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1:開設時(2013年秋)から,2014年10月9日までの挨拶文

 蟹江幸博マセマティックス・ラボラトリーです.
 大学院修了後,三重大学教育学部に勤務していましたが,定年でお役御免になりました.
 その間に作ってきたページがもったいないという声が聞こえてきて,ここに再構成して移動しました.
 リンクが大変なので,リンクについては引っ越しの本当の完了はかなり先になると思います.
 内部のリンクはほぼ出来ましたが,外部の方は移動していたり,なくなっていたりなので,追っかけるのが大変です.
 しかし新しいこともいくつか始めたいと思っています.それらもおいおいということですが,いろいろ実験的に始めてもいます.ただ,かなり中の方で見つけにくいかもしれません.
 数学月間の会も,HPを作ればいいと言い続けていたのですが,やっと始められたようです. 流石に谷さんがやられるだけあって,最初から僕には未知の手法も取り入れるなど,負けそうですね.

 三重大学を定年退官して,2年間の特任教授というお礼奉公を済ませ,フリーターになりました.
 名誉教授にはしてもらったのですが,三重大学では名誉教授にメールのアドレスもくれませんし,サーバのアクセス権をくれないので,ホームページの更新ができません.消すこともできないので,以前のHPはそのまま残っていますが,メンテナンスは出来ません.大学の公的ページからはリンクされなくなったので,新しい読者はそちらには行かないのですが,以前からの読者は変更されていないのを見て,サボっているので大丈夫かというようなメールを受け取ることもあります.

  
 仕方がないので,自前のHPを立ち上げることにしました.フリーターになって,最初に公にする仕事が,上のカバーの「数学用語英和辞典」になりそうです,多分.
 かっこいい表紙でしょう.とてもセンスのいい表紙で気に入っていたのですが,土壇場になって,社長さんの気が変わって表紙を変えることになりました.それで,実際に本として出版されるまでの間,この表紙を宣伝用に使わせてもらうことにしました.仮のものだから値段も入っていませんが,ISBNはもう取ってありますね.

 カバー写真をクリックしてください.これまでの出版物のリストが出てきます.  内部リンクがやたらと錯綜していて,元のファイルのままアップしたのでは,表示すらできませんでしたが,何とか,取り敢えずの形でアップします.
 元々はいくつかのサーバにまたがっていたもので,外部的にリンクしあっていたのですが,今や1つのサーバの中で行うことになりますし,僕の立場も変わりましたので,HPの構造を変えることも考えないといけないし,1つを変えると,色んな所に変更が波及して,当分の間は,リンクがあっても,正しいところに飛ばない可能性があります.
 画像の位置などの関係で,表示がうまく行っていないところだけは直したつもりですが,自分の機械の中ではうまく行っても,アップするとダメなこともあるので,それらも少しずつ確認しながら,ということになります.しばらくはご容赦ください.

 これからは,いろんなことを実験していこうかと思っています.出版予定の本の情報もこれまでほどは秘密にしないでもいいかもしれません.
 今後の執筆の予定,希望,方針なども,少しは公開しながら進めていこうかと思っています.ご意見をお寄せください.僕もいつ死んでしまうかしれないので,種のようなものは残しておきたいという気持ちになっているということでしょうか.
 このHPに関して,これからの少しの間の目標:
   カウンターもちゃんと動くのがほしいな.
   大学のサーバでなく自前なのでCMも入れることができます.非営利団体のリンクはこちらの好みに合わせてリンクします.
   それ以外に,サーバの費用だけでもCMで稼ぎたいのですが.CMを入れる希望の方または機関は,どのページにCMを入れたいかを明示して,条件を書いて管理者までメールしてください.こちらの目的や趣旨に反しないものなら,CMを入れてもいいかなあと思っています.特に書籍関係は歓迎です.

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2:2014年10月10日から,2015年5月10日までの挨拶文

 このHPを開設してほぼ1年が経ちました.表紙は変わっていませんが,結構中身は変わっています.外部リンクはまだまだ修正が終わっていませんが,外部リンクというものは元々日々変化しているものだから,終わる作業ではない,というのを言い訳にして. 表紙の「数学用語英和辞典」のカバーはしばらく,このHPのカバーとして使わせてもらうつもりです.
   大学のサーバでなく自前なのでCMも入れることができます.非営利団体のリンクはこちらの好みに合わせてリンクします.
   それ以外に,サーバの費用だけでもCMで稼ぎたいのですが.CMを入れる希望の方または機関は,どのページにCMを入れたいかを明示して,条件を書いて管理者までメールしてください.こちらの目的や趣旨に反しないものなら,CMを入れてもいいかなあと思っています.特に書籍関係は歓迎です.と前にも書いたのですが,まだ一件も申し込みがありません.
 カウンターをつけたのが却っていけなかったですね.アクセスの少なさが分かってしまうから.しかし多分,表紙のページではなく,中に直接入ってしまう人も少なくないと思います.
 今は定期的には週2回,非常勤に行っています.一方は線形代数の講義で,もう一方は数学の話題からという何でもありの講義です.たいていのテーマの講義ができると思っているので,ぜひ声をかけてください.
 現在,いくつか出版の予定はあるのですが,初稿ぐらいあげてからでないと公表はできないけれど,新しい人名が出てきたら,人名索引の中に書き込んでいるので,何かしらの予告にはなっていると思います.それを見てどんな本になるかを予想していただくのも面白いかと思います.



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3:2015年5月10日から,2015年6月7日までの挨拶文


 このHPを開設してほぼ1年半が経ちました.表紙は変わっていませんが,結構中身は変わっています. 表紙の「数学用語英和辞典」のカバーはしばらく,このHPのカバーとして使わせてもらうつもりです.新しい本が出ても変えないかもしれないほど気に入っているのですが....
   大学のサーバの更新ができなくなったのでこのHPを作りましたが,そちらにここへのリンクを貼ることもできなかったのですが,やっと可能にはなりました.で,リンクを貼ればいいのですが,可能なだけで面倒な手続きが必要で,まだやっていません.やればこちらへに来てくれる人も増えるかもしれません.
   さて,近況報告ですが,あまり変化がありません.一人でやってるのは本造りと,このHPのメンテナンスです.佐波くんと教育数学を創っているのですが,それはどうも数学というものを土台から考えなおすということでもあるということで,四苦八苦しています.教育数学のページには昨年の2月に京大の数理研でやった研究集会の報告と,原稿(現在集まっている)がpdfで読めるようにしてあります.御覧ください.佐波くんとの共同作業で形になっているものもかなりの数になり,そのページから発表したものは失敗作も含めてすべて見てもらえるようになっています.お気づきの点があればお知らせください.
 今は定期的には週2回,非常勤に行っています.一方は線形代数の講義で,もう一方は数学の話題からという何でもありの講義です.たいていのテーマの講義ができると思っているので,声をかけてもらえばどこにでも出かけますので宜しく.
 現在,いくつか出版の予定はあるのですが,初稿は上がっているが編集からの駄目出しに対応できず放ってあるのが1つ,初稿が上がっていて編集からの意見を待っているのが1つ,企画はもう長くからあって,そろそろ初稿にしなければいけないというのが1つ,半分だけはやってその初稿はあるのだけれどギリシャ語のアクセントや修飾がうまく出なくて後の半分を先延ばしにしているのが1つ.後は,企画だけのものがいくつか.....あーあ,出せるまで生きていられるかなあ.

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4:2015年6月8日から,2016年7月10日までの挨拶文

 これ,カニエくん?
 うん,そうだよ

 昨日,母校で数学教室の同窓会の創立総会があった.その懇親会が時計台の2階の大きなホールであったのだが,立食パーティの食事やテーブルが置いてあるのと反対のスペースに非常に大きなスクリーンが用意されていて,これまでに数学教室に残されていたアルバムの中から写真が映されていた. ほぼ5秒間隔で切り替わり,時間の順序も被写体の順序もランダムで,明治時代の教授の1枚写真から,各年度の学生の記念写真,講義風景,セミナーの様子,遠足の記念写真,退官記念の集合写真,学生のスポーツの様子,昔の中庭でポーズをとっている女性やら,学生やら,教官やら,事務員やら.
 昔の教授の写真はそのまま数学史の本でみたことのあるものもあり,立ち姿も立派な椅子に座ったものもある.園正造は教室の初期の有名な教授で,数学史の本で見たのと同じ写真だから人名が記されてなくてもわかるが,あとは名前がなければ分からない.
 スクリーンとは別にパネル写真もあって,戦前の教授には人名が記されているが,中に二人だけ「どなたでしょうか?」とあって,一枚には「蟹谷乘養」と手書きで書いた紙が糊付けされていた.もう一人はわからないままであった.
 参加者の,つまり生存者の恩師で有り得るような時代の若い人の名前は書かれていない. 僕が直接会ったというか見たことのある中で最も古い人は小堀憲であり,会ったことのない秋月康夫は著書に写真があったりして知っているが,彼らですら名前の注記がない.だから,パネル写真の前では,これは誰だと,小声で囁き合う.知らないというのが恥ずかしいからなのだろうか. 教授ではなかったが,最大の有名人である岡潔の写真にも注記はなかった. 大半の参加者にとっては直接知ることもない歴史上の人物である.考えれば,そういう歴史の中にいるということであり,すごいことではある.
 パネル写真の方には写真外に何かしらが記されていて想像もつきやすいが,移り変わるスクリーンの写真には基本的には文字情報はない.写真の中には文字情報が写り込んでいるものもある. 退官記念写真では退官者の名前が後ろの黒板に大書してあるし,学生の集合写真もある.学生数が多くなってからは,毎年新人の顔写真を取り,そこに名前を書いて,教官が学生の顔を覚えるために取ったもの.僕の2年前までは,大きな紙に名前を書いたものを紙に書いて肩から掛けていた写真だった.怖かった先輩たちの初々しい顔はちょっと見もの.
 実は,僕の学年が京都大学数学科の最終学年で,次年度からは制度が変わり,数学科の学生が存在しなくなるので,そういう顔写真は取らなくなったようだ.それに,僕らが3年の冬にある大きな事件が起こったのでなくなったが,それまでは学生と有志教官と有志事務官とで多分秋に遠足に行っていたようで,そういうスナップ写真もある.
 先輩たちには3年,4年次に2回は行くチャンスがあり,大学院に進めばさらに回数も増やせる.もちろん,そんなものに行くものかというひねくれ者や,そんなものをしている暇に数学をしていたほうがいいという真面目な人も多い.僕が行ったのときの行き先は余呉の湖だった.この遠足がなかったらどこにあるかも知らないような場所だったが,秀吉と勝家の賤ヶ岳の戦いの戦場であることが遠足のために誰かが作ってくれた1枚の紙に書かれていた.言われてみれば知っていることがこういう形で目の前に現れる.それは,家を出て2年半,世の中を一人で渡っているということなのかと,ふと思ったときでもあった.
 アルバムを誰が管理していたのだろうか,アルバムに貼られた写真にコメントがあるものもあり,それをデジカメで撮ったものがスクリーンに流れていたのだろう. 5秒ほどしか映っていないので,肖像写真以外は状況が直ぐにはわからないものも多い. 昔の教室の建物や中庭や屋上からの風景やら,講義風景やらも混ざる. まったく順不同で,想像もできない,退官間際の頃しか知らなかった小松醇郎先生の若々しい写真や,教授での姿しか知らない渡部信三先生の学生服姿などは一種の驚きである.永田雅宜先生の30代前半くらいの若々しい笑顔にはなぜかホッと気持ちが暖かくなった.講義は難しかったが,優しい人だった.
 そんな中で1枚のアルバムの写真が映った.アルバムの下半分で4枚の写真のうち,上の2枚は切れていて何が映っているか分からない. 下の2枚もそれほど大きな写真ではない.その右下の写真の下に,上の2行の会話がコメントされていた. 最初の1,2秒では何がなんだか分からない.どうやら自分のことだと思って,写真を見直そうとしたら,次に移ってしまった. 写真の数が多くて,なかなか戻ってこない. そのうち懇親会が始まり,挨拶が前の方であり,しかも総長まで出てきてのものでは,スクリーンの前に一人だけとどまっている訳にはいかない.
 宴も酣というか,少しだれてきた頃,スクリーンの前に戻った.何人かも戻っては見てまた宴に戻っていく. しばらく粘っていたら,やっと目当ての写真が戻ってきた.見逃さないように見ていたのだが,やはり突然.1秒位は目当ての写真だという認識にかかり,やはり自分の写真かどうかもわからない. ワルガキがひとり写っているだけである.表情までは見ている時間がない. コメントを見ると,セリフ形式になっていた.どうもこのアルバムは,ある時期,学生が自由に見られる状況にあったのだろう. 誰かがそういう会話をして,誰かが書き込んだものらしい.会話をした当人が書いたようには見えない.教室のアルバムなので,勝手に書き込むのが許されていたとも思えないが,自由な校風だったので....
 僕自身には記憶が無い.僕が書いたはずもないし,この会話を聞いた記憶もない.セリフにはA子,B子と話者の特定がしてあった.とういうことは,同級生の2人.誰だろう? 数学科の同級生のうち女子学生は4人だけ.言葉の調子から多分と思う候補はあるが,こんな会話をするようような関心を僕に持っていてくれたような気がしない.僕はほとんどまっすぐに数学に向かっていたので,周りのことがわかっていなかったのかもしれない.
 この会話は好意的なものだと思い込んでいたが,そうではないかもしれない.それならあり得るか.....? 犯人探しをしても仕方がないが,元のアルバムを見れば彼らが写っている写真もあるかもしれない.教室にあるのなら見せてもらえるだろうが,京都はそれほど近くはないし,とも思ったが,今さら分かったからといってどうすることがあるわけもない.
 この写真はまだ平和だった時の数学教室の最後の名残である.12月には東大の安田講堂で攻防戦が行われる.翌年の1月には数学教室でも学生の蜂起(?)が起こる.それからいろいろな経緯はあるが,平和な日々は戻ってこない.卒業まで,普通の講義はなかった.夏が来て闘争は自然消滅のようになり,秋になってセミナーに分属して,卒業までは普通の講義は一切なく,同級生たちとの日常的な交流の機会は戻っては来なかった.卒業式もなかったので,大学院に進んだ者以外にはもう自然に会う機会はなかったのだ.ほんとうに激動の中にいたので,数学のこと,人生のこと,大学のこと,世界のこと,考えることが山のようにあって,普通の学生生活はなくなってしまった.
 それはもう昔のこと,47年も前の話である.それでもこのコメントを見たときから,「これカニエくん?」という声がレフレインして,頭から離れない. その当時は,この写真に写っている見慣れない男はいつも教室で見慣れてるはずのあの男なのかという軽い意味しかなかったかもしれないが,リフレインする声は少しづつ言葉を変える.
 「これ,カニエくん?」「これって,カニエくん?」「これはカニエくん?」「これはカニエくんなの?」「これをしたのはカニエくんなの?」「この仕事はカニエくんなの?」「カニエくんは何をしたの?」
 中原中也の
  あゝ おまえはなにをして来たのだと……
  吹き来る風が私に云う

という詩がこのレフレインに重なって聞こえる.折にふれて思い出してきた中也の詩に47年の時を超えて届いた声が重なる. 「うん,そうだよ」と胸を張って言えるような何かを僕はしただろうか.
 どうも感傷的になりすぎたようだ.歳を取り,少なくない病気を抱えていて,いつまで生きられるかわからない今の僕には感傷的になっている時間はない.まずは,今与えられている仕事をしなければいけない. それを済まさないとその次の仕事に掛かれない.その内の1つでも「うん,そうだよ」と言える仕事になってくれればいいのだが.
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5:2016年7月11日から,2017年1月7日までの挨拶文

 

 マスラボが生きていることの証として,挨拶はできるだけこまめに書き換えようと思っていたのだが,1年以上も経ってしまって申し訳ない.
 誰に申し訳ないのか,という話を書いてみたくもあるが,それを書き始めると,大半の人には面白くもない話になりそうなので,それは止めることにしよう.
 一応の目標として,新しい本が出たら,一回は挨拶を書き直そうと思っていた.2016年4月15日に上の確率の本が出たので,それならまだ,1年以内だったわけで,言い訳もしなくて済んだのにとも思う.新刊も出てなかったし,このHPも表面上はあまり書き直しがされているように見えなかったので,しかも,前回の挨拶があまりにもうしろ向きだったので,とうとう活動を止めたのかと思われた方も少なくなかったかもしれない.
 しかし,確かに活動のペースこそ落ちたものの,それなりに活動は続けている.人に見えるのは,論文を書くか,著書か訳書を出すことだろうし,また,このHPに新しいコーナーでも作ることだろうが,それが止まっているように見えたかもしれない.
 理由はいろいろあるが,実はアクシデントがあったのである.昨年の6月に,突然使っていたPCが壊れたのだ.それまでも部分的に壊れていたのだが,何とかだましたり,宥めたりして,済ませていたのが,本当に壊れてしまった.しかも,移動に使っていたUSBメモリーも壊してしまった.語るも涙の失敗をしてしまったのである.USBメモリーまで壊れるなんてことがある筈はないと誰もが思うかもしれないが,失敗するときは連鎖的に,しかも思いもよらないことを起こすのである.冷静に振る舞えば防げた失敗をした.失敗学的には面白い例を与えてはいるが,ここでまたもそれを語るには,まだまだ心の傷は癒えてはいない.
 おかげで失われたものがある.手書きの作業でなら,反故が残るものだが,きれいさっぱり,2年くらいのデータが消えた.一番困ったのは,『幾何教程』の原稿である.こういうような著訳書の仕事がメインになったきっかけは,ハイラー・ヴァンナーの『解析教程』だが,そのヴァンナーがGeometry by Its Historyという本を出した.その翻訳原稿が1章分だけは,状況報告を兼ねて出版社に送ってあったので,その部分のpdfファイルは生き残ったが,残りが消えてしまった.翻訳も,ただすればいいだけじゃなく,日本語の本として読めるためにすることもあるし,多くの数学者がMacを使っていることもあって,Windowsで実現するためには,別途の工夫もいる.その工夫の書いてあったファイルも消えたのである.立ち直れない程の痛手であった.
 ところで『幾何教程』だが,実は,ヴァンナーが初版を出してから,何しろ幾何のことだから,世界中に物知りがたくさんいて,いろいろコメントをしてきたらしい.そこで,内容の入れ替えを含め,章立てを変えるということをし始めたということで,その変更後の一応確定した原稿が少しずつ,送られてきて,それを受け取りながら,翻訳を続けていた.今度は幾何なので,図がいろいろと大変で,ヴァンナーはパートナーを変えていた.図はそのパートナーの方の担当で,その彼が登山家でもあり,ヒマラヤに行っているので,中々確定しないのだというメールを受け取っていたのが,2年前の初夏.その後,ヴァンナーとハイラーが秋に日本に来るということが分かり,それまでには改訂も終わっているだろうというような,...まあ,確定ではないけれど,そういう話であった.
 実は彼らの本職は数値解析で,その分野の専門書もあり,日本語にも翻訳されている.日本での権威の一人に三井さんという人がいて,彼の多分70歳だったかと思うが,その記念シンポジウムをやることになり,彼らを招待したということが,三井さんから知らされた.そこで,その秋に会場の,京大の楽友会館に出かけていき,ヴァンナーから,第2版用の原稿のファイルを受け取ることができた.
 それを使って,本格的に翻訳に取り組み,前半の翻訳を済ませたところだった.実はその状態を春の学会で,担当の編集者に見せているのである.確定していなかったとはいえ,そのときにファイルを渡しておけばよかったのだが,痛恨である.
 実はそこで,いったん作業を停止していた.『解析教程』のときもそうだったが,現代的な取り扱いが始まるところを決め,それ以前と以後という構成になっている.『解析教程』の場合はニュートン以前とニュートン以後であった.『幾何教程』の場合はデカルト以前と以後である.つまり,幾何的な量を文字で表わし,幾何的な関連性を代数的に表示し,方程式を解くなどの扱いをすることで,近代になる.
 今回は歴史的文献や引用が多く,数学以外の作業が多くて,しかも,近代以降の歴史的引用もかなり面倒である.数学だけなら,多少難しくても,長いこと考えさえすれば多分何とかなるだろうという思いはあるのだが,...スイスの人は何といっても最初から多言語に慣れていて,...愚痴を言っても仕方がないが,それで,どうしようかと考えながら,ほかの仕事をしていた所にこのアクシデントが起こった.
 悪いことは重なるもので,その少し前から,この編集者と翻訳上だけでない問題も生じていた.で,『幾何教程』の作業がほとんど白紙状態になってしまった.何回か前の挨拶でも報告したように,いろいろな出版社との仕事を並行的にやっていて,その時までは『幾何教程』が最優先だったのだが,ほかの仕事を優先することになった.
 その成果が,ナーインの本の翻訳である.表面的に休止状態になっていたのだが,久々の出版である.学生時代から,確率の人たちとは付き合いもあり,興味もあったのだが,ナーインの本はさらに数学の外に向かった姿勢の本で,それなりに楽しめた.ほかにも面白そうな本を書いているので,機会があれば訳してみたいと思っているが,それはまた別の話.
 ナーインの本は共立出版から出ているが,共立との付き合いは『直線と曲線』以来である.この本の時に知り合った編集者とは10年以上の付き合いになる.当時はまだ,ほとんどが翻訳だったが,アイデアマンの彼とは独自のいろいろな企画を語り合ったものである.いくつもの面白い企画を考えて,盛り上がったが,いつも数か所からの翻訳の仕事を抱えていたので,実際の形になっているものは『数学用語英和辞典』だけである.これなどは,いろいろな企画の中の一番新しいものだった.
 実はその次に新しい企画の本がもうじき出版の運びとなっている.発行日は多分2016年の7月中,遅くとも31日である.そうなれば,また挨拶を書かないといけない.ナーインの本での挨拶の期間が1月を切る.慌てて挨拶を書くことになった理由である.
 『幾何教程』の話を書いたのは,もう秘密にしておく時期は過ぎたからである.今年の春の筑波大学での学会の際に,『幾何教程』の編集者と話し合い,一応問題点が,解決したので,その後『幾何教程』の仕事に掛かった.pdfが残っていた部分についてはすらすら進んだが,それを過ぎると,すべてを手で打たないといけないから,進みは遅くなる.1冊で出してもとも思うのだが,やはり厚くなりすぎるからというので上下巻という形で出すことになっている.上巻だけに関係する部分については初稿は終わっている.日本語の本としての構成上,処理しなければいけないことが残っているので,見直す必要があるが,特に文献の処理が,『解析教程』の場合と異なるので,段々に決心を付けてきて,『解析教程』の文献と,日本語の書物としての体裁をあまり変えたくないので,という点が残っている.『解析教程』のときは,神戸大学に来ていたオランダ人の数学者に,ラテン語の文献のタイトルについては世話になったが,今回はいないので,その分が気がかり.全部で11章,演習問題は各章に20以上あり,その解答も簡単ではない.『解析教程』のときはニュートン以前と以後では内容としてかなりの違いがあり,相互に引用しあうということもほとんどなかったが,今回はそういうわけにはいかない.どれくらい相互に依存しあっているかを確かめるために,上巻を仕上げる前に下巻部分も少し見ておこうと思って作業を進めている.そのすり合わせをどうするかさえ決めたら,上巻だけなら,あと2か月くらいで本になる.下巻も今年中か,遅くとも今年度中には本になる.乞うご期待である.
 前にも言ったようにヴァンナーは数値解析の専門家である.幾何に対する感覚が幾何だけやってきた人とは違う.そこが面白い.内容的に『解析教程』と響き合うところも多い.スイスというヨーロッパのあらゆる文化と文明が交差するところであり,オイラーとベルヌーイ兄弟の生まれたところで,ベルンには文書保管の図書館があって,一次資料が手の届く範囲にあるというのが,ヴァンナーのby Its Historyシリーズの強みである.
 上巻だけなら,初等幾何のすっきりした,百科事典的な内容も持つ教科書である.沢山さんという,戦前の数学者も登場して,和算ははっきりした形では出てこないものの,.....ま,あまり内容にかかわることは,出版前なので,控えておこう.
 というわけで,かにえマスラボは現在進行形でオープンしております.当研究所になにか,ご希望の業務があればご提案いただけば,検討させていただきます.所長が生きている限りということではありますが.訳書に関してはこれ以外に2冊,既に作業にかかっているものがあります.また,企画ものについては,既に原稿のあがっているものもあるのですが,読者層の設定と叙述形式について編集者と意見が合わなくて留まっているものもあります.このままで十分面白いと思うんだけどなあ....
 教育数学というやつは,ある意味で生涯の大仕事になるかもしれない発展をしているのですが,....,今のところはまだ,業界内の扱いにしかなっていないところがあって,そこをどう突破するか.突破できれば,日本のというか世界の思想史にも足跡を残す.....年寄りの大言壮語に聞こえるようでも困るので,今回のご挨拶はここまで
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6:2017年1月8日から,2017年11月4日までの挨拶文

   2017年になってしまいました.この『作法』が出てから,半年も経っています.新しく本が出たら挨拶を書き換えるなどと,前の挨拶で言っておきながら,まったく自分で言ったことが守れないのは困ったものです.ではあるけれど,むしろ守らなくてもいいのは自前のHPだからでもあって,多少の身銭を切っている値打ちでもある.幸いにして早々に2刷りになっています.こんなことは『解析教程』以来のことです.実はあの時よりも2刷りのペースは速い.しかし,『解析教程』は3刷りも早くに出せて,長続きしています.ある状況下での定番化していると思っているのですが,どうでしょうか. 3刷りでは負けるかもしれませんが,本書もそうなってほしいものです.
 この本は,大学で数学を学ぶ機会のあるすべての人に読んでもらうように書いたものです. 動機としては,大学に入ってくる学生が大学で学ぶ態勢になっていないという状況を何とかしたいというものだったわけです. と言って,説教になるのも嫌だった.面白おかしくというわけにはいかないので,学習相談室という気分のものを目指すことになった.
 出来上がったものは,理科系学部に入学した学生向けのオリエンテーションの副読本として使ってもらえるものになっている. また,大学受験を目指す高校生や予備校生に,大学での学びの雰囲気を味わってもらえるようなものになっている.
 もちろん,既に公的な学びは終えて,社会にあって,学びを振り返る時々を持っておられる方も対象にしています.昔学んだはずだったものが何だったのか,この本をちらちらと読んでもらえば,思い当たることもきっとあるでしょう.通勤の電車の乗る前か,乗った直後に本文の問を読み,本を閉じて考えてみる. 何か解答を思いついたら,本の回答を読む.多分,あなたの予想とは違う答えが書いてあるでしょう. そうだったら,もう一度考えてみて,それでも本の解答に納得がゆかなければ,解説を読む.
 本文は,問,回答,解説,作法というセットで出来上がっています.解説を読んで納得できたが,それでどうしたらよいのだという思いに駆られたら,作法を読んでください. 多分,ほっととしていただけると思います.
 数学の歴史は,難問を解くことで出来ています.難問を解けば,また新しい問題が生まれる. それを解こうとすれば,前の問題を解く前の地平では恐らく解くことはできないでしょう. だから,もとの難問が,できるだけ当たり前のことに思えるように土台から作り直す. そういうことをいろんな人が,いろんな立場や能力で作り上げてきたものが今の数学です.
 教科書ができているようなテーマや分野はそういうことが比較的できあがっているわけで,自分だけで考えたら一生掛かっても行きつけなような高みまで連れて行ってくれます. ただ,それも,そこまで行きたいと本当に思う人にとってということで,行きたくもないのに連れていかれるという意識になれば,こんな嫌なものもないかもしれません. 昔からよく言うことですが,「牛を水飲み場に連れていくことはできるが,水を飲ませることはできない」のです. のどの渇きを覚えている牛なら,ある程度傍まで連れていけば,多少の障害は自分で乗り越えて,むしろ,引き手を引きずってでも水飲み場に行くことでしょう.

 さて,ご挨拶が遅れていましたが,それでも無理にでも挨拶をせねばならぬという気持ちになっているのは,新刊が出たからです.お待たせしております『幾何教程 上』が1月31日に発行されました.今日は28日ですが,僕の手元には3日前に届きました.おかげで,訳者まえがきに手拍子のミスがあることが分かり,本のサイトを作った時からerror.htmを書くことになってしまいました. まだ,上巻のみですが,出版者との取り決めでは,下巻の初稿の締め切りが3月末になっていますのでもう少しです.推敲のときも含め,もう少しだけお待ちください.
 他の2社からの翻訳も少しずつですがやっています.教育数学の方もやっと,ある程度まとめに入ってきていて,それほど遠くない時期に,公表できることを目指しています.一般の方には読んでいただけそうもない生硬なものが論文の形でかなりできています.興味のある方は『教育数学』のページから見ていただくことができます. これをまとめて,一般の方にも読んでいただける形にするのにはまだまだ時間が掛かると思います.生きている間にできるかどうか,これまでの訳業や著述業はそのための修行の場だと,最近では思うようになりました.
 
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7:2017年11月5日から,2018年5月6日までの挨拶文

 
 2017年もあと1月あまりになってしまいました.お待たせしております『幾何教程 下』が校了しました.前回お伝えしたように初稿は3月の数学会の前に出版社に渡しましたが,本書も図が多く,編集の作業に時間がかかるようです.
 他の2社からの翻訳のうちの1つは初稿を入稿しました.もう5年以上も前から継続してやってきた著作もやっと原稿として出版社が受け取ってくれました.校正に手間がかかる状態ですが,出版されることは確実だと思いますので,ご期待ください.
 もう1社の翻訳は並行してやっていくつもりでしたが,もう一つの仕事が進まないことも心の重荷になって後回しになってしまっていました.
 もう一つの仕事というのは教育数学をテーマとした研究集会を京都大学の数理解析研究所で来年の2月に行うことになっていますが,その準備が進んでいないということです.プログラムの枠は決まっていますが,講演者への依頼が進んでいないということです.決まっていくに連れて,『教育数学』の第3回研究集会のページでお知らせしていきたいと思います.これまでに2回研究集会が開かれ,その講究録も出版されています(上のページからリンクされています).
 今日からはもう1社の翻訳と,入稿した原稿の手直しをしながら,研究集会の準備を最優先で(何しろ時間がないので)進めていくつもりです.
 先月に,著述以外の,というか,数学以外の大きな出来事があったのですが,このHPのサイドサイトを充実しながら(誰も期待していないかもしれないけど),少しずつ書き込んでいこうかと思っています.





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