Book Guide 50
 本の部屋へ。 文献リスト

数学に親しむブックガイド五十
(「数学がわかる。」アエラムック61,朝日新聞社(2000.6),168-175ページ.)



今数学から離れていても,いろいろな種類の知識と,関心を持った人がいる.どんな人にも,このガイドの中に,読みたいと思い,読んで良かったと思える本が見つかるように,選んだつもりである.数学に関する本の多様さは質量ともに膨大で,50冊はあまりに少ない.良書には絶版のものが多いが,現在も入手しやすいものに限定したので,書店に在庫がなくとも,注文すれば手に入ると思う. 数学離れが言われている昨今だが,探せばいい本はたくさんある.さらに本のリストが欲しければ,評者のホームページの「ほんの本のリスト」というページが参考になるかもしれない.

数学に出あう頃

安野光雅『はじめてであうすうがくの絵本 1-3』福音館書店 1982

楽しい絵本である.狂言回しの二人の小人が,おとぎ話の夢の中で数学を語る.技法としての数学はないが,人として知るべき数学がここにある.野暮を承知で言えば,算数,集合,幾何は,この絵本が語るものを体得するために学ぶのだ.ヘレン・ケラーが多重苦を克服して奇跡の人になったように,言葉と数を知ることによって,ヒトは人になる.絵本のどこを開いても謎と遊びがある.何度も読めて,読むたびに楽しい本である.

ジョン・シェスカ文,レイン・スミス絵『算数の呪い』(青谷南訳)小峰書房(1994)

文化は人類への呪いである.文化あってこそ人間である.そして数学はもっとも強力な呪いである.ヒトは小学校で算数に出会う.この大判の美しい絵本の主人公は,生きることのほとんどすべてが算数の問題として考えられると教えられ,算数の呪いに苦しむ.そして克服する.世界は晴れやかになり,算数は呪いでなく友人になる.算数の呪いは避けられない.避けてはいけない.克服してこそ人間であると,教えてくれる.

玉木英彦『小学生にピタゴラス さんすうの博物学』みすず書房(1994)

 「意味のない計算より意味のある計算がよい」と物理学者の著者が小学校の算数教育に一石を投じた本である.自然理解の方向に,算数からの素材を自然に発展させていく.ピタゴラスの定理,筆算の重要性,無限小数,放物線などをテーマに,具体的作業で楽しませてくれる.単なるドリルでない,意味のある問題が,自然に読者を誘っていく.大人になって,自分が小学生だったらこんなふうに算数が勉強したかったなと思わせる本.

H.M.エンツェンスベルガー著,R.S.ベルナー絵『数の悪魔−算数/数学が楽しくなる12夜』(丘沢静也訳)晶文社 1998

 数学に関連した本でこれほど売れた本はない.詩人・作家が画家と協力して数学を語ればこんな本ができる.主人公のロバートは小学生で,ロバートの夢に出てくる数の悪魔は数学の殿堂に住んでいるらしい.見慣れた筈の算数の世界はどうやら広くて深くて恐ろしくて,そして楽しいものらしい.ロバートと数の悪魔とを友として,12の夜を過ごし,算数ぎらいがふっ飛んだら,あなたは次に何を読む?

高校生から市民への数学

芳沢光雄『高校「数学基礎」からの市民の数学』日本評論社(2000)

 2003年度から新しい指導要領が実施される.高校までの数学の教授内容が空疎化し,時間数も減る.そんな中で置かれる「数学基礎」は,唯一可能性を感じられる科目である.ここでだけ,指導要領が規制でなく働く可能性がある.しかし,実効性のある教科書が書かれるかが問題視されもしている.著者は敢えて,それに挑戦し,その結果がまた「市民の数学」の1つのモデルを与えている.寝転んで読める教科書といった風情.

ドミトリ・フォミーン+セルゲイ・ゲンキン+イリヤ・イテンベルク『数学のひろば−柔らかい思考を育てる問題集−』(志賀浩二+田中紀子訳)岩波書店(1998)

 旧ソ連はある意味で若い国だった.革命後自分たちが教育した若者たちが国を支えると信じていた.教育制度も単にヨーロッパの模倣だけでなく,できることは何でもやる意気込みがあった.学校の外でも,数学の才能を伸ばすシステムがあった.教師ばかりでなく一流の数学者も積極的にかかわった.旧レニングラードの数学サークルで,子供の状況に合わせて作り出した問題の集積である.これはもう,人類にとっての宝物と言ってよい.

S.ラング 『数学の美しさを体験しよう−三つの公開講座−』(宮本敏雄訳)森北出版(1989)

 「数学は美しい」それを一般の人にも伝えたい.1981年のパリで,アメリカの数学者が行ったセミナーの記録である.テーマは,素数分布とディオファントス方程式と多様体の分類で,易しいものではないが,必死で分かってもらおうとする著者の,分かろうとする聴衆の,意気込みが感じられる.講演途中の聴衆とのやりとりに臨場感があって面白い.高校生対象の『さあ数学しよう!−ハイスクールでの対話−』(岩波書店)もある.

志賀浩二『数学が生まれる物語』岩波書店(1993)

 数学を愛する心の強い著者が,数学離れを憂えて,あらゆる年齢層と知識レベルに向けて精力的に書き続けている副読本のシリーズである.岩波書店からは他にも『数学が育っていく物語』『対話で学ぶ数学教室』各6冊があり,朝倉書店からは大学3年位までを網羅した『数学30講』10巻がある.『<生涯学習>はじめからの数学』というシリーズも始まった.丁寧で,分かり易い.むしろ,分かりやす過ぎると言えるかも知れない.

I.M.ゲルファント+E.G.グラゴーレヴァ+E.E.シノール『ゲルファント先生の学校に行かずにわかる数学1-3』(冨永星・赤尾和男訳)岩波書店(1999)

 3冊の「関数とグラフ」「座標」「代数」という表題が示す通り,ほぼ高校の一年程度までの内容である.ゲルファントは現存する最大の数学者の一人であり,影響を受けた数学者は数えきれない.その彼は正規の教育課程を経て数学者になったわけではない.勉強する姿勢と努力しだいでは,独力で大数学者になることが可能なのである.一人で始められる基礎からの数学.それを提供する本である.あなたもI.M.ゲルファントになれる!かも?

ポントリャーギン『数学入門双書1-5』森北出版

 高校から大学初年級くらいのまでの,私家版教科書のシリーズである.既存の教科書に不満をいだいた著者が学年進行にとらわれず,易しい図を駆使して丁寧に語っている.現代数学のリーダーの一人である著者は実は目が見えない.リー群論や制御理論などでの著者の深い考察には,普通の人には見えない何かを見据えているという感じが伝わってくる.高校・大学で数学に味わった疎外感を拭うために,試してみるのはいかが.

岡部恒治『マンガ・微積分入門 楽しく読めて,よくわかる』講談社ブルーバックスB1003(1994)

 イラスト入りというのではなく,本当にマンガで数学を語っている.マンガだというだけで読んでみようと思う人もいるだろう.マンガだということでけしからぬと考える人もいるだろう.しかし,微積分の学習に挫折した人には,一見の価値がある.ああそうだったのかと思わせる工夫が,随所に見受けられる.本書を読んでからちゃんとした教科書を読むもよし,教科書の息抜きに読むもよし.

ガボー・トス『数学名所案内:代数と幾何のきらめき 上下』蟹江幸博訳)シュプリンガー・フェアラーク東京(上:1999.12.31,下:2000.1.23)

 高校までの数学は分かっている.大学の数学も微積分はε−δだと言われると敬遠したくなる.が,ちょっと高度な数学を,キチンと,でもできればサラサラッと勉強してみたいと思っている人にお薦め.数学の流れは幾本かの大きな河となってゆったりと流れていたが,19世紀の末の基礎の大反省が終わってから,新分野が百花繚乱,網の目のように運河が掘られている.現時点の数学を概観するにはこの本がよい.

数学の発見はどのようになされるか

G.ポリア『いかにして問題をとくか』(柿内賢信訳)丸善(1954)

 多くの人にとって数学を学ぶ目的は,解答を知らない人生の問題にどのように対処するかという方法を,モデルを通して体験することにある.本書は地味な作りで目立たないが,問題解決のための方法を,詳細な手順に分け,整理してくれている.生涯の伴侶として,悩んだときに開くという使い方もできる.もっと詳しく知りたい人には,同じ著者の『数学の発見はいかになされるか 1, 2』(丸善)があるが,残念ながら絶版である.

J.アダマール『数学における発明の心理』(伏見康治+尾崎辰之助+大塚益日古訳)みすず書房(1959, 1990)

 複雑で壮麗な数学の理論に出会うとき,数学者にはどうしてそのようなことが出来るのかと,疑問に思うことがあるだろう.実は数学者自身も,先人たちの業績を見てそう思っている.アダマールは前世紀の半ばから今世紀の半ばまで指導的な役割を果たしたフランスの数学者だが,この問題に正面から取り組んだ最初の人だと言える.馬車に乗り組むポアンカレに訪れた閃きなど,心に残るエピソードも多い.

ヒトが数学に出会ってから(数学史)

デビッド・ブラットナー『π(パイ)の神秘』(浅野敦則訳) アーティストハウス (1999. 7. 24)

 円周率をめぐる書物も多くある.本書は,ほとんどすべてに触れながら,どれもサラリと読みやすい.リンドパピルス,ユークリッドアルキメデス,聖書,古代中国,インド,アラビア,ダ・ヴィンチに言及し,原典からの視覚的引用も豊富.数学的にも遺漏はなく,公式群もしゃれたイラストで表現されている.コンピュータの計算記録,音楽,詩,言葉遊び,各国語での覚え方,何でもある.著者はきっと楽しんで書いただろう.

V.I.アーノルド 『数理解析のパイオニアたち』(蟹江幸博訳)シュプリンガー東京(1999.7.8)

 著者のアーノルドは太陽系の安定性を証明し,ガリレイニュートンラプラスポアンカレの系譜に位置している.その彼が,ニュートンの同時代人たち,ホイヘンスフックバローを核に,近代を形成する原動力となった数理解析の誕生の秘話を語っている.さらに,当時はあまり評価されなかった業績が現代に深く結びついていることが興味深く語られている.訳者の作った綴じ込み附録の年表も歴史を概観するのに便利である.

S.G.ギンディキン『ガリレイの17世紀』『ガウスが切り開いた道』(三浦伸夫訳)シュプリンガー・フェァラーク東京

 ギンディキンはロシアの数学者である.ロシアの数学は,ヨーロッパの伝統を強く意識して,独自の展開を果たしている.そしてまた啓蒙を大切にする伝統がある.本書ではカルダノ,ガリレイ,ホイヘンスパスカルガウスの人と数学が,ダイナミックに語られている.ギンディキン自身のインタビューもあって,「数学者はいかにして造られるか」に興味がある人にはお薦めである.単なる伝記ではない,質の高い読み物である.

小泉袈裟勝編著 『図解:単位の歴史辞典[新装版]』柏書房(1989)

 日本が文化の吹き溜りであることを,嬉しいことに感じさせてくれる本である.2700もの「単位」項目を挙げ,その歴史と意味が詳しく述べられている.写真や図や表も駆使されている.どのページを開いても興味深い.数が人間の文化や生活の中にどんなに深く関ってきたか,そして関っているかが良くわかる.同じ著者が監修した『単位の事典』(ラティス)とともに,座右にあれば世界の見方が深くなる.

深川英俊 『例題で知る 日本の数学と算額 付・全国算額一覧』森北出版(1998)

 和算のことを知るには,三上義夫『文化史より見たる日本の数学』(岩波文庫)を読むよりずっとよく分かる.全国の神社などに掲げられている算額と和算書から選び抜かれた問題集である.高校で教鞭を取りながらの労作で,実に頭が下がる.もっと問題が欲しければ,一流の数学者との共著である『日本の数学−何題解けますか?上下』『日本の幾何−何題解けますか?』(森北出版)もある.どれも面白いこと請け合いである.

平山諦『増補新版 東西数学物語』恒星社厚生閣

 隠れた名著で,多くの数学歴史パズルの種本でもある.中国数学,和算,古代中世の西洋数学の原典にあたって,予備知識なく楽しめる本に仕上げられている.労作である.大上段なことを言わなければ,どんな数学史の本よりも数学の歴史がよく分かる.読んだことを人に話したくなる.そんな本である.最近本屋で見つけて嬉しかった.見つけたら買っておくことを薦める.また,本書の種本の一つでもある『塵劫記』は岩波文庫で手に入る.

吉田洋一 『零の発見 [改版]』岩波新書(1931)

 日本人が書いたこの種の本としては超のつくロングセラーである.当たり前にみえる「零」があることで,どれだけ数は扱い易いものになったか.なかった時代がどんなに不便であり,なぜ長い間発見されなかったのか,そしてどのようにして発見されたのか.当たり前に見えることがいかに深いか,難しいことを当たり前にすることが数学であることを本書は教えてくれる.同じ岩波新書の遠山啓『無限と連続』もロングセラーである.

モーリス・クライン 『何のための数学か 数学本来の姿を求めて』(雨宮一郎訳)紀伊國屋書店(1987)

 著者は『数学の文化史』(現代教養文庫)などでも知られ,数学教育にも関心を持つ数学史家である.本書では,何のために数学を学ぶのかということでなく,人類にとって何のために数学はあるのかという問題を正面から考察している.文明を支え,人の文化として発展してきた数学は,なぜこのような形を取っているのか.人として生きるために,数学を学ぶことにはどんな意味があるのか.じっくり考えてみるのもいいかも知れない.

ジョージ・G・ジョーゼフ『非ヨーロッパ起源の数学 もう一つの数学史』(垣田高夫+大町比佐栄訳)講談社ブルーバックスB1120(1996)

 数学史は,ギリシャ前史のエジプトから,古典ギリシャ,ルネッサンスを経て今やヨーロッパ数学の全盛期であると語られがちである.それ以外にも,バビロニア,インド,中国,アラビアの数学の貢献も大きい.さらにその上,中央アフリカのイシャンゴ,ナイジェリアのヨルバ,中米のマヤ,南米のインカにも古くから栄えた数学があったのである.それらが現在の文化につながっていないと,誰に言えるだろうか.

数学の原典

ユークリッド『幾何学原論』(中村幸四郎訳)共立出版

 言わずと知れた,数学の超ベストセラー・ロングセラーである.2300年以上も前に書かれた本書が今もなお,この分野の最高の入門書であり,専門書であり続けている.2000年以上もの間数学教育の枠組みをしっかりと支えてきた.19世紀に非ユークリッド幾何が生まれたことは,その圧倒的な権威をこそ失わせたが,ユークリッド幾何の堅牢な美しさと奥深い豊かさを奪ったものではない.それが日本語で読める.素晴らしいではないか.

R.デーデキント『数について』(河野伊三郎訳)岩波文庫

 集合論はカントールが作った.しかし,デデキントが数の理論の中でその有効性を示したことで初めて認知されたといってもよい.本書は啓蒙書ではない.数の構築を目指した専門書である.評者も大学で微積分を学んだとき本書を知った.教科書よりもさらに詳しく,厳密な文庫本.学校では学ばない,学校では学べない広く深い世界が目の前に開けていった.魂を掘るような,心を削るような思索がここにある.日本の文化は高い.

数は何を語る

F.C.エントレス+A.シンメル『数は何を語るのか』(橋本和彦訳)翔泳社(1997)

 数は人間の文化を一番底で支えている.あらゆる文化の中に数に関する詩があり,遊びがあり,祈りがある.本書は数学の本というより,数という切り口で見た諸文化の,特に神秘主義と信仰の書である.後半の個々の数についての考察と注釈には,思いがけない発見があって面白い.また,1つ1つの数について豊かな蘊蓄を披露してくれる,F.リヨネ『何だ この数は?』(東京図書)には数学的に興味深い記事が多い.

数学と論理と

ブラジス+ミンコフスキー+ハルチェルバ 『詭弁的推論』(千田健吾+筒井高胤訳)東京図書(1965,1994)

 これは論理学ではなく,数学教育の本である.算数や幾何や代数などで,意識的にまた無意識的に行われる推論の誤り,それもどこが間違っているかわかりにくい誤りを集めたものである.誤りを誤りと認識することで正しい推論がどうあるべきかを学ぶ.それが建前だが,1と2が等しくなったり,すべての三角形が同じになったり,あり得ないことが成り立つ面白さがあり,ピカレスクの持つ痛快さも味わえる.それを楽しめばよい.

野崎昭弘『詭弁論理学』中公新書448 1976

『逆説論理学』とともにまじめな論理学の啓蒙書で,論理的思考への無制限の信頼がむしろ論理的なことではないことを,豊富な例とともにわかりやすく述べている.詭弁は論理的な振りをして,正しくないことを相手に納得させる技術であるが,その議論を通して正しい論理のあり方を示している.詭弁と似て非なる強弁の例も豊富である.一人前の社会人が強弁するなど恥ずかしく,せめて詭弁が使えるほどには勉強してほしいものだ.

レイモンド・M・スマリヤン 『パズルランドのアリス−80才以下の子供達のためのキャロル的おはなし』(市場泰男訳)社会思想社(1985)

 スマリヤンの本は,処女作の『この本の名は?』以来,いつも意外性の楽しみがある.パズルを解いているつもりで,いつの間にかゲーデルの定理の証明が終わっていることもある.本書はそんな心配はいらない.ふしぎの国のアリスが好きな読者なら,文句なしに楽しめる.ハンプティ・ダンプティとハートの王さまと白の騎士と...,あらゆる人物がアリスを悩ます.アリスと一緒に悩むことが嫌いなら,この本は薦められない.

数学ゲームと数学パズル

マーティン・ガードナー『数学マジック』(金沢養訳)白揚社(1999.10.30)

 ガードナーの本はどれもシャレている.シャレが過ぎるとオタクになり,暗くなりがちだ.アリスの注釈本など,マニアには垂涎だが,ついていけないと感じる人も多いだろう.しかし,本書は実に明るい.誰にも読みやすい.原著の出版は1956年なのだが,まったく時代を感じさせない.ガードナーの沢山の数学関連書の入り口としても好適.数学パズルやゲームの本が世に氾濫しているが,そのほとんどのものの原型がここにある.

田村三郎『数学パズルランド 身近な素材でパズる』講談社ブルーバックス B904 (1992)

 日本の数学パズル作家もたくさんいるが,この著者には数学に対する愛情が感じられる.数学用語を使うから数学的なのではない.電卓,時計,スポーツ,折り紙,マッチ,コインなど身近な素材を使ったパズルが,これまでにも多く作られてきた.誰にも違和感なく,遊びに興ずることのできる数学ランドである.本書で著者を知ったら,同じブルーバックスの中にあるパズルでない数学の啓蒙書も手に取って見てはいかが.

数学者の生き方

E.T.ベル 『数学を作った人びと(上下)』(田中勇+銀林浩訳)東京図書 (1962, 1976, 1997)

 数学は好きじゃないけど数学者は好きだという人がいたら,それはこの本を読んだせいだろう.古代ギリシャの時代から第2次大戦までの知っておくべきほとんどの数学者の人生と思想と数学を紹介している.非常に素直で,好感の持てる書き方をしていて,いわば青少年への推薦図書として恰好である.評者も若いときに読み,再版されてまた読んだ.数学者であることの,彼らを仲間と呼べることの幸せを感じさせてくれる本である.

森毅『魔術から数学へ』講談社学術文庫(1991)

 森さんの本には毒がある.明るく見えても,どこか冷めていて屈折している.どんな問題でも,一旦斜めに受け止めて,それをあらぬ方に打ち返す.でも的には当たる.あれは芸である.本書は,数学が学問として認知される近代までを描いた数学史の本である.一筋道の記述ではない.折れ曲がり,寄り道をし,裏返す.良く一冊に収まるものだ.これも芸である.森さんはもしかすると魔術師になりそこなった数学者なのかも知れない.

L.インフェルトガロアの生涯−神々の愛でし人』(市井三郎訳) 日本評論社(1950, 1996)

 革命と数学のために生き,女のために死んだ若者の物語である.ナチに追われてアメリカに亡命した物理学者のインフェルトが,ドイツに滅ぼされた自由の国フランスの英雄として,また自分自身と重ね合わせて熱く語った物語である.神に愛され与えられたあり余る才能がひ弱な体からほとばしり出て,生身の体が耐え切れなった悲劇の天才の物語である.魂の燃えたぎる物語である.再版されてよかったと思うのは評者だけではない.

数学の啓蒙

アンリ・ポアンカレ『科学と仮説』(河野伊三郎訳)岩波文庫

 ベルの本で「最後の万能選手」と紹介されたアンリ・ポアンカレは20世紀初頭を代表する数学者である.数学や科学の啓蒙に心を砕いて名著を残している.岩波文庫には本書のほか『科学と方法』『科学の価値』『科學者と詩人』『晩年の思想』があったが,絶版のものが多い.考え方が実に素直で,それでいて深さを感じさせる.多岐にわたった業績を反映してか,こうした書物でも実に視野が広く,思考のバランスが良い.

H.ラーデマッヘルO.テープリッツ 『数と図形』(山崎三郎+鹿野健訳)日本評論社(1989)

 原著が出版されてから既に70年の時が経っている.第2次大戦前のドイツで著者たちが行った通俗講演の内容を,二人で心ゆくまで推敲したものである.本書脱稿後,ナチの台頭により,それぞれアメリカとイスラエルに亡命したが,本書からは数学文化華やかな頃のドイツが香る.22章からなり,1つ1つがとても洗練されていて,驚くような発見もある.時とともに陳腐になることのない,まさに古典であると言ってよい.

数学の話題から

久賀道郎 『ガロアの夢−群論と微分方程式−』日本評論社

 ガロアが有限群を使って代数方程式の可解性を論じたように,連続群を用いて微分方程式の可解性を論じたい.それはガロア以後の多くの数学者の夢であった.本書は著者がゼミで話したスタイルのままで,簡潔にまとめない方針をとっている.著者の声が聞こえてくる.高卒の知識で読みはじめられ,楽しみながら現代数学の高みに誘ってくれる.たとえば易しくない概念の「被覆空間」でも,学んでいることを感じさせない.名著である.

サイモン・シン『フェルマーの最終定理 --- ピュタゴラスに始まりワイルズが証明するまで』(青木薫訳)新潮社(2000)

 あまりにも有名なこの定理は,フェルマーが本の余白に書き込んでから,350年もの時を経て,1994年にアンドリュー・ワイルズによって証明された.しかし,それは突然に解かれたわけではない.古代ギリシャの数学の曙のころからの長い伝統の上に立った問題でもある.証明のニュースが巻き起こした興奮が少し冷めた今,客観的な視座を持ち合わせた本書が生まれた.ワイルズの好奇心と信念と苦悩とを読者も共有できるに違いない.

H.デリー『数学100の勝利 1-3』(根上生也訳) シュプリンガー東京

 1932年という時点であるが,初等的に語ることができる解決済みの数学のすべてがここにあると言ってもよい.それ以降に,初等的に語られる有名な問題で証明されたのは,四色問題とフェルマーの最終定理くらいのものだ.つまり,専門家でない人が考えつく,また目に触れうるすべての問題の解答がここにあると言ってよい.歴史書の中で名前だけを知っている問題に出会うことも多いだろう.マニア必携の書.

B.シェルピンスキー『ピタゴラスの三角形』(銀林浩訳)東京図書(1993)

 ポーランドの数学者には,日本人にはどこか馴染みにくい感覚がある.西欧を挟んだ対極にあるのかもしれない.本書はピュタゴラスの定理の証明を扱った本ではない.直角三角形の辺の間に,a2+b2=c2 以外の条件を課すと何が起こるかを論じたものである.面白いと思えないかもしれないが,騙されたと思って読むことをお薦めする.これが実に面白い.知識は中学程度で良い.著者はなぜ,こんなことが面白いとわかったのだろう?

E.ハイラーG.ワナー『解析教程 上下』(蟹江幸博訳)シュプリンガー・フェアラーク東京(1997)

 原著は「歴史から見た解析学」というタイトルで,30年間大学で教えてきて,学生の意欲を掻き立てようと凝らした工夫の集積である.「ニュートン以前」「ニュートンと同時代」「19世紀の反省」「2変数」の4つの章に分かれている.特に第1章が素晴らしい.数学史はとかく数学者の歴史になりがちだが,ここでは数学自身が生き物のように成長していくさまが見られる.原典からの引用も適切で,微積分に対する印象が変わる筈だ.

杉浦光夫編『ヒルベルト23の問題』日本評論社(1997)

 20世紀の数学を振り返ってみるとき,1900年のパリの国際数学者会議でヒルベルトの行った「数学の諸問題」という講演がその幕を開けたと言ってもいいだろう.難問と思ったものが数年のうちに解けたり,易しいと思われた問題が長い間解けなかったり,それでもほとんどが20世紀のうちにある程度の解決を見た.問題としての程の良さはやはりヒルベルトの見識なのだろう.難しくなりがちなテーマだが,読みやすく纏められている.

数学とはなにか

R.クーラントH.ロビンズ 『数学とは何か』(森口繁一監訳)岩波書店(1966)

 本格的な数学者が,学習教材としての教科書を,その時点で伝えることのできる数学のすべてを網羅して書いて成功した最初の本であると言ってよい.ナチから逃れて亡命したアメリカの地で,健全なバランスを持った数学教育の確立を願って書かれたものでもある.1941年における,ある意味での数学の全体像になっている.王道を排し努力は要求するが,記述は素直で丁寧である.今でも言える,「数学とは何か」はこの本にあると.

イアン・スチュアート 『数学の冒険』(雨宮一郎訳)科学選書4,紀伊國屋書店(1990)

 著者の基本的スタンスは極めて厳密な数学者の立場である.それでいながら,数学的予備知識がない一般の読者をも,知的好奇心だけを導きの灯火にして,数学の「知」の世界に誘ってくれる.易しいものではないことを覚悟して読む読者には,こんなにも数学は明るく楽しく役に立つものだったのかと,思わせてくれる.この本の内容がたとえば食後の会話の素材になるようなら,日本にも知的文化が根ざしたと言えるかも知れない.

数学と社会

シャーマン・スタイン 『数の力-暮らしの中の楽しい数学』(関口香里訳)海文堂出版(1997)

 良くも悪くも極めてアメリカ的な本である.数学をどれほど学んでいれば,どの程度の収入の職につくことができるかを,沢山の数値を挙げて説明する節もある.算数以来の間違えやすい問題の解説もあるし,少し深いトピックスも扱われている.数を知ることで何ができるか,そして何ができないか,まさに数の持っている力を,実にアメリカ的に表現している.感性に合わない人もいるだろうが,合う人には堪えられない一書である.

A.K.デュードニー『眠れぬ夜のグーゴル』(田中利幸訳)アスキー出版局(1997)

 デュードニーは数学パズルの作家としても有名だが,数学をこよなく愛しており,数学の悪用(意図した誤用)について激しく糾弾している.原著のタイトルは「200%のナンセンス」というもので,宣伝広告,失政の誤魔化し,圧力団体の数字テロ,いんちき療法などで実際に用いられる「数学の罠」について詳しく説明している.自分だけは大丈夫と思っている人も,本書を読めばきっと恐ろしさに震えてしまうだろう.

ダレル・ハフ 『統計でウソをつく法』(高木秀玄訳)講談社ブルーバックスB120(1968)

 統計学に関する数オンチと罠についての「だまされないために,だます方法を知ることのすすめ」である.標本の偏り,平均の乱用,無意味な図表,欠落した値などをそれと知らせず使って騙す.多くの例や見やすいイラストを使ったユーモアたっぷりの解説に笑っているうち,いつか冷や汗が出ていることに気付く.統計学の正しい知識がいかに大切か,身にしみて分かるようになる.同じブルーバックスの『確率の世界』も好著である.

ジョン・アレン・パウロス 『数字オンチの諸君!』(野本陽代訳)草思社(1990)

 アメリカで大変話題になった本だが,日本では思ったほど知られていない.音痴であっても普通は困るのは自分だけだが,音痴であることを自覚しないと周りにいる人は大いに迷惑する.数学オンチであることはそれにもまして自覚症状が少ないが,はるかに危険な症状を呈する.本書は数学音痴の症例を多数の例で示している.あなたは本当に大丈夫だろうか? 読まなければ知らずにいられる.むしろ読まないほうがいいかもしれない.

スティーン『世界は数理でできている』(三輪辰郎訳)丸善(2000)

 21世紀の数学教育のあり方への示唆を目的として,5人の専門家が「次元」「量」「不確実さ」「形」「変化」をテーマに論じている.数学と数学的思考法についてじっくり考えさせてくれる.世界が激しく変わる中で,数学の学習によって学生が培うべき心的能力とは何か.それを実現するカリキュラムはどうあるべきか.原題にあるように「巨人たちの肩に」乗っている我々は,未来に何を見ることができるのか.

ロナルド・L.グレアムドナルドE.クヌースオーレン・パタシュニク 『コンピュータの数学』(有澤誠+安村通晃+萩野達也+石畑清訳)共立出版(1993)

 コンピュータのプログラムを書き,コンピュータの動作原理を知るための最低限の数学は何か.それは教条的な抽象数学とは違う筈だ.コンピュータ科学の神様とも言われるクヌースが『コンピュータプログラミングの技法』というバイブルを書きはじめたときに感じた不満が,本書の原題である「具象数学」に導いた.工作でもするように数学を作る.数学を作り楽しむための素材が,これ1冊に何年分も含まれている.