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1:開設時(2013年秋)から,2014年10月9日までの挨拶文

 蟹江幸博マセマティックス・ラボラトリーです.
 大学院修了後,三重大学教育学部に勤務していましたが,定年でお役御免になりました.
 その間に作ってきたページがもったいないという声が聞こえてきて,ここに再構成して移動しました.
 リンクが大変なので,リンクについては引っ越しの本当の完了はかなり先になると思います.
 内部のリンクはほぼ出来ましたが,外部の方は移動していたり,なくなっていたりなので,追っかけるのが大変です.
 しかし新しいこともいくつか始めたいと思っています.それらもおいおいということですが,いろいろ実験的に始めてもいます.ただ,かなり中の方で見つけにくいかもしれません.
 数学月間の会も,HPを作ればいいと言い続けていたのですが,やっと始められたようです. 流石に谷さんがやられるだけあって,最初から僕には未知の手法も取り入れるなど,負けそうですね.

 三重大学を定年退官して,2年間の特任教授というお礼奉公を済ませ,フリーターになりました.
 名誉教授にはしてもらったのですが,三重大学では名誉教授にメールのアドレスもくれませんし,サーバのアクセス権をくれないので,ホームページの更新ができません.消すこともできないので,以前のHPはそのまま残っていますが,メンテナンスは出来ません.大学の公的ページからはリンクされなくなったので,新しい読者はそちらには行かないのですが,以前からの読者は変更されていないのを見て,サボっているので大丈夫かというようなメールを受け取ることもあります.

  
 仕方がないので,自前のHPを立ち上げることにしました.フリーターになって,最初に公にする仕事が,上のカバーの「数学用語英和辞典」になりそうです,多分.
 かっこいい表紙でしょう.とてもセンスのいい表紙で気に入っていたのですが,土壇場になって,社長さんの気が変わって表紙を変えることになりました.それで,実際に本として出版されるまでの間,この表紙を宣伝用に使わせてもらうことにしました.仮のものだから値段も入っていませんが,ISBNはもう取ってありますね.

 カバー写真をクリックしてください.これまでの出版物のリストが出てきます.  内部リンクがやたらと錯綜していて,元のファイルのままアップしたのでは,表示すらできませんでしたが,何とか,取り敢えずの形でアップします.
 元々はいくつかのサーバにまたがっていたもので,外部的にリンクしあっていたのですが,今や1つのサーバの中で行うことになりますし,僕の立場も変わりましたので,HPの構造を変えることも考えないといけないし,1つを変えると,色んな所に変更が波及して,当分の間は,リンクがあっても,正しいところに飛ばない可能性があります.
 画像の位置などの関係で,表示がうまく行っていないところだけは直したつもりですが,自分の機械の中ではうまく行っても,アップするとダメなこともあるので,それらも少しずつ確認しながら,ということになります.しばらくはご容赦ください.

 これからは,いろんなことを実験していこうかと思っています.出版予定の本の情報もこれまでほどは秘密にしないでもいいかもしれません.
 今後の執筆の予定,希望,方針なども,少しは公開しながら進めていこうかと思っています.ご意見をお寄せください.僕もいつ死んでしまうかしれないので,種のようなものは残しておきたいという気持ちになっているということでしょうか.
 このHPに関して,これからの少しの間の目標:
   カウンターもちゃんと動くのがほしいな.
   大学のサーバでなく自前なのでCMも入れることができます.非営利団体のリンクはこちらの好みに合わせてリンクします.
   それ以外に,サーバの費用だけでもCMで稼ぎたいのですが.CMを入れる希望の方または機関は,どのページにCMを入れたいかを明示して,条件を書いて管理者までメールしてください.こちらの目的や趣旨に反しないものなら,CMを入れてもいいかなあと思っています.特に書籍関係は歓迎です.

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2:2014年10月10日から,2015年5月10日までの挨拶文

 このHPを開設してほぼ1年が経ちました.表紙は変わっていませんが,結構中身は変わっています.外部リンクはまだまだ修正が終わっていませんが,外部リンクというものは元々日々変化しているものだから,終わる作業ではない,というのを言い訳にして. 表紙の「数学用語英和辞典」のカバーはしばらく,このHPのカバーとして使わせてもらうつもりです.
   大学のサーバでなく自前なのでCMも入れることができます.非営利団体のリンクはこちらの好みに合わせてリンクします.
   それ以外に,サーバの費用だけでもCMで稼ぎたいのですが.CMを入れる希望の方または機関は,どのページにCMを入れたいかを明示して,条件を書いて管理者までメールしてください.こちらの目的や趣旨に反しないものなら,CMを入れてもいいかなあと思っています.特に書籍関係は歓迎です.と前にも書いたのですが,まだ一件も申し込みがありません.
 カウンターをつけたのが却っていけなかったですね.アクセスの少なさが分かってしまうから.しかし多分,表紙のページではなく,中に直接入ってしまう人も少なくないと思います.
 今は定期的には週2回,非常勤に行っています.一方は線形代数の講義で,もう一方は数学の話題からという何でもありの講義です.たいていのテーマの講義ができると思っているので,ぜひ声をかけてください.
 現在,いくつか出版の予定はあるのですが,初稿ぐらいあげてからでないと公表はできないけれど,新しい人名が出てきたら,人名索引の中に書き込んでいるので,何かしらの予告にはなっていると思います.それを見てどんな本になるかを予想していただくのも面白いかと思います.



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3:2015年5月10日から,2015年6月7日までの挨拶文


 このHPを開設してほぼ1年半が経ちました.表紙は変わっていませんが,結構中身は変わっています. 表紙の「数学用語英和辞典」のカバーはしばらく,このHPのカバーとして使わせてもらうつもりです.新しい本が出ても変えないかもしれないほど気に入っているのですが....
   大学のサーバの更新ができなくなったのでこのHPを作りましたが,そちらにここへのリンクを貼ることもできなかったのですが,やっと可能にはなりました.で,リンクを貼ればいいのですが,可能なだけで面倒な手続きが必要で,まだやっていません.やればこちらへに来てくれる人も増えるかもしれません.
   さて,近況報告ですが,あまり変化がありません.一人でやってるのは本造りと,このHPのメンテナンスです.佐波くんと教育数学を創っているのですが,それはどうも数学というものを土台から考えなおすということでもあるということで,四苦八苦しています.教育数学のページには昨年の2月に京大の数理研でやった研究集会の報告と,原稿(現在集まっている)がpdfで読めるようにしてあります.御覧ください.佐波くんとの共同作業で形になっているものもかなりの数になり,そのページから発表したものは失敗作も含めてすべて見てもらえるようになっています.お気づきの点があればお知らせください.
 今は定期的には週2回,非常勤に行っています.一方は線形代数の講義で,もう一方は数学の話題からという何でもありの講義です.たいていのテーマの講義ができると思っているので,声をかけてもらえばどこにでも出かけますので宜しく.
 現在,いくつか出版の予定はあるのですが,初稿は上がっているが編集からの駄目出しに対応できず放ってあるのが1つ,初稿が上がっていて編集からの意見を待っているのが1つ,企画はもう長くからあって,そろそろ初稿にしなければいけないというのが1つ,半分だけはやってその初稿はあるのだけれどギリシャ語のアクセントや修飾がうまく出なくて後の半分を先延ばしにしているのが1つ.後は,企画だけのものがいくつか.....あーあ,出せるまで生きていられるかなあ.

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4:2015年6月8日から,2016年7月10日までの挨拶文

 これ,カニエくん?
 うん,そうだよ

 昨日,母校で数学教室の同窓会の創立総会があった.その懇親会が時計台の2階の大きなホールであったのだが,立食パーティの食事やテーブルが置いてあるのと反対のスペースに非常に大きなスクリーンが用意されていて,これまでに数学教室に残されていたアルバムの中から写真が映されていた. ほぼ5秒間隔で切り替わり,時間の順序も被写体の順序もランダムで,明治時代の教授の1枚写真から,各年度の学生の記念写真,講義風景,セミナーの様子,遠足の記念写真,退官記念の集合写真,学生のスポーツの様子,昔の中庭でポーズをとっている女性やら,学生やら,教官やら,事務員やら.
 昔の教授の写真はそのまま数学史の本でみたことのあるものもあり,立ち姿も立派な椅子に座ったものもある.園正造は教室の初期の有名な教授で,数学史の本で見たのと同じ写真だから人名が記されてなくてもわかるが,あとは名前がなければ分からない.
 スクリーンとは別にパネル写真もあって,戦前の教授には人名が記されているが,中に二人だけ「どなたでしょうか?」とあって,一枚には「蟹谷乘養」と手書きで書いた紙が糊付けされていた.もう一人はわからないままであった.
 参加者の,つまり生存者の恩師で有り得るような時代の若い人の名前は書かれていない. 僕が直接会ったというか見たことのある中で最も古い人は小堀憲であり,会ったことのない秋月康夫は著書に写真があったりして知っているが,彼らですら名前の注記がない.だから,パネル写真の前では,これは誰だと,小声で囁き合う.知らないというのが恥ずかしいからなのだろうか. 教授ではなかったが,最大の有名人である岡潔の写真にも注記はなかった. 大半の参加者にとっては直接知ることもない歴史上の人物である.考えれば,そういう歴史の中にいるということであり,すごいことではある.
 パネル写真の方には写真外に何かしらが記されていて想像もつきやすいが,移り変わるスクリーンの写真には基本的には文字情報はない.写真の中には文字情報が写り込んでいるものもある. 退官記念写真では退官者の名前が後ろの黒板に大書してあるし,学生の集合写真もある.学生数が多くなってからは,毎年新人の顔写真を取り,そこに名前を書いて,教官が学生の顔を覚えるために取ったもの.僕の2年前までは,大きな紙に名前を書いたものを紙に書いて肩から掛けていた写真だった.怖かった先輩たちの初々しい顔はちょっと見もの.
 実は,僕の学年が京都大学数学科の最終学年で,次年度からは制度が変わり,数学科の学生が存在しなくなるので,そういう顔写真は取らなくなったようだ.それに,僕らが3年の冬にある大きな事件が起こったのでなくなったが,それまでは学生と有志教官と有志事務官とで多分秋に遠足に行っていたようで,そういうスナップ写真もある.
 先輩たちには3年,4年次に2回は行くチャンスがあり,大学院に進めばさらに回数も増やせる.もちろん,そんなものに行くものかというひねくれ者や,そんなものをしている暇に数学をしていたほうがいいという真面目な人も多い.僕が行ったのときの行き先は余呉の湖だった.この遠足がなかったらどこにあるかも知らないような場所だったが,秀吉と勝家の賤ヶ岳の戦いの戦場であることが遠足のために誰かが作ってくれた1枚の紙に書かれていた.言われてみれば知っていることがこういう形で目の前に現れる.それは,家を出て2年半,世の中を一人で渡っているということなのかと,ふと思ったときでもあった.
 アルバムを誰が管理していたのだろうか,アルバムに貼られた写真にコメントがあるものもあり,それをデジカメで撮ったものがスクリーンに流れていたのだろう. 5秒ほどしか映っていないので,肖像写真以外は状況が直ぐにはわからないものも多い. 昔の教室の建物や中庭や屋上からの風景やら,講義風景やらも混ざる. まったく順不同で,想像もできない,退官間際の頃しか知らなかった小松醇郎先生の若々しい写真や,教授での姿しか知らない渡部信三先生の学生服姿などは一種の驚きである.永田雅宜先生の30代前半くらいの若々しい笑顔にはなぜかホッと気持ちが暖かくなった.講義は難しかったが,優しい人だった.
 そんな中で1枚のアルバムの写真が映った.アルバムの下半分で4枚の写真のうち,上の2枚は切れていて何が映っているか分からない. 下の2枚もそれほど大きな写真ではない.その右下の写真の下に,上の2行の会話がコメントされていた. 最初の1,2秒では何がなんだか分からない.どうやら自分のことだと思って,写真を見直そうとしたら,次に移ってしまった. 写真の数が多くて,なかなか戻ってこない. そのうち懇親会が始まり,挨拶が前の方であり,しかも総長まで出てきてのものでは,スクリーンの前に一人だけとどまっている訳にはいかない.
 宴も酣というか,少しだれてきた頃,スクリーンの前に戻った.何人かも戻っては見てまた宴に戻っていく. しばらく粘っていたら,やっと目当ての写真が戻ってきた.見逃さないように見ていたのだが,やはり突然.1秒位は目当ての写真だという認識にかかり,やはり自分の写真かどうかもわからない. ワルガキがひとり写っているだけである.表情までは見ている時間がない. コメントを見ると,セリフ形式になっていた.どうもこのアルバムは,ある時期,学生が自由に見られる状況にあったのだろう. 誰かがそういう会話をして,誰かが書き込んだものらしい.会話をした当人が書いたようには見えない.教室のアルバムなので,勝手に書き込むのが許されていたとも思えないが,自由な校風だったので....
 僕自身には記憶が無い.僕が書いたはずもないし,この会話を聞いた記憶もない.セリフにはA子,B子と話者の特定がしてあった.とういうことは,同級生の2人.誰だろう? 数学科の同級生のうち女子学生は4人だけ.言葉の調子から多分と思う候補はあるが,こんな会話をするようような関心を僕に持っていてくれたような気がしない.僕はほとんどまっすぐに数学に向かっていたので,周りのことがわかっていなかったのかもしれない.
 この会話は好意的なものだと思い込んでいたが,そうではないかもしれない.それならあり得るか.....? 犯人探しをしても仕方がないが,元のアルバムを見れば彼らが写っている写真もあるかもしれない.教室にあるのなら見せてもらえるだろうが,京都はそれほど近くはないし,とも思ったが,今さら分かったからといってどうすることがあるわけもない.
 この写真はまだ平和だった時の数学教室の最後の名残である.12月には東大の安田講堂で攻防戦が行われる.翌年の1月には数学教室でも学生の蜂起(?)が起こる.それからいろいろな経緯はあるが,平和な日々は戻ってこない.卒業まで,普通の講義はなかった.夏が来て闘争は自然消滅のようになり,秋になってセミナーに分属して,卒業までは普通の講義は一切なく,同級生たちとの日常的な交流の機会は戻っては来なかった.卒業式もなかったので,大学院に進んだ者以外にはもう自然に会う機会はなかったのだ.ほんとうに激動の中にいたので,数学のこと,人生のこと,大学のこと,世界のこと,考えることが山のようにあって,普通の学生生活はなくなってしまった.
 それはもう昔のこと,47年も前の話である.それでもこのコメントを見たときから,「これカニエくん?」という声がレフレインして,頭から離れない. その当時は,この写真に写っている見慣れない男はいつも教室で見慣れてるはずのあの男なのかという軽い意味しかなかったかもしれないが,リフレインする声は少しづつ言葉を変える.
 「これ,カニエくん?」「これって,カニエくん?」「これはカニエくん?」「これはカニエくんなの?」「これをしたのはカニエくんなの?」「この仕事はカニエくんなの?」「カニエくんは何をしたの?」
 中原中也の
  あゝ おまえはなにをして来たのだと……
  吹き来る風が私に云う

という詩がこのレフレインに重なって聞こえる.折にふれて思い出してきた中也の詩に47年の時を超えて届いた声が重なる. 「うん,そうだよ」と胸を張って言えるような何かを僕はしただろうか.
 どうも感傷的になりすぎたようだ.歳を取り,少なくない病気を抱えていて,いつまで生きられるかわからない今の僕には感傷的になっている時間はない.まずは,今与えられている仕事をしなければいけない. それを済まさないとその次の仕事に掛かれない.その内の1つでも「うん,そうだよ」と言える仕事になってくれればいいのだが.
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5:2016年7月11日から,2017年1月7日までの挨拶文

 

 マスラボが生きていることの証として,挨拶はできるだけこまめに書き換えようと思っていたのだが,1年以上も経ってしまって申し訳ない.
 誰に申し訳ないのか,という話を書いてみたくもあるが,それを書き始めると,大半の人には面白くもない話になりそうなので,それは止めることにしよう.
 一応の目標として,新しい本が出たら,一回は挨拶を書き直そうと思っていた.2016年4月15日に上の確率の本が出たので,それならまだ,1年以内だったわけで,言い訳もしなくて済んだのにとも思う.新刊も出てなかったし,このHPも表面上はあまり書き直しがされているように見えなかったので,しかも,前回の挨拶があまりにもうしろ向きだったので,とうとう活動を止めたのかと思われた方も少なくなかったかもしれない.
 しかし,確かに活動のペースこそ落ちたものの,それなりに活動は続けている.人に見えるのは,論文を書くか,著書か訳書を出すことだろうし,また,このHPに新しいコーナーでも作ることだろうが,それが止まっているように見えたかもしれない.
 理由はいろいろあるが,実はアクシデントがあったのである.昨年の6月に,突然使っていたPCが壊れたのだ.それまでも部分的に壊れていたのだが,何とかだましたり,宥めたりして,済ませていたのが,本当に壊れてしまった.しかも,移動に使っていたUSBメモリーも壊してしまった.語るも涙の失敗をしてしまったのである.USBメモリーまで壊れるなんてことがある筈はないと誰もが思うかもしれないが,失敗するときは連鎖的に,しかも思いもよらないことを起こすのである.冷静に振る舞えば防げた失敗をした.失敗学的には面白い例を与えてはいるが,ここでまたもそれを語るには,まだまだ心の傷は癒えてはいない.
 おかげで失われたものがある.手書きの作業でなら,反故が残るものだが,きれいさっぱり,2年くらいのデータが消えた.一番困ったのは,『幾何教程』の原稿である.こういうような著訳書の仕事がメインになったきっかけは,ハイラー・ヴァンナーの『解析教程』だが,そのヴァンナーがGeometry by Its Historyという本を出した.その翻訳原稿が1章分だけは,状況報告を兼ねて出版社に送ってあったので,その部分のpdfファイルは生き残ったが,残りが消えてしまった.翻訳も,ただすればいいだけじゃなく,日本語の本として読めるためにすることもあるし,多くの数学者がMacを使っていることもあって,Windowsで実現するためには,別途の工夫もいる.その工夫の書いてあったファイルも消えたのである.立ち直れない程の痛手であった.
 ところで『幾何教程』だが,実は,ヴァンナーが初版を出してから,何しろ幾何のことだから,世界中に物知りがたくさんいて,いろいろコメントをしてきたらしい.そこで,内容の入れ替えを含め,章立てを変えるということをし始めたということで,その変更後の一応確定した原稿が少しずつ,送られてきて,それを受け取りながら,翻訳を続けていた.今度は幾何なので,図がいろいろと大変で,ヴァンナーはパートナーを変えていた.図はそのパートナーの方の担当で,その彼が登山家でもあり,ヒマラヤに行っているので,中々確定しないのだというメールを受け取っていたのが,2年前の初夏.その後,ヴァンナーとハイラーが秋に日本に来るということが分かり,それまでには改訂も終わっているだろうというような,...まあ,確定ではないけれど,そういう話であった.
 実は彼らの本職は数値解析で,その分野の専門書もあり,日本語にも翻訳されている.日本での権威の一人に三井さんという人がいて,彼の多分70歳だったかと思うが,その記念シンポジウムをやることになり,彼らを招待したということが,三井さんから知らされた.そこで,その秋に会場の,京大の楽友会館に出かけていき,ヴァンナーから,第2版用の原稿のファイルを受け取ることができた.
 それを使って,本格的に翻訳に取り組み,前半の翻訳を済ませたところだった.実はその状態を春の学会で,担当の編集者に見せているのである.確定していなかったとはいえ,そのときにファイルを渡しておけばよかったのだが,痛恨である.
 実はそこで,いったん作業を停止していた.『解析教程』のときもそうだったが,現代的な取り扱いが始まるところを決め,それ以前と以後という構成になっている.『解析教程』の場合はニュートン以前とニュートン以後であった.『幾何教程』の場合はデカルト以前と以後である.つまり,幾何的な量を文字で表わし,幾何的な関連性を代数的に表示し,方程式を解くなどの扱いをすることで,近代になる.
 今回は歴史的文献や引用が多く,数学以外の作業が多くて,しかも,近代以降の歴史的引用もかなり面倒である.数学だけなら,多少難しくても,長いこと考えさえすれば多分何とかなるだろうという思いはあるのだが,...スイスの人は何といっても最初から多言語に慣れていて,...愚痴を言っても仕方がないが,それで,どうしようかと考えながら,ほかの仕事をしていた所にこのアクシデントが起こった.
 悪いことは重なるもので,その少し前から,この編集者と翻訳上だけでない問題も生じていた.で,『幾何教程』の作業がほとんど白紙状態になってしまった.何回か前の挨拶でも報告したように,いろいろな出版社との仕事を並行的にやっていて,その時までは『幾何教程』が最優先だったのだが,ほかの仕事を優先することになった.
 その成果が,ナーインの本の翻訳である.表面的に休止状態になっていたのだが,久々の出版である.学生時代から,確率の人たちとは付き合いもあり,興味もあったのだが,ナーインの本はさらに数学の外に向かった姿勢の本で,それなりに楽しめた.ほかにも面白そうな本を書いているので,機会があれば訳してみたいと思っているが,それはまた別の話.
 ナーインの本は共立出版から出ているが,共立との付き合いは『直線と曲線』以来である.この本の時に知り合った編集者とは10年以上の付き合いになる.当時はまだ,ほとんどが翻訳だったが,アイデアマンの彼とは独自のいろいろな企画を語り合ったものである.いくつもの面白い企画を考えて,盛り上がったが,いつも数か所からの翻訳の仕事を抱えていたので,実際の形になっているものは『数学用語英和辞典』だけである.これなどは,いろいろな企画の中の一番新しいものだった.
 実はその次に新しい企画の本がもうじき出版の運びとなっている.発行日は多分2016年の7月中,遅くとも31日である.そうなれば,また挨拶を書かないといけない.ナーインの本での挨拶の期間が1月を切る.慌てて挨拶を書くことになった理由である.
 『幾何教程』の話を書いたのは,もう秘密にしておく時期は過ぎたからである.今年の春の筑波大学での学会の際に,『幾何教程』の編集者と話し合い,一応問題点が,解決したので,その後『幾何教程』の仕事に掛かった.pdfが残っていた部分についてはすらすら進んだが,それを過ぎると,すべてを手で打たないといけないから,進みは遅くなる.1冊で出してもとも思うのだが,やはり厚くなりすぎるからというので上下巻という形で出すことになっている.上巻だけに関係する部分については初稿は終わっている.日本語の本としての構成上,処理しなければいけないことが残っているので,見直す必要があるが,特に文献の処理が,『解析教程』の場合と異なるので,段々に決心を付けてきて,『解析教程』の文献と,日本語の書物としての体裁をあまり変えたくないので,という点が残っている.『解析教程』のときは,神戸大学に来ていたオランダ人の数学者に,ラテン語の文献のタイトルについては世話になったが,今回はいないので,その分が気がかり.全部で11章,演習問題は各章に20以上あり,その解答も簡単ではない.『解析教程』のときはニュートン以前と以後では内容としてかなりの違いがあり,相互に引用しあうということもほとんどなかったが,今回はそういうわけにはいかない.どれくらい相互に依存しあっているかを確かめるために,上巻を仕上げる前に下巻部分も少し見ておこうと思って作業を進めている.そのすり合わせをどうするかさえ決めたら,上巻だけなら,あと2か月くらいで本になる.下巻も今年中か,遅くとも今年度中には本になる.乞うご期待である.
 前にも言ったようにヴァンナーは数値解析の専門家である.幾何に対する感覚が幾何だけやってきた人とは違う.そこが面白い.内容的に『解析教程』と響き合うところも多い.スイスというヨーロッパのあらゆる文化と文明が交差するところであり,オイラーとベルヌーイ兄弟の生まれたところで,ベルンには文書保管の図書館があって,一次資料が手の届く範囲にあるというのが,ヴァンナーのby Its Historyシリーズの強みである.
 上巻だけなら,初等幾何のすっきりした,百科事典的な内容も持つ教科書である.沢山さんという,戦前の数学者も登場して,和算ははっきりした形では出てこないものの,.....ま,あまり内容にかかわることは,出版前なので,控えておこう.
 というわけで,かにえマスラボは現在進行形でオープンしております.当研究所になにか,ご希望の業務があればご提案いただけば,検討させていただきます.所長が生きている限りということではありますが.訳書に関してはこれ以外に2冊,既に作業にかかっているものがあります.また,企画ものについては,既に原稿のあがっているものもあるのですが,読者層の設定と叙述形式について編集者と意見が合わなくて留まっているものもあります.このままで十分面白いと思うんだけどなあ....
 教育数学というやつは,ある意味で生涯の大仕事になるかもしれない発展をしているのですが,....,今のところはまだ,業界内の扱いにしかなっていないところがあって,そこをどう突破するか.突破できれば,日本のというか世界の思想史にも足跡を残す.....年寄りの大言壮語に聞こえるようでも困るので,今回のご挨拶はここまで
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6:2017年1月8日から,2017年11月4日までの挨拶文

   2017年になってしまいました.この『作法』が出てから,半年も経っています.新しく本が出たら挨拶を書き換えるなどと,前の挨拶で言っておきながら,まったく自分で言ったことが守れないのは困ったものです.ではあるけれど,むしろ守らなくてもいいのは自前のHPだからでもあって,多少の身銭を切っている値打ちでもある.幸いにして早々に2刷りになっています.こんなことは『解析教程』以来のことです.実はあの時よりも2刷りのペースは速い.しかし,『解析教程』は3刷りも早くに出せて,長続きしています.ある状況下での定番化していると思っているのですが,どうでしょうか. 3刷りでは負けるかもしれませんが,本書もそうなってほしいものです.
 この本は,大学で数学を学ぶ機会のあるすべての人に読んでもらうように書いたものです. 動機としては,大学に入ってくる学生が大学で学ぶ態勢になっていないという状況を何とかしたいというものだったわけです. と言って,説教になるのも嫌だった.面白おかしくというわけにはいかないので,学習相談室という気分のものを目指すことになった.
 出来上がったものは,理科系学部に入学した学生向けのオリエンテーションの副読本として使ってもらえるものになっている. また,大学受験を目指す高校生や予備校生に,大学での学びの雰囲気を味わってもらえるようなものになっている.
 もちろん,既に公的な学びは終えて,社会にあって,学びを振り返る時々を持っておられる方も対象にしています.昔学んだはずだったものが何だったのか,この本をちらちらと読んでもらえば,思い当たることもきっとあるでしょう.通勤の電車の乗る前か,乗った直後に本文の問を読み,本を閉じて考えてみる. 何か解答を思いついたら,本の回答を読む.多分,あなたの予想とは違う答えが書いてあるでしょう. そうだったら,もう一度考えてみて,それでも本の回答に納得がゆかなければ,解説を読む.
 本文は,問,回答,解説,作法というセットで出来上がっています.解説を読んで納得できたが,それでどうしたらよいのだという思いに駆られたら,作法を読んでください. 多分,ほっととしていただけると思います.
 数学の歴史は,難問を解くことで出来ています.難問を解けば,また新しい問題が生まれる. それを解こうとすれば,前の問題を解く前の地平では恐らく解くことはできないでしょう. だから,もとの難問が,できるだけ当たり前のことに思えるように土台から作り直す. そういうことをいろんな人が,いろんな立場や能力で作り上げてきたものが今の数学です.
 教科書ができているようなテーマや分野はそういうことが比較的できあがっているわけで,自分だけで考えたら一生掛かっても行きつけなような高みまで連れて行ってくれます. ただ,それも,そこまで行きたいと本当に思う人にとってということで,行きたくもないのに連れていかれるという意識になれば,こんな嫌なものもないかもしれません. 昔からよく言うことですが,「牛を水飲み場に連れていくことはできるが,水を飲ませることはできない」のです. のどの渇きを覚えている牛なら,ある程度傍まで連れていけば,多少の障害は自分で乗り越えて,むしろ,引き手を引きずってでも水飲み場に行くことでしょう.

 さて,ご挨拶が遅れていましたが,それでも無理にでも挨拶をせねばならぬという気持ちになっているのは,新刊が出たからです.お待たせしております『幾何教程 上』が1月31日に発行されました.今日は28日ですが,僕の手元には3日前に届きました.おかげで,訳者まえがきに手拍子のミスがあることが分かり,本のサイトを作った時からerror.htmを書くことになってしまいました. まだ,上巻のみですが,出版者との取り決めでは,下巻の初稿の締め切りが3月末になっていますのでもう少しです.推敲のときも含め,もう少しだけお待ちください.
 他の2社からの翻訳も少しずつですがやっています.教育数学の方もやっと,ある程度まとめに入ってきていて,それほど遠くない時期に,公表できることを目指しています.一般の方には読んでいただけそうもない生硬なものが論文の形でかなりできています.興味のある方は『教育数学』のページから見ていただくことができます. これをまとめて,一般の方にも読んでいただける形にするのにはまだまだ時間が掛かると思います.生きている間にできるかどうか,これまでの訳業や著述業はそのための修行の場だと,最近では思うようになりました.
 
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7:2017年11月5日から,2018年5月6日までの挨拶文

 
 2017年もあと1月あまりになってしまいました.お待たせしております『幾何教程 下』が校了しました.前回お伝えしたように初稿は3月の数学会の前に出版社に渡しましたが,本書も図が多く,編集の作業に時間がかかるようです.
 他の2社からの翻訳のうちの1つは初稿を入稿しました.もう5年以上も前から継続してやってきた著作もやっと原稿として出版社が受け取ってくれました.校正に手間がかかる状態ですが,出版されることは確実だと思いますので,ご期待ください.
 もう1社の翻訳は並行してやっていくつもりでしたが,もう一つの仕事が進まないことも心の重荷になって後回しになってしまっていました.
 もう一つの仕事というのは教育数学をテーマとした研究集会を京都大学の数理解析研究所で来年の2月に行うことになっていますが,その準備が進んでいないということです.プログラムの枠は決まっていますが,講演者への依頼が進んでいないということです.決まっていくに連れて,『教育数学』の第3回研究集会のページでお知らせしていきたいと思います.これまでに2回研究集会が開かれ,その講究録も出版されています(上のページからリンクされています).
 今日からはもう1社の翻訳と,入稿した原稿の手直しをしながら,研究集会の準備を最優先で(何しろ時間がないので)進めていくつもりです.
 先月に,著述以外の,というか,数学以外の大きな出来事があったのですが,このHPのサイドサイトを充実しながら(誰も期待していないかもしれないけど),少しずつ書き込んでいこうかと思っています.


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8:2018年5月7日から,2018年10月21日までの挨拶文

 
 前回報告した入校した原稿については,一つは純粋に初校待ちです.3月の学会で編集者にあったとき,いろいろあって遅れているけど,GWまでにはと言っていましたが,今日は2018年のGWの最終日です.遅いなあとは思っているのですが,実際に初校が来てしまうと,待ったなしですから,ほかの仕事は全面ストップです.遅い方がいいという気もなくはないわけです.まあ,そのかわり,初校を返せば,たいていは僕の手から離れ,忘れてしまうことができます.
 もう一冊の方は,あれからまだ紆余曲折があって,やっと初校は受け取ってもらえましたが,この本にいろんなイラストを描いてもらうように指示してありますので,その出来上がりしだいで,まだまだ刊行は遅れるかもしれません.文章の方はプロデューサー的な方からの注文をすべてこなしたので,編集的な調整だけだと思います.作成ラインには乗ったと思える....乗ったんだろうなあ.
 もう1社の翻訳の方も他の切りがついたので,作業を本格化して,やっと3分の2を超えたくらいのところです.さまざまな視点から数学を見直す作業になっています.
 もう一つの仕事というのは教育数学をテーマとした研究集会を京都大学の数理解析研究所で2月に行ないました.プログラムなどは,『教育数学』の第3回研究集会のページにあります.これまでに2回研究集会が開かれ,その講究録も出版されています(上のページからリンクされています).今回の研究集会の講究録も出版しますが,内容を練って頂くため,夏休み明けまでは原稿の催促はしないと約束しましたので,発行までには少し待っていただくことになるかもしれません.

 前回,数学以外の大きな出来事があったと書きましたが,少しだけ書いておくことにしましょう.高校時代の恩師が亡くなったのです.高校を卒業した翌年から,つまり大学1年の時から,毎年正月の2日に年始に伺っていたのです.岐阜県の大垣市の曽根の万年寺という寺の住職をされていました.50年以上毎年です.最初に伺うとき,連絡をしたら,同学年のが何人か来るから,2日にしてくれと言われて出かけたわけです.
 そうしたら,そこに4人の同窓生がいたのです.中高一貫校だったので,全員,顔見知りではあったのですが,それほど親しくもなかったのです.いわゆる統合の象徴としての恩師がいて,以来50数年,毎年顔を合わせてきました.後に1名加わり,全部で6人と恩師と,年に1回のことながら50年を超えれば,それは確かに歴史になった.結婚する前後には妻を連れ,時には子供を連れ,子供の成長とともに,妻たちは参加できなくなり,6人だけになったのは,何人かが停年を迎えてからになっていた.
 僕は一度,モスクワに行っていた時に欠席した.長期に外国に赴任する者もいたが,正月には日本に帰り,参加する律義者もいた.だから,一番近いのは稲沢,次が名古屋,その次が僕で桑名,一部上場の製薬会社の社長になったのは最初大阪,アメリカやヨーロッパにも行って最後は東京で,今は大阪.後は神奈川だったのが故郷に帰って常滑のがいて,最初は大阪だったようだが後につくばから集まってくるので6人.待ち合わせはいつも大垣の駅.
 長く東南アジアと台湾で工場を任されたのがいて,彼の案内で総勢7人で台湾旅行をしたことがある.恩師は仏教史の研究者でもあり,その種の著書もある.故宮博物館に行きたいということでお供をしたわけである.またわれわれとは別のグループで,中国の長安にいかれたらしいことが,葬式の際の同窓生の話で知った.
 一つ一つのエピソードにそれほど深いものがあるわけじゃないけれど,50年という年月は人の人生には重いものがあり,これが一体何だったのか,まだ整理のつかないものがある.


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9:2018年10月22日から,2019年5月15日までの挨拶文

   前々回報告した入稿した原稿のうち,純粋に初校待ちと言っていた分はまだ編集から4分の1しか戻ってきません.戻ってきた分から処理していますが,この分だと年を越すかもしれません.初稿を送って10か月を過ぎています.その出版社では,数学関連の編集者がなぜか次々と辞め,僕の本の編集者が数学関連のトップになったので,自分の編集の仕事だけではない仕事があるというのも一因なのでしょうが,困ったものではありますね.
 紆余曲折があった本が,やっと出版されました.それがこの表紙の本です.あと何年生きられるかわからないけど,20年以上現役でいるのでない限り,これが代表作になるかもしれません.誰にでも書けるといった本ではないという自負はありますが,そういうことは僕よりも,読者の皆さんが決めることだと,俎板の鯉の気分でお待ちしております.
 ぜひ,読んでください.読んでから,コメントをしてください.批判は甘んじて受けますが,読まずに批判する人もいるようです.読んで批判しているのか,読まずに批判しているのか,批評を読む人にも,僕にもわからないことで,うーん,お叱りはいくらでもお受けしますが,読んでから批判してくださいね.
 特にこの本は何回か繰り返して読んでいただけるように書いたつもりですが,再読に堪えないという批評をされると,見えるものも見えなくなる.特に困るのはタイトルを見ただけで中身の批評をされる方があることです.この本には10年以上の時間がかかっています.それはこっちの事情で,読み手にはかかわりのないことだということも承知はしているのですが.
 一応,中身を読んだ人が,帯の文章を書いてくれました.内村さんという人です.この本のページに転載しましたので,ご覧ください.
  もう1社の翻訳の方も一応初稿は入れたのですが,本を作るうえでいろいろと工夫の必要なことが多く,これも編集者の作業待ちです.
 もう一つの仕事というのは教育数学をテーマとした研究集会を京都大学の数理解析研究所で2月に行ないました.プログラムなどは,『教育数学』の第3回研究集会のページにあります.これまでに2回研究集会が開かれ,その講究録も出版されています(上のページからリンクされています).今回の研究集会の講究録も出版しますが,内容を練って頂くため,夏休み明けまでは原稿の催促はしないと約束しましたので,発行までには少し待っていただくことになるかもしれません.じつはまだ,催促をしていません.今回の本は,ある意味で教育数学のある側面の実現という意味があるので,その発行を待っていたということもあるのですが....まあ,偉い人たちに命令するようなことはしにくいというか,...気が弱いものでして.それでも,もうそろそろ催促したいと思っていますが.
 [追加]次回の研究集会は僕と岡本氏とでやるというわけにはいかないので(老害と言われるのももっともな状況になっているので),何人かの若い人に引き継いでくれるように頼んでいたのですが,ICUの清水勇二氏がRIMSに申請してくれることになったのです.実にありがたい.しかし,そうなれば,いつまでも講究録を出さずにいるわけにもいかないので,一斉請求をしました.お蔭で少しずつ原稿が集まり始めています.上記のプログラムに集まっていた原稿をアップしてあります.もう集まらないということが見たときに,RIMSに送って,講究録にしてもらう予定でいます.

 今後の予定ですが,しこっている出版社から,これも1年前から頼まれているものがあって,ライフセーバーというシリーズがPrincetonから,出ているのですが,そのうちの一冊です.久しぶりに普通の数学の本ですので,サクサクと進んでいます.こちらの担当は例の編集者から若い人に引きついでもらいました.この方が先に出版されるかもしれません.
 実は,大物を依頼されています.原著出版社との契約はできたので,着手しないといけないのですが,いろいろと後始末が残っているので,本格的に始めるには準備が必要な状態です.
 教育数学については,その序論というか,概観というべき本を出版する計画があります.今のところ,計画だけなのですが,本の中身的には数冊書くだけのストックはあるのです.しかし,この種の本は先が読めない.つまり,まともに論じようとすれば,概説,クライン編,フロイデンタール編,ペリー編,藤沢利喜太郎編,バス編,臨床数学教育編,教育行政編,教育から見た数学編などは書ける予定というか,義務というか,私家版でよければ原稿もあるのですが,公刊できるまでには煮詰まっていないというか,....うーん,これはまた言い訳ばかりだけれど,理論を詰めている佐波君が,いろいろな面で難しい環境にあるために進まないということがあるわけです.平均して2か月に3回ほどのペースで二人セミナーをしているのですが,なかなか進みません.
 そういう中で,僕としては,一人でできることを少しづつでもしていかないといけないわけで,孫サイの次のテーマは幾何で,そのあと,出版社の意向としては計算らしいのです.そのあたりになるとまだイメージがはっきりしていない.そう思っていたら,計算の方のアイデアが少しずつ浮かんできたりしています.
 これまではあまり先の話をしてこなかったのですが,自分の身体がいつまで持つかという心配もあるのに,見てもわかるようにやり残したことは多いのです.
 力学グラフ,編み紙などは教育数学の一面の実現という意味もあり,ぜひ何とかしたいのですが.
 次の本の輪郭がはっきりしたら,またご挨拶しましょう.本の予定が進まなくても,徒然草的なことも書いて行けるといいのですが,暇がなくて.
 忙中閑ありという気分の時にしかHPの書き直しはしにくいので.また,本の原稿を作っている際に,気になった人物とか,本とかがあると書き込んでいるのですが,それもある程度まとまった数にならないとここにアップすることにはなりにくい.だから,人名索引や本の部屋なんかは結構書き直っているのです.しかし,それらは既存のものの書き直しだから,フレームの再読み込みのボタンを押していただかないと,更新されないことがあります.自分で確認するときにもよくそういうことがあるので,お気を付けください.

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10:2019年5月16日から,2019年9月21日までの挨拶文


 世間の皆様にとってGWの長い休みが明けたところで病院に入ってきました.手術ではないけれど,気分は手術と同じ. 右の手首の動脈を切って,そこから長い管を入れ,心臓の冠動脈まで差し込んで,いろいろなタイミングで造影剤を入れて観測する.すると,どの血管にどれくらいの勢いで流れているかが分かるというわけ.カテーテル施術という言い方で,手術とは違うんだそうで,担当も内科の医者がしてくれる.時代は変わったものですね.
 まあ,帰ってきました.実は,その結果説明では,本格的な手術を勧められた・・・?多分進められたんだろうと思う.医者はしたそうだったなあ.でもまあ,少し考えるということになって,無罪放免ではなく,有罪放免という形で退院してきました.
 前々回報告した,入稿して帰ってこない4つの原稿のうち,1つは前回報告したように出版されました.3月の学会までにはと言ってたI出版のは音沙汰なしです.
 K出版には2つ入っていましたが,担当編集者が昇格して編集の仕事ができなくなっていたのに手を付けていなかったことを踏まえ,担当を若い人に代わってもらいました.そのおかげで,1つは帰ってきて,本当の入稿に進み,こまごました事務仕事が残っているだけです.まあ,それもなかなか時間がかかりますが,なんとか秋の学会までには出版できるといいと思います.ライフセーバーというシリーズの1巻です.プリンストンがそういう本を出さないといけないような時代か,という感慨は無きにしも非ずですが.原著の既刊は今訳したものだけですが,需要があるなら,ほかのものも訳すよと本屋さんには言ったんだけど,アメリカの教科書らしく大部なもので,日本での出版に耐えないんじゃないかという話.日本の大学教育の質も変わってきて,そういう本の需要も本当はあると思うんだけど,何しろ学生が本を買わないので,本屋としては危険を,つまり赤字になる危険を感じるわけです. まあ,状況が変われば,訳すことになるかもしれません.
 もう1つについても,少しずつ戻ってき始めていて,希望としては年々にはすべて戻ってきて,手直しも年内に済み,本当の入稿にまでこぎつけたいと思います.できれば,今年度中に出版できればいいと思います.
  となれば,次は孫サイの続きや,教育数学関連の出版へと進むところかもしれませんが,去年の秋に大きな翻訳の仕事を請け負いました.実は10年以上も前から頼まれていたものだったのですが,大変なのでお断りしていたのです.近年,それに再評価の声が上がり,原著の新訳が出たのがきっかけで,こちらの方から本屋さんに打診したということなので,この仕事は外せないわけです.原書は実はドイツ語で,訳というのは英訳です.3巻あり,それぞれ約300ページの大著です.つまり,900ページほど. これを済まさないと死ねないので,死ぬ危険のある手術には今すぐは踏み切れないということだったわけです.
 それは着々と進んでいて,夏明けには1巻の仮入稿ができるといいかなと思っています.テンションが続けば,第2巻も今年の終わりには仮入稿したいと思っています.第3巻は多分それから2年くらいはかかりそうですが,それにはそれなりの事情があるのです.本屋の方は,できれば3巻同時に出したいというのだけれど,とても無理な相談ですね.
 入院にはパソコンを持ち込める状況になかったので,本を読みながら,ぼーっとしていました.実は家でも,仕事は続けてやるだけの根気が続かないので,合間には結構ぼーっとしているのですが.
 で,教育数学のことも考えます.孫サイのことも.孫サイは10年前からの進行表では次は図形編ですが,1+1=2のような誰もが思いつくような疑問でありながら,その根には非常に根本的な問題が潜んでいるという問題がないのです.
 ユークリッドのおかげで,というか,古代ギリシャの思想家たちのおかげでというか,そういう根本的な問題はポリッシュされて,ある意味で使用された形の上に最初の学びが始められるようになっている.そのため,誰もが思いつくような問題で,という部分をクリアするようないい問題が見つからないのです.
 その点を苦労しています.多少技巧的というか,遠回りになるかもしれない問題の提出法を考えていて,ヒントを求めて,昔の学生にいろいろ話を聞いてはいるんだけど....
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11:2019年9月22日から,2020年9月30日までの挨拶文


 秋の学会から帰ってきました.会場が金沢大学だったので,行くのをやめようかと思っていたのだけれど,金沢へはもう2度と行けないかもしれないと思って出かけました.
 というのも,以前は金沢城の中にあり,北に下りれば近江町市場で,南に石川門を出て南に道を渡れば兼六園というベストポジションでしたが,今は,市内のどこからでもバスで30分以上はかかるという山の中です.広々とした敷地と広々とした建物です.誰のための,誰に見せようというものなのか,誰にとっての意味があるのだろうか,と考えるのは貧乏性だからでしょう.
 学会のある集まりで,Mooc(Massive Open Online Course)の存在とその利用方法を知りました.忙しい中ですが,何か勉強してみようかなと思ったのですが,暇ができるかどうか? 物理的な暇というより,心理的な暇がですが.
 学会から帰ったら,家の小さな畑の手伝いが待っていました.まあ,本来なら「晴耕雨読」は僕の立場とするわけだから,なのですが.
 僕の生家は下町の呉服屋でした.妻の実家は近郊農家でした.妻自身が農作業の手伝いをしていたわけではないのですが,義父は何につけてもマメで手先の器用な人だったので,その真似なら妻はできます.そして,義父がしたことことの半分くらいのことならできるだろうという目で僕を見ます.体のあちこちが,本当にあちこちがいろんな種類の痛みを発していますが,痛みは他人からは見えません.だましだまし,手伝いをするわけです.
 さて,4つの忘れ物の内の2冊目がようやく出版されました.あと2つですが,少しずつ進んでいます(?).
 新しいものは大物で,300ページクラスの者が3冊でひとまとまり,1冊目の終わりがやっと見えてきました.3冊ともしっかりした序文がついていて,それは訳してありますので,全体の様子はわかっています.それは粛々と進めることになります.
 それ以外に新しい企画もあるのですが,まだ具体的な形になっていません.
 また,過去の仕事について,2つほど改訂というか,増訂と言うべきものがあります.一つは具体的な作業に入るところです.もう一つは,出版社側のある準備が済んでからということになりますが,大物の1冊目が終わった段階でないと始めることはできません.
 で,1冊目を進めようと思っているのですが,新しい本が出ればHPも作らないといけないし,それに応じて,この挨拶ページも書き換えないといけないので,なかなか進みません.書き換えたので,もうやれるわけですが.
 ところで,さきほど,丸善出版からのメールで,『代数とは何か』の重版が決まったということです.これについては僕の作業はほとんどありませんので(本のHPのデータ修正以外),ほかの本も重版があるといいのですが,皆さんよろしく.
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12:2020年10月1日から,2021年11月2日までの挨拶文



 前回のあいさつで話した忘れ物の1つが出版されました.それがこれです.原著のイメージとはかなり変わっています.IMAというロンドンの研究所の記念出版ということで,イギリスのテイスト満載の本です.
 判型も大きく,ほぼ正方形.真ん中には20ページほどのカラーページのあるハードカバー.厚い紙のカラーページにははっきり言ってわけのわからない図が満載です.見ているだけも楽しいといえるものなら載せてもよかったのですが,そういうわけでもありません.もしもこれを入れるなら,それらのイメージの説明をしないわけにはいかないのですが,まったく説明が分かりません.相互の関連性もなく,数学との関係も見えません. どこにイギリス式のユーモアがあるのかもわかりません.これを入れるとなると,値段は確実に倍以上になるけれど,価格を高いものにするほどの意義が認められないので,割愛しました.
 さらに割愛したものがあります.50の章をほぼ4等分して,そこにできた3つの隙間の見開きにピュタゴラスの定理を,イギリス式のユーモアで敷衍し,発想を飛ばし,イギリスの文学からの引用(もちろんそのままではなく捻ってあります)や,クロスワード,しかも斜めの列であるものなどの文字を使った遊びが,フォントの大きさ,テキストの枠の形などもさまざまなものが入っています.何とか訳すには訳してみましたが,とても日本語の本の内容とはしにくいものしかできませんでした.
 編集者と相談して,結局,今年になってから,割愛することになりました.基本的にテキストだけになったので,本の判型も手に持てる小さなサイズにすることになり,コンパクトな本ができました.
 数学と数学の応用,存在意義についての50のお話です.そういう意味では,大きさも適当なのかもしれません.
 こうしてできた本ですら,「あまりにイギリス的な」ものになっています.イギリスというのは,とても強烈な個性なのですね.

 本が出版されなくても,数か月に一度くらいは挨拶を更新しようと思っていたのですが,日記のようなものを書くのは,僕くらいの歳のものには,公開するようなものでない気もして,また,書くべきテーマもないわけではないから,何を書くかを迷っているうちに日が過ぎてしまいます.
 そうこうするうちに新型コロナウィルスの流行が始まり,何となく億劫になった折から,とんでもない災厄が襲ってきました.何をする意欲もなくなり,引き籠り状態になってしまいました. それについては,もう半年以上も経つのに,気持ちの整理がつかずにいます.それでも,おいおい,乗り越えていかなければいけないと思えるようになってきました.
 ブログではないけれど,一人がたりのページを作り,そこで少しずつ書いていこうと思っています.少し調べてもらえば,中間報告的なものを見つけていただけるかと思います.
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13:2021年11月3日から,2022年2月5日までの挨拶文


 
 忘れ物の1つではないけれど,原書の改版が繰り返されていたので,その日本語訳もとときどき出版社に打診していたのですが,やっと『天書の証明』の最新版の出版が決まりました.2018年に出版された原書の第6版です.
 翻訳は済んでいて,校正もほぼ済んでいますが,日本語第2版の表紙がまだ決まっていなくて,日本語初版のカバーで代用しています.普通ならそれも決まって,発行日も決まってから挨拶を書き直すのですが,実はまだ作業が一つ残っています.訳者まえがきを書かないといけないようで,それが進んでいないのです.
 自分で言うのも何なのですが,初版の訳者まえがきが翻訳書のまえがきとしてはあまりの美文になっているので,それに匹敵するような前書きを書く自信がなくて,書かなくてはいけないが書けないという焦りのせいで,書き出すことができません.
 それでまず,挨拶文を書いて,どんなまえがきにするかという踏ん切りをつけようというわけです.
 原書第6版そのものは手にしていません.出版社から送られてきたのはpdfだけです.pdfには表紙がありませんが,出版社のHPに行ってみると,版のところがSixthになっているだけで変わりはありません.版を重ねるたびに章の数も増え,この版では45章になっていますが,同じ「天書」だという心意味なのでしょうか.
 また日本初版では32章だったので,章数は1.4倍強です.また章の名前は同じでも内容が同じという章はほとんどありません.第6版の全文を訳すのと変わりがないどころか,細かい異動を見逃さないようにするのに注意が必要です.
 前回は次の仕事も控えていたので人名索引に十分な時間も割けなかったのですが,今回はゆっくりせねばならなかったこともあって,人名索引は可能な限り充実させました.それもこれも,ある意味,リハビリを兼ねていたからです.
 数学とも教育とも少し疎遠になっていたのですが,...離れていたというのではなく,取り組む気力が希薄になっていたのです.『天書の証明』の訳業はそのリハビリの機能を果たしてくれたようです.数学や教育を考えるときに何とはなしに薄いベールがかかっているような感じだったのですが,訳を進めていくうちに少しずつ数学に色がついて見えてきた気がしています.訳者まえがきを書き終えれば,こっちは終わり.実はちょっとしたきっかけがあって,積み残されていた仕事も動き始めました.こちらは大学での数学教育に関係したもので,アプローチが独特で,まあ,考える切っ掛けにはなってくれそうです.こちらが形になるのは今年度末がおおよその目安でしょうか.
 『天書の証明』の証明が数学に対するリハビリ効果があるのは,もちろんその内容にあります.数論,幾何学,解析学,組合せ論,グラフ理論の5つの章からなり,それぞれの分野の比較的初歩的な興味深いテーマが並んでいる.証明がテーマだから,ただの読み物ではなく,証明がある.追加されている項目やコメントには知らないことが多い.数学のプロにも,数学のマニアにも,昔学んで学びなおしたい人にも,今学んでいて興味が続かない人にも,それぞれの琴線に触れる部分がある.昔使った教科書を勉強しなおすといった人も,中々続かない学習意欲をこの本で掻き立てることもできる.
 一応すべてを理解するには大学初年級の微積分と線形代数を知っていた方がよいが,ほとんどは高校の数IIまでの知識があれば理解可能である.本書のような本はすべてを理解しようとしない方がよいかもしれない.パラパラと拾い読みするなり,目次を見て興味を引いたところを読むといった読み方もよいでしょう.特に気に入ったところを精読して,計算もやってみてというようにすれば,きっと理解ができ,楽しく思えるようになるでしょう.そうしたら,それに関連した章を探して同じことをしてみれば,いつの間にかほとんどの章を楽しむことができるようになるでしょう.かなり充実した事項索引と人名索引が付けてあるので,探すのには役に立つと思います.
 さて,数学の美しさには,理論の美しさ,事実の美しさ,証明の美しさがありますが,ファインマンが方程式の美しさを強調していることから,表現の仕方の美しさもあります.記号を導入して,状況を簡潔かつ完全に表す琴の美しさ.たとえば,理論のシンボルとなるような方程式,それは代数方程式かもしれないし,微分方程式かもしれないし積分方程式かもしれない.例えば,ニュートンの運動方程式は2階の常微分方程式だが,古典力学のほとんどのことはこの方程式から出てきます.電磁気学はマクスウェル方程式という偏微分方程式系を解くことに等しい.
 あまりにも簡潔で,それなのにあまりにも豊かであることが,軽々しい理解を拒絶するように見える.それぞれの方程式は理論の中核をなし,それを理解するだけでも多くの労力が要り,それを使うまでに習熟しようとすれば,それなりの専門家にならなければならないような気がするほどである.だから,記号が出てくるだけでそれ以上は学びたくなくなるという人も少なくない.
 本書は数学の素養のない人向けの啓蒙書ではないので,記号を使わないという選択肢は取っていません.しかし,簡潔に述べるために難しい記号を使うということもしていません.ある程度数学に慣れた人がじっくりと読んでいけば必ず理解できるようになっています.日本語初版のまえがきでも述べたように,数学者にとって美しいと思えるような証明を,初等的な組み立てに変えてしまうような配慮もしています.どちらが本当の『天書』に載っているかわからないところですが.
 何はともあれ,文章を書くことに対するリハビリもこの挨拶を書いてきたことである程度できたようなので,訳者まえがきに取り掛かることにしましょう.では,出版は年内というのは少し難しいでしょうが,年明けにはそろそろということになるのではないでしょうか.それを期待しつつ,とりあえず筆をおきます. トップ

14:2022年2月6日から,2022年4月23日までの挨拶文



 やっと『天書の証明』原書第6版が出版されました.奥付きには2022.1.30とありますが,1週間以上前に手元に届いていました.いつもならその時点であいさつのページを書くのですが,今回は急ぎの仕事があって,それが済むまで待ってもらうことになりました.
 それは,以前の挨拶で4つの忘れ物といった最後のものの原稿に編集からのコメントに対応したものを作る作業です.画像も多いので,適した位置に適した大きさで入れるのもそれなりに時間がかかります. それに最近,少し体調がよくなくって,あまり食欲がありません.コロナのせいではないと思いますが,ほかの何かのせいならもっと困ります.
 『天書の証明』についてはそのサイトでご覧ください.
 さて,忘れ物は無くなりそうですので,次のことに取り掛かることになります.大物といったものもやりかけで止まっていますし,教育数学の本も佐波君が亡くなってからあまり進捗がありません.新物も1つあります.久しぶりに本格的な数学の本です.微分ガロア理論をリーマンヒルベルト対応を通して考えるというものです.これだけで内容の予想のついた人はかなり数学の勉強をした人ですね.今現在のカリキュラムではどうなのかわかりませんが,大学院クラスの講義内容です.現役を引退したし,ここ数年,学会もシンポジウムもないので,事情がよくわかりません.
 少しだけ様子を見ようとしたのですが,コンパイルできません.あるスタイルファイルがないとエラーメッセージが出ますが,それの入手先が分からないので,編集に問い合わせているところです.
 で,何もすることがないので,大物に取り掛かるかなあと思っています.ドイツ語原本と英語の翻訳本があるので,英語の文章がわかりにくいところをドイツ語原本で確かめるという作業になりますが,その本は100年以上前の本なので,言葉が少し古いし,世界の事情も変化しているので,分からないままになるかもしれません.これまでそういう時は佐波君と相談して決めていたのですが,それはできなくなりました.
 まったくもって,先生が亡くなるより,弟子に死なれるほうが気持ちが落ち込むものですね.そういえば,昨年,辰馬伸彦先生が亡くなられました.追悼文集を出すので書くようにという指令が平井武先生から来ていますが,書けなくて困ってます.思い出すことはたくさんあるのですが,数学者の間で回覧する文書に書けるようなことが思い浮かばないのです.

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