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数学書を一冊だけ?


 「一冊の数学書」を推薦するというテーマはとても難しい. 原稿を依頼されてからずっと考えているのだが,まったく思いつかない. その1冊があれば他に数学書は要らないというような本があるだろうか.
 中世までならユークリッド『ユークリッド原論』中村幸四郎他訳,共立出版)だろうが, 今は初心者からプロまでの魂の書などは考えられない. それでも数学は1つなのかと言われると困る.考えてみよう.
 とかくに1冊の本という設定は難しい. 人により時期により状況により変わる. 「無人島に持って行く本」という極端な設定をしたとして,(自発的に?)無人島に流されてロビンソン・クルーソーをするときに,数学の本を読んでいられるだろうか. 「数学書を持って無人島へ行こう」というコピーは成り立ちそうもない.

●歴史の中で
 似たような状況なら数学史にあって, 卒業して技師になったコーシーが任地のシェルブールに4冊の本しか携行しなかったという. 宗教書と詩集と2冊の数学書,ラプラスの『天体力学』とラグランジュの『解析関数論』である. これはむしろ,プロになろうとする若者にとってその時代をリードする本が2冊だけだったという幸運の方に力点があるかも知れない.
 一冊の数学書として想定されるのはそういう本のことだろうか. プロの数学者に,プロになる決心をさせてくれた一書,でなくとも専門分野を特定させてくれた一書. しかし,数学にロマンを感じておられる方には申し訳がないが, そういう例はほとんどない. 数冊挙げてもよいというのであれば考えられなくもないが,それが人生の転回点となった本なのかと言われれば,転機を生む契機の一つとしか言えないようなものしか思いつかない.
 その名が一冊の本と離れ難く結びついている人ならばいる. フェルマーと言えば,ディオファントスの『算術』である. ラテン語訳が印刷された本の余白にフェルマーは自分が発見した事実を書き込んだ. 中に400年も証明に掛かったものがあり,とても有名であるが,彼にとっての一書だったかどうかはまた別のことである.
 またディリクレには, ガウスDisquisitiones arithmeticae(『ガウス整数論』,高瀬正仁訳,数学史叢書,朝倉書店)がある. 大学の式典で原稿の一枚を使ってガウスが煙草に火を付けようとしたのを止め,貰い受けたというエピソードがある. ゲッティンゲンでのガウスの後継教授になった彼の強い尊敬の念が,この本を彼の聖なる一書にした. 生涯手元に置き繰り返し読んだというが,それは記念物以上の意味がこの本にあるからである. この本は,整数論が数に関する単なる個別の性質の集積であることから脱して,近代的理論になったという道標でもある. だから初心者が簡単に読めるほど整理されているわけではなく,難解で有名であり,整理に洩れた豊かな話題にあふれている. 「一冊の本」の資質は難解さと内容の豊かさということなのかもしれない.

●プロになるため?
 現在,数学は非常に豊かで多岐にわたり,既知と未知との切羽に至るためにも多くの予備知識が必要となる. ほとんどあらゆる(数学の)分野の知識を得てからでなければ,「思いて学ばざれば即ち\ruby{罔}{くら}い」ことになる. プロになるには,最低でも数分野の基本文献を読了しておく必要がある. また,一冊にこだわり過ぎれば視野が狭くなり発展性が期待できない. 「学んで思わざればもう即ち\ruby{殆}{あやう}い」ことを忘れず,濫読に耽らなければならない.
 プロになっていて,一書で展開できるような地点を超えていない者はいないはずだ. そうでなくても互いに刺激し合える\ruby{坩堝}{るつぼ}の中にいるはずで,先生もいれば先輩もいるのだから,本書を手にする必要はない. 専門を決める前のプロでもない. 複数持つことはありえても,専門を1つも持たないプロというのも存在しないのだ. どんなに素晴しい本であっても,一書だけでプロにはなれないのである. だから最初から読者として,プロは想定外なのだった.
 では,誰のために,何のために一書を推薦すればよいのだろうか?
 数学者になり得る若者に数学の道を選ばせるようなもの?  数学者にはならないが,勉強や仕事の中で数学を使うだろう若者に,より良く学べばよりよい未来があると信じさせるようなもの?  数学が好きだとは思っていない若者に,ちゃんと学べば好きにもなれるし,学んだことが人生のどこかで役に立つと分かってもらえるようなもの?  数学が苦手だと思い込んでいるために文科系志望にしてしまったが,本当は理科系に進みたいと思っている高校生に,数学はちゃんと学べば(少なくともプロになる前のところまでは)誰もが容易に学べるように整備されていることを知らせるもの? 
 結局は良い教科書を挙げるしかない.となると今度はあり過ぎて,どれにしたら良いか分からない.

●代数・幾何・解析では
 ガウスの本の続きで代数の本なら,シャファレヴィッチの本(『代数学とは何か』,シュプリンガー・フェアラーク東京)がおもしろい. ともかく話題が豊富.証明はちゃんと書いてあるところもあるが,さわりだけのところもあり,少しは代数をかじってからでないと読み初めが少し辛いかもしれない. 自分で訳したから褒めるわけじゃないが,なんともテンポが良い. 畳み掛ける講談のような語り口で,あたかも張り扇の音が聞こえてきそうな感じがした. また,参考文献も豊富で,しかも個々の本に対する著者のコメントが嬉しい. その際,本を挙げるときにも,整備された修正版よりも,初版の方を挙げてある. より新鮮で興味深いからだという.
 一冊の本ということなら,知識の質よりも熱い心が伝わる方が良い,ということなのだろう.
 解析を考えてみよう.創始者のニュートンの本で微積分を勉強することは不可能である. 主著『プリンキピア』(『自然哲学の数学的諸原理』,河辺六男訳,中央公論社)には今のような微積分は見当たらない. 同時代人の非難を恐れて,すべてユークリッド幾何の言葉で書かれている. お陰で難解で,なによりアイディアの湧き口が見つからない. 現在のような微積分の教科書は,コーシーのエコール・ポリテクニクでの講義に端を発している.そのレジメには日本語訳(『微分積分学要論』,小堀憲訳,共立出版)がある. ワイエルシュトラスなどの解析の基礎の反省を経て,微積分の教科書も洗練されてきたが,シャファレヴィッチの推薦する初版に当たるものはオイラー(『オイラーの無限解析』高瀬正仁訳,海鳴社) になるのかも知れない. 知識でなく,解析学を紡ぎ出す精神の方が知りたいならお奨めである. ヴェイユも教科書なんか読まずにオイラーを読めと言っている.
 解析の歴史も積み上げられ,全体の見通しが悪くなっている. オイラーの故郷スイスで,30年かけて纏められた『歴史から見た解析学』(ハイラーワナー『解析教程 上下』シュプリンガー・フェアラーク東京)は,初心者にも読みやすく,文献も豊富である.
 幾何は,ある時代受験数学の花形だったためか,受験から外れた今は却って推薦しやすい本がない. 海鳴社から発売予定の「モスクワの数学広場」は,幾何も解析も代数も組み合わせ論も歴史も含んだ,新しい切り口の(高校生対象の)副読本のシリーズである.ぜひ推薦したい.

●考え方だけでは
 数学の知識はいらないが数学的考え方は知りたいというのは反則である.だが,数学を愛したエルデシュ発案の本(アイグナーツィーグラー『天書の証明』,シュプリンガー・フェアラーク東京)か,少し古いがポーヤの小さい本(ポリア『いかにして問題をとくか』,柿内賢信訳,丸善)ならお薦めできる.