかし,アルティンたちはそれには納得できず,帰納法のもう一つ次の段階も確かめたいと言ったので,彼はその場合の証明をしたのだそうです.
 そこで,ファン・デル・ヴェルデンの有名なたとえ話が述べられます.

 「それは木からリンゴを摘むことに似ている. ある人があるリンゴを取り,別のリンゴがもう少し高い所になっていれば, もうちょっとした努力でもう1つリンゴを取ることができることがわかるということも起こるかも知れない. 私の隣に立っている人は私が最初のリンゴを得たことしか見ていないので,私がもう1つのリンゴを取ることができるかどうか疑わしく感じるだろうが,私自身は単にリンゴを取るだけでなく,リンゴの摘み方を体感したことにもなる.」
 少しわかりにくいですね. アルティンとシュライヤーはアイデアは出したが実際に証明を考えたわけではなく,ファン・デル・ヴェルデンが示した証明だけしか見ていないのです. ところがファン・デル・ヴェルデンは自分でその証明を考え出したので,状況が少し変わったときにもどのようなことが起こるかが予測できた,ということなのでしょう.
 人が1つのリンゴを取っているのを離れた場所から眺めていても,それ以外にリンゴがあるかどうかは分からないが,リンゴの木の下でリンゴを見ながらリンゴを取っている人にはほかにもリンゴが生っているのが分かるという喩えなのです.
 だから教科書に書いてある定理の証明を読んで理解しただけでは先に進むことは難しく,何か新しいことをしようというなら,その定理の証明を自分で考えてみるほうが良いという教訓です. といって,すべての定理をそうするわけにもいかず,自分の(生涯の持ち)時間との兼ね合いで選択するということになるのでしょう. その選択のウェイトのかけ方がその人の数学のスタイルを決めていくことになるのです.

謝辞
 解説を書くために,主に [エリッソン(1971)], [ガウス(1801)], [ゴールドマン(1998)], [ディクソン(1919-23)], [ナゲル(1964)], [ハーディーライト(1979)], [ベイカー(1984)], [リーベンボイム(1991)], [ローズ(1994)]を参考にしました.
 鳥羽商船の佐波学氏には,原稿を通読して,ときに暴走しがちな僕の頭を冷やしてくれたり,ミスプリントを見つけてくれたり,その有益なコメントに感謝します.
 また,編集者にふかく感謝しています. 本文の翻訳は1年以上も前に終わっていたのにもかかわらず,訳者のわがままで,解説部分がどんどん膨らんで行き,その目処がついたと思ったら,別の導入部を作りたいなど,本書がどのような形になって行くのかわからない状態が続きました. 不安も不満も胸に納め,じっと待っていてくれたことに,本当に深く感謝しています.

2000年4月                     蟹江 幸博



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